君と夏の終わり




斗南病院裏手のグラウンドに組まれた特設ステージは、準備万端で出場者たちを待っている。
司会には素人ではさばききれないとみたか、一応それなりの司会のプロを呼んでおり、なかなか本格的だ。
資金不足じゃなかったのかというツッコミは置いておいて、それを眺めて病院長は特別席でご満悦だ。
審査員席には、一応暇そうな事務長だの学院長だのに交じって売れていない演歌歌手なんかも混ざっている。余興で歌って宣伝するのも演歌歌手の務めだ。
病院だが若干の騒音は仕方がないと目をつぶってもらうことにした。
何より当の患者たちが椅子を窓際に引き寄せて眺めているし、元気な患者はグラウンドまでうちわ片手に応援に出ている。
何せ普段は自分たちの世話をしてくれている看護師や助手、医師までもがいつもの姿とは打って変わってはじけているのだ。見なくてどうする、という感じだ。
お祭り騒ぎは否が応でも盛り上がっていく。

「始まった…」
どうしよう、どうしようと先ほどからうろうろしているのは、急きょメンバーに組み入れられた琴子だ。
第三外科病棟の出番は早く、他の『朝娘。』を踊る病棟と比べられる心配は少ないが、出番が早い分印象は薄くなりがちだ。
その分印象付けなければ優勝は難しい。
応援の方も気合が入っている。
某オフィスでは紙吹雪はシュレッダーされたものだが、ここは病院という場所柄、紙吹雪の類を散らかすわけにはいかない。
手から投げつけてすぐに回収できる手りゅう弾的な投げテープが主流だ。
クモの巣状にパァッと広がって、歌の終わりにはすぐに全部回収せねばならない。汚してしまったら減点なのだ。
頭上で振り回しているのはカラフルな駆血帯(採血や点滴のときに血管を締めて注射しやすくするゴム、または帯状の器具)だったり、横断幕だったりとなるべく音の出ない応援方法が主流だ。
そもそもカラオケだの音楽だのと音を出しているので、騒音云々も馬鹿げた話だが、指向性スピーカーによって病院側及び近隣に音が広がらないようにしているという。
そんな具合で夏祭りのど自慢大会は進んでいく。

「琴子、いつまでうろうろしてんのよ。あんたのいいとこは度胸よ、度胸!」
そうは言っても琴子にしたら、久々の大舞台。
かつては卒業証書もクラス代表でもらったし、クイズ大会にも出たり、ミス斗南にまで選ばれたこともあるが、あれから時が経ち、さすがにあの時のような無謀さはちょっと鳴りを潜めている…はずだ。
「今からでも遅くないから、あたしはちょっと…」
「何言ってんのよ、頑張ったでしょ、琴子」
「ほら、今さら何グダグダ言ってんの。出番よ」
琴子がつれられるようにして舞台に向かって歩いていくと、そこには一番の特等席でにこやかに陣取っている横断幕を持った集団がいた。

『琴子ちゃんがんばれ!第三外科病棟、Fight!』

「…お、お義母さん」
「がんばって―、琴子ちゃん!」
どこかで聞いた声がする、と琴子は思ったが、直視はできない。
「あっらー、さすがね、入江家の皆さま」
先ほどまで緊張していたはずの第三外科病棟の出場者の面々は、開き直ったのか客席に手を振る余裕まであるらしい。
ここまで来たら引くに引けない。
さすが琴子、腐っても琴子、舞台に上がってしまったらやるのみ。
そもそもこの『朝娘。』の衣装、既婚子持ち、御年アラサーの琴子にとって少々ハードルが高い。それでも踊るしかないのだ。
後ろなので、照明も微妙なのど自慢大会の舞台では少々間違えてもそれほど目立たないだろうという開き直りのもとに、音楽が鳴る中、琴子は歌い踊った。
気が付くと、入江家の横断幕が揺れ、一応会場もノリノリにはなってくれているようだ。
義母・紀子のキャーという声が響いていた。
琴子の先輩のセクシービームが決まった!
何となくこれで安心という気がしたのか、琴子は盛大に間違えた。
気づいたのは隣にいた同僚だったが、「あ、琴子〜〜〜」とその小さな叫びは観客には聞こえなかったし、審査員には何が間違いだったのか幸いにはわからなかったようだ。
ただ、見ていた『朝娘。』のファンだけがオイオイとツッコむ姿があったが、それはとりあえず無視されたようだ。
踊り終わって琴子は息も荒く、しゃべるのも辛い状況に追い込まれたが、幸い琴子がしゃべる機会はなかった。
ひたすら後ろでぜーはーと息を整えながら必死の笑顔を作るだけだった。
少なくとも出番は終わった。
琴子は舞台を降りながら安堵の息を吐いた。
あたしの出番は終わったわ…!
と密かに次なる出番に向けて気を向けることにした。
とは言っても琴子の出番は終わった。
そう、次にプロデュースすべきは。
「…ふふ、入江くん、覚悟してもらうわよ」

彼はまだ病棟にいた。
まだ白衣。
その下はごく普通のシャツだ。
間違ってもピンクではない。
何やら嫌な気配に眉間にしわを寄せ、背後を振り返った。
「どうしました、先生」
「…いえ」
「何か、いましたか?」
「…いえ」
「…いたんですね?」
「いえ」
「先生、そういう気配感じる人なんですか」
「…そういう気配?」
嫌な気配なら琴子と出会ってから度々感じている。
予感とでも言うべきか。
いや、正しくは、予測、かもしれない。
今までの経験から導き出された予測。
もっと言うならば、その経験が全く役に立たないほどの斜め上の発想を伴った思考力と行動力から導き出される結果をどこまで最悪の想定をすべきかという予測。
「いやー、わ、わたし、そういうの弱いんですぅ」
何事か誤解したらしい患者が白衣をつかむ。
「大丈夫です、そんなものはありませんよ」
「そんなものってどんなものですかっ」
「………」
さすがの直樹も何と答えてよいか躊躇した。
ないものはない。
しかし、ここでそれを言っても完全にパニック状態に陥っている患者に言葉が届くだろうか。
「しゅ、主任さーん!部屋!部屋変えてください!」
「落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか!わたしは初日からどうもおかしいと思っていたんですよ!」
「何がですか」
「夜中に…」
「はい」
「夜中にドアがうっすらと開いたかと思うと」
「…それは看護師の巡回では?」
「いえ、まだ続きがあるんです!」
「それは失礼しました」
「ぼやーっとした影が『ああ…また早すぎた…』って」
…それはもしかしたら。
「それでその影はどうしました」
「すぐにドアが閉まってバタバタと音がして」
「はあ」
「すぐに看護師が駆け付けて、大丈夫ですからねー!って」
直樹は確信した。
それは点滴速度を間違えた夜勤の琴子だ、と言いたかったが、言ってしまうとそれはそれで問題になりそうなので、あえて黙っていることにした。
きっとこんなバカバカしい誤解もそのうち解けるだろうと。
「やっぱりこの部屋は何かあるんだ!」
いや、ない。
強いて言えば、この部屋を担当した看護師の問題で。
「最初も最後も看護師の巡回ですよ」
「本当にそう思われますか」
「はい」
ここは力強くうなづいた。
「ふうっ。先生がそうおっしゃるなら、そうなのかもしれませんね」
どうやら思い込みの激しい患者らしい。
「どちらにしても、検査の結果次第ではそろそろ退院を考えてもいいですよ」
「…やっぱり何かあるのでは?」
「…は?」
またそこに戻るのか!と直樹は天を仰ぎたくなった。
そんなこんなで、出番を一時間弱残し、肝心の直樹はまだ病棟で患者とどうでもいい問答を繰り返していたのだった。

その頃医局では。
「そろそろ出動します」
「…わかった」
満足そうに西垣医師はうなずいた。
目の前で思わず敬礼をする三人の若者たち。
若手研修医による入江直樹捕獲部隊が結成され、西垣医師が出動要請を出していた。
「頼むよ。君たちに第三外科の運命がかかっている。院長直々のお願いだと思ってくれ」
「御意」
「ラジャー!」
「イー!」
おいおい、最後のはちょっと違うんじゃないか、と突っ込んだが、この際どうでもいいか、と思うくらいにはいい加減な上司、西垣医師だ。
医局には燦然と輝くピンクの…。
ブフッと西垣医師は見るたびに笑う。
もちろんあからさまに置いてあると察して逃げるので、上司である医局長の部屋に置いてあるのだが、その医局長の部屋でこそこそと入江直樹捕獲部隊を結成するくらい事態は深刻だ。
それにしてもこちらの動きを読んでいるかのような後輩の動きに、西垣医師は焦りの色を隠せない。
このピンクスーツも知られていないはずなのだが、先ほどの電話といい全くこちらに動きをつかませない。
病棟、手術室、研究室、教授室とあれこれ探ってみたが、どこも今出た、との言葉ばかり。どれだけアグレッシブに動いているんだと、西垣医師は自分で探すのをやめた。
同時に何カ所か襲撃すれば、どこかで捕まるだろうとの目論見が捕獲部隊の結成理由だ。
どちらにしても本当に出ないつもりなのか、出演の前に仕事を済ませてしまおうという真面目さなのかわからないが、とりあえず西垣医師は声だけで姿を見ていない、のが現状だったのだ。
果たしてどうなる、第三外科。

(2020/03/16)


To be continued.