ドクターNと謎のプリン




指示出しも終わって一息ついたところでようやく気付いた。
マユミちゃんが何か言ってたっけと記憶をたどる。
そこまで僕はバカじゃないから、容易に思いだした。
ああ、そうだった。
謎のプリンの話だっけ。
えーと、食堂で噂の、と。
いつ噂になったんだろうな。
僕も食堂には行くが、そんな噂は聞いたことがない。
まだ残っていた桔梗君に聞くことにした。
桔梗君は何でまだ残っていたのかと聞くと、つい琴子ちゃんがいた時の癖だそうな。
「だって、あの子が何かやらかすでしょ。それを手伝ってあげるのってやっぱりアタシだけなのよねー」
って、かなり重症だな、桔梗君も。
「琴子ちゃん産休に入ってからもう一週間だよ」
「それはわかってますよぉ。別に甘やかしてたわけじゃないけど、あの子がやらなくても大丈夫な仕事あったでしょ。それにお腹が大きくなってきてできないことも増えてたし。何より、あのお腹の中には、大事な入江先生の赤ちゃんがいたんですから大事にするの当たり前ですよ」
「…うん、琴子ちゃんとの、ね」
僕は少々呆れながら、桔梗君の献身さに涙が出そうだったよ。
「あ、ところで、謎のプリンの噂を聞いたことないかな」
「…謎の、プリン?」
「そうそう、先ほどマユミちゃんが言ってたやつ」
「ああ、それ、謎のプリンのことだったんですか」
「知ってるの?」
「いえ」
僕はがっくりと力が抜けた。
「そんな琴子ちゃんみたいに知ってる風な返事しないでよ」
「まあまあ」
桔梗君は笑いながら言った。
「アタシもそれがどんなものかは知りませんよ。でもそういう類の話は、真里奈に聞くといいんじゃないかしら」
「品川君か…」
「ついでに言うと、真里奈は夜勤ですよ」
「僕に残業しろって?」
「でもそれを逃すとあの子、旅行で東京離れるし…もしかしたら海外かも…」
そんなことを桔梗君が言ったので、僕は無駄に残業することになった。
まあ、来週のオペの検討があったり、結局は無駄にならなかった時間だけどね。
ちなみに確か後輩だったはずのあいつは、気が付くとどこにもいなくて、医局でボードを見ると既に帰宅したようだった。
ちょっと早くねー?
いや、まあ、あいつは琴子ちゃんが臨月だからさっさと帰るのかもしれないが、それにしても早い。
来週のオペなんて、あいつが第一助手なんだぜ。せめて執刀医がいろいろ検討してるんだから、アドバイ…じゃなかった助手として一緒に検討しても良くないか?


「先生、いいところに!」
医局からそろそろナースの夜勤交代も済んで落ち着いただろう頃を見計らってナースステーションへ行くと、エレベータを出たところでいきなり腕をつかまれた。
「え?」
「山崎さんの呼吸が止まっちゃったんですよ!今電話しようかと」
そりゃ大変!
って、僕は当直じゃないんだけど、ねぇ?
そんなことはさておき、止まっちゃったんもんは仕方がないから、慌てて救急カートを押すナースとともに病室へ駆けつけた。
何だか知らないけど呼吸止まった山崎さん(ちなみに担当医でもない)の気道確保して、人工呼吸器をつけるかどうかって段階になってようやく当直医と担当医が駆け付けたので、僕は解放された。
もちろん大いに感謝されたんだが。
えーと、何で僕はこんな遅くまで残っていたんだっけ。
ああ、そうだった。
謎のプリンを手に入れるために、まずはその噂の謎のプリンについて聞こうとしてたんだっけ。
ところでその噂を知ってるかもしれない品川君は…。
…まだ奮闘してた。
そりゃそうだよな。
患者の家族に電話したり、報告書もいるし、他の患者の巡視もあるし。
でもちょっと聞くだけなら…。
「はい?謎のプリンの噂?」
そうそう、知ってるかなーって、桔梗君に聞いたものだから。
品川君は僕をキッとにらみつけて言った。
「この忙しいときにそんなくだらないこと聞く?」
「く、くだらないんだ」
「智子に聞いたら?」
「智子ちゃん…えーっと、ああ、小倉君ね」
「小倉君の勤務は…?」
「さあ?多分日勤じゃないの?」
「そ、そうか。うん、ありがとう。ところで、明日…というか、今日旅行に出かけるんだって?」
品川君はパソコンのキーをタン!と勢いよく叩いて振り返った。
「モトちゃんに聞いたの?」
「ああ、まあ」
「飛行機の時間に間に合うかどうか心配で。こんな雑務残していけないし」
「そうだね」
「だから忙しんです」
「…はい」
品川君に追っ払われたが、少なくともまだ小倉君という希望が残されてる。
せっかくこの時間まで残ったが、ここはおとなしく帰ることにしよう。
ナースステーションから出て医局に戻り、荷物を持って出ようとすると電話が鳴った。
嫌な予感がする。
出ない方がいい。
このまま何も知らなかった振りをして帰ってしまおう。
僕は当直でも何でもないし。

「…はい、外科医局」
『あ、先生?』
「…もう帰るところだけど」
一応牽制してみる。
この声は多分第二外科のナース。循環器は僕の守備範囲じゃない。
『当直の先生、つかまらないんです〜』
まあそりゃそうだよね。第三外科で修羅場ってたんだから。
「今なら第三外科にいるよ、じゃあ」
そう言って切ろうとしたが、もうVF(作者注:心室細動といって心停止寸前で非常に危険)出てるんです〜。何とかしてください』
「いや、それこそちゃんとした指示を仰ぐべき…」
と言いながら受話器を置き、白衣をひっつかんで走ることになった。
ああ、僕は根っからの医者だな〜なんてちょっとした感傷にも浸りながら。
しかも立て続けに何なの?何か今日は祟られてるの?
もちろんナースにも当直医師にも再びすみませんみたいな感じで感謝はされた。
そしてふと気づくともう時刻は朝の四時。
一息ついてコーヒーまでごちそうになって、かわいいナースもいるってのに夜明けのコーヒーだねという言葉すら出てこないほど疲労した僕に、当直医師は言った。

「で、先生、何でこんな時間までいるんですか?」

ああ、何でだろうね!

(2019/10/14)



To be continued.