ある日突然、湖の見える静かな場所に別荘を買ったという。
昔からある別荘地のそこは、以前の所有者が倒産したとかで泣く泣く手放したという豪華な割にはお値段も手ごろな物件だったという。
しかし、安物買いのなんたらを地でいく出来事が待っていようとは、誰も思わなかったに違いない。
悪戯奇譚
1
「やっと着いたわね〜」
車から降りると、紀子は額の汗をぬぐった。
「誰だよ、こんな山奥の別荘買おうなんて言ったやつ」
ぼそりと憎まれ口を言ったのはその息子、直樹。
「やあね、私に決まってるでしょ」
そんな息子をねめつけながら、紀子は後ろのトランクを開けた。
全てがこの調子で母・紀子の手によって事は進められていく。
「ママ、なんだかお化けが出そうだよ」
ちょっとだけ顔を引きつらせて別荘を眺めている下の息子の裕樹。
「ええ、お化け?!出るの?!」
悲鳴に近い声を上げたのは、この別荘を買った入江家の主である重樹の親友の娘・琴子だった。少し前から父娘ともども入江家で同居していて、今では家族同然だったが、紀子は家族同然から本当の家族になろうとしてあの手この手で画策していて、この別荘を買ったのもその計画の一つだった。
「バーカ」
それをバカにしたように鼻で笑った直樹だったが、見事なログハウス風のコテージは、確かにサスペンスドラマにでも出てきそうな風情だった。
「ママ、あちらに人が…」
少し太り気味の重樹がふうふう言いながら短い坂を登ると、別荘の前に年配の男が立っていた。
「あら、犬神さんだわ」
「…何だよ、その名字」
またもやぼそりと直樹がつぶやいた。サスペンスホラーを地でいくにも程がある。しかもお誂えにそばには湖まである。いや、考えすぎだと直樹は頭を振った。
紀子と重樹は揃ってその犬神の前に進み出ると、頭を下げながら言った。
「どーも、とてもいい別荘を紹介してくださって〜」
「本当に今回は世話をかけたね」
「いえ、こちらこそお気に召していただけたなら幸いです。でも、まさかあのパンダイの社長さん一家だったとは知らずに失礼いたしました」
「いいえ、たかがおもちゃ屋ですもの。それより、中は…」
「はい、点検と清掃済みです。当面必要そうなものも最低限運び込んでありますし、水道と電気も確認済みです」
「まあ、本当に何から何までありがとうございます」
「何かありましたら管理事務所までご連絡ください」
「わかりました」
そこへようやく自分の手荷物を持ってやってきた琴子を見て、紀子は手招きした。
「こちら、うちの可愛い琴子ちゃん。この
「はい、ご連絡が入りましたら駅まで迎えに参りますので」
「それから、こっちが私たちの息子たち。ちょっと愛想はないですけどね」
そう言って顔にうんざりと書いたような直樹と裕樹を手で示す。
「いえいえ、利発なご子息とお伺いしております」
人のよさそうな犬神はそう言って頭を下げた。
別荘のドアが開かれ、犬神が中へ案内した。
重樹は興味しんしんでいそいそと入り、紀子は軽やかにスキップでもするかのようにうきうきと入った。
琴子はその紀子に導かれるようにしてきょろきょろしながら入り、裕樹は恐る恐る入り、最後に直樹が面倒そうに嫌々入っていった。
かくして、入江家(プラス相原家)は夏のひとときをこの別荘で過ごすことになったが、それが恐怖の夏の幕開けでもあった。
* * *
ログハウス風とは言え、別荘に使うほどのしっかりした造りなため、キッチンも自宅とさほど変わらぬ広さと造りだった。冷蔵庫に電源が入り、中に食材が入っているのを確認すると、紀子は満足そうにうなずいた。
子どもたちはそれぞれ二階へと上がり、重樹とともに部屋割りを待っていた。
「ママ、僕ここがいい」
「あら、ダメよ。そこは琴子ちゃんのお部屋なの」
「えーっ、また琴子ぉ?」
「琴子ちゃんの隣はお兄ちゃんと裕樹で、奥がパパと私。その隣が相原さんよ」
兄と一緒の部屋に振り分けられ、裕樹は膨れながら琴子を睨んだ。何も琴子が決めた部屋割りではなかったが。
「あら、お兄ちゃんが琴子ちゃんと一緒がいいと言うなら、裕樹一人で使ってもいいわよ」
「言うわけないだろ」
紀子を睨んで直樹は自分に振り分けられた部屋のドアを開けた。
「ちぇっ、いいや。お兄ちゃんと一緒なら」
そんな風に言って、裕樹は直樹が入っていった部屋に入っていったのだった。
琴子は申し訳ないというように少しだけ困った顔をしていたが、部屋に入った瞬間に後ろめたい気持ちがいっぺんに吹き飛んでしまった。
「わ〜〜〜、すっごい」
入江家の自宅の部屋よりは狭かったが、そこからの眺めは十分に満足だった。隣の部屋ならそれほど景色も変わらないだろうと思われたが、目の前に大きな木があり、それが視界を遮るかもしれないことに気がついた。
窓を大きく開けると、隣の部屋も同じように窓が開き、直樹の姿が見えた。
「あっと、入江くん、いい部屋もらっちゃってごめんね」
「…別に。たいして違わない」
素っ気無くそう言って、直樹は窓を閉めた。
「あ、お兄ちゃん、僕も見る」
「結構危ないし、たいして見るもんないぞ」
そんな会話が聞こえてきて、琴子は微笑んだ。
…が、「丸い顔のお化けが隣から見えるからやめておけ」と続けて聞こえ、琴子は微笑んだ顔をこわばらせた。
「全くもう、あの兄弟はっ」
そんな悪態をつきながら荷物の整理を始めた。
さほど持ってきていない荷物の整理も終わると、琴子は散歩にでも行こうかと一階へ降りていくことにした。
同時に直樹も部屋から出てきて、琴子は「どこ行くの?」と間髪いれずに聞いた。
「散歩」
「あたしも!あたしも行こうと思ってたの。ついていっていい?」
「一人で行く」
「えー、ついていくだけだから。…迷子になるかもしれないし」
小さく言った言葉に少しだけ視線をよこした直樹は「好きにすれば」と答えて階段を下りていった。
言われた琴子はうれしくなってスキップ状態で直樹の後をついていくのだった。
「おばさん、入江くんと散歩に行ってきます」
「あら、いいわね。夕食には早いから行ってらっしゃい。湖のそばはいい散歩コースだそうよ。それから相原さんから電話があって、やっぱり来るのは明日の朝になるそうよ」
琴子の父は料理屋の主だったが、夏はさっぱりなふぐ屋とは言え週末はやはり休めずに遅れてくるようだった。
「はーい」と元気に返事をしてから琴子は直樹と一緒にうれしげに別荘を出て行った。
もちろん正確には一緒に散歩ではなかったが、直樹が否定しなかったので一緒も同然だと思いながら。
(2011/07/02)
To be continued.