ドクターNと夢の世界8
何故ここにいるのだろう。
自問してみたが、会ってしまったものは仕方がない。
食堂で一人昼食を食べていた僕は、隣のテーブルに座ったピンク髪侍女と目が合ってなんとなく微笑んだ。
ただの偶然だろう。うん、そうに違いない。
何をびくびくしているのか自分でもわからない。
食べ終わって行こうとすると、追いかけてきたのか廊下で声をかけられた。
「男爵様」
声をかけられ、振り向くとピンク髪の侍女が立っていた。
「私のようなものから声をかける失礼をお許しください」
「なんだったかな」
「イツワ男爵が娘、オリー・コ・イツワと申します」
ようやく名前が判明した。
「現在は外宮で侍女見習い中でございます」
「それで」
「はい。折り入って男爵様にお願いがございます」
「お願い?」
「はい。実は、私、今王宮でお世話になっているアイハラ子爵令嬢とは学友でございまして。何とか連絡を取りたいのです。しかし、あちらは内宮。しかも…」
「そうは言っても、はいそうですかと繋げられるものじゃないんだよ。今朝、君も見たように、特別な事情で王宮に召し上げられたと思う令嬢に、私がおいそれと声をかけられると?」
「承知しております」
「そもそも学友であるならば、領主様を通せばいくらでも連絡は取れるんじゃないのかな」
そう、真に学友であるならば。
もしも僕が不快だと外宮の侍女頭いに連絡したら、彼女はどうなるか、わかっていないようだね。
何故こんなにもあの令嬢に連絡を取りたいんだ?
「私は…彼女と仲違いをしまして、私からの手紙の類は一切領主館で取り次いでもらえないものと」
うつむきながら言う彼女の表情が見えない。
言葉通りに受け取るのは、貴族としてはなかなかに難しい。
本音と建て前、誉め言葉も嫌味もそのまま受け取ってしまうには複雑怪奇な貴族社会だ。
「それで、私が繋ぎを付けたところで君からの報酬は?」
「我が男爵家では昔から薬草の研究を行っており、男爵様が望めばまだ世に出回っていない薬草の効能をお教えいたします」
「それが何の役に立つのかな?」
「媚薬の類、と言えばいかがでしょう」
「へぇ。それが本当だとして、一筆いただけるのかな」
「書面はこちらに」
そう言って取り出したのは、契約書だった。
用意周到すぎる。
隅から隅まで読んで、僕が取り次ぎに失敗しても契約違反とはならないこと。媚薬自体は一般に出回っているもののうちの一つで、その作り方は薬師しか知らないが、その知られていない薬草を教えることとなっていた。
まあ、知っているから作れるというものではないしね。
どちらかというと薬草の効能よりは媚薬十回分とかのほうがいいかな。
そう漏らすと、オリーはわかりましたとさらさらと書き換えた。
そもそも取次だけで秘薬の元を教えるのはだめだろうと指摘すると、隠しているのは信用ならない者が大勢いるからだと。
僕は信用に値するのかな?
「男爵様は良くも悪くも真正直な方だとお見受けしましたので」
オリーは署名した契約書の一通を僕に渡して、まずはこの手紙をお願いいたしますと託して戻っていった。
本当に用意周到なことで。
起きてすぐに僕はうーんとうなってしまった。
僕は何か妙なことに巻き込まれようとしているのかどうか。
例えば夢の中で何かやばいことに関わっていきなり処刑とかなった場合、現実に影響はなく、夢の中の出来事だけで終わるのだろうかと。
今まで借りた転生異世界ものの物語は、だいたい現実世界で何やら不慮の事故とかでいきなり飛ばされたり、生まれ変わったり、ある日突然それまで育ってきた記憶に新たに前世が思い出されるとかいうのがパターンだった。
悪役令嬢はバッドエンドを回避するために立ち回り、ヒロインはなぜかクズ扱い。まあこれは婚約者のいる身の王子とやらに立場もわきまえず礼儀もなく近寄るのが悪いと言えばそうなんだけども。庶民的な気安さになぜかアホ王子は陥落とかね。
僕の夢でいけば今王子に近づいているのは紛れもなく琴子ちゃんなんだろうけど、それにさらに近寄ろうとしている彼女は、果たしてどんな立場の人間なのか。
少なくともあの魔王が夢の中と言えど琴子ちゃんを逃がすはずはないし。
でもこうやって考えると、ヒロインの周りには脇役がたくさんいて、名前すらも出てこなかったりするわけだ。
それでも皆生活をしていて、それぞれに物語があるわけだから、世の中ヒーローとヒロインだけでは物語は進まないし、出来上がってもいないというわけだ。
「マユミちゃん、その後夢はどうかな?」
久々に会ったマユミちゃんにそう聞けば、マユミちゃんはチッと舌打ちした。
「下町娘Aのくせに幼馴染とかいう男に振られましたが?」
「…そ、そりゃまた…」
「一念発起して下町の医者の手伝いに駆り出された折に筋がいいからと看護婦への道を歩き始めましたよ」
「…そ、そりゃまた…」
感想が全く同じことに気づかないくらい僕は感心してうなずいてしまった。
「こうなったら勝手にナイチンゲール名乗ってやるわ」
うわあ、そう来たか。
まあ、夢の中だしね。
僕はマユミちゃんのたくましさに感心しながら仕事を終えたのだった。
(2021/12/03)
To be continued.