斗南の中心でAIを叫ぶ




先日胃カメラを行った患者の病理検査の結果が戻ってきていた。
設楽医師はそれを見るとやっぱりなと思いながら所見に付け足して送ることにした。
一見ただの十二指腸潰瘍のようだったが、一部怪しい箇所を見つけたために生検を行っておいたのだ。
消化器内科なら自分たちで何とかするだろうと設楽医師は次の生検結果に目を向けた。
ところがそう簡単にはいかなかったのだった。


「どういうことですか」
「どうもこうも」
「十二指腸がんは内視鏡でも難しいのはわかっていたことだと思いますが」
「君が駄目ならここでは無理だと」
「何言ってるんですか。消化器内科のスペシャリストがいるんじゃなかったですか」
「知ってる通り、十二指腸がんを内視鏡で取り除くには穿孔の危険が大きい」
「いくら何でも主治医でもないのに無理ですよ。それに技術的にもリスクが大きすぎます。それこそ例のロボット手術ができるところに転医するか、消化器外科に依頼かけた方がいいんじゃないですか」

設楽医師が先程から断っているのは、消化器内科からの打診だった。
そしてその診断を付けたのは他でもない設楽医師の内視鏡の結果だった。
設楽医師に話をした胸部外科の医局長はため息をついた。

「なんて言って断ったらいいんだ」
「そのまま言えばいいんじゃないですか。そもそも専門外の僕に頼む時点で間違ってます」
「あの内科部長、うるさいんだよな」
「自分たちでやるというプライドもないんですかね」
「患者が内視鏡手術を希望しているんだ。珍しい症例だし患者を逃がしたくないんだろうな。そして消化器外科に頼みたくないんだろう」
「何ですか、そのくだらないプライド」
「まあ、あそこは内視鏡に関しては対立してるからなぁ」
「同じ外科ですけど、僕ならいいんですか」
「設楽先生は、まあ…」

まあ…ってなんだ、と設楽医師は思いつつ、こんなことなら本格的にこの大学病院を脱出して別のところで働いた方がいいんじゃないかと思うのだった。

 * * *

「面倒くさい」

いつも文句をぐちぐちという西垣医師ですらひと言言った後黙り込んだ。
先日直樹が内々に打診を受けた内科の患者についてのことだ。
消化器内科はこのまま内視鏡手術にもっていきたい様子だったが、細かい作業が必要なため、できればロボット手術のほうが繊細な手術を行えるだろうと思っている。
しかし、症例が珍しい部類のため、できれば手放したくないのだ。そして難しい症例のため、今いる消化器内科の医師の内視鏡手術の手技では心もとない、といったところなのだろう。
いっそのこと消化器外科ですっぱり切ってしまえばいいのに、という判断は、消化器内科としてはすぐに決断したくない、というのが本音らしい。
患者の不利益になるようなことはしないほうがいいと思いつつも、患者自身が内視鏡手術を希望しているとなれば消化器外科の出番ではないと思うのだが、主治医である消化器内科の伊東医師はリスクを考慮して消化器外科に打診してきたのだ。
さすがにこれは一人では快諾することもできず、まずは指導医でもある西垣医師に話をしてみたところ、先程の感想だ。
直樹自身も面倒だと思っているので、相談するまでもない事例だ。

「で、こっそり手術しろっていうわけじゃないんだろ?」

どうやってこっそりなんて手術できるんだ。

「ほら、『白い巨塔』で内科部長に黙って手術したじゃない、外科医が」

それは創作の世界だ。

「どちらにしろ、できるかどうかの打診だけで、外科としては外科的内視鏡手術はお勧めしないとだけ」
「まあ、あの伊東先生は症例に執着しないからよその病院勧めるだろうけど」

確かに症例に固執して患者の手術の成功率には目を向けない医師もいるものだ。
伊東医師はその点誠実に患者に説明するだろう。
直樹はふと設楽医師ならばどうやって治療するだろうと思ったが、リスクの高い他所の科の手術は断るだろうなと思い至り、やはりここは伊東医師に外科でも患者的にも許可がい限り無理だと答えるほかはないと結論を出したのだった。


午後のナースステーションで、琴子が院内カルテに書き込んでいる直樹に向かって言った。

「入江先生、先日倒れていた患者さん、どうなったか聞いてますか?」

カルテに書き込んでいる最中はあまり話しかけてこないが、珍しく話しかけてきたと思えば例の内視鏡手術希望の患者のことのようだった。
どこまで話すか考え、手を止めた。

「倒れたのは一時的な脳貧血のようで、その後は無事に過ごしているようだ。内科の患者なので外科に来ない限りはそれ以上のことはわからない」
「そうですよね。ちょっと気になってたんですけど、無事ならいいんです」

それ以上のことを打診はされたが、手術依頼が正式に来ない限りは関わることはないだろうと思っている。
琴子も会うことがなければ患者の一人として過ぎていくことだと、直樹はそのままカルテに向き直った。

「聞いた話だとー、なんか斗南病院使えない、って言われてるって聞いて…」

「は?」

思わず声が出た。
噂ならくだらないと放っておくのだが、裏事情を知らない琴子がそんなことを言うものだから、ナースたちの間では既にそういう噂が回っているに違いない。
直樹の問い返しに少し怯えた琴子が「え、えっと、そういう意見が出てるって聞いただけで、あ、あたしが言ったわけじゃ…」と慌てて首を振っている。
そりゃそうかもしれないが、あえてそういう噂をばらまくのもどうかと思う。というよりこの斗南にはそういう輩が多い。
病院で噂好きが多いというのもどうかと思うが、何かあると噂はすぐに回る。

「そ、そうだった。太田さんのところに行くんだった〜」

これ見よがしに無理に用事を作って琴子は逃げた。
相変わらず逃げ足は速い。

その後を引き継ぐようにススっと桔梗が近寄ってきた。

「内視鏡治療も満足にできない斗南病院、と言われたそうですよ、消化器内科部長が」

そうささやいた。
思わず眉が上がる。
それはかなりやばいだろう、と。
そして思い浮かぶのは、例の患者。
しかし、少し見たところでそんなことを言うような患者には見えなかった、というのが直樹の感想だ。
つまり、入院している患者ではなく、別の誰かが言ったかもしれないというわけか。
そんなことを言われてどう出るのか。
他の病院にあっさりと引き継げるのか、それとも意地でもここで治療継続するのか。

「でも、ま、関係ないだろ」

そう思った直樹は悪くない。…多分。
たいていの場合、関係ないと思ったことが後々関係ないところから飛び火するのもよくあることで。
さすがの直樹もそこまで予想は難しかったらしい。

( 2025/09/12)
To be continued.