貧乏子爵令嬢は王太子殿下の婚約者に選ばれました




王妃様と当たり障りのない会話をして…と思ったコトリンでしたが、王妃様の話は思ったよりもコトリンにとって目からうろこなお得話でした。
それは、今は亡き母の話であったり、国王と父の友情話であったり、そして王太子殿下の逸話だったりと、おそらく普通の令嬢なら聞けないような話が盛りだくさんだったのです。
すっかり王妃様となじんでしまったコトリンは、王妃様の言葉についうっかりうなずいてしまったのでした。
とんだ油断です。
それはさりげなく会話の終わりに紛れ込ませた巧妙な王妃様の策略だったのかもしれません。

「本当にコトリンはいい娘に育って、きっと彼女も安心していることでしょう」
「いえ、そんな、私などただの田舎娘で礼儀も知らず…」
「あら、それならここで行儀見習いをするのも一つの手よね」
「確かに王宮なら最上級の礼儀見習いとなることでしょう」
「そうよね。今からそうすればきっと誰からもうらやむ素敵な令嬢になることでしょう」
「そうでしょうねぇ」
コトリンは、まさか自分がその対象とは思っておりませんでした。
なので軽く返事をしたのですが、王妃様は言質を取ったかのようにそばにやってきた侍女頭に言付けました。
「というわけだから、早速お願いね」
「かしこまりました」
頭を下げた侍女頭はすっきりとした美女でしたが、きりっとコトリンに向き合うと「では、早速こちらへ」
と促したのです。
「はい?」
「では、コトリン、お父様にはちゃんと手紙を出しておきますからご心配なく。明日から楽しみだわ」
そう言って王妃様は楽しそうに去っていきました。
一人残されたコトリンは、「え?父に手紙?」とわけがわかりません。先ほどの言葉とまさかつながっているとは思わなかったのです。
「今日からこの王宮の客室でお世話させていただきます。しばらくは私があなた様のそばにお仕えいたしますが、その間に側付きの侍女を選定いたしましょう」
誰が?どこで過ごすって?
「え、家に帰れないということでしょうか」
帰れない、とは言わず淡々と「しばらくこちらでお過ごしいただきます」とだけ説明する侍女頭にコトリンはようやく事の重大さを悟り青ざめました。
しかし、ここは王宮。
抵抗しても無駄なあがきです。
拒否してもおそらく王妃様の言葉に逆らえる者などいないであろうことはわかりきっています。
そして、行儀見習いという点においては、コトリンも思うことがあり、それくらいならむしろありがたく受け止めるべきかと思い直し、侍女頭の言葉に従って客室へと案内されることにしたのでした。

「あの、なんとお呼びすれば」
「私には敬語は不要でございます、アイハラ子爵令嬢様」
「ええ、でも、お名前がわからないと」
「では、レイとお呼びください」
「私はいつごろまで滞在すればよろしいのでしょうか」
「私にはわかりかねます」
素気なくそう言われて、コトリンは困りました。
父に連絡はしておくということだったが、領地に帰るのが随分と遅くなりそうで、雪が降り始める前には帰りたいと思っているのです。
「私は母を早くに亡くして行儀はよくないのはわかっていますが…王宮で直々に直さなければならないほど酷いのでしょうか」
コトリンの言葉に侍女頭のレイはお茶の支度をしながら答えた。
「理由は王妃様にまたお会いした時にお尋ねください。侯爵令嬢様や伯爵令嬢様と比べてしまえば粗忽と言えるかもしれませんが、王妃様がそこを気にしているわけではないことをご承知ください。詳しくは言えませんが、子爵令嬢様は王宮でゆるりと王妃様にお付き合いくださり過ごされることを願います」
「その、子爵令嬢様というのもちょっと…。コトリンとお呼びください」
「では、コトリン様。夕食の時間までまずはお部屋でお過ごしください」
「…はい」
結局、コトリンはどうすることもできずに王宮に足止めされたまま、まずは今夜この部屋で過ごすことになったのでした。

滞在一日目の夕食は、気を使うだろうからと一人で黙々と過ごし、翌朝は王妃様の呼び出しで朝食です。
「落ち着かないわ…。あたし、こんなところでこんなことして過ごしてていいのかしら。今頃屋敷ではお父さんが心配してそう。王宮への呼び出しだって何やったって大騒ぎだったのに、留め置かれたなんて知ったら、粗相をして牢屋にでも入れられたんじゃないかって騒いでそう…」
思わず朝食のためにドレスに着替えさせてもらいながら独り言です。
「あたし、というお言葉は、他の貴族の方々がいらっしゃるところでお使いにならないほうがよろしいかと存じます」
「え、あ、ご、ごめんなさい。王都で市場に店を構えるので、話し言葉が貴族らしくないっていうのはわかってます…」
「王妃様方は気にされないかと思いますが、公私の区別はつけてもらわないとなりません。うるさい方々もいらっしゃいますので、王族の客人として恥ずかしくないように気を付けてお過ごしください」
「はい、以後気を付けます…」
コトリンは意気消沈して着替え終わると、今度は朝食の場へと案内されることになりました。
「コトリン様付きの侍女の選定を行いました。その者たちの準備ができるまでお待ちください」
「ちょっと滞在するだけで、そこまでしてもらうわけには」
「いいえ。これは王妃様の意向です」
「…わかりました」
その滞在についても、恐れ多くともやはり王妃様にお断りするべきだとコトリンは決心しました。
ところが。

「まあ、コトリン、昨夜はよく眠れて?」
「おはようございます、王妃様。お待たせして申し訳ありません。昨夜はご配慮いただきありがとうございます。思ったよりよく眠れました」
「私は準備があったので早かっただけで気にしないでいいのよ。それよりよく眠れたならよかったわ。もっとかわいらしいお部屋にしたかったのよ。そのうちちゃんと用意させるわね」
コトリンが促されて席に着くと、意を決して「王妃様、そのこちらでの滞在についてお話があるのですが」と切り出すと、「何かしら。要望なら遠慮なくおっしゃって頂戴」とにこやかに言われたので、一息をついてから話すことにしました。
「実は…」
開きかけた口は、見事に開けっ放しになりました。
食事は王妃様と二人じゃないのか!と。

何故ここに、国王様と王太子殿下が…!

王族の家族団らんに紛れ込む場違い感と言ったら、さすがのコトリンでも裸足で逃げだしたいほどです。
「やあ、おはよう。今日はいい朝だね」
「…おはようございます」
固まっていたコトリンはようやく勢い良く立ち上がり、お辞儀をしようとしましたが、国王夫妻に「いいんだよ、そんなお辞儀など」「あらあら」と言われましたが、隣に座った王太子殿下からは「さっさと座れ」と睨まれてしまったのでした。
これは旧友の娘との朝食会と言われればそうかもしれませんが、いったい何がどうしてこうなったのか、コトリンとしては朝食どころではありません。
食事会と言えば、きれいに食べながらも優雅に会話を交わすのが優雅な貴族の常ですが、何せコトリンです。
大口も開けれないどころか、一心不乱に食事に集中することもできないとなれば、食が進むはずもありません。
言葉少なに会話をする国王夫妻ですが、王太子殿下との会話は皆無です。
親子だよね?とコトリンが首を傾げるくらい王太子殿下は静かです。
できればコトリンも集中して食事をしたいところですが、国王夫妻からのいくつかの質問やコトリンに向けた言葉にも応答したりうなずいたりしなければなりません。
そもそも国王夫妻とこうして朝食をともにしているのも信じられない光景ではありますが、王太子殿下もとなると、すでに夢ではないかとコトリンは何度か目を瞬いてしまいました。
今回も王太子殿下と話すことなくこの朝食会も終わってしまうのではないかと思ったその時です。
「食事の後は、ナオーキ王子がお庭を案内したらどうかしら」
王妃様が唐突にそんな提案をしました。
「は?」
王太子殿下は王妃様の提案に眉間にしわを寄せ、「今日は騎士団に…」と言いかけたところ「あら、そんなの昼からでも十分でしょ」と王妃様がかぶせ気味に言いました。
王太子殿の機嫌はもちろん急降下です。
無事に済むと思った朝食会ですが、そんなにうまくいくわけがなかったのです。
コトリンは口も出せずに顔をぶるぶると横に振り、そんな滅相もないという意を示しましたが、王妃様がそんなことを気にするわけもありません。
「気にしなくてもいいのよ、コトリン」
まさかの名前呼びです。
いいえ、気にしますとも、と声を出しにして言いたいところですが、王妃様に向かって言えるわけがありません。
朝食は半分ほどしか食べていませんでしたが、すでにこのコトリンにしては食欲もなく、用意してくれた人に申し訳ないと頭を下げつつ朝食を終えたのでした。
朝食後の王太子殿下との庭の散策はもちろん決定事項です。
気のせいか、胃まで痛み始めた感じでした。


その頃、アイハラ子爵家では、いそいそと当主のコトリンの父が登城の準備をしながらも、心配のあまり眠れなかった顔色は優れず、執事は倒れないかと伺いながら手助けをしておりました。
「旦那様、どうかあまり無理をせずに」
「わかっている。そうは言っても、あのコトリンが王宮の、しかも王家とともに生活するなど、無謀にもほどがある」
コトリンの父の心からの叫びに、コトリンを送り出した乳母は言いました。
「旦那様、もしもアイハラ子爵家がお取り潰しになろうとも、私どもは旦那様と一緒に参りますから」
「そう言ってくれるな。まだ早馬もないところを見ると、今日一日くらいは大丈夫だろう…と思う」
コトリンの父は執事の御する馬車(専任の御者はおりません)に乗り込み、ため息をつきながら王宮へと向かうのでした。
「行ってらっしゃいませ」
見送った使用人はわずか四人。
正直貧乏子爵家にとって失うものは領地のみですが、それも取り上げられてしまえば何もない子爵家です。王都の屋敷だけではなく、領地でも使用人は少なく、かろうじて貴族としての体面を保っている子爵家では、少数精鋭の使用人とともに過ごしているため、子爵家の危機には他人ごとではありません。
しかし、元来がのんびりとした子爵家のため、コトリンの父が危惧するほどの危機感は感じていないどころか、何とかなるだろうという楽観的な希望的観測で子爵家当主を送り出したのでした。
それにしても、昨夜の慌てぶりときたら、と乳母がため息をつきました。
王妃様からの手紙では、しばらく行儀見習いでコトリンを預かるといった内容だったため、きっと何か粗相をしたに違いないと大慌てでしたが、そもそも粗相をしたならば預かるとは言わず、むしろ追い出すのではないかと。
それとも、文字通り粗相をして牢に捕らわれたとか?と子爵家では問い合わせの手紙を送ったくらいです。追加でそうではないとの返事だったため、一同胸をなでおろしたのでした。
コトリンばかりを慌て者と言っているコトリンの父でしたが、当の本人も相当な慌て者であったり、今は亡きコトリンの母も相当な慌て者だったことを考えると、この親にしてこの子ありといったところだろうと乳母は思うのでした。
何にしても、うちのお嬢様はあの王太子殿下とお会いして果たしてわかるのだろうかと。
今の世にとどろく凛々しい王太子殿下が、まさかうちのお嬢様と…?と期待半分、手酷くされて返された時のためにさっさと領地に帰る準備もしておこうと抜かりのない乳母はお嬢様付きの侍女に声をかけたのでした。

(2021/11/10)


To be continued.