斗南の中心でAIを叫ぶ




斗南病院はそこそこ大きい大学病院ではあるが、なんと言っても都内にはさらに有名なT大学病院だの、K王大学病院だのと知名度の高い病院はいくつもある。
物価も人件費も高騰する中、何か特色がないとこの先生き抜くのはなかなか難しい。

「だからと言って、今度は陽子線治療?ロボット手術が先だろ〜。今時ロボット治療もできない大学病院なんてないだろ」
「ロボット手術を導入する前提なのは変わらないのでは?」
「どこにそんな金があるんだ?俺たちの給料上げてくれ〜」

世知辛い話だが、世の中お金がないと何もできない。
新しい機器も治療も。
医局の中でそんな噂話をするだけならタダだ。


作者注:陽子線や重粒子線といった粒子線治療は、がん治療において従来の]線を利用した放射線治療よりも照射の深さを調整できたりして、より集中的に腫瘍に対しての治療効果を期待できる治療と言われています。その代わり費用はお高いです。そしてその機器と設備を整えるのもお高いので、全国でも限られていて、保険がきかない先進医療として扱われております。
ちなみにこの時代設定、ロボット手術はまだ限られた症例のみ保険適用となっております。

そんなわけで、未だロボット手術に着手していない斗南病院では患者に逃げられること甚だしく、とにかく一刻も早くロボット手術のできる医師を養成することが急務なのだ。

「というわけで設楽君、胸部外科からは君がトップバッターとして頼むよ」

どこかで聞いたようなセリフが胸部外科でも設楽医師に宣言されたのだった。

 * * *

「とうとう設楽先生にロボット手術研修命令が出たらしいぞ」
「やっぱりなー」
「で、消化器外科は…?」
「あ、結局宇野先生が行くらしいよ」
「へー、宇野先生が」
「手術の腕自体は平凡だけど、なんかVR操作とかがうまいらしくて、おまけにとりあえずしばらく研修に行っても消化器外科が困らないらしい」
「それは喜んでいいのか…」
「宇野先生がロボット手術の権威になれば、一躍斗南の星になれんじゃね?」
「そういうもんかね」
「VR操作とロボット手術の手技に何か関係が…?」
「さあ。上が決めたんだから関係あるんじゃね?」

そんなものは多分ない、と直樹は医局の噂話に心の中で突っ込む。
どちらにしても今はまだ研修に行く余裕すらない直樹としては、結構適当な理由で消化器外科の問題が片付いたのも喜ぶべきものだと思っている。
少しずつ外科の技術も変化していくのは仕方がない。
しかし、受け継ぐべき技術も大事だ。
未だ適応できない症例も多いのだ。
時間的拘束も多い外科医がどんどん減っていくこの頃だ。
医療の未来は、いったいどうなっていくのだろう。
そんなことを直樹は思うのだった。

 * * *

「それで、結局あの患者はどうなった?」

あまりかわいくない後輩にそう尋ねると、淡々とした口調でその後輩は言った。

「伊東先生が、きっちり説明して、内視鏡手術は回避となりました」
「それじゃあ」
「はい、消化器外科に依頼が来ました」
「それはあの消化器内科部長、悔しいだろうなぁ」
「内科部長の悔しさはどうだか知りませんが、外科部長は万全の態勢で臨むと選抜していましたよ。立候補したらどうですか」
「えー、それもちょっとなぁ。どうしてもと言うなら考えなくもないけどぉ」

珍しい症例だったし、参加するのも悪くはないけど、そう得意な分野でもないんだよなぁ。
あ、もちろん得意じゃないというだけで、できないとは言ってないよ。
同じ外科分野でも好き嫌いな部位というのはあってね。

「先生!西垣先生!」

おおっと、「何かな?」と別の同僚に呼ばれて振り向けば、そこには外科部長がいた。
おや、やっぱりこの腕が呼ばれたかな?

「入江くんを呼ぶにあたって、指導医である君も参加したまえ」
「へ?」
「君の腕ももちろん信用しているがね」
「…あ、はい」

思わずつい返事させられてしまったけど、何か納得いかないなー。
あの後輩のために僕も呼ばれた感じ?
え?僕はおまけ?
この外科医歴華々しい僕が?

「まあまあ、不満はあるだろうが、いい経験になるんじゃね?」

そういう同僚は外科部長のお声はかからなかったらしいが、代わりに次のロボット手術の研修候補に入ったと。
え、もしかして、そっちの方が良かったんじゃないか?

「手術の腕を認められてるんだからいいじゃないか」
「え、ちょっと、僕もやっぱり研修受けようかな…」
「ま、オレは次世代の最先端を行くぜ」

はははは…と笑いながら同僚は去っていった。

「え、ちょ、ロボット手術の研修の話、受けといたほうが良かったかな?!」

思わず横にいた無愛想な後輩にそう言えば冷たい目でちらりと見られた。

「どうぞ、今からでも」
「え、冷たくない?ねえねえ、僕がいないと困るでしょ?ねえ!」

後輩は立ち上がってそれには答えず医局を出て行く。

「ちょっと!僕って必要だよね?!ね?」

いつの間にか医局の中には誰もおらず、僕の声だけが響き渡るのだった。

 * * *

「結局斗南病院にはいずれ手術支援ロボットは導入されるんだぁ」
「そうみたいね」

桔梗はのん気にそう言っている同僚のすちゃらか娘を見た。

本当にわかってんのかしらね、この娘。

「自動で患者を運んでくれる装置は?」
「そんな機械の導入なんて、夢のまた夢でしょ」
「えー、夢なの?」
「患者を持ち上げてくれるリフトは?」
「…ありかもしれないけど、値段が高い」
「自動で採血してくれる器械は?」
「あったら大金積んでも欲しいわね、それ」
「つまり、ないってこと?」
「聞いたことないわね」
「誰か開発してくれないかなぁ。自動で点滴してくれる器械とか」

そりゃ注射の苦手な琴子にはあったら導入必須よね。
斗南の財力で無理なら、入江家の財力で用意しそうだわ。

「まだまだ人間の手動が必要なのかぁ…」
「中には全部機械でやってくれればいいと思ってる人もいそうだけど、やっぱり人と話したいっていう患者さんも多いからねぇ」
「そっか。どっちがいいという問題でもないか」
「まあ、ロボット手術はちゃんと導入されるだろうし。だからと言ってアタシたちの仕事が楽になるわけでも給料が増えるわけでもないけど」
「そうよねえ。使えない病院と言われると悲しいもんね」
「その噂もなんだかいろいろあったみたいだけど、結果的にはそれがロボット導入の決定打になったとか」
「へ〜、何がきっかけになるかわかんないものね〜。っと、こんにちは〜」

「ひえっ、琴子ちゃんが点滴?」

琴子が点滴セットを手に一歩病室へ入ったところ、病室内の担当患者から悲痛な声が聞こえた。

「大丈夫ですよ〜」
「ほんとかよ」
「多分」
「多分とかやめてくれ」
「大丈夫、大丈夫」
「うおっ、いてっ」
「大丈夫、大丈夫」
「本当に血管に入ってる?」
「…大丈夫、多分」
「多分?!」

AIが一番必要なのは、あの娘かもしれないわねぇ。
あら、そうしたらあの娘、ちゃんと必要とされるかしら。

「大丈夫ですよ〜、これでも前よりはうまくなったんですから」
「頼むよ、琴子ちゃん」

うん、大丈夫ね。
あの娘にはあの娘なりの必要な理由があるわ。
まあ、もちろん、看護技術は向上してほしいところだけど。

アタシは患者と楽しそうに会話する琴子を見た後、自分の担当患者の所に向かうのだった。

 * * *

この数年の後、斗南病院は新たにロボット支援手術という治療法をようやく軌道に乗せ、内視鏡手術ができないから使えない病院という噂もようやく収まることになり、病院上層部はかなりほっとしたに違いない。

作者注:2024年には循環器、整形外科分野でのロボット支援手術の保険適用もされることになり、きっと船津は大喜びで研修を受けるのではなかろうかと思ったりする。

(2025/09/15)
Fin.