ドクターNのお見合い2
「西垣君、そろそろいいんじゃないかね」
教授室に落ち着くなり、教授は言った。
医局秘書にコーヒーを二つ頼んで、目の前のソファに彼にも座るように促す。
「…そろそろ、とは?」
「ほら、そろそろ伴侶を持っても」
「あ、ああ、その話ですか」
「その話だよ」
「その話は前にもありましたね」
「うん。いや、別に君の女遊びを咎めているわけじゃないんだ。特に苦情もないからね」
「ええ。そんなに遊んでいるつもりはないんですが」
「そうだろう。君はせいぜい食事だけお付き合いして帰るということがほとんどらしいから、意外にちゃんとしていると思ってね」
そうだろう、そうだろう、ちゃんと見ている人はいるんだ、と彼は満足げにうなずいた。
彼も世間の評判ほど節操なくだれかれと付き合っているわけではない。
そもそもそういう付き合いを誰もが望んでいるわけではなく、楽しく食事をしたりおしゃべりしたりしたいというのも付き合いの一つだからねと彼は思っていた。
しかし、意外によく把握している、さすが教授と彼は内心驚いていた。
一医局員の動向など気にはしていないと思っていたのに、これは認識を改める必要がありそうだ、と彼は思った。
「そこでだ」
教授はおもむろに机からお決まりの見合い写真を取り出した。
「こちらは私の恩師の孫で、まだ23歳というピチピチだ」
教授、その言い方はどうかと思いますが、と彼は思ったが、声には出さないでおいた。
「君とは少しばかり歳も離れているが、それくらいはどうってことないだろう」
いや、そもそもまだピチピチの女性が何ゆえ彼の元にお見合い写真を?と彼は怪しく思った。
23歳といえばまだまだ遊びたいお年頃。
もしや他の手垢をつけたくないくらいお嬢様だとか?
大学を出たばかりくらいの年頃だろう。
うーむ、と彼は写真を見る前から怪しんだ。
「見ないのかね」
教授に催促されて、彼は一応写真をつかんだ。
これで彼好みなら、というスケベ心があったのは否めない。
ぱらりとめくった重厚感あふれる見合い写真は、若干の釣書きの横に着物を着てにっこりと微笑んでいる女性の写真があった。
確かに若い。
若いが…。
「…個性的な顔立ちですね」
「……そう思うかね」
「ええ、少々」
彼は正直に言った。
口が裂けても好みとは言いがたい容姿だったが、彼の場合は少々の個性的な女性でも決してけなしたりはしない。
女性は顔も重要だが、顔だけではない、とここだけは褒められるポリシーを持っているからだ。
「そう言ったのは君が初めてだよ」
「そうですか」
「いや、わかってはいるんだがね」
「正直に言いますと…」
彼は咳払いをして言った。
「僕は確かに美人が好きですが、顔だけとは思っておりませんので、これがたとえ妙齢を越えた老女でも僕は褒めますよ」
「ほほう」
「第一印象が大切なお見合いでは、彼女はかなり不利なんじゃないですか」
「そうなんだよ。中身はかなり育ちも良くておっとりした女性なんだよ」
「僕に本気で見合いしろと…」
「そこなんだ。
実は君の経歴は申し分ないんだが、彼女が顔のいい男が苦手らしくて、ここで君と本気で見合いとなると、彼女が逃げ出してしまいかねない」
そりゃこの僕の顔を見ればそれもありうるだろう、彼は教授の言葉に気をよくしてにやついていた。
「ところが、両親はブ男だけはどうにも我慢ならんと、こう言うんだよ」
「ブ、ブ男ですか」
こりゃまたはっきりとおっしゃいましたね、教授。
「いや、そこまでいかなくても味のあるそれなり男もいるでしょうに」
「そうは言うんだが、なかなかそういう男に限って好みがうるさいときた。
いったい自分の顔を何様だと思っているのだろうね」
どうも教授は見合い写真の女性を可愛がっているらしい、と彼は気づいた。
「ほんの少しでいい。彼女に自信を持たせ、もう少しまともな男を婿にするようにさせることができないかと。
いや、もしも君が本気で見合いしてくれるならそれに越したことはないんだがねぇ。君ならあの両親も納得いくだろう」
「いや、しかし、元々見合いは気が進まな…」
引き受けたとも何も言っていなかったが、彼の返事も聞かぬうちに、教授は来客だとかで彼の前からはいなくなってしまった。
教授の話は結局、見合い話から見も知らぬ(いや、写真は見たが)女性のレディ教育のような話になっていた。
目の前に置かれた見合い写真をしげしげと見つめ、彼はうーむとつぶやいたまま教授室を出て行ったのだった。
(2012/06/22)