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まだまだ社交シーズンは始まったばかりでしたが、お金も余裕もない貧乏子爵家としては、とりあえず今年は娘のデビュタントさえ済めば目的は果たしたことになります。
いつ領地へ帰ろうかと考えている中での出来事でした。
「お、お、おまえ、王宮でいったい何しでかしたんだ…?」
震える声でとある使者からの手紙を受け取った子爵家当主、シゲーオ・フグ・アイハラは、不肖の娘コトリンを呼び出し問い詰めました。
「え?何をって」
見せられた手紙は、なんと王宮から直接届いた親書です。しかも封印は、王妃様の紋様でした。
「ちょっと腰を傷めたときに、その、ちょっと、えーと…」
まさか王太子殿下の休憩所に入り込んだ挙句、不審者として切り捨てられるところだったとはとても言えません。
「とにかく、開けてみなさい」
促されて、コトリンは震える手で手紙の封を開けてみると、そこにはきれいな筆跡でなんと王宮での王妃様主催お茶会への招待でした。
「いや、無理」
手紙を読んだ瞬間コトリンは叫びました。
王妃様とお茶をするマナーなど知りません。
もっと言えばドレスもありません。
手紙を横から読んだコトリンの父は「コトリン、ここにドレスもマナーも心配ないとわざわざ書いてある」と口を出しました。
「そんなわけないでしょ」
「ドレスもこちらで用意する、お茶会は王妃様との二人きりだそうだ」
「…もっと困ります」
「確かに」
娘はかわいいが、その娘は決してどこに出しても恥ずかしくない令嬢…などではなく、どちらかというと自由奔放に育てすぎて貴族に嫁ぐことなどできるのだろうかと心配するくらいの素朴な娘だとアイハラ子爵は思っています。
思わず娘への招待など受けても大丈夫だろうかと真剣に悩みましたが、どちらにしても答えは一つです。
「…お受けしなさい」
どちらにしろ王妃様からお誘いです。断る選択肢はありません。
こうしてコトリンは、王妃様からのお茶会の招待を受けることになり、領地への帰還は遅らせることにしたのでした。
いくらドレスの心配はない、と言われても、王宮へ行くのにいつもの平民同然の格好で行くわけにはいきません。
しかし、ドレスと言ってもたかが貧乏子爵の財力です。
新しく買うのもためらわれます。
「いっそ、サトミンに借りようかしら」
たとえ貸してくれと言っても快く貸してくれそうな友人ではありますが、何のために貸さなければならないのか、その理由は知りたがることでしょう。
まさか馬鹿正直に王妃様と二人でお茶会なんて言おうものなら、根掘り葉掘りすっからかんになるまで事情を吐かされること請け合いです。
「お父さん、無作法でうちが爵位剥奪になったら…ごめんね」
「…まさかそこまでは」
「…ごめんね」
重ねて謝るコトリンにさすがの父も言葉に詰まります。
「そ、それは…まあ、平民になっても何とか生きていけそうだが」
父と娘、お互い貴族は性に合わないなと思いつつ、貴族の家に生まれ育ってしまったからには仕方なく領地運営などを頑張っているのです。今更何か不興で平民になったとしても逞しく生きていけそうな気はします。
「まあ、頑張って行ってこい」
というわけで、コトリンはさるお茶会の日にどこからか乳母が探し出してきたドレスに身を包み、王宮へ向かう馬車に揺られておりました。
どうせ向こうで着替えるならば、失礼にならない程度のドレスで十分だろうというわけです。
たとえセンスが疑われようとも、このまま王宮と縁が切れればそれで言うことなしなのです。
コトリン自体は、美人ではありませんでしたが、そこそこかわいらしい娘で、着飾れば貴族男性に声をかけられるくらいの令嬢です。
確かにいろいろ足りないところはありますが、まったく常識がないわけではありません。それなりに侍女頭に基本は叩き込まれています。
ただ、あまりにも粗忽なため、心配は尽きない、というわけなのです。
先日のデビュタントもつつがなく終わるどころか、腰を傷めて寝っ転がっているところを見られたうえ、まさかの王太子殿下に担ぎ上げられるという令嬢としてはあるまじき失態をしでかしましたが、いつまでも落ち込んではいられません。
所定の場所に着いた馬車から降りると、令嬢よりも美しい侍女が待っており、案内されてあっという間に着てきたドレスも脱がされ、王妃様から贈られたドレスに身を包んでいざお茶会です。
王妃様のいる場所まで案内されたコトリンは、「王妃様、お連れしました」という声を聞いて、ようやく気付きました。
「あなた!あなたが案内を間違えたばっかりに、あたし…じゃない、私は…!」
思わずそう声をかけると、コトリンには応えずさっさと行けとばかりに扉を開けました。
おおっと、すでに王妃様の前です。
慌てて黙って頭を下げ、声をかけられるのを待ちます。
「まあ、ようこそ。もう一度お話ししたかったのよ」
「王妃様には御機嫌麗しく、この度は私のような者をご招待くださり大変ありがたき…」
「いいのよ、二人きりなんだからそんな大げさな挨拶は抜きにしましょう」
そうは言われてもなじみのない王妃様と打ち解けられるわけはありません。
「さあ、お座りになって」
促されてコトリンはようやく自己紹介することを思い出し、「コトリン・フグ・アイハラと申します」とドレスをつまんで挨拶をして座ることにしました。
「そのドレス、よく似合っているわ。やはりそちらの色を選んで正解ね、モト」
「はい、王妃様」
先ほどの侍女は淡々と返事をしてお茶の用意を始めました。
「いろいろご配慮くださりありがとうございます」
「いいのよ。私が着せたかったのですから」
お茶を出されて口を付けると、何の銘柄かもわかりませんが、とりあえずアイハラ子爵家で買っているお茶の数倍は高そうな、という感想しか出ません。
「どうぞ、この焼き菓子もおいしいわよ」
「ありがとうございます」
勧められれば口にしないわけにはいきません。
早速手を伸ばして焼き菓子を取り、今まさに口に入れようとしたときでした。
「あら、やっと来たわ。このまま逃げるかと思ったわ」
ほほほと控えめに笑った王妃様の視線をたどれば、そこにはなんと、あの王太子殿下がいたのでした。
「来なかったらいろいろとあるのは目に見えていますからね」
それは遠回しに脅迫されたとか?
コトリンにしては勘もよく、おそらく王妃の声掛けで半ば強制的にこの場に呼ばれたようでした。
呼ばれただけでお茶をしに来たわけではない、と言いたげな態度が、王太子殿下の不本意さを表しています。
王太子殿下から声もかけられないと、下位のコトリンとしては何も発言することができません。
ただひたすら二人の会話の横で、今手に取った焼き菓子を食べるべきかどうか考えておりました。
「さあ、あなたもお座りなさい」
扇をパシンと閉じて先ほど用意された椅子を指し示しました。
じろりと王太子殿下がこちらを見たのがわかりました。
コトリンがわかりやすくびくつくと、王太子殿下はふんとばかりに椅子に座りました。
座っちゃったよ…とコトリンとしては逃げ出したいくらいですが、動くこともかないません。いえ、腰はもう治りましたが、凍てつくかのような視線と緊張感がテーブルの周りに漂っています。
そんな中でも王妃様はさすがというか、全く意に介さずにこやかにコトリンに話しかけてきます。
「それで、コトリン、この見目だけはよいとされているうちの王子とは、どんな会話をしたのかしら?」
「え…」
ぎくりとコトリンは王太子殿下を見ました。
明らかに余計なことは言うなという目線ですが、王妃様に視線を向ければ逃さないわよという圧力で、どちらの言うことを聞けば被害が少ないのかを推し量るくらいしかできません。
王太子殿下よりは、やはり王妃様です。
「僭越ながら、私が王太子殿下と話をする機会を持ち得ませんで…」
「あら、休憩所を案内させたのは私よ」
さ、策略か!
万事休すといったところでコトリンは「実はソファから落ちて気絶していたので、王太子殿下に気づきませんでした」と苦し紛れの話をしてみました。
落ちたのは本当だし、途中まで気づかなかったのも本当で、おかげでそうとは知らずに間抜けな会話をしてしまいました。ただ、気絶していたわけではないことはちょっとした嘘です。でも気絶してもおかしくないほどの緊張感だったのは確かです。いえ、いっそ気絶しておけばよかったと今更ながら思います。
「ああ、だから抱え上げたのね、王子自らが」
なんで知っている!とコトリンは焼き菓子を思わず落としてしまいました。
王妃様の前でとんだ無作法です。
「あの、そ、それは…」
しどろもどろのコトリンを見て、王妃様は目線で落とした焼き菓子を侍女に片付けさせました。
「いいのよ、そんなに怯えなくても。どうせこの王子がしゃべるなとか、口止めしていたのでしょう。
その辺の側近にでも護衛にでも任せればいいものを、王子自ら、抱え上げたというのは、今までにないことなのよ」
ちっと舌打ちが聞こえました。
もちろん言わなくてもいいことをばらされた王太子殿下です。
おそらく、王太子殿下にしてみれば、踊りたくもないダンスを何とかして回避するための体のいい言い訳のつもりだったのでしょう。
さすがのコトリンもそこはうぬぼれておりません。
「だいたいあなた方はこの間が初対面じゃないってこと、思い出すべきよね」
「は?初めてじゃ、ない?」
コトリンは王妃様が言われた言葉に思わず失礼な問い返しをしてしまいました。
「ええ。そもそもあなたのお父様とは旧知の仲で、そんな二人の子どもが接点もなかったなど、あるわけがないでしょう。しかも、同い年で」
いえ、そんなの王国中にたくさんいらっしゃるでしょうというコトリンの考えは言葉にできませんでした。
「ああ、そう、あの頃は確か…」
「母上、戯れが過ぎます」
ガタンと立ち上がって王太子殿下が不快そうに王妃様に向かって睨みつけました。
そして、コトリンと一言も言葉を交わすことなく、そのまま歩き去ってしまったのでした。
王太子殿下が立ち去ったことを咎めることはせず、ふふふと王妃様は含んだ笑いを残し、ひとまずその話題は打ち切りました。
「どちらにしても、コトリン、私が王妃でさえなければあなたの成長を見守りたかったところですよ。でもこんなに大きくかわいらしくなって、すぐに領地へ戻るなどと言わないで頂戴ね」
「は、はい…」
そう返事したものの、いや、今すぐ領地に帰りたいとコトリンは思ったのでした。
そして、屋敷に帰ったら、父を問い詰めようと心に決めたのでした。
(2021/10/30)
To be continued.