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貧乏子爵令嬢であるコトリンは、商売としての自治領の特産品を思わぬ形で売り尽くしたので、市場での出店を片付けることにしました。
これで明日わざわざ出店に来なくとも、後は自分のデビュタントに集中できるというものです。
とは言いつつ、しょせん田舎貴族。デビュタントは新品豪華で可憐なドレス、とはなかなかいかず、まあそこそこみすぼらしくない衣装を着るのがせいぜいです。
唯一、母からの形見の宝石類だけはそこそこの値段が付くくらいで、たとえ王宮の舞踏会に出たとしてもひっそりと壁の花になるほかなさそうでした。
どうせ父の領地を受け継ぐにはいかないので、婿養子をもらうか、親戚から適当な養子をもらうかせねばなりません。
「コトー、わしが家まで送ろうか」
隣の粉もの食の店の店主であるキーンが声をかけてきます。屋台同然に市場に店を出しているとはいえ、キーンの実家はきちんと商店街に店を構えているのです。本人は好き勝手に商売をしたくて市場に出店しているためか、コトーとはよく顔を合わせるのです。
「え、えーと、ごめんね。まだ用事があるから、それに今店仕舞いしたら損よ。ほら、お客さん来るし」
そう言ってやんわりと断ったのでした。
貧乏とはいえ、一応王都に構える屋敷は一般市民よりそこそこ豪華なものと言えるので、身分を隠しているコトリンとしてはキーンに見られるわけにはいかないのです。
紋章も何もない市場用の馬車に荷物を詰め込むと、コトリンは自ら馬車を操って屋敷へと帰るのでした。いつの間にかこんなことまでできるようになってしまった自分としては、本当にデビュタントなんてする必要あるのかと思いつつ。
そもそも子爵令嬢であるにもかかわらず、お供がいない時点で普通の令嬢とは違うのです。
令嬢と言えば、滅多に町へは出かけず、お供のものも護衛の者引き連れて…というのがコトリンの想像でしたが、街で見かけるお嬢様風の人たちを見ればあながち間違いではないだろうと思うのです。
「うん、とりあえずデビュタントまではおとなしくしていよう」
そう誓った数時間後。
「あたしが?ひとりで…?無茶よ」
使用人もまばらな屋敷の中でコトリンは叫んだのでした。
かくしてコトリンは、先ほど売れた商品を急いで納品するために、再び馬車を操って今度は王宮へと向かうのでした。
なんであたしが。
そうは思っても、いつもは納品してくれる父と執事兼店主兼…諸々やってくれる万能使用人が父と共に用事で出かけているせいで、誰もいないのです。
文字通り、まともな使用人が、この屋敷には必要最低限しかいないのです。
執事のほかには令嬢付きのメイド、古くからいる乳母、その息子の料理人、雑事を一手に引き受ける屋敷管理人、以上、です。
屋敷管理人は王都での商売に関してはほとんど知りません。
ゆえに、行くならば令嬢以外にメイド。
しかし王宮からは至急の納品であることと、先ほど売り場にいた店員を所望という指定があったのです。コトリンが行くほかありません。
青ざめながらも管理人に再び荷を整えてもらい、コトリンはいろいろ葛藤した挙句頬かむりをして地味にしていくことにしたのです。
まさか顔を覚えられてしまっては、デビュタントで顔を合わせたときにろくなことにはならない、とさすがに思ったからでした。
いや、デビュタントはドレスを着て化粧もするからきっと今の姿とは違う、はず。
違うはずとは思っても、顔が地味なのは同じ。
笑われるのはできれば避けたい、と思うのは仕方がないことでしょう。
王宮とは、嫉妬と羨望、駆け引きや陰謀渦巻く恐ろしい世界と信じてやまないコトリンです。
ああ、だから王太子殿下はいつもあんなに不機嫌顔なのねーと勝手に納得したところで、いよいよ王宮です。とは言っても裏口です。
王宮からの通行証を見せると、荷物を検められた後にようやく通してもらえました。
指定された場所に荷物を託し、コトリンは指定された場所に向かいます。
売買契約を父の代わりに済ませなければなりません。
案内されて向かうと、そこはやけに豪華な待機所でした。
「ただの待機所がこんなに豪華。さすが王宮」
コトリンが感心していると、そこにちょっと怖そうな侍女が入ってきました。
とっさにコトリンは立ち上がり、思わずお辞儀をしてしまうと、侍女はコトリンを見て「そのまま控えなさい」と声をかけられました。
言われたとおりに頭を下げていると、頭上で聞いた声が…。
「ああ、先ほどのお嬢さんね。頭を上げて頂戴」
「し、失礼いたします?」
まさか、と思いつつ恐る恐る顔を上げると、そこにいたのはやはり先ほどの貴婦人でした。
「ひっ」
思わず驚きが声に出て、震えながら「お、王妃殿下には麗しく…拝顔の光栄を…えっと…」何とか声を絞り出しました。
「あら、ばれてしまっては仕方がないわね」
「あ、シゲーオ・フグ・アイハラし、子爵が娘、コトリン・フグ・アイハラと申します」
「まあ、やはり。デビュタント前のお嬢さんを驚かせてしまったわね」
こ、こんな格好で…!とコトリンがあたふたとしていると、侍女が咳払いをしてきたので、これはまずいと途端にピシッと気合を入れ直しました。
何とかここを乗り切って、父ともども不敬で領地から追い出されないようにしなければと必死です。
「もしかしたら、そうではないかと思っていたの。もちろん、令嬢自らが市場にいたからと言って咎めるつもりはありませんよ。確かに珍しい教育方針ですが、それくらい逞しくないと地方の領地経営も大変なことだろうことくらいはわかっているつもりです」
何のお咎めもないのなら、いったいコトリンが呼ばれたわけとはとますます不安になってきました。
「実はアイハラ子爵と夫であるシゲーキ王は、友人でもあったのよ」
ゆ、友人?あの父が?王様と?そんな馬鹿な。
コトリンは初耳だとして口をぽかんと開けて王妃様を見てしまいました。
「アイハラ子爵は身分を気にされて、全く親しくしている気配は表面上見えないでしょうが」
ええ、見えません、とコトリンは激しくうなずきます。
「せっかく令嬢がデビュタントされるのですもの。また良かったらお茶会でもしましょうね」
「恐れ多きことにつき…」
そんなお茶会などに出る余裕もドレスも作法も何もかも持っていない!と暗に断ろうとすると、王妃様はにんまりと笑って「大丈夫よぉ、秘密のお茶会ですからね」とほほほと当然のことながらコトリンの意見などどこ吹く風です。
もう何も言えずコトリンが黙っていると隣の侍女が「王妃様、そろそろ」と促すため、ようやく王妃様は戻っていくようでした。
待機所に一人残され、コトリンは冷や汗をかいたままどっと疲れて思わず座り込んだのでした。
案内の者にまたもや誘導されて帰ることになるのかと思いきや、途中まで案内された後はさっさと帰れ状態です。
どちらにしても疲れて一人になりたかったコトリンは、元の出口に向かいました…が、コトリンは極度の方向音痴。たちまち知らない場所に出て迷ってしまいました。
どっちに行ったらよいかわからなくなり、王宮の片隅で迷っていると、親切な貴族の一人がコトリンに声をかけたのでした。
「おや、これはかわいらしいお嬢さん、どうされました?」
コトリンは黙って礼をして、どう答えたものかと悩みました。
商品を届けに来たら王妃様に呼ばれて何やら声をかけてもらって帰り道に迷った、と?王宮内で?不審者丸出しです。
そもそもこんな不慣れな下級貴族を放り出すなんて、王宮の警備はどうなってるのだと問い詰めたいくらいです。
「大丈夫、取って食いはしないよ」
そういう貴族のほうこそものすごく怪しいことこの上ない感じです。
でもこのままさまよっているわけにはいきません。
「少々道に迷ってしまいまして。不慣れなもので。厨房のある裏口までどなたかに案内を頼めませんでしょうか」
貴族に頼むとは言っていない、とコトリンは予防線を張りながら頼んでみました。
「下働き…の子にしてはちょっと違うね。誰かの付き添いで来たのかな」
「…ええ、まあ」
「僕はガッキー男爵。王宮に出入りできる医師だから、安心してくれたまえ」
いや、まったく安心できないと好色そうな笑顔をコトリンは胡散くさそうに見ました。とはいえ、助けてくれるならそれに越したことはありません。
「私は…その…」
「ああ、名乗りたくないなら今は聞かないでおこうか」
名乗らずに済み、コトリンはほっとしました。
こんなことが父の近しい者の耳に入ったならば、何を言われるかわかりません。しかもデビュタントを数日後に控えた身です。
そして、きっとこんな男爵とは二度と顔を合わせる機会などないでしょうからとコトリンは男爵の後について歩いていき、なんとなく見覚えのある中庭に近い廊下に出てようやく男爵にお礼を言いました。
「申し訳ありません。お礼をしたいのですが、何も持ち合わせておりません」
「ああ、いいよ、道案内くらい。そもそも最後まで案内しなかった王宮の案内係に文句を言うべきだね」
「そんな恐れ多いことできません」
「まあ、気を付けてね〜」
「ありがとうございました」
そう言って歩き出したものの、いろいろと疲れた上に迷子にまでなって、コトリンは二度と一人で王宮には来ないようにしようと固く心に誓ったのでした。
おまけにもう誰も見ていないだろうと思った矢先に疲れからか、派手にすっ転んでしまいましたが、誰も見ていないと思っていたので、さりげなく立ち上がって町娘風の簡易な服を払いました。
振り返って歩き出そうとしたら柱にぶつかるし、王宮はきっとコトリンにとってろくでもない場所だと数日後のデビュタントがますます気が重くなるのでした。
そして、そんなとんでもない姿を少々遠目とはいえ、この王宮でもかなりの上位の貴族の方々にまさか見られていたとは、コトリンは思ってもみないのでした。
もしもそこでコトリンが振り向いて周囲を確認していたら、デビュタントで再び王宮を訪れようなどと思っていなかったかもしれません。
カチリカチリとコトリンの運命の歯車は回り始めたのでした。
(2021/10/01)
To be continued.