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「お兄ちゃんも琴子ちゃんもあの日からほとんど別荘から出ないで、どうしちゃったのかしらね」
紀子が心配するほど、琴子は湖の散歩に遠くまで出ることもなくなったし、どちらかというと別荘から湖を眺めるほうが多くなった。
別荘に着いて早々に起こったいろいろな出来事があまりにも多すぎて、琴子もさすがに一人で散歩しようという気にはなれなかったし、それを紀子に話してもいなかった。
今となっては本当に夢だったのかもしれないと思い始めていた。
あれから、サルの姿は見ていなかった。
野生動物は他にもいるらしく、タヌキを見ただとか、いやあれはイタチだとか、キツネだったとか、裕樹と言い合うのは楽しかった。
どれもありそうで、そしてそのどれもはっきりとは確認できなかった。
明日は東京の自宅に帰るという日の夜、紀子は刑部と遊佐を招いてバーベキューを行った。
二人は喜んで参加し、楽しいひとときを過ごした。
遊佐にはあの日の帰り道にあった出来事を話してみた。
一通り聞いた後で、遊佐は「事実はそんなところなのかもしれないね」と言った。
神社に伝わっている話も真実であったかもしれないが、いつも全てが明らかになるわけではない。
「あ、そうだ」
遊佐は思い出したように荷物から何かを取り出した。
古い写真のようだった。
「琴子ちゃんが見たかもしれない人たち」
そう言って琴子に渡した。
琴子は写真に写っている女性たちに目をこらした。
古い写真だったので、カラーではなくモノクロだった。
縁が少し欠けたその写真に写っているのは、何人かの女性だった。
一人一人顔を見ていくが、幾分若い頃の写真で、琴子が見た感じの年よりは随分と若い分、少し面影があれば見分けられるかもしれないという程度だった。
「んー、この人、似てるかなぁ」
そう言って指差したのは、真ん中に写っていた女性だった。
「あー、やっぱりこの人かぁ…」
遊佐はその写真を琴子から受け取り、刑部のところへ行く。
「刑部さん、やはりお松ばあさんのようですよ」
刑部は一瞬言われた意味に目をぱちくりとさせてから、「あ、ああ」と返事をした。
「お松ばあさんは心配なのかね」
「違いますよ。多分いつもああやって時々はやってくるんでしょう」
お松ばあさんを思い出したのか、遊佐は懐かしげに笑った。
「そうか、そうだといいな」
「ええ。琴子ちゃんだから会えたんですよ、きっと」
「遊佐さん、お松ばあさんって亡くなったんじゃなかったっけ」
琴子はお松ばあさんの名前が出たのでそう聞いた。
「ん?そうだね、そうだったかな」
そう言って遊佐はとぼけた。
一部始終を聞いていた直樹は呆れたように琴子を見るだけだった。
あまりにも信じがたいことばかり起きたせいか、どれもこれも誰かが仕組んだことではないかと直樹は思い始めていた。
あの停電のようにもしも全部紀子が仕組んでいたとしたら?
刑部も遊佐も何もかもがグルだったら?
そのほうがどれだけ気が楽だろうと直樹は思った。
草の中を走ったあのときの気分。
追い詰められ、いよいよ煮えたぎる湖に飛び込まされる羽目になったときの気分。
全てが夢か、誰かの仕組んだことだったら。
しかし、ほんの何パーセントかの確率で、本当のことだったら?
湖に笑いさざめく声が響く夜、直樹はあえて湖に背を向けて過ごしたのだった。
「遊佐さん、きっとお嬢さんは、ここに来たくても来れないのかもしれない」
ジュースを飲みながら言った琴子の言葉に、遊佐は「え?」と振り向いた。
「大事にしていたサルを残して、遊佐さんとちゃんとお別れもせず、きっと心残りだと思う」
「…そうかな」
「うん、きっと」
「…琴子ちゃんが言うのなら、そうなのかもしれないな…」
遊佐は湖を見つめて笑った。
「…琴子ちゃんの想いは、叶うといいね」
「え、ええっ」
「入江くん、だよね」
湖に背を向けて、家の中に戻ろうとする直樹の後姿を見ながら、琴子はえへへと笑った。
「わかっちゃいました?」
「彼も知ってるんだろ?」
「ええ。でも、ちっとも相手にしてくれなくて」
「へえ、そう?」
「もう、いっつもこーんな目をして怒ったり、バカにされてばっかり。あたしが好きなのを知っててからかったり」
「そうなんだ」
遊佐はくすくす笑い出した。
「あ、ひどい」
「いや、だって、あの態度…そうか…あはは…」
遊佐は散々睨まれたあの目の鋭さを思い出しては笑い、早速直樹の後を追いかけて家の中に入っていく琴子に手を振った。
「あんなに牽制されたのにね、無自覚なのか」
遊佐のつぶやきは、幸いなことに誰の耳にも届かなかった。
* * *
「入江くん、少し怖くて、楽しかった!」
帰りの車の中で、琴子は半分眠りながらそう言った。
重樹と重雄は仕事の都合で先に帰っており、助手席に裕樹、後ろの座席に直樹と一緒に座っていた。
裕樹は車が走り出してすぐに眠ってしまい、琴子は車窓から名残惜しげに山々を見ていた。
「…俺は宿題手伝わないからな」
多分何も手をつけていないであろう宿題に琴子はいずれ慌てるだろうことを考えると、直樹は眠りかけた琴子にそうつぶやいた。
夢の中に入りかけている琴子は「だーいじょうーぶ」と夢うつつに返事をしたのだった。
(2011/09/15)
Fin
(2011/02/21改稿)