結婚狂想曲
2.別れの曲〜最後のエチュード
家と会社の往復が当たり前になってきた頃、琴子がバイトと称して会社に追いかけてきた。
なんとなく嫌な予感がしていたが、どこまでもついてくるその根性だけは認めてやってもいいとすら思う。
本当はあきれてもう反論する気力さえなかった。
どうせバイトと言ったって、役に立つわけでもない。バイト代も払う必要がないくらいだ。
ただでさえ会社が傾いているこのときに、なんだってもっと傾けそうなやつのバイトを許可するんだか。
そして、松本までコネでバイトに来始めていた。
プライドにかけてこんなところまでバイトに来るようなやつじゃなかったはずだが、琴子に感化されたのかもしれない。
そして、琴子のいるところには必ずもう一人うるさい男が…。
「琴子の弁当はおれのもんや!」
金之助はそう叫んで琴子のあの弁当を持ち去っていった。
金之助はうるさかったが、少しほっとした。
…久しぶりにまともな昼飯が食える。
しかし、ここは会社だと自覚のあるやつはいないんだろうか。
琴子につられて松本まで大声を張り上げ、おまけに金之助まで毎日やってきて、大学とあまり変わりがない。
日々は忙しく過ぎていき、いつになったら目処がつくのか、俺自身にも予測がつかなかった。
そんなときだった。
取引先の会長の孫娘との見合い話が持ち上がったのは。
見合いの話はあっという間におやじやおふくろにまで伝わった。
おやじはまだ回復途中の身体で俺に言った。
「結婚は好きな人としなさい。そこまでおまえに頼っとらんよ」
もちろん急に見合いと言われてすぐに承諾できるものでもなく、支障がなければそれどころじゃないと断ろうかと思っていた。
しかし、会社の業績を考えたら、今ここで見合いを断るのは利口じゃない。
個人的に寄るところがあるからと、送ろうとするハイヤーを断り、会社から歩いて出た。
本来なら普通のサラリーマンはこんな風に会社に通勤するはずだ。
俺はおやじの代理でしかないのに、ハイヤーで送り迎えしてもらい、社長室に収まっている。
だからこその責任。
俺はいまさらながらそれを痛感していた。
駅からの帰り道、後ろから大きな声で俺を呼ぶ琴子。
にんにくたっぷりの焼肉をするとかで妙に張り切っている。
そんな琴子を見ていたら、俺は少しだけ心が痛んだ。
見合いを受けると言ったら、きっとこいつは泣くだろう。
俺が誰と結婚しようが俺の勝手だと、俺はうそぶくしかない。
そんな義務なんかないのに、俺は罪滅ぼしのように琴子の重そうな買い物袋を手に取った。
* * *
「見合いします」
そう口にしたとき、視界の隅で琴子がコーヒーカップを落とすのが見えた。
俺はあえて相手にしないように努めた。
部長が琴子を社長室から追い出して、ようやく俺はため息をついた。
部長から預かった見合い写真を引き出しから出してみた。
多分会社のエレベータで会った人だろう。
髪の毛を下ろしていたので少し印象が違うが、会長の自慢の孫娘らしく、美人でおしとやかに見える。
多分頭もバカだってことはないだろうから、琴子とは大違いだ。まあもっとも琴子ほどのバカもそうそういるわけがないが。
この騒動の予想はしていたが、家に帰るとおふくろが家にいて、見合いのことでうるさくわめく。
会社のために見合いするのだろうとおふくろは責める。
俺はいつもの顔できっぱりと否定する。
ここで迷ったら、琴子は一生俺の後を付いて回るだろう。暗に琴子に希望を持たせるようなことはしたくない。
会社を絡めたお見合いともなれば、断ることもできない。
相手さえ悪くなければこのまま結婚にだって発展するだろう。
俺が誰を好きだろうが、関係ない。
結婚した以上俺は相手を好きになろうと努力はするし、跡取りだって作ることになるだろう。
だから、俺は…。
* * *
セオリー通り、庭付きの豪華な料亭で見合いは始まった。
会長の孫娘・大泉沙穂子は、評判となんら変わりない才女で美人だった。
頭の痛いことに、おふくろはあの手この手で見合いをつぶしにかかった。
それでも彼女はめげなかった。
…ある意味おふくろとうまく行くかもしれない。
おふくろの話にうんざりして庭へ誘うと、背後で動く二人の影。
一人は琴子と、もう一人はあろうことか松本だった。
松本まで何をやってるんだか。
もちろん琴子の作戦がうまくいくはずもなく、あいつらはスプリンクラーに池落ちと、ずぶぬれになって帰って行った。
それを想像すると笑いがこみ上げてくる。
そんなこともきっといつか思い出になるだろう。
彼女と会ったときにはこんなことがあったのだと、いつかまた笑って話すときが来るかもしれない…。
お見合いの後、付き合いを承諾した彼女からは、デートの誘いの電話があった。
その電話を取り次いだ琴子は、デートかと心配そうに聞く。
俺は前回の見合いのときを思い出して言った。
「またついてくんの。ホーキ持ってさ」
見合いについてきたことを俺が知っていることがわかって、琴子は怒り出した。
普通怒るのはこっちなんじゃないか?
琴子が怒るのはおかしいだろ。
「おまえも早く男見つけな」
半分売り言葉に買い言葉だった。
そして、心のどこかで願っていた。俺以外の誰かを見つけて、早く俺の前から去って欲しい、と。
「余計なお世話よ!」
そう叫んでドアを勢いよく閉めて出て行った。
俺は再びソファに座って読みかけの雑誌を手に取った。
手に取って眺めるばかりで、ページは進まない。読み進もうにも、文字が頭に残らない。
「お兄ちゃん」
後ろから裕樹が声をかけた。
俺は雑誌を読んでいる振りをする。
裕樹はお見合い相手と結婚するのかと聞いてきた。
お見合いなんだから、結婚前提なんだろ。結婚するつもりだから、付き合ってるんだろ。
「好きなの、その人のこと」
俺はその言葉に即答はせず、問い返した。
「どうしたんだ、裕樹」
ずるい返し方だ。
裕樹はいつになく真剣に、そして怒りを含ませながら俺に問いかけた。
「だって、お兄ちゃんが好きなのは、琴子なんでしょ」
裕樹の言葉が俺に重くのしかかる。
…俺が好きなのは。
裕樹にはキスしたところを見られていたんだったな。
俺はぼんやりとそんなことを思い出しながら、別の言葉を口にする。
「今度沙穂子さんに会わせてやるよ」
口からはよどみなく彼女をほめる言葉が出てくる。
裕樹、好きなだけではどうにもならないことだってあるんだ。
きっと裕樹は賢いから、琴子に本当のことを話すこともないだろう。
このまま琴子と離れてしまえば、きっと忘れられる。
才色兼備で家庭的な彼女とならきっと理想的な家庭がもてるだろう。
そう、だから。
「きっとうまくいくよ」
呪文のようにつぶやく。
裕樹はそれ以上何も言わなかった。
(2006/07/27)
To be continued.