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「結局、入江くん断っちゃったの」
そう言って琴子がため息をついた。
なんだかよくわからないが、ロボットを動かす直樹が見たかったようなのだ。
入江家で直樹のいない食卓で義母の紀子相手に琴子が話していた。
素人ではロボット手術と言うと大きな機械に囲まれたイメージだが、別に某アニメのロボットのように乗り込むわけではないだろう。
AIと言うと、話すだけで何でもやってくれるイメージだ。
あくまで素人のイメージだ、念のため。
「でもそのプロジェクトに参加するとしばらく外部研修に行かなくちゃいけないんでしょう」
「そうなんですよねー。それもちょっと寂しいって言うか」
紀子のイメージは、あくまで会社で新規プロジェクトに関わる多忙なサラリーマンだ。
「斗南で第一号になってほしい気持ちもあるんですよね」
「でもほかにも研修を受ける先生もいらっしゃるんでしょ」
「メスでも第一人者、ロボット手術でも第一人者、ってかっこよくないですか」
どこかの柔道金メダリストのようなことを言い出したので、紀子は笑って答えた。
「まあ確かに、負担の少ない手術ができればパパの手術とかする時に良さそうよねぇ」
「あー、でもまだ心臓の手術はできないとか聞きましたよ」
「あらぁ、じゃあ、別にやらなくてもいいんじゃない」
直樹か裕樹がいたらツッコミが入ったかもしれないが、ツッコミ不在の夕食の席では「それもそうですね」とあっさり琴子が答えて終わった。
* * *
そんなことは知らない直樹は、乗り合わせたエレベータの中であまり会いたくない同期に一方的に文句を言われていた。
「そのうち心臓手術にも適応できる日が来るに違いありません。今回は諦めましたが、院内AI導入の際には負けませんよ」
無言でエレベータが上がっていくのを待つ直樹にどや顔で同期は語る。
そもそも院内AIとはいったい…と疑問を投げかけたいところだったが、あえて黙ってやり過ごすことにした。
果てしなくどうでもいい、と直樹がうんざりしかけたところでようやくエレベータは医局のある階に止まった。
「…船津、AIに勝ち負けは…ない」
それだけ言うと、さっさと第三外科の医局に入った。
その背後で同期の雄たけびが響いた。
何と言っているのかわからなかったが、ロボット手術とAI導入にいったい何の関係があるのだろうと直樹はため息をついたのだった。
直樹とて腹腔鏡手術をやらないと決めているわけでもない。
もし自分が腹部手術を受けるなら、仕事復帰にも早い腹腔鏡手術を選択するかもしれない。
そのメリットは意外に大きいものだ。
さらにそれを進化させたロボット手術は、手技こそ習得に時間がかかるが、鉗子が自在に曲がるためより細かい手術に対応できるのがメリットだろう。
ただ、開腹手術がなくなるわけではない。
腹腔鏡手術に対応できない場合は開腹するしかないし、トラブルがあった場合もやはり開腹して対応しなければならないのだ。
そんな時でも迷いなく開腹をこなせる外科医でありたいと直樹は思う。
いつかはロボット手術もできるようになりたいが、今じゃない、というだけで、選択肢の一つに入れないわけじゃないのだ。
斗南の上層部がどう考えているのか実はさっぱりわからない直樹だった。
* * *
外科の外来で、西垣医師は外科手術を進めた患者とカルテを見ながら唸っていた。
「残念ながら…」
そう絞り出した声は暗い。
「でしたら、斗南に用はない!」
そう言って患者は腕を組む。
「そこまで言われるなら、転医しますか」
「だからそう言っている」
少々がっくりしながら西垣医師は「わかりました」と答えた。
「準備しますが、今すぐには無理です。この後の外来を止めるわけにはいきません。今までの経過を書いて資料とともにお渡ししますので後日来院してくださるか、外来の後で遅くなるかもしれませんがお時間をいただいたうえでよければ今日中に、ということでよろしいですか」
「そこは仕方なかろう。明日、取りに来る」
内心、明日かよ!というツッコミをしながら西垣医師はうなずいた。
「では、明日お渡しできるように用意しておきます」
「よろしく頼みます」
患者が出て行くと、西垣医師は大きなため息をついた。
傍に立っていた外科外来看護師が次の患者を呼ぶのをためらっている。
「ああ、すまないね。いやあ、まさかこう来るとは」
「そうですね。これはやはり斗南にもロボット手術を早急に導入すべきでは?」
そう、先程の患者はロボット手術を受けたいと希望してきたのだ。
何なら腹腔鏡手術でもいいのでは?と提案したが、今回の手術は話題の『ロボット支援手術』とやらを受けたいのだ、と。
いや、話題だからってそんな安易に…と思わないでもなかったが、患者の希望する消化器外科の手術でそれを受けられる病院は関東でもまだ限られている。
しかも順番はどうなっているのかわからない。
そんなのを待つよりさっさと手術してしまった方がいいのでは、という説得も試みたのだが聞く耳持たなかったのだ。
それでは転医というのも仕方がないだろう。
まだロボット手術も部位によっては保険が効くのかどうか怪しいものである。
(作者注:2024年現在は導入病院も多く、保険も以前と比べるとかなり適用されてます)
「まあ、仕方がない。後で情報提供書を用意するよ。内視鏡の結果なんかをコピーしておいてくれるかな」
「わかりました」
とまあ、そんな感じで患者は西垣医師の元を去ることになったのだが。
「これ、
外科外来の看護師が検査結果を見て言う。
「設楽先生ね。今じゃ内視鏡室の主とまで言われてるし、彼の検査はうまいって評判だからね」
「内科の先生でしたか?」
「元は胸部外科が専門だったと思うんだけど」
「第一外科ですか。てっきり内科の先生だと思ってました」
「気管支鏡をやらされているうちに内視鏡もやらされて…それがうまいのでいつの間にか大腸内視鏡とか、胃がんの内視鏡手術とかも任されるようになって」
「わらしべ長者みたいな経歴ですね」
「器用だから普通に外科手術もできると思うんだけど」
「で、今は何科なんですか?」
「………さあ…?」
西垣医師は考えてみたが思い浮かばなかった。
少なくとも、消化器外科にはいない、とだけ。
そしてふと思う。
…ロボット手術の研修、彼でいいんじゃないか?と。
西垣医師とて斗南の第一人者としての地位は欲しい。
しかし今の仕事と両立させられるほどの暇がない。
斗南の第三外科には人材が少ない。
外科医が減っている昨今、手術予定は先まで満載だ。
それは指導していた後輩ですら同じ状況で、悔しいがあれほどの腕の外科医を今ここで研修に向かわせてしまうと、自分のスケジュールが積む。
それゆえにおそらく今は研修を断るだろうと思っている。
「そうだ!彼にやらせよう!」
思わず立ち上がると、外科の看護師に止められた。
「どこへ行くんです。患者さん、次呼びますよ」
「……はい」
(2024/10/17)
To be continued.