貧乏子爵令嬢は王太子殿下の婚約者に選ばれました




なんだか視線が痛い。

コトリンは昼を過ぎて一般図書室へと向かう道中、廊下のあちこちからの視線が自分に向けられているのを感じました。
王家が客人を迎えるのはよくあること。現にコトリン以外にも王宮にとどまっている客人は何人かいるのです。
確かに王妃の声掛かりで王宮に滞在しているコトリンは珍しいのかもしれません。
先日デビュタントを済ませたばかりの娘ですから、王家と何かあるのかと疑いの目を向けられるのもあるのかもしれません。
行儀見習いですよーと声を大にして言いたいのですが、そんなことをすること自体行儀見習いの点ではみっともないことでしょう。
一般図書室には、他の騎士たち、文官たちも時に訪れます。
図書の中にはありとあらゆる出版物があるので、恋愛ものから料理本、歴史書と幅広いのです。王宮に出入りできる許可のあるものが使うことができます。
そこに、ちょっとだけ不機嫌な顔をした育ちのよさそうな子どもがいました。
子どもが出入りするのは稀です。
迷子?と思う間もなく、その子どもが近寄ってきてコトリンを見ると「…なんだ別に美しくもなければ賢そうでもない」と言ったのです。
「…ちょっと」
思わずコトリンはむっとして言い返しました。
…が、その子どもを守るように護衛が付いているのを認め、思わず自分の護衛を振り返りました。
コトリンの新しく護衛になった者は軽く首を振り、コトリンにそれ以上何も言わないようにと促しています。
それ以上コトリンが何も言わず子どもを見ていると、「不敬な奴だな」とさらに一言。
コトリンはようやくそこで王宮にいる子どもの意味を悟りました。

いた、そう言えば王太子殿下によく似た第二王子が!

十歳下の御年五歳のユーキ殿下でした。
「え、えーと、失礼いたしました。先日デビュタントを済ませたばかりでもの知らずなもので。不敬はなにとぞご勘弁くださいませ。
申し遅れました。アイハラ子爵が娘、コトリン・フグ・アイハラと申します」
フンと王弟殿下らしき子どもは鼻を鳴らし、「母上の趣味はわからないな。兄上もこんな女を押し付けられて」と言ったのです。
…間違いなく第二王子です。
頭を下げたままちらりと見ると、こちらをじっと見ているようでした。
ずっとこのまま辛いんだけど、と礼を取っているコトリンの腕と腰はプルプルしてきました。
何せ先日腰を打って治ったばかりです。
そのまま立ち去った気配がして、コトリンはようやく息を吐きました。
「危なかった。なんだかよくわからないけど、腰も腕も。やっぱり王城は危険ね」
コトリンが一人納得していると、そこへあの変わり者の侍女・モトが来たのです。
「…間に合いませんでしたか」
「第二王子のユーキ殿下にお会いしました」
「王太子殿下を慕っているので、コトリン様の様子を見にいらっしゃったのでしょう」
「何もしてないつもりなんだけど、まずかったかしら」
モトは少しだけピクリと眉を動かしましたが、息を吐いて言いました。
「年少でいらっしゃいますから多少のわがままはおっしゃいますが、無茶はしない方です。それよりも」
「ん?」
「そのお言葉遣いは第二王子殿下の前では…」
「してない、してない!ね?してないわよね?今だけ!ほ、ほら、周り誰もいないこと確認してる」
護衛を振り返って同意を得ようとすると、護衛はボソッとモトに何事かささやきました。
そう言えばいつの間にか誰もいませんでした。図書室に入ったときは他に誰かいたように感じられたのですが。
「賢明なご判断です。ご苦労様でした、ガーリー卿」
長めの髪を後ろで一つ縛りにしたなかなかの美丈夫な護衛でしたが、名前は知りませんでした。
「こんなちょっとした滞在に護衛に回されて、気の毒ね」
「それが仕事です」
モトにさらりと言い返された。
「コトリン様、今回の件で有力な貴族の方々が動き出しています。御身を大切に」
「え、どういうこと?やっぱりここは戦場…?」
「…のようなものかもしれません」
「うわぁ…」
「ここは第二王子殿下の護衛とガーリー卿が人払いを行いましたので今は安全ですが、次回からは本宮図書室を使用していただきます」
「今日の勉強は…」
「中止にはなりません。今から先生がいらっしゃいますので、そちらへどうぞ」
そもそも何故貴族の方々が動き出すのか、コトリンにはよくわかっておりませんでしたが、どう考えても王妃の声掛かりで年頃の娘が滞在し、教育を施される意味を他の方々はよく知っていたのです。
勉強は無駄にはならないとは思うものの、早く家に帰りたいと思っているコトリンでした。


朝一番でコトリンが心配で駆け付けたアイハラ子爵でしたが、その足で国王に密かに謁見を求めました。
一昔前、アイハラ子爵も現国王も幼き頃、後継者問題で現国王がいろいろ命を狙われたりで、片田舎に預けられたのが、アイハラ子爵の領地でした。
やがて後継者問題にもけりが付き、お互い妻子のある身となったとき、他国からの侵略と関係して幼き王太子殿下の身を隠すことになったとき、密かに国王が選んだのは自分が幼き頃に過ごしたアイハラ子爵の領地でした。
預かるほうはそれは気を遣うはずです。
自分の領地で何かあったら首が飛ぶこと間違いなしですから。
それでも、先代のアイハラ子爵も現アイハラ子爵もその人の好さを付け込まれ…見込まれ、王家に力を尽くしたのです。
そして、幼少期の王太子殿下と言えば…。

「おお!シゲーオ!」
側近も排除して(かろうじて宰相だけ残りましたが)、親しげにそう呼んだのは他ならぬ国王です。
一応宰相も残っているので、「お久しぶりです」と礼だけは丁寧に行ったアイハラ子爵でしたが、さすがにいつもの謁見よりは親しげに国王に笑顔を向けました。
「最近は二人で話をする暇もないな」
「おっしゃる通りです」
「今でも時々思い出すのだよ、あのひと時を」
「ありがたきお言葉です」
「ところで」
国王はにっこりと笑いました。
もちろんアイハラ子爵は国王の笑顔がただの笑顔ではないことを知ってはいますが、知らない人からすればこの笑顔にほだされるのだろうなと思いました。
「今回のは、ご令嬢の話かな?」
「お察しの通りです。失礼を承知で申しますならば、行儀見習いで王宮にと望むならば、侍女としてではなかったのですか?」
「もちろん王妃付きに、という話はあったのだよ」
「それならば」
「ところが、当の王妃が話し相手として来てほしいと強く望まれてな」
「デビュタントを終えたばかりの娘がいったいどんな話題を提供できるというのでしょう」
「…わかっておるとは思うが、その…」
「そのまさか、ですか」
アイハラ子爵は青ざめて国王を見た。
「我が息子ながら、ナオーキは王太子としては優秀だろう。それだけに数多の女性からの誘惑も引く手数多だ」
「それはそうでしょう。当パンダイ王国だけでなく、近隣の国からの婚姻の申し込みも多うございましょう」
「それなのに、一向に女性に興味を示さないとなると、あれこれと口さがない連中が多くてな」
「それはもう、いろいろと王宮の噂に疎い私ですら耳にしております」
「ただ、唯一口をきいてごく普通に接することができたのが、そなたの娘だったのだよ」
「あのようにがさつな娘ですから」
「挙句の果てには、幼少時のあれを持ち出してだから女性に興味のない男になったのだと言われては、さすがのナオーキも切れておったわ」
「…それは…仕方がなかったことで」
「そこで、王妃がそれなら女性に興味のあるところを見せれば解決だと」
アイハラ子爵は遠い目をした。
その犠牲にうちの娘が、とは口に出しませんでしたが、正直弱小子爵家としては今後の対応を考えると頭が痛くなる思いです。
「つまり」
「娘は、当分帰ることはできないと?」
「王妃の思惑がそううまくいくとは思っていないが、少なくともあの幼少時に理解があるとしたら、そなたの娘しかおらぬだろう」
そうだろうか、とアイハラ子爵はなおも遠い目に。
たとえ知ったとしても王家と婚姻を結びたい者ならば、たかが幼少時のあれで引くとは思えないのだが、と。
「何よりもお互い幼馴染ということで、しばらく王妃の我がままに少しの間付き合ってやってくれ」
「そこまでおっしゃるならば」
アイハラ子爵は恭しく頭を下げ、内心の不安とため息を隠して謁見を終えたのでした。
宰相は普段の厳しいばかりの態度を和らげ、アイハラ子爵の肩を軽く叩き、「これからもよろしく頼むよ」と言ったのでした。
よろしくって、いったい何を?という疑問を残したまま、アイハラ子爵は王宮を後にしたのでした。


今朝の朝食は王家一家との食事のため、それなりにきちんとした装いでした。勉強のための装い、くつろぐための着替え、夕食のための装いと、これほどまでに着替えが必要な理由を聞かされてもコトリンにとっては慣れぬ習慣でした。
しかも着替えのたびに専属の侍女であるモトはどこかへ消えていなくなるのです。
もともと人懐きの良いコトリンは、ほんの数時間でモトに慣れてしまい、頼りにしているはずのモトが指示をしただけで消えることに疑問を持ち、何気に聞いたのです。
「どうしていつも着替えのときにいなくなるの?」
「大きな声では言えませんが、私は、性別上男、ですから」
「…性別上って、どういうこと?」
「はい、王家の方はご存じですが、私は好きでこのようななりをしているものなのです」
「それは、つまり、男であって男ではないと?」
「いえ、男ですが、女性に興味がない男、という感じでしょうか」
「それなら問題ないんじゃないの?」
「コトリン様はそうはおっしゃいますが、中には理解のされない方々が多うございますので」
「まあ、そうでしょうね」
「それに、いろいろ差し障りもございましたので、今まで通り、お着換えの指示は致しますが、念のためその場をご遠慮させていただくことをご了承ください」
「私は一向にかまわないんだけど、そういうことであれば」
同じ場にいる侍女たちは、そういう事情を王妃様にあらかじめ言い含められておりましたので、さほど問題はないようでした。
今この場にいる中でモトが実質上コトリン付きの侍女たちを仕切っているのです。反対などあろうはずがありません。
そして、そんなコトリン付きの侍女たちにとって、暗黙の了解がもう一つありました。
コトリンはいまだ気づいておりませんでしたが、将来王太子妃候補の筆頭であることに。
王妃様にそれとなく匂わされて、コトリンが気付かぬまま行儀見習いと称して少しずつ王太子妃教育が施されていることに。
侍女たちにすれば何故気付かない、といったところでしたが、気付きたくないのか気付いてもどうしようもないのだろうと解釈することにしました。
そして王太子殿下の周りでは、あれくらいの女が王太子妃候補になり得るなら、私もといった貴族子女が湧いて出てきたとか。
コトリン以外はざわざわと騒がしい貴族事情なのでした。

(2021/11/30)

To be continued.