ドクターNのお見合い5
茶店は格式高く、彼なら絶対に入らないと思うほど静かだった。
こんなに静かでは、何か話したら筒抜けではないかと思われる。
…と思ったら、個室だった。
「…当然か」
彼は彼女をエスコートして、個室の中へ入った。
座敷ではなく、掘りごたつのようにテーブルを挟んで、開いた所に足を入れて座れるようになっている。
着物の彼女はかえって座りにくかったりしないだろうか。
彼がそう思って振り返ったときには、既に彼女は座り終えていた。
テーブルが狭く感じるのは…気のせいだろう。
何となく視線は合わないまま向き合い、オーダーを取りに来た店員にごく普通にコーヒーを頼んだ。
彼女を見ると、同じようにうなずいたので、オーダーは同じものとした。
うーん、これはデートなのかお見合いなのか。
彼は自分の中でどういうふうに指南すべきか迷っていた。
女性としては彼の好みじゃない。
好みじゃないが、ここは好み云々を言ってる場合ではないので、彼女をもう一度観察することにした。
すぐにコーヒーが来たが、彼はまだ言葉を発することができなかった。
目の前の彼女は、非常に大和撫子然としたお嬢様であるが、如何せんその姿が少々かけ離れていた。
扉が開いた隙に隣の声が耳に入った。
「わ〜、中も素敵!
ねぇ、お義母さんたちももうそろそろ来るかな」
彼にとっては、どこかで聞いたことある声だった。
「きゃー、見て見て!
地下なのに庭が見える〜」
「みっともないから静かにしろ」
「は〜い」
…とても聞き覚えのある声だった。
彼はとりあえず聞こえない振りをすることにした。
ここで関わり合いになるとろくなことがない。
彼は隣の個室のことは忘れることにした。
「凪子さんは、どなたかとお付き合いとかされたことはないんですか」
当たり障りのない質問をしてみた。
彼女はさっと顔をこわばらせてうつむいた。
ああ、この質問はダメか。
彼はコーヒーを一口飲んでまた考えた。
いつもならもっとどうでもいいことが口から出てくるのに、さすがの迫力か、なかなか彼の口は動かなかった。
「では、好みの男性などは」
まずは相手を知ることだ、と彼はいつものペースを取り戻すことに努めた。
「そんな、好みなど…」
「いえ、好みがわかればターゲットがわかりやすくなり、それに向かって努力もできますからね」
顔からは想像できないが、意外に声は可愛らしかった。
小さな声のせいか?
いや、それでも何か一つでも褒めることが肝心だ、と彼はいつもの調子で言った。
「とても可愛らしい声なのに、もっとお話しないともったいないですよ」
そう言った途端に彼女の顔が強張った。
そんなことを言うなんてあなたは詐欺なのかというような顔だ。
いや、ここは喜ぶところだろう?
彼はいつもの調子が出ないまま、もう一度コーヒーをすすった。
彼女はコーヒーに手をつけない。
「コーヒーはお嫌いですか?」
彼女はまだ強張ったまま「いえ、ちょっと」と言ったまままた黙る。
なんだかなぁ、ああ。
彼は声に出さないまでも、どうしていいかわからずにこの時間を過ごしている。
(2012/07/16)