貧乏子爵令嬢は王太子殿下の婚約者に選ばれました



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驚愕のお茶会を終え、コトリンはほっと息を吐きました。
もちろんお茶会であったことは口外されることはありません。
それでも、まさか学舎時代の同期の令嬢が、コトリンにあこがれていたなどと言い出すとは思いませんでした。
あの後、何やらきらきらとした目でコトリンを見つめるオリーに少々引き気味になりながらお茶会は終わりました。
無事に全員を送り出し、コトリン一人になった途端に力が抜け、ソファにぐったりと伏して、はしたないと注意されつつもモトに労ってもらったのでした。

「お疲れさまでした」

そう言って着替えを促され、渋々コトリンは起き上がって着替えを手伝ってもらいました。
オリーもどこかで着替えをした後、すでに自分の仕事に戻っているかもしれない、とコトリンは自分だけ怠けている場合ではないとこぶしを握りました。

「今日の勉強会はなし、ということでしたが、本当によろしいんでしょうか」

モトは首を傾げ、それほど熱心なら今日のお茶会のマナーについておさらいをしましょうかと持ち掛けた。

「え…今日ですか」

コトリンの引きつった顔にモトは微笑んで言いました。

「大変お疲れでしょうから、王妃様から今日はゆっくり休むよう言付かっております」
「そ、それなら、申し訳ありません。お言葉に甘えて休ませていただきます」
「承知しました」

モトの言葉にほっとしながら、コトリンはソファにきちんと座り直し、モトに尋ねました。

「この勉強が終わったら、少しは領地の経営に役に立つことができるでしょうか」
「そうですね。王城内での官僚様方と各領地の領主様方、地理や特徴、周辺国との関係を頭に入れてくだされば」
「はあ。皆様そんなことまで覚えていらっしゃるのね」
「それはどうかわかりませんが、王妃様のご厚意ですから、できましたらしっかりと学ばれるのもよろしいかと」
「そうよね。私だってお婿が来てくれなきゃ自分で領地の経営しなくてはいけなくなるかもしれないし…」

後ろでざわっと侍女たちが揺れました。モトが目を光らせておりますので、騒ぐことはしませんが、つい動揺がそれぞれを襲ったようで、そのちょっとした動作が衣擦れとなって静かな部屋に響いたようです。
モトは後ろの侍女たちのざわめきをものともせずに言いました。

「領地経営もようございますが、社交シーズンが終わる前に最低限の教育が終わるように励んでくださいませ」
「そうよねぇ。でも私、社交界に出る予定は全くなくて、王妃様の教えを活かせるかどうか」
「今はそれでようございましょう。いつか領地経営でも何でも他の貴族の方々と顔を合わせたりしなければいけない機会もございますでしょうし、お母様がいらっしゃらないからと侮られることなくふるまえることは、コトリン様にとって財産にもなりましょう」
「そうね。うん、そうだわ。ありがとう、皆さん」

コトリンがにこにこして皆にお礼を言うと、侍女たちは目礼したのでした。

 * * *

さて、コトリンが全く知らぬところで、王妃様は扇がしなるくらい握りしめておりました。
それと言うのも、大臣たちが新年を祝う夜会には王太子妃候補を発布すると公言した国王に対してあれやこれやと言い出したからでした。

「何故今ではいけないのですか」
「このままでは国内の有力な令嬢たちが全く婚約話にも耳を傾けない事態が続きます」
「そうですとも。新年の夜会にはぜひとも婚約相手との出席をどの親も望んでいるというのに」

国王様は少しだけ気まずそうに口にしました。
「あー、それに関しては、申し訳ない。その夜会までに王太子自らが望んだ相手を口説き落とせるかどうかにもかかっているのだ」
「そんなのは、国王命令でどうにでもできることではないのですか」
「そうです。ましてや誰もが望む王太子妃の立場ではないですか」
「我が娘ですらその薄い望みを捨てきれずに待ち続けているというのに」

それでは駄目なんだと何度言えば気が済むのか、と王妃様もこの会議の成り行きを手が白くなるほど握りしめた扇の行く末を心配するほどにいらいらしながら座って見ておりました。
令嬢たちが誰を選ぼうがそんなことは知ったことではないのです。
それこそ親の命令一つで嫁がされるのも貴族の常なのですから、令嬢たちが待つ必要などどこにもないのです。ましてや、今まで主な貴族の令嬢たちとの婚約をすでに拒否している王太子殿下なのです。

「我が息子、王太子について、結婚相手をまだ選んでいないこと以外の不満は何かあるかね?」
国王様の言葉に一様に大臣たちは気まずそうに目線をそらしました。

「少々強引すぎる」
「愛想がなさすぎる」

国王様はうんうんとうなずいて大臣たちをなだめるように言いました。
「愛想がないことについては少々事情もあることは承知していることだと思うが、強引という点については結果だけ見れば十分満足のいく結果を得ていると思うが」

「…確かに、時にはその強引さも政を行う上では重要な場合もあります」
「王太子殿下のやることに不備がなかったわけではございませんが、その進め方に少なからず不満を覚えている者は残念ながら少々いるのでございます」

「それに関してももう少しだけ大目に見てやってくれ。若輩であるがゆえのことだろう。もちろん、目に余るときは王太子だからと甘やかすことはないと誓おう」

国王様の言葉に会議に出ていた者たちは、渋々うなずいて御意を示したのでした。
そこでようやく王妃様が握りしめていた扇をぱちんと鳴らすと言いました。
「さあ、では、改めて新年の集いについての話を進めましょうか」

王妃の妙な迫力に、先程まで国王様と忌憚のない意見を交わしていた者たちまでがごくりと息をのんだのでした。

 * * *

会議室の緊張感を知ることなく図書館へ移動していたコトリンは、同じく王太子殿下抜きで行われていた会議を妙に思いながらも日常業務をこなしていた王太子殿下とばったり廊下で鉢合わせたのでした。
お茶会の支度と勉強が忙しいコトリンと、地方へ行っていた王太子殿下が顔を合わせたのは久しぶりのことでした。
王太子殿下はまだいたのかという表情をした後、そのまま通り過ぎようとしておりました。
一応コトリンは臣下でもありますので、軽く頭を下げて通り過ぎるのを待とうと廊下の脇に寄ったところ、これまた図書室へ移動しようとしていた第二王子のユーキ殿下がやってきました。

「おい、コトリン」

ここのところ図書室で顔を合わせたりしたせいか少々気安い感じで声をかけたユーキ殿下に驚いて王太子殿下は振り向きました。

「これはユーキ殿下、御機嫌麗しゅう…」
「いいよ、そんな挨拶。今日も図書室来るんだろ」
「はい、まいりますが…。その、このような場所ではきちんとご挨拶をと…。一言申し上げるなら、ユーキ殿下もですよ」
「わかってるよ…。あ、兄さま」

気づけば王太子殿下に対する呼び方まで変わっているではありませんか。
しかも、コトリンとのいつのまにか親しげな様子になんとなく面白くない王太子殿下は、思わず「口が過ぎるぞ。侮られないよう気を付けなさい」とちょっとばかり冷たくあしらってしまったのでした。

「…はい、兄上様。今度、一緒に剣の練習に付き合っていただけますか」
「ああ、時間ができたら」
「お願いします。では、図書室へ行ってまいります。コトリン…嬢、後で話がある」
「はい、承知いたしました」

ユーキ殿下はうなずくと先に図書室に向かいましたが、残されたコトリンは話って何?と首を傾げましたが、王太子殿下は横目でそんなコトリンの様子を見ながらもあえて声をかけることなくその場を立ち去ったのでした。
後ろで控えていたコトリンの侍女だけが、頭を下げた状態で王太子殿下を見送ったのでした。


部屋に戻ったコトリンがいまだ首を傾げながら、後ろをついてきたモトに尋ねました。

「ねえ、ユーキ殿下があたしに話って何かしら」

これでも公の場でようやく言葉遣いを改めることができるようになったコトリンでしたが、やはり私室では今まで通りの言葉がすぐ出てきてしまうのでした。
モトはため息をついて、これについては多少見逃すことにして、くれぐれも気を付けるようにと徹底してにらみを利かせることにしたのでした。
どちらにしてもコトリンらしさをなくさないようにと王妃様にも言われていることなので、そのうち周りも慣れていくかもしれません。

それよりもコトリンの関心事は、すれ違っても声をかけない王太子殿下のことではなく、話があると言われたユーキ殿下のことのようです。

「そう言えば先日お茶会の時にもあたしの友人たちについて何か言ってたわよね。そのことかしら?」

うーん、と言いながらもコトリンは図書室へ行く準備を始めます。

「ユーキ殿下も一人でいろいろさみしいのかもしれないわね」

それもあるかもしれないと、なんだかんだとコトリンに懐いてきている気がする侍女たちは、微笑ましく思うのでした。

 * * *

「ユーキ殿下、失礼いたします」
図書室に入ったばかりのコトリンには、ユーキ殿下の姿はまだ見えませんでしたが、ユーキ殿下付きの護衛がいることがわかり、確実に奥に殿下がいるのだろうと入室の許可だけはいただいたのでした。
「遅いぞ」
そんな言葉にコトリンはちょっとだけ戸惑って首を傾げた。
「それは…お待ちいただいたということで?大変申し訳ありません」
そう言えばユーキ殿下は慌てて言いました。
「いや、ま、待ってない。ただちょっといつもの時間より遅かったから」
ちらりと時計を見ると、確かにいつも図書室を訪れる時間よりは遅かったのです。
「心配していただいたので?ありがとうございます」
ユーキ殿下は顔を赤くして怒ったように言いました。
「し、心配じゃない、違う。そうじゃなくて…ええい、もうそんなことはどうでもいいんだ」
「はい、申し訳ありません」
「別に謝れとは言ってない」
「はい」
ユーキ殿下のほうが身分が上なことを考慮し、コトリンが次の言葉を待っていると、ちょっとだけユーキ殿下は息を吐きました。
「おまえは、城でなんと言われているか知ってるか」
「なんて言われてるのでしょう?私、ここに来てからずっと礼儀作法と勉強しかしていないので、この間久々に友人にお会いしましたが、何も聞いておりません」
「…そうか。ならいい」
「お話は、それだけでございましょうか」
「…うん、いや…。おまえは…」
「はい」
コトリンがじっとユーキ殿下の言葉を待っていると、ユーキ殿下は焦ったように言いました。
「お、おまえは、兄上のことは…」
と言いかけたとき、後ろ…図書室の入り口で声がしました。
「まさか、兄上…」
後ろを振り返ったユーキ殿下につられてコトリンも同じように見ると、そのまさかの王太子殿下が図書室に入ってきたのでした。
側付きの者たちが一歩下がり、コトリンも緊張してユーキ殿下から離れると頭を下げました。

「よく勉強しているようだな」
王太子殿下の声掛けに、ユーキ殿下はうれしそうに返事をしました。
「はい、兄さま!」
こちらを見ずにユーキ殿下にだけ話しかける王太子殿下に、コトリンは単純にユーキ殿下と仲いいんだなとしか思いませんでした。
ユーキ殿下は兄の王太子殿下に話しかけられてうれしいものの、ちらりともコトリンのほうを向かないのが気になっていました。
気にしていないというよりも逆に不自然。
そして、王太子殿下から話しかけられない限り、礼儀上コトリンは頭を上げることができません。
いつもなら話しかけているはずのコトリンに話しかけないのを見かねて、ユーキ殿下は王太子殿下に言いました。
「兄さま、コトリン…嬢はいつも地理の教師に間違いを指摘されてばかりなんですよ」
「…へえ。相変わらずだな」
王太子殿下はちらりと視線を寄こしただけで、頭を上げていいとは言いませんでした。
「よく励め」
「はい、兄さま」
それだけ言って、王太子殿下は図書室を出ていきました。

出て行った気配を感じ取り、コトリンはようやく頭を上げました。
「相変わらずって何よ、もう」
小さくつぶやいた言葉はユーキ殿下の耳にも届きましたが、ユーキ殿下はいつもと違う王太子殿下の態度に違和感を持ったがために、コトリンの言葉には気になりませんでした。
「いったい何しに来たのかしら、忙しいでしょうに。ユーキ殿下の様子を見に…?それとも私が何かやらかしていないか見に来たとか?」
「…おまえ、兄上に何かしたか?」
ユーキ殿下の言葉にコトリンは慌てて否定しました。
「何かするほど親しくありません、多分」
「…そ、そうか…?」
世間の噂は当てにならない、と当の本人が否定するならそうなのだろうとユーキ殿下は思ったのでした。
「そう言えばユーキ殿下、私に何か言いかけていませんでしたか?」
「…あ、ああ。いや、うん、もういいや」
「わかりました。それよりも、私も向こうで勉強の時間となりましたので失礼いたします」
そう言ってコトリンはユーキ殿下から離れて行きましたが、ユーキ殿下はそんなコトリンを見て城中で噂になっている話について一人考えていたのでした。
誰が言い出したのか、コトリンは王太子殿下の初恋の君であり、いよいよお妃候補となるべく城に呼ばれたのだと。
王都からは離れた田舎の子爵令嬢で、しかも裕福でも何でもない礼儀のなっていない平民にほど近い令嬢なので、王妃殿下の号令の下、急いで教育されているところだと。
母である王妃の様子からは間違いではないのだろうとユーキ殿下も思っていたのですが、肝心の二人の様子があまりにも恋仲や政略結婚ともほど遠い様子なのが気になったのです。
わざとではないのかと思うくらいの王太子殿下の様子と、全く意に介さないコトリンの様子に、周りだけがやきもきしている様子はあまりにも異常です。不自然極まりない様子なのが気になって、ユーキ殿下はこのところ城の噂に耳を傾けていたのです。
コトリンは自分が妃候補とは思ってもいないし、王太子殿下に対して恋しているのかどうかすら怪しい気配です。
もちろん王太子殿下は近隣国にまで評判の美丈夫で頭の良い王子であることを考えれば、全くコトリンの好みではないというのはないだろうと思ってはいるのですが、おそらく田舎者の子爵令嬢ごときが夢見るには遠い存在だと思っているのかもしれません。
同じ妃候補なら、イズミー侯爵令嬢やモート伯爵令嬢のほうがずっとふさわしいに違いありません。自分ならそちらから選ぶ、とユーキ殿下は思っています。
そして、今度の新年の集いの夜会では、いよいよ妃候補を選ばなければならないのです。
それが決まれば、ユーキ殿下にも近々妃候補が決まるかもしれません。
それを思うと気になって仕方がないのに、兄である王太子殿下の態度が変わらないのですから、ユーキ殿下は疑問に思うわけです。
「まだまだ私には難しいことばかりだ」
ユーキ殿下の言葉に訪れた教師は微笑ましげに笑ったのでした。

(2022/12/19)

To be continued.