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誰が言ったか内視鏡の魔術師。某ドラマにいたな、そんなのが。
そんなのが斗南にもいるらしいと最近噂になっている。
某ドラマには失敗しないとかいう医師がいて、こんな奴いるかよと思ったが、そう言えば身近にそんな奴がいた。
いや、本人は失敗しないなどと言わない。
そもそも医師が失敗したら駄目だろうとは思うが、そこは人間なので…ごにょごにょ。
で、その失敗しない奴は医局に入ってからというもの、今まで確かに失敗を見たことがない。
診断を間違えない。手術も完璧。
いや、もちろん僕だって失敗なんてしないが、と声を大にして言っておく。
そんな奴は病院内では有名だが、ここで密かに急浮上してきた名前がある。
それが冒頭の内視鏡の魔術師…いや、内視鏡室の主だ。
僕も会ったことはない。
しかし、内視鏡検査の結果は見たことがある。そこに署名があるのだ。
そいつの名は…。
* * *
「入江のやつ、ロボット手術習得プログラムを断ったらしい」
「え、本当だったんですか」
飲み友の桔梗君と居酒屋でこっそり話す。
この話はまだ院内でもまだ秘匿されていて、口外禁止となっている。
桔梗君は意外に口が堅いのでこうして話しているわけだが。
入江の妻、とんでも行動の琴子ちゃんのフォロー係と半ば自認している桔梗君は知っておかなければならないだろう。
え?そんなの放っておけって?
回りまわってそのトラブルが自分を襲うかもしれないのに?
とりあえず琴子ちゃんさえ押さえておけば斗南の中は平和なのだ。
もうこの際斗南の中さえ平和ならどうでもいいという心境にさせられるとんでも妻なのだ。
「入江先生のスケジュール、尋常じゃないですもの」
「ぼ、く、も!忙しいんだけどね。まあ、いいや。で、その噂、もう院内に広がってるの?」
「あ、いえ、外科の中だけです。だって、手術予定表見ればわかるじゃないですか。そう考えたら、オペ室も薄々気づいてるかもしれませんね」
「まあそうだろうね」
「西垣先生は受けるんですか、習得プログラム」
「考えてもみなよ。本当に始まるかどうか予算が取れるかどうかわからないプロジェクトに巻き込まれるのも迷惑だけど、そもそもそんな暇が外科医にあると思う?そりゃ手術と言えば外科の仕事なんだけどさ」
「でも時代はロボット手術ですよ」
「それでも結局ロボット手術できない分野はまだまだあるわけで」
「メス握ってる方が得意なら…」
「別に、僕は腹腔鏡もできるけどね!」
「そんな張り合わなくても」
「切るばかりが外科の仕事じゃないんだよってところを見せないと」
「…切るのが仕事と言ってる外科医がほとんどですけどね」
「どうせなら高性能のAIを採用すればいいのに」
「そのAIで何するんですか」
「…診断とか…?」
あまり思いつかずにそう言うと、桔梗君はふっと笑って僕を冷たい目で見た。
「ますます医師がいりませんね」
「そ、そんなことないと思うな!最終決定は人間がするんだよ、人間が!」
そんな会話をしていたのだが、実際予算があるかないかというのが大きな問題で。
ロボット手術にしろ、手術習得プログラムにしろ、高性能AIにしろ、何でもお金が必要なのだ。
* * *
「ああ、もう、お金とか節約とか経費削減とか予算争奪とか嫌になっちゃう」
「世の中部品の値段も上がり、人件費も上がり、どんどん値段が上がる一方だしね」
「そうですよ!消耗品だって値段が上がってるんだから、今までと同じ予算じゃ今までより少ない個数しか買えないじゃないですか。それをわかって予算割り振ってるのかしら」
オペ(手術)室を管理しているオペ室主任のヨシエちゃんが備品管理表をにらみながら怒っている。
「それなのにロボット手術ですって?どこにそんな予算があるのかしらねぇ」
オペ室としては大いに関わる話なので気が気じゃないのだろう。
もし導入されたら、それ用に準備と手順を覚えなければならないのはオペ室ナースも同じなのだ。
「斗南大病院の売り上げ問題にもかかわってくるからね」
予算はないが売り上げを伸ばすためには新規機器導入も仕方がないと思っているのが、お上の考えだ。
病院もボランティアでは成り立たない。
大病院でもつぶれる時代なのだ。
金払いのいいところに人は寄ってくる。
もちろん待遇が良ければもっといい。
近頃の診療報酬とやらは医師が儲からないようにできている。
医師が高賃金だと思っている人は多そうだが、勤務医なんて給料が決まっているのでたいして差はないのだ。
では診療所ならどうかと言えば、昨今の医療体制では評判を維持するのも大変ならば、スタッフを確保するのも実に大変らしい。
六年間の勉学に対する報酬に対して、つり合いが取れないのではないだろうかと僕は思っている。
「あ〜あ、僕もフリーランスになったら稼げるかなぁ」
ヨシエちゃんは僕をちらりと見てニコッと笑った。
「大変良い考えですね。稼げるようになったら教えてください」
「それ、絶対無理だと思ってるでしょ、ねえ」
「それで、先生はロボット手術の講習受けるんですか?」
「えー、腹腔鏡ってちまちましててあまり好きじゃないって言うか…、でも、僕に期待されてるなら」
「あー、そうですねー」
「そんな棒読みみたいな適当な返事しないでよ」
途端にヨシエちゃんは面倒くさいという顔をして僕を見た。
「どうせならオペ室に助手になるようなAIシステム導入してくれた方が楽なのに」
「それって、どんな?」
「出血量とかガーゼカウントとかAIセンサーで勝手にしてくれそうなやつ」
昨日そんな会話したな、とか思いながらつい言ってしまったのだ。
「看護師いらなくなっちゃうじゃない」
「ええ、いりませんよね。何ならメスとかも自分で持ち替えてくれれば言うことないんですが」
ヨシエちゃんはじろりとこちらをにらむ。
「えーと、それは術野から目を離さないためというか…」
「渡すくらいならロボットにもできますよ」
「そこは、それ、その、ナースの皆さんが微に入り細に入り助けてくださるから」
僕は手術前の確認を終えると、当たり障りなくそう言って退散することにした。
危ない、危ない。
明日手術なのに、うっかりオペ室ナースの怒りを買うところだった。
それにしても、斗南っていろいろ遅れてるよなぁ。
何で導入しないんだろう、AI機器。
…金か。
金がないのか!
…もっと金持ちの病院に移ろうかな…。
ちょっとそんなことを考える秋だった。
(2024/10/03)To be continued.