大きな花の下にて




「ママ、いつ帰るの?」
裕樹の言葉におばさまは言った。
「そうねぇ、実は明日、こちらで花火大会があるのよ。それ見てから帰ろうと思っていたの。どうかしら?」
「花火大会ですか!」
「東京よりは規模も小さくて、遠くまで出かけなくてもすぐそこの川の少し上流でやるから、良く見えると思うわ」
「わあ、いいな…」
「何か気になることがある?」
そんなつもりはなかったのに、ちょっと気になっていたことが顔に出たのか、おばさまに心配されてしまった。
「いえ、あの」
まさか怖いから嫌だなんて、うまく説明できないし。
「お札とか、あれこれあってちょっと」
「ああ、あのお札、ね」
「ごめんなさい。せっかく連れてきてもらったのに」
「お札は誰かが貼ったみたいだけど、あまり意味のないものみたいよ。偽物?とか。やっぱりいたずらで貼ったのかしらね」
「そうなんですか」
誰かが怖がったりしたら面白いとか?
そうしたら、思うつぼってこと?
そう思って入江くんを見たら、入江くんは知らんぷりをしていた。
花火大会に行くのは賛成なのかな。
せっかくだから一緒に行きたいな。
「あ、の、あたし、ちょっとその辺散歩に行ってきます」
あたしは足の具合を確認する意味で、少しその辺を歩いてみることにした。
うん、普通に歩くぶんには大丈夫かも。
痛みもほとんど良くなって、腫れもなくなったし。
小道を抜けて本館の方を見ると、ひろむくんがやってきた。
「あ、ひろむくん!」
思わず声をかけて手を振ると、少し首を傾げた後ゆっくりとやってきた。
「おねえさん、おはよう。…いつかえるの?」
「おはよう。明日、かな」
「はなびたいかい、みるんだ」
「うん、そのつもり」
「…ことしは、こないかな」
「誰か、来るの?」
「うん。おねえさんがとまってるへやに、いつもくるの」
「ああ、泊まりに?」
「よくわかんない。でも、あそびにきてくれるの」
「だから、あそこで待ってたのか」
「うん。ごめんね」
「ねえ、この辺で、散歩にいい道知らない?」
「さんぽするの?」
「うん、ちょっとね」
「こっち!」
そう言って、ひろむくんはあたしの手を引っ張った。
「ごめん、足をけがしてたの。ゆっくり行ってくれる?」
「…あ、ごめんなさい」
ピタリと止まってあたしの顔を見ると、今度はゆっくりと歩き出した。
小道をそれ、旅館の本館を回るようにして歩いていくと、そこには一面黄色い畑があった。
「わあ!」
「どう?」
得意気な顔をしたひろむくんは、あたしにその畑を指した。
そこには、大きなひまわりの花がたくさん咲いていた。
「これね、ぼくのおじいちゃんがそだてたの」
「これ、もっと宣伝すればいいのに」
「うん、でもね、おじいちゃん、おきゃくさんのためにやったんじゃないからって」
「そっか」
見上げると、あたしの背よりも大きいひまわりもある。
ふふ、入江くんくらいの大きさかな。
あ、これはあたしと同じくらい。
そうすると、これは入江くんとあたしみたい。
でも二つともひまわりだから、花の向く方向は一緒。
それもこれも今は東から南に向きかけていて、大きな花が重たそう。
入江くんがあたしの方を向いてくれる時はあたしが背を向けていて、あたしが入江くんの方を向くときは入江くんはそっぽ向いてるなんて、花になっても気が合わないのか、とことんつれないのか。
「おねえちゃん、どうしたの」
「ううん、何でもない。でも、ねえ、ひまわりってだいたい同じ方向いてるけど、ところどころ違う方向向いてるのもあるじゃない?」
「うん」
ところどころ、他のひまわりとは違う方を向いているものもある。
あたしなら、きっと入江くんの方を向きたくて振り返っちゃいそう。
それにしても。
「…ちょっと暑いね」
「うん」
ひまわりの陰に入っても、その隙間から日が当たる。
でもこうして見上げていると、なんだか不思議な気分。ひまわりの隙間に空がある。
「あ、かこちゃん!」
ひろむくんは突然そう言ってひまわり畑の間を走り出した。
「ひろむくん!」
急に走り出した男の子を追いかけるのはあたしには無理だった。
だいたいひまわり畑の間をひろむくんより大きな身体のあたしが走り抜けることも無理だ。
世話をする人のために間が開けられて、ひまわりは整然と並んだように見えるけど、実際には結構大きなひまわりに邪魔をされて移動するのは大変だ。
また戻ってくるかとその場で待つことにして、ひまわりの陰でじっとしていると汗が流れる。
もう秋も近いと思ったのに、まだ暑いなぁ。

「おまえは、こんなところで何やってんだ」

気が付くと、ひまわりの茎のように長い足が立っていた。
「あれ?」
「あれ、じゃねぇ!」
見上げると、背の高い入江くんだった。
「入江くん、どうしたの」
「昼になっても戻ってこないからだろ」
「え、もうそんな時間?」
あたしは驚いて立ち上がろうとしたけど、ちょっとふらついた。
「こんな暑いところにずっといるからだ、バカが」
「ご、ごめんなさい」
入江くんは仕方なしにあたしの腕を支えて立ち上がらせてくれた。
「きれいでしょ、ひまわり」
「よく知ってたな、こんな場所」
「ひろむくんに教えてもらったの。ひろむくんのおじいちゃんが育てたんだって」
「…確かにすごいな」
「あ、ねえ、ほら、あの背の高いのが入江くんで隣があたしみたい」
指差すと、入江くんは顔をしかめた。
「なのに、あれ、向きがちょっと違うの」
「…ああ、ひまわりが向きを変えるのは成長中だけだ。枯れていく前には東に向きっぱなしになる」
「え、じゃあ、あたしの方…今東向いたままになってるってことは」
「もうすぐ枯れるんだろ」
「えー、そんな」
「おまえの方が年上だしな」
「う…言われてみれば」
あたしの方が入江くんより誕生日早いんだった。
って、これはひまわり、ひまわりよ。
「それより、ひろむくん見なかった?」
「見なかった」
「おかしいな。誰か追いかけて行っちゃったから、待ってたんだけど」
あたしはそのまま周りを見渡した。
ひまわりの下を駆けていった子どもを捜すのは簡単じゃない。
「これじゃ、わかんないな」
「これ以上ここにいたら熱射病になるぞ」
「えー、でも」
「あの子どもにとってはここも家の敷地みたいなもんだろう。おまえがここで倒れる方が迷惑だ」
「…はい」
あたしはおとなしく入江くんに部屋に連れ戻された。

 * * *

「お兄ちゃん、琴子ちゃん、遅いわね」
おふくろの言葉に本から目をあげて時計を見た。
「だから?」
「捜しに行ってちょうだい」
「何で俺が」
「決まってるじゃない。裕樹じゃ心配だし、もしこの暑さで琴子ちゃんが倒れていてもお兄ちゃんなら運べるでしょ」
倒れてる前提で話をするなよ。
どちらにしてももうすぐ昼食で、このままでは結局捜しに行く羽目になる。
本当に迷惑なやつ。
本を閉じて置くと、外に出た。
いきなりどこを捜せって?
方向音痴は自覚してるだろうから、さほど遠くへは行かないとは思うが。
小道からぶらぶらと歩いて敷地を回っていくと、建物の横に子どもがいた。
ひろむとかいう子どもではなく、今度は女の子だ。
しかし、すぐにその女の子は建物の陰に消え、なんとなく思いついて建物の方に向かった。
本館の裏手になるのか、少し坂を上って小高い場所に出ると、そこには一面のひまわり畑があった。
よく観光になるような見渡す限りという感じではなく、それよりはかなり小規模だが、小高いところから見る黄色い花の群れは、一様に咲いて黄色い花弁と茶色の花芯が見える。
もちろんそれらには正しき名称もあるのだが、そんなことはとりあえずどうでもいいだろう。
そのひまわり畑の隅に人影があった。
琴子だ。
しかもひまわりの下でぼんやりとしている。
おふくろの言う通り本当に熱射病か。
「おまえは、こんなところで何やってんだ」
勢い込んで近づいてそう言うと、ぼんやりとしたまま琴子は顔を上げた。
「あれ?」
「あれ、じゃねぇ!」
本人はけろりとしてそう応えたので、腹が立つ。
どうしてこいつといるとこうも腹の立つことばかりなのだろう。
昼になっても戻ってこないから捜しに来たと遠回しに言えば、やっと気づいて慌てて立ち上がった。
ところが、やはりこの暑い場所にいたせいか、立ち上がった瞬間にふらついた。
熱射病というほどひどくはなさそうだったが、暑さにやられたのは間違いないだろう。
迎えに来たことに浮かれているのか、次から次へとしゃべりだした。
このひまわり畑がひろむとかいうこの旅館の子どもの祖父の畑で、案内されてここにたどり着いたらしい。その割にはあの子どもはいないようだが。
ひまわりを自分に例えてみたり(つまり隣にあるひまわりを俺に例えていたりするわけだ)、向きがどうのとひまわり一つで騒いでいる。
あの子どもを見なかったかと聞かれたが、見ていないと答えると、誰かを追いかけて行ってしまったのだという。それで戻ってこないかと待っていたらしい。
子どもなんてすぐに当初の目的を忘れることなんてありがちだ。そこは琴子も同様のようだが。
誰かを追いかけてというのは、俺が見た女の子の方かもしれない。
とりあえず連れて帰らないとおふくろもうるさいし、琴子を連れて戻ることにした。
琴子は名残惜しそうにひまわり畑の中をのぞいている。あんな小さな子どもを捜すのには無理がある。
それこそひまわりしか見えない。

部屋に戻ると琴子は冷水を一気飲みしてふーっと息を吐いている。
横で同じように冷水を飲んだ俺を琴子は意味ありげに見上げている。
「…何だよ」
「う、ううん、何でもないの」
どうせ昨夜のペットボトルでも思い出してるんだろう。
俺の口からは絶対に昨夜の話はしてやるつもりはない。
バーカ。
俺の口のがバカと動いたのがわかったのか、琴子は真っ赤な顔をしてぷいっと横を向いた。
一気に水を飲み干すと、俺の目の前の流しにコップをどんと置き、「ごちそうさま!」とどすどすと戻っていった。
「お兄ちゃん、トドみたいだね」
琴子を見ながら裕樹が言った。
それがあまりにもおかしくて噴き出すと、裕樹は満足そうだった。
その時、後ろの棚に置かれたままになっていた額縁に手が触れた。
がたりと音がして驚いた裕樹は、「そう言えばお兄ちゃん、何でこれがここにあるの」と恐々聞いた。
そう言えばそうだった。
まだ返していないそれは、裏はともかく表の絵はあまりじっくりと見ていなかったことに気が付いた。
「これ、女の子、かな」
「だろうな」
ロマンチックな絵画で知られる画家は、たいてい女の人の絵が多かった。
これはどちらかというと少女だろう。
黄色い花に囲まれた少女だ。
ああ、ひまわり畑なのかもしれないと思った。
そう思ったのは、先ほどあのひまわり畑を見たからだが、別の花かもしれない。
「別に絵は悪くない、よね」
画家の記念館に行ったのが印象に残っていたのか、裕樹はそう言った。
「そうだな」
俺もそう思ったので素直にそう言った。
「後ろのお札がいたずらなら、戻しておくか?」
「…それはちょっと…」
さすがにそこまでの踏ん切りはつかないのか、裕樹は言葉を濁した。

「さあ、お昼はおいしいお蕎麦を食べに行きましょう」

おふくろが陽気にそう言った。
今回おふくろだけが一人どこまでも陽気だ。
こういう陰鬱な出来事には全く関心がないのか、陰鬱の方が避けて通るのかもしれない。
少なくとも、今回一番貧乏くじを引かされているのは間違いなく俺だという気がする。
お蕎麦楽しみですと琴子がおふくろに話しかけながら部屋の外に出ていく。
俺と裕樹が出て扉がゆっくりと閉まるその前に、俺は誰かの影を見た気がした。
もう一度見ようにも扉は閉まっている。
そんなバカなことがあるわけないとしまった扉を見て少し考えたが、気にすることもやめた。
明日には帰っていく身だ。
今更何があってもたいしたことではないだろう。
そう思うことにした。

(2016/09/02)


To be continued.