斗南の中心でAIを叫ぶ




内視鏡室の主、という意に沿わない呼び名をつけられてはや二年。
どこの科に属しているのか既に忘れ去られている設楽医師は、今日もまた続々と指名で来る内視鏡検査にため息をついた。
確かに臨床に思い入れがあるわけでも、華々しく活躍したいわけでもなく、検査自体が嫌いなわけでもなく。
では何が不満かと言えば。

「皆、忘れているかもしれないが、俺の診療科は胸部外科なんだよ」

内視鏡室配属の看護師がまたかとため息をついた。

「そんなこと、私たちはわかっていても、斗南の先生たちは覚えてませんよ」
「普通、別の診療科に手を出すと怒られるだろ。それなのに消化器からの依頼が多すぎる。というか、内視鏡室勤務じゃないはずだったんだけど」
「大丈夫です、しっかり内視鏡室責任者に名前がありますから」
「それがおかしい」
「いいじゃないですか。今日は専門の気管支鏡の検査が二例もありますよ」
「いや、嬉しくないし。胃の内視鏡のほうが多いじゃないか」
「そうですねー」
「消化器内科か消化器外科がやればいいだろ」
「先生うまいって評判ですから。患者さんからもご指名来てますよ」
「キャバクラじゃあるまいし」

そう言いつつ、仕事はしっかりこなす。
毎日やっていれば嫌でも上達する。お陰で検査時間も大幅短縮だ。
思ったより自分は器用だったらしい、と気づく。
一応診療科では週に一度カンファレンスに呼ばれて、胸腔鏡手術にも立ち会う。主にがんかどうかの鑑別で気管支鏡が届かない場所の生検(病変組織の一部を採取して顕微鏡で細胞診断すること)が多い。
ちなみに腹腔鏡手術のときも他の科から時々呼ばれる。
何で呼ばれるか知らないが、泌尿器科の場合は特に専門外だと何回か言ったが、同じ腹腔内臓器だからとかいう訳のわからない言い訳をされた。
ましてや専門家を差し置いて、専門外の何をアドバイスするのだ。
普通ありえない。
科をまたいで活躍する医師とかいう持ち上げをしているが、さっさと自分の科で腹腔鏡を自在に扱える人材を担えと密かに愚痴るくらいしかできない。
普通は他科を手伝うと診療科のトップから苦言が来る。
胸腔内と腹腔内が一緒のわけないだろ。
もっと言うなら、内視鏡と腹腔鏡は一緒ではないし、腹腔鏡ができるから内視鏡も得意だろうというのは外科に言わせれば違うだろう。
とにかくあの超絶天才医師と名高い入江医師ですら専門外にはほとんど手を出さないのだ。
それが普通なのだ。
設楽医師は、そんなありえない日々を過ごしている。

 * * *

「というわけだよ、どうだい」

得意げに言う西垣医師の前には、その後輩入江直樹。

「それで、医局長にそう言ったんですか」
「言ったよ。言ったさ」
「それで?」
「今、内視鏡の専門医にいなくなられるのは非常に厳しい、と」
「…話になりませんね」
「だよねー!」
「設楽先生は、胸部外科のドクターです」
「え、そっち?」
「設楽先生が希望するならともかく、勝手に内視鏡室室長に任命しておきながらそれですか」
「え、えーと、そうだね」
「外科と同じ状況じゃないですか」
「あ、まあ、そうだね」
「そんなことでは斗南にロボット支援技術を取り入れるのは時期尚早なんじゃないですか」
「で、AI導入はどうかなと聞いたら」

そこで何故AIなのだという表情はしたものの、口にはせずに立ち去ろうとする直樹を引き留め、西垣医師はなおも言う。

「お金がないから無理!だってさ。手術支援ロボットを取り入れるのと何が違うのさ」

いや、大きく違うだろう。
病院内も電子カルテに移行したものの、まだまだAIの可能性はいろいろある。
患者移送時に目的地まで送り届けるシステムも開発されつつある現在、ベッド脇での力仕事もロボット支援を活用したり、モニタリング機能に呼び出し機能、薬剤部での薬のピックアップ支援などとおそらくこれからの人手不足を補う手段として導入されていくだろう。
そこまで考えているかどうかなど、斗南の頭の固い上層部を想像するとまだ何年も先な気がするが、と。

「いっりえく〜ん」

何故かうきうきとしながら躊躇なく外科医局まで琴子がやってきた。

「やあ、琴子ちゃん。今日は休みかい?」
「うふふ、休みだから今日は一緒にディナーに行くの」
「へぇ〜、珍しいね」
「そうなの、珍しいでしょ」

琴子がずいっと西垣医師に迫り、言った。

「だから、邪魔しないでね、西垣センセ」
「う、うん…気を付けて」

それは西垣先生でも対処できるコールなら呼ぶな、という琴子からの暗に察しろの言葉に相違ならない。
西垣医師でも対処できないコールなど、担当患者の死亡時か大規模事故くらいなものだ。
思わず気圧されてうなずくと、満足そうに琴子は直樹の腕をつかんだ。

「さあ、行きましょう、すぐに」

何者か、何事かにすぐに邪魔される久々のディナーを逃がしてなるものかという並々ならぬ気合がこもっている。
直樹も息を吐くと白衣を脱ごうと…。

「琴子、腕を離せ」
「えー」

渋々と直樹の腕を離し、白衣を脱いでロッカーに預けるのをおとなしく待った。
それが済めばようやく医局から脱出し、エレベータに乗り込む。
ここまで来たら、あとは病院を出るまでが勝負だ。
既に外来も終わり、見舞い客もいない病院のロビーは閑散としている。
大きな玄関口は既に閉められ、緊急用の守衛室前玄関だけが開いている。
ロビーを横切って玄関へ向かおうとした時だった。

「…う…」

何か声が聞こえた。
同時に浮かれていた琴子ですら「…入江くん」と青ざめてこちらを見た。
二人してあちこちを見渡す。
これから向かうことを考えると見つけたくないが、そうもいかない。
仕方がないので琴子と二手に分かれてロビーのイスの間を探した。

「い、入江くん!こっち!人が…!」

直樹が琴子の方へ駆けつけると、イスの間に倒れている人がいた。
看護師らしく意識を確かめて呼吸と脈を確認している。
思ったよりも看護師らしい動作に人知れず安堵した。
倒れている人は女性だが、着ている服からすると入院患者で間違いないようだ。
手首に巻いてあるリストバンドからも入院病棟などがわかる。

「琴子」
「わかった、連絡する」

それだけ言って一番近くに電話がある守衛室へと走る。
呼びかけても意識ははっきりしないが、呼吸と脈はある。嘔吐や失禁の様子もない。
いったいどういう状況なのか、さすがにわからない。
少なくとも倒れたときに頭などを打ってないといいのだが、と瞳孔を確認する。
爪床部分の圧迫ではやや循環状態が悪い、としか言えない。
一時的なものなのかどうかも不明だが、自分の上着を脱いで患者の足を挙上することにした。
守衛室からバタバタと走ってくる音がして、琴子と一人の守衛が近くにあるストレッチャーを運んでくるようだ。
病棟に連絡が届いたのか、ストレッチャーで救命病棟に運び込む頃には病棟からの看護師が駆け付けた。
モニター類を付けるのを見届け、救急医に状況を伝えるとひとまずやることはなく、救命病棟の外に出た。
琴子も同じように廊下に出ており、「なんでこんなことに」と肩を落としてつぶやいている。
何かしようと思うとトラブルが起こるのはよくあることで、今更だがここはさっさと病院を出るに限る。

「行くぞ」

そう声をかけると、はっとしたように琴子が顔を上げ、「え?え?」ときょろきょろしている。

「ご飯食べに行くんだろ。早く行かないと閉まるぞ」
「い、行く!」

途端に満面の笑みになってしがみついてくる。
あえて振り払うこともなく歩き出すと、琴子は地面から浮き上がりそうな勢いで意気揚々と歩きだした。
いろいろ気になることはあった直樹だが、とりあえずは浮かれている琴子に付き合って食事に行くことにしたのだった。

(2024/11/09)
To be continued.