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電話が来ない。
メールも来ない。
院内でも会わない。
ないない尽くしだ。
こうなったら…。
「あ、マキちゃん?面子集めるから、今日どうかな」
僕はなりふり構わず電話をすることにした。
「向こうには食事会とかなんとか言ってくれれば」
面子は、あいつとー、あいつとー、それからそうだな、あの新人も。
「うんうん、なるべく優秀なやつを連れていくから。マキちゃんが好きそうなガチムチもね」
そうそう、マキちゃんは本当はガチムチタイプが好きなんだそうだ。
僕みたいな細身は真に付き合うのはごめんという。
まあ、つまり利害関係もあるいい関係ってやつ。
「あ、そう。ダメだったらまた電話してくれるかな」
急にはなかなか無理かもしれない。
それでも、今日なら沢口さんもいるから何とかするというマキちゃんの頼もしいお言葉だった。
あ、沢口さんに彼がいないのは確認済み。
もしいたとしても結婚してなければアタックはするよ。恋愛は弱肉強食さ。
「真里奈さ〜ん」
「だから言ったでしょ。今日は整形の鈴木先生と食事なの」
「どうしてですかっ」
「どうしてもこうしても、前から約束していたんだから」
「僕は、僕はっ、どうなるんですか!」
「どうもならないでしょ。せいぜい泣くくらいで懲りないんだから」
「真里奈さ〜ん」
「ああ、もう、うっとおしいわね。恋愛は弱肉強食なのよ!」
うんうん、品川君が正しいよ。
「先生、何とかしてください〜〜〜」
どうもできるわけないだろ、あきらめろ。
「わかりました、僕だって弱肉強食ですから、今日の食事会に乗り込みます」
「いや、それはやめた方が」
「どうしてですかっ」
「君が品川君と食事してる時に弱肉強食だって乗り込まれたらどうするんだい」
「一緒に逃げます!」
「…うん、まあ、それもありかもしれないけど、支払いはしようね」
「はい、先払いしておきます」
…ダメだ、こりゃ。
そんなナースステーションの片隅で、別のお誘いが。
外科のナースの一人だ。
「入江先生、明日の歓迎会はどうしますか」
「…不参加」
「え、そんなぁ。吉村先生だって、この機会に入江先生とご一緒したいって」
「それはまたの機会に仕事で」
「だって、焼肉ですよ、焼肉。先生もスタミナつけてどうですか」
「え、焼肉なの?!」
「…琴子には言ってないわよ」
「どうしてよ!あたしだって行く権利あると思わない?」
「あんたは飲めないでしょ」
「今までだってほとんど飲んでないもん」
「あたしは、入江先生を誘ってるの」
「吉村先生の歓迎会ならあたしだって関係あるでしょ」
「それはそうだけど」
「…却下」
「入江先生?」
生意気な後輩は淡々と言った。
「吉村先生ならなおさら」
…何でだ?
「だから、あれは誤解だってば」
琴子ちゃんは慌てて言い繕う。
その外科ナースの苦虫をつぶしたような顔。
何かあったな、これ。
「新しいオムライス屋」
「え、連れてってくれるの?」
「おまえの仕事が早く終わったらな」
「終わらせる!終わらせるから、その約束、忘れないでね」
琴子ちゃんは大喜びで仕事を片付けに行った。
その場に残った外科ナースに聞くことに。
「で、どうしたの、あれ」
「ああ、吉村先生が赴任したばかりの頃、ちょっとだけ琴子にちょっかいかけようとしたんですよ」
「でもあの頃琴子ちゃん…」
「だからですよ。つわりで気分悪くて、ちょっと顔色悪くて、それに同情した吉村先生が」
「なるほど」
「ああ、もう、入江先生ってば、琴子が妊娠してからますます付き合い悪くなっちゃって」
「それなら僕はどう?」
「あ、先生誘うと全部持ってかれそうだからいいって、吉村先生が」
「なに?!よーしーむーらー」
「恋愛は弱肉強食なんですよね」
「その通りだ」
「参加します?」
「明日なんだろ、行くよ」
「では吉村先生には内緒ということで」
「はっはっはっ、ナイスだね」
オムライスと言いながら浮かれている琴子ちゃんは、まだほとんどお腹が膨らんでいないが、立派な妊婦だ。初産としてはあんなもんなのだろう。
「琴子は弱肉強食というよりは、焼肉定食って感じだけど」
あ〜あ、とつぶやきながら外科ナースは残りの仕事を片付けに戻っていった。
今日暇そうな研修医とそこそこの後輩を引き連れて、マキちゃんたちとの飲み会だ。
研修医もそこそこの後輩も大病院の坊ちゃまではないので、堅実な相手を探している。
私立大学病院にありがちな跡取りも見合いもそのうち親主導でありまーすみたいなことは少ない。せいぜいおせっかいな上司が医者の跡取りが欲しい婿養子前提の見合いを持ってくるぐらいだ。
彼女たちにすればもしかしたら大病院の坊ちゃまのほうがよかったのかもしれないけどね。
待ち合わせた店はおしゃれなカジュアルレストランだ。
出かける前にちょっとトイレに、と思って研修医たちは先に行かせることにした。
トイレを出てさて出かけるかと思った目の前に、緑色の何かが立ちふさがった。
「な、なに、何だ?!」
「ダイジャー参上」
ダイジャー…ダイジャー?!
目の前に緑の衣装を着た二人が立ちふさがっていた。
「おまえらだな、僕のIDをいじったの!あれすごく迷惑だからやめてくれよ。僕だけじゃなくて外科のナースにも患者にも迷惑がかかるし!」
「すべては態度次第だ」
「いや、ちょっと待って。何で今頃?!正直言えば、僕の所業なんて今に始まったことじゃないんだけど」
「ブルー覚悟」
「いや、僕、今素だし!着替えてないし!これから出かけないといけないし」
「問答無用」
「いや、人の話聞いてる?ねえ、普通着替えて対峙するもんでしょ」
「では着替えろ、今すぐ」
「えー、今から着替えるの?出かけるんだけど」
「そう言ったのはそっちだ」
「だからと言って…。だいたいどうしてそこまで僕を標的に?」
「外科に遊び人がいると投書があった」
「それどこ情報?」
「モリン様だ」
「…モリン様」
あれだよね、スネイクモリン。
そう言えば院内安全何ちゃら委員会だったっけ。
院内投書箱の管理もしてるとかなんとか。
で、こいつらは当然スネイクモリンの手下なわけだから、命令されればほいほい従うわけだ。
「でも、システム管理室の人にも悪いから、今度は止めてくれるかな」
「それはモリン様次第だ」
う、うーん、それは。
「で、今日はどうしたいわけ?」
「合コンとやらに出かけるそうだな」
「げ、どこ情報?ねえ、どこから聞いたの?」
「情報源は秘匿だ」
「いや、今日だけは!今回だけは見逃してくれよ。今日はかなり気合入れて組んだんだ」
「案ずるな。代わりに別の者を送り込んである」
「えー、誰の代わり?まさか僕の代わりとか言うんじゃないだろうね」
「…代わりだ」
「まさか、これ足止め?嵌められたの、僕」
「そろそろ時間だな」
「え、うわ、ちょっと」
僕はあっという間にダイジャーの二人に拘束されてしまった。
しかも、トイレだよ、ここ。
医局のすぐそばだから誰か気付いてくれるとは思うし、幸い口は塞がれなかったから、呼べば誰かに聞こえるかもしれないし。
誰も来なくても、芋虫みたいに這っていけば、人のいるところまで戻れそうだ。
つまり、本当に時間稼ぎであるらしい。
というか、僕に何の恨みが!
あ、ここで投書のせいでしょと思った君、誰がそんな投書したんだよってことだよ。
しかも今回のダイジャー、どんな企みがあるかわかったもんじゃない。
「ちょ、ちょっと!外せ―!僕は合コンに!やっと、やっと、念願かなって!」
「これに懲りたら女遊びは控えるように」
「誰が控えるかっての!女の子に声をかけない僕なんて僕じゃないだろうが!おい、こら、外してくれ〜!誰か―!!!!」
結果から言えば、助けに来たのは医局まで様子を見に来た琴子ちゃんだった。
トイレから僕が喚く声が聞こえたとかなんとか。
でも男子トイレなのでおいそれと入ることもできずに様子をうかがいつつ、ひょっこりのぞいてくれなければ、僕はその日トイレで過ごす羽目になっていたかも。
何せ芋虫歩行もなかなか上手くいかなくて。
「迷惑な叫び声はあなたでしたか」
そんな冷たい声を隠しもせずに上から言ってのけた。
だいたいさ、医局に戻った時点で声が聞こえていたなら助けに来てくれてもいいんじゃないかな。
「…面倒だったので」
面倒の一言で見捨てられる僕のことも少しは考えてくれよ。
もしこれが僕以外だったらどうするつもりだよ。
「声でわかりますし、またふざけた上司が新しい遊びを考案しているのかと」
ふざけた上司って僕のことかよ。
別にふざけてない!いつも真剣だし、そもそも助けてって言ってんだから、素直に助けろよ!
「琴子の体に障るので、近寄らないでください」
「まるでばい菌のように扱うな」
「何言ってるんですか。全身ばい菌じゃないですか」
「ええっ」
「トイレで、寝ていたんですよね」
「…ま、まあ、そういうことになるんだが」
「ではばい菌で」
生意気で無慈悲な後輩の言葉に琴子ちゃんは指を交差させて気の毒そうな顔をしている。
それはいわゆる…。
「エンガチョ…?」
僕のつぶやきにうんうんとうなずく琴子ちゃん。何気にひどいよ。
「琴子ちゃん…」
僕のつぶやきにちょっと悲し気な顔をした琴子ちゃんだったが、僕が近寄ろうとしたら「キャー」と叫んで逃げていった。
「琴子!走るな!」
そう言って、生意気で無慈悲な後輩はそのまま走って行ってしまった。
おい、こら、ちょっと待て。
この手足の紐を外していけよ!
そう、僕は何とかトイレから出ることはできたが、あの後輩は手足の拘束をそのままに琴子ちゃんを追いかけてそのまま行ってしまった。
わざとだろ、わざとに決まってる!
医局までのそのそと移動しようとして失敗し、病院に残っていた真面目な後輩が僕の拘束を解いた深夜まで、僕はそのままだったのだ。
いい加減トイレも限界で、普段はうっとおしい真面目な後輩に後光が見えたものだ。トイレから出たのを少し後悔もしたね。
ま、暗い中エレベータの灯りを背負っていたせいなんだけどね。
それにその真面目な後輩にしたって、結局は慈悲深い琴子ちゃんがオムライスを食べ終わった後で、思い出したように僕の拘束を取るのを忘れていたからと、院内に無駄に残っているであろう後輩に電話をして頼んでくれたからなんだ。
琴子ちゃんマジ女神。
でも翌日の噂はひどかった。
いったい誰がSMの趣味があるって?
僕はいたってノーマルだ!
それに合コンはどうなったかって?
…聞かないでくれ。
(2016/08/21)
To be continued.