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結局、僕は水木さんちではなく志乃さんちにいる。
水木さんが息子さんと連絡がつくまで、という曖昧な期限の中、どうしたもんかとお茶をすすっている。
隣では桔梗君が我関せずといった感じで一所懸命携帯電話をいじっている。
それでも一緒に残ってくれる辺りは面倒見のいい桔梗君らしい。
「志乃さん、水木さんは今までご近所付き合いは?」
「そうですね、それなりに。どちらかというと老人クラブの関係でお会いするくらいでしょうか」
「はあ、そうか」
「他のご老人方はお帰りに?」
「ええ。何とか防げそうなので目的は果たしましたし」
志乃さんの旦那さんが斗南病院で惜しくも亡くなり、一時は落ち込んだりもしたけど、こうして生き生きと活動するようになって良かった。
おまけに以前のお淑やかに活発さが加わり、付近の爺さんたちはなんだか色めき立っている様子だった。未亡人で、そこそこ美人で、愛想もいいとなれば、男はいくつになってもスケベ心が抑えきれないものなのかもね。
僕もこんな飲み友になってご老女とはいえ楽しく過ごせるんだから、同世代の独身爺さんたちには注目の的だろう。
そんなことをぼんやりと考えていたら、急に携帯電話が鳴った。
「うわあ、びっくりした」
僕の携帯電話だったようだ。
「はい、もしもし?」
病院からだったけど、誰だ。まさか緊急事態か?
『もしもし、先生、入江です。そこにモトちゃんいますか?』
「ああ、琴子ちゃん。うん、いるよ、どうしたの」
『携帯忘れちゃって、モトちゃんの携帯新しくなったところだから覚えてないんです』
「まあ、普通は携帯番号なんて覚えないよね。病棟に電話番号書いてないの?」
『探したんですけどー。でも先生の電話番号はばっちり書いてありましたので』
「まあ、そりゃ書いてあるだろうね…」
緊急連絡が取れないと困るもんね。
こちらを見て眉を上げた桔梗君に電話を渡す。
「もしもし、どうしたの」
うん、うん、げ、いやよーやめてーという悲鳴に似た言葉を吐きながら、桔梗君は琴子ちゃんと何やら話している。
「あの、先生、今から琴子が来るって言うんですけども」
「冗談だろ?」
「いえ、マジです」
「あいつに何言われるかわかったもんじゃないだろうが」
「その通りです」
「何の用事があって来るんだよ」
『もしもし?もしもーし』
電話口から琴子ちゃんが叫んでいるのが聞こえる。
いやそこ病棟だよね。主任とかは大丈夫なのかな。
「琴子ちゃん?携帯電話忘れちゃったんだよね?今日はおとなしく帰った方がいいんじゃないかな」
『どうしてですかー』
「いや、だって、出掛先で何かあっても連絡取れないんじゃ、身重の身体がまずいわけだし、入江に怒られること間違いなしだと思うんだけど」
『あ、うーん、そうですね。でもせっかく早上がりなので、水木さんも心配だし』
「いや、心配いらない。僕たちもいるし、志乃さんもいるし、いざとなったら張り切ったじじばば撲滅隊がいるし」
『ええっ、おじいさんとおばあさんを撲滅しちゃうんですかぁ!』
その叫び声は桔梗君の耳にも届いたようで、肘で小突かれた。
「…あ、言葉が悪かった」
琴子ちゃんは時々こういう斜め上の発言をするので油断ならない。
「おじいさんとおばあさんで結成されたグループの話だから、おじいさんとおばあさんを撲滅したりしないからねー」
子どもに説明するように話してみた。
『歌って踊れるんですか』
うん、琴子ちゃんの思考回路はどうなってるんだろうね。何かグループというと、アイドルみたいなのを想像してたりするのかな。
「んー、どうかな〜、カラオケはするみたいだし、時々は踊ったりするみたいだね」
「先生、そんないい加減な」
横から桔梗君が顔をしかめて僕を見た。
いいんだよ、琴子ちゃんだから。
何答えたって、結局いいように解釈してるし、何故か最終的にはちゃんと話あってるんだから。ミラクルだよ。
『そうなんですか〜。すごいですね〜って、すみません!切ります!』
ここでいきなりガチャンと電話は切れた。
多分主任に見つかったんだろう。病棟の電話だもんな、そりゃ怒られるよ。
「で、結局琴子は来ないんですね」
「多分来ないと思うよ。だいたい場所知らないでしょ。知っててもたどり着けないと思うし、入江が察知して止めるだろうよ」
「まあ、そうでしょうね。ええ、そうだといいんですけど」
二人して今日何度めかのため息をついたとき、玄関が騒がしくなった。
「た、大変です」
飛び込んできた人が慌ててそう言う。
時代劇ならすかさず茶を飲みながら「なんでいどうした」と返すところか。
そんなことを考えていたせいか、つい口から出てしまっていたようだ。
「…先生、いつから江戸っ子に…?」
ハッとしてから慌てて言い返す。
「こちとらはなから江戸っ子でぃ」
「…あ、そうですか」
「冷たいな、突っ込みなしかい」
「先生方、そんなノリツッコミはよしてくださいよ」
何故か飛び込んできた人まで時代劇口調になっていたりする。
「いや、ごめん、ごめん。で、何が大変だって?」
「それが」
「…それが?」
「水木さんとこの坊主が借金作って逃げたって〜〜〜」
僕たちは顔を見合わせて叫んだ。
「マジか―――――!」
(2018/10/31)
To be continued.