1
とうとう斗南大学病院にもロボット手術やAIを利用した技術が導入されることになった。
当然外科にもロボット手術の波がやってきた。
それこそ全力で乗っかりたい。
今や日本中でその波に乗っからない手はないくらいにロボット手術もAIも進歩してきたのだ。
ここで斗南大学病院も導入するのが当たり前だろう。
「そこで、このロボット手術を導入するにあたって、ぜひともその技術を習得してもらいたい」
これからの外科においても内視鏡で侵襲の少ない手術を…などと色々ごちゃごちゃ言っていたが、要は技術を習得せよ、ということだ。
ロボット手術を習得するにはそれ専門の習得プログラムを受けて認定を受けないとならない。
かつて導入直後、日本初の時点では遥かドイツやアメリカまで認定を受けに行っていたのだ。
そりゃそうだ。国内に機械がなかったのだから。
それを思えば今や国内で習得できるのも便利になったといえよう。
今や専用のトレーナーでARだかVRだかを駆使した体験も可能な時代だ。
遠隔操作、なんてのも現実味を帯びてきた。
「そこでうちの一押しとしては、ぜひとも入江先生と西垣先生にトレーニングに行ってもらいたい」
「…あ、やっぱり。というか、なんで入江が先に呼ばれるんだか」
「うちの外科だけじゃないみたいですよ」
医局長の言葉に西垣がぼやくと、隣から下っ端医師が訳知り顔でささやいた。
「と言うと?」
「泌尿器科とか婦人科とか。まだ循環器には難しいみたいなのに、船津先生がごり押しで習得したいとわめいていたとか」
「まあ、腹腔鏡のできる範囲にはやはり消化器外科が一番広いと思うしね」
そんな風に下っ端医師に言葉を返しているうちに習得研修に行くことに決まってしまったのだった。
* * *
「行くのはいいけど、しばらく斗南を離れなきゃいけないんじゃないの?」
「まずはロボット手術外科学会に登録して会員になり、ロボット手術に関する…」
「ストップ、ストップ」
「ちょっと待った。導入までの経緯が非常に長いんだけども?」
「しかし、これを習得できれば斗南病院における低侵襲の手術適応が増えて患者にもメリットが…」
医局長はそう言って得意げだが、肝心の手術支援ロボットは購入できる目途はついているんだろうかと西垣は首をひねった。
毎年毎年赤字にならないようにと散々言われているのだ。
そんなお金がこの斗南にあるのだろうか、と。
「最初の導入にいくらかかるんですか?」
「え?それ聞いちゃう?」
「ええ、ぜひとも」
「…では、気を引き締めて聞いてくれたまえ」
「はい」
「ここだけの話、最新機器は日本円にして約二億五千万」
「…まあ、新しいMRIの機械を入れようと思うとそれくらいかかりますよね?」
「さらに年間維持費は約二千万。さらに研修費用が…」
「わかりました、もういいです」
「患者一人当たりの費用対効果は…最初から採算とれるとは思っていないようだ」
「それ、大丈夫なんでしょうね?」
「大丈夫、とは?」
「いきなり借金だらけで医師の報酬が減らされたり、まさかのまさかで斗南がつぶれたりなんてことには…」
ここまで言ってふと医局長の顔を見ると青ざめていた。
「…え、まさか」
「お上の考えていることはわからないが、そのうち採算が取れると踏んでの導入だろうと…」
西垣は、それ以上聞くのをやめた。
* * *
斗南大学病院外科の星、入江直樹はスケジュール表を見て眉間のしわを深くした。
ロボット手術を導入するのは患者にとってもメリットは多いだろう。
そうは思うが、これを今から研修して資格を取らねばロボット手術を行うことはできない。
おまけに手術できるまでに相当数の手術の見学とトレーニングに励み、さらに初めて導入される機械の調整と適応患者について検討し…等々今の状況でこなせる気がしない。
入江直樹自身が言うのもなんだが、毎週手術の予定があり、しかも予約はかなり先まで入っている。
当直時に緊急手術に入ることはもちろん、自宅に帰っても緊急時は呼び出しを受ける身だ。
研修に赴く時間が取れるのだろうかと。
言いたくないが、今消化器外科の筆頭術者は、西垣医師と入江直樹だ。
その二人が抜けた後の消化器外科をどうするのだろうという疑問には誰も目を向けない。
やろうと思えばやれるだろう。
凄まじいスケジュールになるだろうし、今後の手術予定は緩慢にしていくほかないだろう。
そして、二人以外の術者にもっと頑張ってもらい、当直時と緊急時以外には対応しない等の措置をっとってもらわねばこなせる気がしない。
そもそもの問題、内視鏡手術は入江直樹の専門ではない、ということが一番の問題だ。
いったい上は何を考えているのだろうかと。
内視鏡手術をやったことがない、とは言わない。
結果的に習得はしているが、それ専門に扱っている医師と比べようもないくらい症例が少ないのが問題なのだ。
つまり、入江直樹なら何でもできるだろう、という上の安易な考えをもとにした計画であると言える。
「いっりえくーん」
やけに浮かれた妻、琴子がスキップしそうな勢いで現れた。
おそらく例の噂を聞いたのだろうと。
「すごいね、入江くん」
「何も凄くないし、何も決まってない」
「あーん、そんな言い方。だって、だって、ロボット操縦できるようになるんでしょ」
どこ情報だ、それは、と入江直樹は妻を見下ろした。
相変わらず勘違いを発揮する。
「あたし、結構小さい頃超合金ロボット見てたのよね」
「全く関係ないぞ、それは」
「あ、もちろんロボットが動くとは思ってないけどぉ」
琴子の中ではいったいどんなロボットが動くことになっているのか。
「ほら、お台場のなんちゃらとか、いろいろ動くのも開発されてきてるし、医療の世界もきっとそんな未来が訪れるのね」
そんな未来来てたまるか。
いったいどこの誰が超合金ロボットに乗って患者の手術をする未来が来るというのだ。
なんとなく考えれば考えるほど頭痛がしそうな気がする直樹だった。
* * *
どうして僕に声がかからないんだ、と噂を聞いた時から対抗心を燃やしている某外科医の彼も、別に内視鏡専門医でも何でもない。
斗南の連中はどいつもこいつもロボット手術をどういうふうに考えているのか。
ここで内視鏡を毎日嫌というほどやらされている男がいた。
野望も何もない。
使いっ走りが多いが、内視鏡だけはまあまあ得意になってきた。
毎日毎日人の内臓を見たいわけではない。
ではなぜ医師になったのかと言われると困るが、今流行りの形成外科にでも行ってある程度技術を習得したら、ばんばん稼げるかと思っていた。
ところが、世の中の流行りは当然のことながら同じように考える奴が増えるということなので、コネも何もない男ははじき出されたのだった。
で、行きついた先が内視鏡室。
逆流性食道炎だの、喉頭がんだの、胃がんに胃潰瘍と、せっせと症例は増えるが縁の下の力持ち的な存在なため、検査者名のところでしか認識されていない、地味な仕事だと思っている。
実際は名指しで検査が来るので、知っている人は知っている名前だが、顔は見たことがない、という。
その医師の名をまだ誰も思い出していない。
(2024/09/28)To be continued.