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コトリンにとっては悪夢の王宮訪問から数日後、いよいよ王宮でのデビュタントの夜会が開かれることになりました。
あの王宮訪問の後、王妃様だけでなく王様直々にコトリンの父、アイハラ子爵にお言葉があったのですが、コトリンが知る由はありません。
ただ、父のアイハラ子爵から「その…知り合いとは言っても、知らずに買ってくださったようだから、お前のおかげだ」とだけ労われたので、コトリンはほっと胸をなでおろしたのでした。
実はその数倍もお言葉をいただいたのですが、コトリンがもし知ったならば、デビュタントすら諦めたかもしれません。
さて、夜会です。一年のうちで一番華やかな季節です。
どの令嬢も磨きをかけてこの夜会に馳せ参じるのです。
いまだ妃を娶っていない王太子殿下に取り入ろうと、親も子もあの手この手で頑張るのです。
才媛と名高い侯爵令嬢も美貌の伯爵令嬢も婚約者候補にはあがっているのですが、王太子殿下が選ばなければ誰も一緒なのです。
もちろん政治的な意味合いもあり、あちらを選べば一方は納得せずに国が荒れるとのことで、配慮が必要なことも確かです。
そんな政治的な争いには一線を引いていたアイハラ子爵ですが、密かに王様と友人だったなど誰が信じるでしょう。ともかく中立を保つためにはその事実すら主な貴族には秘密なのです。
「コトリン、準備はできたかい」
いわゆる乳母なメイドに支度を手伝ってもらい、何とかコトリンの支度は済みました。
侯爵令嬢や伯爵令嬢のような豪華なドレスも飾りもありませんが、とりあえず相応しくないとは言われないそれなりの格好です。目立つ必要はないのです。
王宮の夜会と言えば婿探しも盛んですが、コトリンの目的はただ一つ。社交界にとりあえず出るためのデビュタント。
婿探しもいらなければ王太子殿下の目に留まる必要もなく、ひっそり密かにデビュタントを済ませ、できればこの機会に王宮から出される食事に舌鼓を打ちたい、それだけです。
ちなみにコトリンが食事の用意ができるわけではなく、グルメなわけでもありませんが(何せ貧乏なので質素な食事がメインです)、次に何か王宮や貴族たちの間で流行らせることができそうな食材はないか、とアイデアを出すためです。
「はい、お父様」
普段はお父様などと呼びませんが、ここは家から令嬢モードになるべきでしょう。
「うん、では出かけるかね」
ようやく王宮に向かいます。
アイハラ子爵家の屋敷は王都の端っこです。
そのために通常よりは早めに出なければなりません。
そんなことは二人ともまったく気にしていませんが、侯爵令嬢と伯爵令嬢は別です。
王宮間近の一等地に屋敷を構えているわけですし、急いで行くのははしたない、というわけです。
王宮の大広間には、すでにデビュタントの令嬢とその家族でいっぱいです。
入り口近くで顔見知りのイシ・カワ男爵令嬢と、同じくコ・モリ子爵令嬢に会いました。経済状況は似たり寄ったりのそれ相応な友人と言っても差し支えないでしょう。
男爵令嬢は嫁の行き先を張り切って探す予定らしく、気合が入っています。
続々と現れる中、ざわめきとともに現れたのは、気合入りまくりのマツ・モト伯爵令嬢でした。
「さすがねー」
コ・モリ子爵令嬢、名をジンコリンと言いましたが、小声でコトリンにささやきました。
「あのドレス、最新の流行よね」
イシ・カワ男爵令嬢の名はサトミンですが、そのサトミンが悔しそうに言いました。
まさにハンカチを噛んでキーッとでも言いそうな気配です。
「まあまあ。彼女たちにも面目はあって大変だと思うわよ」
「まあそうでしょうねぇ。天下の伯爵令嬢ともあろうお方が、流行遅れなんて許されないでしょうし」
ジンコリンの言葉にサトミンはフンッと同意しました。
関わり合いになりたくないわぁとコトリンはそう思いました。
そうこうしているうちにいよいよ王族の登場です。
颯爽と歩いてきた割には相変わらず不機嫌な様子で王太子殿下は現れました。
「あの冷たい感じが素敵」
サトミンがつぶやきますが、コトリンも一応同意します。
確かにその姿はどんな人よりも最高にかっこいいこと間違いなしです。
ただ、何故不機嫌顔。
笑った顔見たことないわーと下々の令嬢は思うのです。
「あら、笑った顔も本当に素敵でしたわ」
そう言ったのは、言わずと知れたマツ・モト伯爵令嬢です。
個人的にお茶会などで会ったことがあるのでしょう。さすがに始終不機嫌顔とは言われても、一度も笑わない王族なんて聞いたことがありません。つまり下々の前で安易に笑わないだけなのです。
「はいはい、自慢、自慢」
「サトミン、今日はやさぐれてるね」
ジンコリンの突っ込みにサトミンは「だって〜」と続けました。
「この間お見合いをしたの」
「いつの間に」
「えー、もう?」
ジンコリンとコトリンの言葉にサトミンは声を潜めました。
「年上はいいんだけど、結構なおじさんだったのよね。がっかりだわ」
「その人で決まりなの?」
「いいえ。その人よりお金持ちで若い人がいるならそれに越したことはないわね」
「というわけで気合入ってるのか」
コトリンは納得です。
そう言いつつ、コトリンは王族のあいさつが終わったのを確かめると、さっそく王宮の食事に手を付けます。
隅でこっそりあれこれと堪能していると後ろから「これ、コトリン、あいさつに行かねば」と父であるアイハラ子爵に呼ばれました。
「え、もうそんな順番?」
「さあ並んで」
父に連れられて料理の皿を置いていくことになったコトリンは、名残惜しそうに皿に視線を残しながら順番に並ぶことになりました。
順番とは言いつつ、なかなか順番は回ってきません。
上位の貴族からあいさつなので、貧乏弱小子爵程度ではかなり後のほうなのです。
「ねえ、並ぶの早すぎない?」
「今並ばないとさらに後になるぞ」
アイハラ子爵はこっそりささやき返してきましたが、そもそもこの人数のあいさつを受ける王族も大変だなとコトリンは同情する気分になりました。そりゃ不機嫌になろうというものです。
ところが、もうすぐでアイハラ子爵の番、というときになって、なんと後ろからそっとやってきた騎士らしき者にささやかれた王太子殿下は、隣にいた陛下に何事かを告げると立ち上がって出て行ってしまったのです。
コトリンは退屈でぼんやりと見ていた王太子殿下が出ていくところでようやく気付きました。
「お父…様、い、今の…え、ちょっと、あたしがあいさつする意味ある?」
「ああ、忙しい方だから。でも陛下はいらっしゃる」
いや、正直陛下はどうでもいい、と並んでいる御令嬢は皆突っ込んだことでしょう。
今までのんびりとしていた列が、急に進み始めました。
つまり、いかに王太子殿下の目に留まるかに重きを置いていた親子が、いないならば仕方がないとばかりにさっさとあいさつを済ませていくようになったからでした。
「なんか、王様かわいそう…」
思わずそれでいいのか的なこの国の王に対しての扱いにコトリンはちょっとだけ同情するのでした。
そして、アイハラ子爵の番がやってきましたが、通り一遍のあいさつを済ませ、先日購入してもらった領地の特産物についてのお言葉が一言あっただけです。これで本当に父と王が友人などと誰が信じるのだろうとコトリンは思いつつ、あいさつを終えました。
「お父様、疲れたので帰りたい…」
「ダンスはこれからだぞ」
「いや、もう無理。そもそも踊れないし、王子様いないし」
「それなら、少し休んできなさい。あちらに休憩所があるから。くれぐれも上位貴族の方々の所には紛れ込むなよ」
「大丈夫、ちゃんと侍女の人に聞くから」
コトリンが大丈夫と言って大丈夫だったためしはあまりありませんので、一抹の不安を抱えながらアイハラ子爵はコトリンを見送りました。
さて、コトリンは人の目を気にしつつも休憩所となっている場所に向かいました。
ダンスまでの時間をつぶす貴族も多いので、高位貴族のいる部屋には入らないように侍女に確認して、一つの部屋に入りました。
幸いその部屋には誰もいなかったので、目の前にあったソファにドスンと座り込みました。
目の前にはおいしそうなお菓子も置いてありました。
「さすが王宮。お菓子までおいしそう」
コトリンが滅多に買わない高級そうなお菓子が山盛りに置いてあり、これで飲み物があればちょっとしたお茶会でも開けそうです。
ゴロゴロしていると、そのままソファの下に転がり落ちてしまいました。
「いやあ、ばあやとお父さんがいたら怒られる〜」
腰を打ってすぐに立ち上がれず、ソファの下でぐずぐずしていましたが、もしこの場に他の貴族でも来たら大事です。
立ち上がろうとしたその時、誰かの声がしました。
「やばい」
すぐに起き上がろうにも腰が痛くて起き上がれません。
どうしようと思う間もなく扉が開き、とっさにコトリンはソファの下に転がり込みました。
そのまま見つかったほうがダメージが大きくなかっただろうことはわかっていましたが、どちらにしても起き上がれないので笑い者になるのは必至です。
み、見つかりませんように、とコトリンは祈りながら息を潜めました。
「適当に言っておけ」
「そうは言ってもダンスの時には戻ってきていただかないと」
「俺がいなくとも進むだろう」
「そのあなた様が重要だと申し上げたでしょう。一番最初のダンスを踊ろうと数多の御令嬢がお待ちです」
「それが面倒だと言っている。最初と最後に踊った令嬢とすぐに結婚だという話にもなりかねない」
「確かに」
「一人にしてくれ」
「護衛の者くらいは」
「扉の向こうで十分だ」
「…承知しました。途中で一度くらいはお戻りいただきますので」
「それは考慮する」
「お願いします」
ふう、とため息が聞こえ、コトリンは冷や汗をかきながらソファの下でうつぶせになっています。
あたしは置物。あたしは置物…。
そんなことを思いながらじっとソファの下で固まっています。
ところが。
「そこに隠れているやつ。観念して出てこい」
え?誰?
自分は見つかっていないと信じているコトリンです。
他にも誰かいるのかと置物になったつもりで固まっていました。
「そこのソファの下に隠れているやつ、出てこい!」
鋭く言われて、コトリンはびっくりしてソファから顔を出しました。
「え、あ、あたし…?」
「あたしに決まってんだろ。護衛がいたら問答無用で死んでるぞ」
仕方なくコトリンはまたゴロゴロと転がってソファの下から出たものの、やはり腰がまだ痛くて立ち上がれません。
「ちょ、ちょっと待って。腰が…」
「どこのばばあだ」
「ええと、どなた、ですか」
うつぶせ状態から一回転してソファから出たものの、またうつぶせなので顔がよく見えません。
「…知らないでこの部屋にいるとは、計画的じゃないのか」
「計画って?疲れたので休憩しようとしたら、この部屋に案内してもらったんですが」
「一応聞いてやる。どこの令嬢だ」
「ええ、そんな知らない人に名乗れませんよ」
「いや、名乗れよ。この俺が聞いてるんだ」
「どこの俺様ですか」
「…ナオーキ・パンダイ・イーリエ」
「え?ナオーキ?…パンダイ…イ、イーリエ…って、王太子殿下じゃないですか!詐欺?」
立っている人からの無言の圧力と怒りを感じ取ったコトリンは、よっこらしょと何とかソファに手をついて起き上がりました。
「い、たたた…」
そして、目の前に立っていた人の顔をよく見ようと顔を上げた瞬間、コトリンは死を覚悟したのでした。
(2021/10/14)
To be continued.