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「君、知ってるかい」
そうやって僕は近頃執心している手術室のナースに声をかけた。
「何をですか」
「ラッキーをもたらす魔法の椅子」
「えー、なんですか、それ」
ナースはまたまた〜という感じで本気にはしない。
そりゃそうだ。僕だって半信半疑だし。
「患者さんの一人が購入したらしいんだ。
その椅子自体の価値も相当なものらしいんだけど、更に凄いことにその椅子には魔法がかかっているって言う話」
「へー、凄いですねー」
全く信じていない様子で着々と手術器械の片づけを行っている。
「そうそう、今度僕とそんな椅子を見に行かないかい?ほら、駅前に大型家具の店ができただろ。その上においしいフレンチの店もできたんだよ」
女は家具を見に行くのが結構好きだ。誘うと結構喜んで家具コーナーに寄っていく。
別に本当に買うわけではないのだが、模様替えするならとか、一人暮らししたらとか、結婚したらとか、想像しながら家具を見て回るのが楽しいらしい。
「んー、そうですね。でも、それはまた今度で」
「そうかい?でも、フレンチの店の予約はいつでも取れるからね」
「ありがとうございます、またいつか」
おっと、さりげなくすっぱり断られたな。
でもいいんだ、まだ機会はある。
僕は気にしない振りで手術室を出ると、手術着を着替えに更衣室に行った。
そこには僕の助手についていた生意気な後輩が着替えていた。
「外科病棟のほうは僕が回ってくるよ」
そう言うとふーんといった感じで僕を見る。
どうしてこうその視線には尊敬とか敬うといった視線が感じられないんだろう。
僕の後輩だろ、おまえは。
「どうしても椅子に座りたいんですね」
その言葉に僕は思わず大声で言い返した。
「座ってみたいだろ、座ってみたいさ。
だって、チッペンデールに相当する年代ものの椅子で、何かいいことがあるかもしれないんだろ」
「でも、不幸ももたらすんですよね」
「いいんだよ、安藤さんが所有している限りは」
そこまで言って僕ははっと気がつく。
やけに詳しいじゃないか。さては気になって琴子ちゃんに聞いたんだな。
「おまえだって座ってみたいんだろ」
「もう座りましたが」
「そうだろ、すわ…え?」
今、なんて?
「昨日、あの後安藤さんに勧められて座りましたよ」
「す、勧められて?」
「ええ。いけませんでしたか」
「いや、いけないとかいけなくないとか僕の権限じゃないし」
いや、そういうことじゃないだろ。
何で主治医の僕より先におまえが先に座ってんだよ。
「ああ、琴子も座ったとか言ってました」
「こ、琴子ちゃんも?」
な、なんと。
僕は脱いだ手術着を握り締めて思わずうなだれた。
なんだってこの夫婦は僕の野望をいつも阻止するんだ。
仮にも医療者だろ、それを患者さんの所有物が珍しいからと言ってだな、公私混同するとか…(自分のことは棚に上げる)。
「どうしますか。術後の患者、俺が見てきましょうか」
「いいよっ、僕が行くさ。意地でも行くよ」
そして、今度こそ座ってやるんだ。ああ、誰が何と言おうとも。
公私混同だろうと構うもんか。(自分で認める)
「そうですか。どうぞ、お気をつけて」
その言葉の意味を深く考えずに、僕は着替えてから颯爽と外科病棟に向かった。
あの椅子に座るため…ではなく、術後の患者を診るために。
(2013/10/29)
To be continued.