何度でも



18


1月14日、午後0時過ぎ。

天井に薄暗く明かりがついていた。
ああ、そうか、停電は終わったのだとぼんやりと直樹は気がついた。
身を起こすと、上にかけられた毛布がずり落ちた。
頭はまだ少しだけぼんやりとしていたが、それで動けないわけではない。
毛布を持ち上げて起き上がると、黒光りするソファの上に毛布を置いて立ち上がった。
そばには使い終わった点滴が引っかけられていて、自分の腕を見ると誰かが点滴をしてくれたようだった。
なんて情けない、と直樹は自らを叱責した。
休憩室のドアが開き、一人のスタッフが顔を出した。

「起きられたんですね。もう少しお休みになっていてもいいですよ」
「いや、もう大丈夫です」
「誰もが入江先生をスーパーマンだと思ってましたが、ちゃんと人間だったって安心しましたよ。
それに、反省もしたんです。休憩も取らせないほど酷使してしまったこと」
「琴子には…」
「まだ言ってません。お休みの時間でしょうし、入江先生ならすぐに気がつかれると思ってましたから」
「…ありがとうございます、ご迷惑をおかけました」
「いえ。明日には各地から派遣の応援が来るそうですよ。少しは休憩の時間が取れると思いますから。
でも、それすらも…長くかかりましたね」

大規模な災害が起こると、各県が医師、看護師、保健師、薬剤師などの医療技術者で災害医療チームを組み、被災地へ医療支援を行うのだが、やはり現地に入るまでに相当な苦労があるようだった。
首都圏が壊滅し、道路の寸断と人の多さでどこから手をつけていいのかわからない状態だったに違いない。
情報社会であるにもかかわらず、情報が届かなかったり錯綜したり、どれが正しい情報なのか、故意ではないにしろ誤報も混じりながら垂れ流される。
誰もが都内に住んでいるわけではなく、電車が動かなくなったことによる帰宅難民から、少し遠出して東京へ出てきたものなども少なくない。遊園地やビルなどの商業施設も多い。
まだ三日しか経っていないのに、もう三日も経ってしまったという気もする。
危機感を覚えながら、三日分の家族の食料を用意していたものはあるだろうか。ましてや毎日通勤するだけの会社や学校や遊びに来ただけの施設に準備してくるものなどいないだろう。
病院に三日持ちこたえられるだけの自家発電装置を持っているところはあっただろうか。
耐震設備は進んだが、液状化対策は進んでいただろうか。
外の見えない病院の中だけの日々が、直樹にとっての今の全てだった。
直樹は先の見えない日常を思い、休憩室を出るのだった。

 * * *

休憩室で、椅子をベッド代わりにしていた琴子は、不意にピクリとして起き上がった。
何というわけではないが、辺りを見回して、まだ夜中であることをようやく把握した。

「入江くん…?」

自分でもいるはずがないと思っているのに、つい口に出してしまった。
そばで同じように寝転んでいる桔梗幹が薄目を開けて琴子を見たが、何も言わずに寝返りをうった。
かたん、と軽い音を立てた椅子に気を使いながら、もう一度琴子は横になった。
寝なければ。
寝られるときに寝ておかなければならない。
食べられるときに食べておかなければならない。
たとえ今眠くなくても。
たとえ今お腹が空いていなくとも。
この三日間で肝に銘じたことだった。
いつ寝られなくなるかわからない。
次はいつ食べる暇があるかわからない。
いつ十分な食べ物が手に入るかわからない。
そのときに要求しても叶えられるかわからないからだ。
寒くて寝られなかったあの日に比べれば、今はもっとましだと言い聞かせながら。
病棟はいつもの夜とは違う。
いつもは煌々と点いている電灯はほんのわずかだった。
壊れて役に立たなくなった機械や備品が山のようにあり、それらの補充はいつになるかわからない。
カルテはかつてのように一時的に紙に変えられている。
そのうちまた入力をしなければならないだろう。
新規の患者にいたってはそれで済むが、今までの患者の記録はまだ取り出せない。
データは無事だが、メインコンピュータを動かすだけの動力と配線の確認が済んでいないせいだ。
各医療機関や関係部署とのネットワークを最優先したせいもある。
多分この斗南大病院は、この辺の病院の最後の砦だろう。
手術のできる医師と設備。
不十分ながらも医療備品はある。
薬品も最優先で届いたはずだ。
そのつもりで救命病棟も動いている。
そこで直樹は働いている。
専門外だと言っていられないくらいに。
琴子は、それを思うと直樹の体が心配だった。
それでも、普段丈夫を誇る琴子ですら体調をコントロールするのが厳しく、更に強靭な精神と身体を持つ直樹を心配している場合ではなかった。

「…寝よう」

誰ともなくつぶやくと、琴子は朝一番で直樹の顔を見に行こうと決めた。


1月14日、午前7時。

日勤が始まる前に、琴子は自分の朝食代わりのおにぎりを頬張った後、直樹のいる救命病棟へ行った。
救命病棟の奥で直樹は変わらずに働いていた。
それでも、遠目に見る限り、昨日より顔色がよくなっているのを感じる。
少しでも休めたのかもしれないと琴子は胸をなでおろした。

「…入江先生、昨夜は少しお疲れだったようで、休んでいただいたんですよ」

通りがかったスタッフが琴子にそう打ち明けるようにして言った。

「でも、これは入江先生に内緒ですよ。琴子さんには言うなって言ってましたから」

そう言っただけで琴子の目には涙が浮かんでいる。
スタッフは仕方がないといった感じで微笑んで救命病棟の中へ歩いていった。
琴子は零れ落ちそうになる涙を我慢して、頭を振った。
ガラス越しにのぞくだけにして、あとでまた来よう、とその場を立ち去った。
前なら、直樹のことが心配ですっ飛んで行っただろう。
休んでもなお顔色が悪ければ恐らくそうしただろうが、今の直樹は思ったより元気そうだった。
そして、昨日自分が家へ帰ることで余計に心配させたことを考えると、直樹をより疲れさせるようなことはできなかった。


直樹がガラス越しの琴子に気がついたとき、琴子はちょうど病棟へ戻るところだった。
直樹に向かって大きく手を振って、精一杯の笑顔を向けて、必要以上に元気さをアピールして戻っていった。
直樹が手を振るようなことはなかったが、その様子をいつも以上にじっと見ていた。

「入江先生!」

電話を取ったスタッフの一人が直樹を呼んだ。

「小児病棟からです」

黙って受話器を受け取ると、病棟師長からの急ぎの電話だった。
猶予のならないその声に直樹は救命病棟のスタッフに断りを入れて駆けつけることにした。

『浜坂こうじくんが、いなくなりました』

時々、入院が嫌で逃げ出す子どもは時々いる。
家族と離れてさみしくなり、病院内を黙ってうろつく子どももいる。
そのうち戻れなくなっで大騒ぎすることも一度や二度ではない。
元気な子どもだと病院外へ出ることもある。
最近は責任の所在が問題になり、病棟の出入り口には常にスタッフが誰かしらいる状態だったが、現在の病棟ではそこまで目が届いていないのだろう。
あれ以来、それぞれの子どもには親がついていたり、心のケア云々やボランティアも入って、以前と比べるともっと人手がいるような気がしていたから油断していたのかもしれない。
師長が気にかけていた患児は、近いうちに右足の手術を予定していた。
建物に挟まれ、一時は動かないまでもそのまま過ごせるかと思ったのだが、昨日の時点で壊死部分が見つかり、抗生物質で炎症を抑え、手術に備えている状態だった。
上手くすればその部分だけを繋ぎ替え、リハビリに時間はかかるものの、歩けるようにはなるだろうという診断だった。
もっとも、初期治療がこんな野戦病院のような状態でなければ、ただの骨折としてギプスで固定すれば済んだかもしれない。
無菌状態で整復できなかった時点で、この可能性はあったのだから、不運としか言いようがない。
しかも、患児は13歳という難しい年頃だったし、バスケットボールを趣味としていると聞けば、容易にその落胆は想像できただろう。
こういう状況だから仕方がない、と諦めただろうか。
いや、諦め切れなかったから、今いなくなっているのだろう。
命が助かったことだけを喜べる者ばかりではないことをこのとき直樹は知った。
医療者として、災害にあった者として、命さえ助かればいいと思っていた。
命が助かったこと事態がラッキーなのだから、と。
家族が自分をかばって亡くなったことを知った者は、どうして自分ではなく家族が、と責めながら退院していった。
いずれ自分の命を犠牲にしてまで助けてもらったことを感謝する日が来るのかもしれないが、琴子が自分の身を犠牲にして直樹を助けたのなら同じことを思うだろう。
今はまだ誰もが今を生きることに必死で、自分が生き残った意味すらも考える余裕がないのかもしれない。
少しずつ世の中がこの災害から離れていく頃、復興と自立を迫られる頃には、直樹も考えるかもしれない。
病棟に向かう足を速め、直樹は彼ならいったいどこに向かうだろうかと考えていた。
それは彼にとって何か意味のある場所なのか、偶然立ち寄った場所なのか、とりあえずは彼を探し当てないことには始まらないのだった。
今日も外は寒いのか、窓には結露ができていた。

(2011/12/08)


To be continued.