貧乏子爵令嬢は王太子殿下の婚約者に選ばれました



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「ええ、貴方もわかってるとは思うけれど…」
先程から小一時間ほど王妃様の部屋で説教されているのは、息子である王太子殿下、ナオーキでした。
ここのところ繰り返される愚痴と説教に、なんとか振り切って逃げるつもりでいましたが、王妃様から気になる話があると呼び出されたのです。
コトリンと同郷の男爵令嬢が城勤めとなったが、どうやらその令嬢がコトリンに話がしたいと持ち掛けているらしいと。
親しい友人であれば、それは多少考慮されても認められたでしょう。
しかし、コトリンの話では学舎で一緒だったものの、さほど親しく付き合いはなかったというので、何らかの意図があって近づこうとしていると判断されたのです。
「それなのに、貴方ときたら…宰相補佐のナーベ侯爵子息と噂されるなど、どういうつもりですか」
またこの話に戻ってきたとナオーキはうんざりしながら前を向いていました。
「母上には噂はただの噂だとわかっているなら問題ないではないですか」
「私だけがわかっていてどうするのですか。肝心な人が全くわかっていない気づいていない気にしてもいないという事態があなたの将来にかかわるのですよ」
「…そんなわけあるか」
わかっていないなら放っておけばいい。気づいていないなら好都合。気にもしていないなら幸いだ。
…とナオーキは思ったものの、ぱちんと扇を閉じる音ではっとしました。
「ほほほ、お気に召さないなら明日からしばらく各上位貴族御自慢の令嬢方とお茶会でも催しましょうか。それとも市井に降りて自ら王太子候補を連れてくると?」
「大変申し訳ありませんが、そんな暇もありませんので」
「そう思うなら、努力なさい」
「もういっそ、母上のお好きになさればよろしいのでは」
「それも考えはしましたが、今のままでは誰も納得しないばかりか、側妃をねじ込んでくるわよ。貴方にそれが耐えられて?
令嬢並びにその親たちである貴族方も国民も貴方が選んだという事実が必要なの。言わなくてもわかっていることを今更投げることはおよしなさい」
ナオーキは当たり前のように口にする王妃様に黙って肯定しました。
「いいのよ、貴方が望むなら一人でも二人でも。侯爵家のご令嬢も伯爵家のご令嬢も相手としても問題なくご本人たちの資質も疑いようないほどだとお聞きしていますから、王太子妃にと願えば反対する者はいないでしょう。
ここまで皆を待たせたのですから宣言通り自分で選びなさいな。
年明けには婚約者を披露するからそのつもりで」
披露するまでほぼ二か月もないとかふざけてるのか、と叫びたいのをぐっとこらえ、去っていく王妃様を見送るのでした。


コトリンは、提案されたお茶会の開催のために準備をすることになりました。
とは言ってもここは王城。何故ここで催さねばならないのか、少し昔馴染みと話をするだけでお茶会を開かねばならないのか、コトリンには王城のマナーや掟などはさっぱり理解できませんでしたが、何よりもお世話になっている身の上ですから皆の勧めるとおりにした方がよいとなったのです。
「ほんの少しお話ができれば大丈夫かと思ったのですが…」
ため息をつきながらも当日のお茶やお茶菓子をモトと相談しておりました。
「ほんの少しで済まないところがここでの決まり事だと思って諦めてくださいませ」
「でもここで学んだことはきっと領地に戻ってお客様をお迎えするときにも役立つわよね」
と前向きでしたが、コトリン付きの者たちは果たして領地に帰ることが可能なのだろうかとそれぞれ心の中で思うのでした。
「男爵令嬢様は、どのようなものがお好みかわかりませんよね?」
「…ええ。親しかったわけではなかったので」
「それでは、コトリン様がお好きなものをご用意してみるのも良いのではないでしょうか」
「それが好きじゃなかったら?」
「それほど親しいお付き合いではありませんから、そういうこともありましょう。でも貴方様が好きで勧めたかったということであれば、悪い気はしないでしょう。余りましたらもったいないとかできっと後で召し上がることでしょうし」
「それもそうね。それならわたし、この茶葉にするわ。同じ領地の男爵家ならば、私と同じでそれほど高価なものは常に飲んでいるわけではないと思うのよね。王城で気疲れする分、気軽に飲めて、それでいておいしいなら最高だと思わない?」
「良い選択だと思います」
「焼き菓子なら、これ。わたし、このバターたっぷりの焼き菓子を最初に食べたときに感動したの。同じ焼き菓子でもここまでおいしく焼けるなんて、さすが王城だと思ったの」
そう言ってお気に入りの焼き菓子を一つ手に取ると、モトがうなずいたのを見て口にほおばりました。
確かにもう少し上品に食べられればいいのかもしれないが、コトリンがおいしそうに食べる姿は悪くないとモトは思うのでした。
「オリー様も喜んでくれるといいな。あ、まだ城下に滞在しているサトミンとジンコリンも呼んだけれど、大丈夫かしら」
「先日書かれた招待状はお届けいたしましたし、そちらの手配は済んでおります。今回は侍女見習いと言えど招待客として男爵令嬢も気後れしないように手配されております」
「ありがとう。あたしなんかがこんなすごいところでお茶会なんて…」
「コトリン様、わたし、でございますよ」
コトリンは、う、と声を詰まらせ「全く自信がないわ…」とこぼしました。
「今回は予行演習だと思ってください。お部屋にご招待ですので、目立つこともありませんし。本来なら風当たりの強いご令嬢様方を招いて行うお茶会となるところでしたけれど…」
実際、コトリンにいくつか招待状は届いているのですが、現在は王妃様付きであるがために理由をつけて王妃様側からお断りしているのでした。
徐々にコトリンの存在と王家に近く侍る理由が、どうやら幼少時の王太子殿下と懇意にしていた令嬢だったらしいと知られつつありました。
王太子殿下はそれには答えず、王妃様はにっこり微笑むのみ。コトリンは王城深くで守られ全く手が出せず、上位貴族の親とその令嬢たちはやきもきするばかりでした。
「いいですか、コトリン様。お茶会ではあの手この手で探りを入れられたり、時には嫌がらせもあったり、招待客によっては平穏で終わることが大変難しい場合もございます」
「ええっ、やっぱりそうなの」
「ですが、今回のように親しい方とのお茶会は、そういうものとは無縁であれば心慰められるものとなりましょう」
「そうよね」
「そうなるように私どもも精一杯務めさせていただきます」
「せっかくのお茶会ですもの。楽しくなるように頑張るわ!」
元気にそう答えたコトリンでしたが、何にせよ一番の心配事は友人方ではなくオリー・コ・イツワ男爵令嬢です。
いったい何を考えてお茶に誘ったのか、その真意が問われます。
ましてや王城内でこれほど守られたコトリン相手にですから、変に勘繰られるのも承知と言えましょう。
モトはそこを見極めるのもコトリン付きの侍女として大事なことだと思っていましたので、ありとあらゆる事態に備えておくつもりでした。
いつかは王太子妃候補としても名高い侯爵令嬢や伯爵令嬢とも対峙することになるのですから。

 * * *

そうこうしているうちにお茶会の日がやってきました。
王城に世話になっている者がお茶会などという細かいことは、コトリンの周囲でしか知られないよう気を使われておりまして、友人であるサトミンとジンコリンも別の入り口から案内されたのでした。
どちらにしても王城という慣れない場所に案内された二人は、逆にほっとしたくらいです。
肝心のオリーに至っては、別の場所に案内されてきちんとドレスも着せてもらい、侍女見習いではなく男爵令嬢としての装いでお茶会に参加することになっておりました。
コトリンとモトも朝から念入りに準備をし、コトリンも自分の支度をしなければと怒られる始末でした。


いよいよ招待されたサトミンとジンコリンが訪れ、オリーもやってきました。
あらかじめ聞かされていたとはいえ、サトミンとジンコリンはオリーの顔を見た途端にあっと思い出したのです。
何よりもこの派手な桃色の髪色を忘れるわけはありません。
オリーの家は薬師の家系で、オリーの母は別の国から嫁いできたとかいう話でした。
そして学舎にいるときの一番の思い出は、そのオリーが何故かコトリンを付け回していたように見えたことでした。
一度は直接尋ねたこともありましたが、本人は他意はないとはぐらかすばかりで、直接コトリンに嫌がらせをするわけでもなく、ただじっと観察しているかのように見つめているのみだったのです。
むしろコトリンのことは大好きなのじゃないかと思われた節もありました。
コトリンの髪型を真似てみたり、コトリンの着ていた服と似たようなものを身に着けてみたりと、コトリンが気にしていないのが不思議なくらいでした。
サトミンとジンコリンはお互いに目配せをしながら、にこにこと笑っているコトリンを見ました。
全く気にした様子はありませんが、この子覚えていないのかしらとちょっとだけ残念だった学舎での成績を思い浮かべたのでした。
二人ともあいさつをされてそれぞれ「お久しぶりでございます」と返しましたが、それにはコトリンが「あら、知り合いでしたか?」と二人に無邪気に聞いたので、二人はそこではにっこりと笑うにとどめたのでした。
「相変わらず残念な記憶力してるわぁ」
「逆にその方がいいかもよぉ」
サトミンの言葉にジンコリンも笑って小声で返すと「何かあったら私たちで何とかしなければ」と扇の陰でうなずきあったのでした。
逆に何故このお茶会にオリーと自分たちが呼ばれているのか。
しかも、ここ王城で。
そして今のコトリンの立ち位置について考え直さなければなりません。
コトリンよりはよほど世間の噂に詳しい二人でしたが、こうしてみるとコトリン自体は全く変わっていないのです。
いったい王太子妃候補とはどんな幸運があってそんなことになったのでしょう。
まずはお茶をと手を伸ばすと、オリーも落ち着き払ってお茶に手を伸ばします。
デビュタント以来の王城で緊張していた二人でしたが、すでに王城で働いているオリーにとっては大したことのないお茶会なのかと悔しいくらいです。
お茶の感想とお菓子の感想を一通り済ますと、いよいよ本題です。
「いきなり聞くのもなんだとはお思いでしょうが」
おほんとサトミンがコトリンを見つめて思い切って言いました。
「どうしていきなり王城に滞在することになったのかしら」
噂では、実は王太子殿下と知り合いだとか?
知り合いってどんな?
いったいいつ知り合うわけ?
などと周りに侍女の皆さんやオリーがいなければ聞いてしまいたいところでしたが、あまりにも礼儀がないかとうずうずしながらもコトリンの答えを待っておりました。
「偶然ちょっと家業のことで王城に訪れる機会があって」
これは嘘ではありません。
確かにコトリンは領地の特産品を納めるために王城を訪れたのです。
それが、どうしてこうなったのかコトリン自身もわからないのです。
「偶然王太子殿下とお会いになったとか?」
「…偶然?」
おそらく二人が言う偶然とは、何やら幼い頃に会ったことがあるらしいとの噂から聞いてみたのです。
コトリンの頭の中ではデビュタントでの休憩室でのやり取りが思い浮かびました。
「…偶然と言えば偶然でしたけれど、ちょっとした危機的状況が」
まさかソファから落ちて腰を傷めたところに王太子殿下が現れるなどと思っていなかったのです。
「まあ大変だったのですね。そこを王太子殿下に助けられたとか?」
「助け…。え、ええ、まあ、そういうことになるのでしょうか」
コトリンは激怒されながら医療所に運んでもらったことを思い出しました。
「まあ素敵!」
「本当に。噂とは違い、王太子殿下はお優しい方だったのね」
…お優しい…?
コトリンが思わず眉をひそめると、二人は顔に疑問符を浮かべたような表情になりました。
「これはちょっとまずかったかしら」
ひっそりとジンコリンが隣のサトミンに言いました。
「王太子殿下は噂通りの人だったと?」
サトミンの言葉に隣でオリーがプッと吹き出しました。
「あ、あら、オリー様は何かお聞きで?王城内にいらっしゃるのですもの。何か見知ったことがあるようですわね」
サトミンの言葉にオリーは「失礼いたしました」と答え、澄まして続けたのでした。
「僭越ながら、一つ言えることは、冷たさにも種類がある、ということだけですわ」
「そこを詳しくお聞きしたいわね」
「今ここにいるのはお茶会に呼ばれた一個人とはいえ、王城内のことに関しては守秘義務がありますので口には致しかねます」
サトミンは扇の陰で「まあ残念ね」とだけつぶやいた。そして先ほどまではおどおどしていたにもかかわらず、今は優雅にお茶を飲んでいるオリーをなかなか手ごわい、と見返したのでした。
「ところで、オリー様、私にお話とは」
ようやくコトリンは本来のお茶会の目的を思い出し、尋ねてみることにしたのでした。
「え、ええ。その…」
そこでオリーはこほんと咳払いをしてコトリンを見ました。
「私…貴方様のおそばでお仕えしたいのです」
サトミンとジンコリンはお互い顔を見合わせるとあからさまにうわーと眉をひそめました。
これから王太子妃候補となりそうなコトリンにすり寄るとは、なんて恥知らずで強欲なことかと。
確かにこれからおそばでお仕えすればいい思いもいい待遇も受けられるかもしれない。
「そう言われましても…その、私、ここにずっといるわけではなく…」
コトリンはまさかの申し出に困ってしまい、ちらりとモトを見ました。
「それに、私を手助けしてくださる方々は、私が決めたわけではなく…」
どこまで言葉にしていいのかもわからず、コトリンはますます困ったようにモトに助けを求めました。
それでもモトはただ黙って控えているのみです。
「私…私…その…」
オリーは少しだけ言いよどんだ後、意を決したように顔を上げ、コトリンを見つめて言いました。

「昔から貴方様にあこがれておりました!」

「え」
「は?」
「ええっー!」

サトミンはまさかの答えに扇を落としそうになり、ジンコリンは令嬢にありまじき声を発し、コトリンに至っては椅子に座っているのに転びそうになっておりました。
一度告白したことで気が大きくなったのか、コトリンのほうに身を乗り出し、今にも手を取って熱弁しそうな勢いで言いました。
「学生の頃、貴方様が転んだ私を助け起こしてくださいました」

サトミンとジンコリンはひそひそと言い合いました。
「どちらかと言うと、コトリンが転んで助け起こされたっていう方が納得しますけれど」
「助け起こしたって何かの間違いでは?」

「他の誰も私を助け起こそうなどとはしてくれず、汚れたドレスの土を払い、けがはないかと尋ねてもくれました。本当にありがとうございました」

「それが本当ならいい話よね」
「まあ、コトリンは優しいけれども…」

「その後も貴方様の近くに参りますとにこりと微笑みかけてくださって…」
オリーはうっとりと思い出したかのような表情でコトリンを見つめます。

「…それで、ちょろちょろとコトリンの周りに現れてたと」
「髪型のあの二つ縛りは、やっぱりコトリンの真似だったと?」

このやり取りの間、コトリンは目をぱちくりさせながら必死に思い出そうとしましたが、ピンク髪のオリーのことはなんとなく覚えていても、自分が何か親切にしたせいだとは思ってもみなかったことでした。
「えーっと、ごめんなさい。その、覚えていなくて」

コトリンの言葉にもオリーはがっかりすることなくうなずいて答えました。
「ええ、もちろんです。ほんのひと時の他愛のない出会いでしたから。それに学舎にいた数年間、貴方様はその慈悲深き親切心を他の方にも惜しげもなく与えていたのですから」

「…どこの世界のコトリンの話?」
「ええと、まあ、いろいろお節介したことに対してかしら」

「いつか、お近づきになれたならあの時のお礼をと」

「さっさと言えばよかったじゃないのよ」
「そうよね、領主の娘とは言え、市場にもいたし、いつもその辺歩き回ってたわよね」

「父にもこの数年頼んでいたのですけれど、領主様のお屋敷は近寄りがたくて。それに社交界でもお会いできないと」

「コトリンのお父様、普段屋敷にいないしね」
「そうねぇ。市場と農場行ったり来たりだし。そもそも社交界出てないし」
サトミンとジンコリンは二人して扇の内側でため息をつきました。
確かにここにいる三人とも、王城でのお茶会にふさわしい態度とは思えませんでしたが、こんな内容を聞かされることになろうとはといった感じです。

「貴方様とこうしてお話しできる機会をいただき、本当にありがとうございます。貴方様は学舎時代と変わらず、慈悲深い御方でいらっしゃいました」

「…んん、まあ、人によって見方はそれぞれよね」
「そうねぇ、コトリンは悪い子ではないわよね。お人よしだし、気さくだし、それなりにかわいらしいわよね」
「では、その、王太子殿下とは全く関係がないと?」
「眼中になさそうじゃなくて?」
「演技でもなく?」
「これが演技なら相当よ」

二人の話し声が聞こえたのか、オリーがすっと目を細めました。
「…ふっ、私の愛しの方をあんなに邪険に扱うなど、仕える身でなければちょん切ってやるのに」

「こっわっ。聞いた?」
「まさかのちょん切る発言よ。小声でよかったわね。不敬罪よ…」


「コトリン様」
ここでようやく侍女のモトがすっと近寄りコトリンに耳打ちしました。
コトリンはふんふんとうなずきながら聞いた後、ぎこちなくパチンと扇を鳴らして言いました。
「これ以上のお礼の言葉はいりません、領主の娘として当然のことをしたまでです」
「はいっ」
オリーは張り切って返事をしました。
「えーっと…お付きの件については先ほど申し上げました通り、私の一存で決められることではありません。見習いをよく勤め…よく勤め…た後にそういう道もあるかもしれません。精進してくださいませ。…なんか偉そうじゃない?大丈夫?
「はいっ。いつか、おそばに侍られるように精一杯修行いたします」
オリーは気にせずに良い返事をすると、一礼したのでした。

(2022/09/28)

To be continued.