大江戸恋唄



29


直樹たち一行は京を出てから、今度は西国街道の山陽道を歩き、一路本州の西端へ。
船で小倉に渡り、長崎街道から長崎に向かう。
佐賀と江戸の間には、千石船も定期的に行き来しているが、季節が冬に向かうのもあってちょうど行きかう船はない。どちらにしても表向き勘当された身で船に乗るつもりはなかった。
船は通常、江戸佃島沖から乗り込み、伊豆沖、鳥羽から紀伊沖を航行し、大坂から瀬戸内の海を縫って小倉へと向かう。
千石船とはいえ、船はそれほど大きくなく、天候に大きく左右されるし運が悪ければ遭難沈没となるため、大きな利益と危険が隣り合わせだった。
直樹たちにとっては街道をひたすら進む方が安全と言えたかもしれない。
直樹は宿場に泊まるたびにお琴に文は送っていたが、きっと今頃こちらに文を送りたくてうずうずしていることだろうと想像し、直樹は微笑んだ。
そんな様子を見ていた同行している若者は、気難しいと思っていた最初の頃から比べると雲泥の差だと思うのだった。
それほどまでに変えたお琴をぼんやりと思いだす。
やたら元気な声で佐賀屋の中を闊歩していた。
料理は下手で、繕いものも苦手。ただ、奉公人にも分け隔てしない態度は概ねほとんどの奉公人からも好かれていたように思う。
顔はまじまじと見たことがないので、しっかりとは覚えていなかったが、やはり思い出すのは笑顔だろう。
そんなところに惹かれたのだろうかと若者は思っていた。
二人して長崎街道をひたすら進む。
ここまで来ると目的の長崎までは目と鼻の先という気がしてくる。しかし、同行の若者が一緒に行けるのは途中までで、佐賀宿で別れる予定だった。
「直樹さま、もうすぐですね」
「そうですね」
「途中どうなるかと思いましたが、やっとうの腕があるだけで違うものですねぇ」
「ただ物好きなだけです」
「いえ、いまどきはお侍さんでも腕の立つ人は少ないですから」
「商人の時代になりつつあるからでしょうか」
「どうなるんでしょうねぇ、この時代は」
そんなふうに会話しながら、途中での危うい道行きを思い出していた。
無駄に顔のいい直樹は、客引きも強引にやってくるし、遊女の誘いも多い。それが面白くないのか、少し素行の悪そうなものからは逆恨みのように因縁をつけられることもあったのだ。
直樹が手にした心張棒であっという間に狼藉を働く者たちを倒したときは、何か仕掛けがあるのかと疑うくらいの鮮やかさだった。
なるほど、ただの商人にするには惜しいくらいの逸材であることは確かだった。
もしかしたら自分がいる方が足手まといではないのだろうかとさえ思った。
「一人では気が滅入るところでしたが、一緒に来ていただいて助かりました」
お世辞だろうと思いつつ、それでも若者は素直にうれしかった。
自分の存在意義まで疑いつつあったところだったからだ。
「帰りは一人で?」
直樹から江戸への帰りを心配されるとは思わなかった。
「いえ、できれば年若い者を一人江戸に連れて行こうと思っています。佐賀屋の旦那さまにも佐賀の大旦那さまからもそのように手配していると伺っておりますので」
「ああ、なるほど」
長年店でやってきた者たちの中には、そのまま残る者と独り立ちする者といる。
そうやって店は人がいなくなった分、順に下の者たちを補っていくのだ。
佐賀の大旦那とは、いわゆる佐賀の本家の主のことだ。
元は直樹の祖父の兄弟が佐賀で舶来物の卸問屋を商っていた。直樹の祖父は江戸に出てきて佐賀屋を起こしたのだが、その祖父の一番上の兄の血筋が本家というわけだ。
時々は江戸に修行に来たいという者のために佐賀屋は受け入れることもするし、逆に故郷に帰りたいという者には本家の店に紹介することもあるのだ。
佐賀と江戸を行き来する千石船には、佐賀屋で商売するための舶来品も乗せてやってくる。
帰りは江戸や大坂の物産を乗せて、佐賀や長崎の町で売りさばくのだ。
そうやって商売は続いていく。
この期に及んで直樹は自分の家の商売というものがどういうものなのか、京や大坂を通して物産のやり取りを学んだ気がしたのだった。
これはやはり裕樹にも大坂での修業も勧めた方がいいのだろうなと頭に刻むことにした。
同じく若者も、店を支えていく手代や番頭が、ある時期をして修業に行くわけはこうした外向きのことを覚えるためなのだと理解した。
二人にとっては思わぬ収穫だった。


やがて、佐賀宿にたどり着き、本家にあいさつを済ませて逗留することになった。
若者はそのまま自分の実家に向かい、直樹は江戸から先に着いていたという文を手にすることになった。
表向きは勘当というものの、通行手形や関所手形を発行してもらわねば、旅はうまくいかない。直樹の両親はそこまできちんと筋を通してくれた。目的のない旅はご法度なのだ。
もちろん佐賀本家にもあらかじめ挨拶の文が届いていたのだろう。
佐賀本家では、直樹のためにあれこれと気を配ってくれた。
荷物のほとんどもここ本家に送られていた。
しかし、長崎まではまだここから二日ほどかかり、本家とは別に多良にも直樹の母方の家があり、そこにも顔を出さねばならない。
直樹は旅支度を解いてお琴からの文を一刻も早く読みたいと座敷にこもった。
火鉢で部屋が暖まるのも待たず、お琴からの文を開いた。
正直初めて文をもらった時も決して上手い筆跡ではないと思ったが、此度の文もその印象はさほど間違ったものではなかったらしい。
緊張しているのかところどころ震えてもおり、これはこれで女らしい筆跡と言えなくもない。
そんなふうに細かく隅から隅まで文を読むようになったのは、この旅になって初めてのことだった。
今まで付文は読まずに捨てるのが常で、お琴からの文も初めはいらないと無下に断ったのだった。
それが今では文を待ちわびるなど、変われば変わるものだと直樹は大切に文を懐にしまった。今しばらくは文を荷物の中に入れるつもりはなかった。
文によれば、お琴は直樹が紹介した了安堂に通っているようだった。
お琴の所業を考えれば、了安堂での弟子を含め了安医師の戸惑いが目に見えるようだった。
一筆ここは了安医師に御礼の文を送るのがいいだろうと、直樹は早速文机に向かうことにした。
もちろんお琴への文の返事も考えてはいたが、あれこれと伝えたい言葉はどれも文に書くには難しすぎた。
そして、何よりも、まだこれから当分はあの声も、あの百面相のような顔も目の前にないということが辛かった。
こんな有様では、この先が思いやられる、と直樹はついため息をつくのだった。

 * * *

「き、来ましたよ、お琴さん」

少し慌てた風のおもとがお琴に声をかけた。佐賀屋に着いた途端の出来事だった。
相変わらず佐賀屋と福吉と自分の家をあちこち行き来しているお琴だったが、それに今は了安堂も加わって、忙しい日々だった。
「直樹さんから?」
まだかまだかと首を長くして直樹からの文を待っていた。
とっくに佐賀本家には着いたはずで、今頃はすでに長崎で修業に入っていてもおかしくない頃合いだった。
文が届くのに時がかかるためだが、それでも近況を知るにはそれしか手がない。
一緒に同行した若者が江戸に戻ってくるのは春になるので、それまでは直樹の文が頼りだったのだ。
興奮しすぎて震える手のままに文を開いたお琴は、久しぶりに見る直樹の手蹟に感動していた。
流れるように美しい文字は、どこに出しても恥ずかしくない。
自分の手蹟がいまいちなのは十分思い知っているので、顔も頭も完璧な人は文字までも美しいとお琴は涙を流しながら眺めていた。
最初の文字で感激して涙を流していたので、どれほど素晴らしい内容が書いてあるのかと皆が知りたがったが、お琴に聞けば「まだ読んでない」との返事にどれだけ直樹を恋しく思っているのかと半ば呆れ気味になった。
とにかく、改めて涙を流しながら直樹の文を読み始めたお琴の顔が、徐々に眉尻が下がったかと思えば今度は目に怒りがこもって口を尖らせ、終いには笑い顔になってため息をついた。
この時点でなんとなく内容を想像した奉公人たちはそれで満足したかのように散っていき、お紀とおもとはそばに立ってお琴を最後まで見守ると、読み終えたお琴に「何て書いてありました?」と勢い込んで聞いた。
お琴は頬を染めて「道中いろいろあったが長崎に着きましたって」と言ったと思えば「了安堂の先生に迷惑かけるなって」と怒り口調になり、「次に会う時が楽しみだですって」と笑い顔になった。
なるほどとうなずいたお紀とおもとだったが、文には甘い言葉の一つも書いていなさそうだと判断した。
そうであるなら、お琴の足は地に着かないくらいになっているだろうからだ。
奉公人の想像した内容もほぼ同等だったので、いかにお琴がわかりやすいかというところだろう。
「早速返事。返事書かなきゃ」
ばたばたと佐賀屋に用意された部屋に向かったお琴だったが、部屋に入る途中ではっとした。
「あ、お夕飯の支度」
文だけを丁寧に文箱の中におさめ、名残惜しそうに文箱を眺めてから台所に向かった。
台所ではすでに大勢の奉公人たちのための夕飯の準備が進められていて、お琴は極力邪魔にならないように注意しながら手伝うことにした。
本来なら奥向きは一通りできるのが女子のたしなみだったが、お琴に限って言えば、料理人の娘とは思えないほどの腕前だった。
それは本人も十分わかっていて、奉公人の食事の味付けには参加しない。何せ分量も多く、間違えればそれだけ食材も無駄になる。
その分、お紀とおもとから別に料理を少しずつ習っている。
この下手さ加減は早くに母親を亡くしたせいだろうと思っていたが、どうやらお琴自身の能力の問題だとおもとは早々に判断を下した。
酢の加減を間違え、やたらと酸っぱい和え物だの、黒焦げになる煮物は、今では消費する人間も限られている。
以前は何と直樹が顔をしかめながら食べていたというから驚きだった。
もちろんまずければまずいとはっきり言うし、罵詈雑言も甚だしいものだったというが、どれほど奉公人が躊躇する出来だろうと、直樹は必ず口にしていたことを考えれば、それも愛のなせる業よねとお紀とおもとは話したものだ。
しかし、今はいない。
いないとなれば誰が味見するかと言えば…。
「…しょっぱいです、お琴さん」
わかってはいたけど、と心の中で思いながらおもとは答えた。あ、入れすぎと思った料理中の出来事だ。誤魔化すための細工もむなしく、作られた今日の煮物は焦げはしなかったものの味が濃かった。
とてもじゃないが、全部食べるのは無理だった。
毒見のように一口だけ食べて鉢をお紀に回す。
「う…そうねぇ、ちょっと入れすぎだったかしら」
お紀は口に入れて咀嚼した後、白湯を飲んでそう答えた。
「そうですか」
お琴は意気消沈だったが、真っ黒に焦げた時よりましだと思っているらしい。
試しに、と怖いもの見たさか裕樹が手を出した。
一口食べきる前に「…辛い」とつぶやいた。
煮物が辛いって相当だと他の奉公人は恐れをなした。
塩分は心の臓に悪いからと主の重樹は免除だ。
「なあに、直樹が帰ってくるまでにはきっと上手になる」
慰めでそう言えば、お琴の目からぶわっと涙が浮かんだ。
「直樹さんだってこんな嫁じゃ呆れますよね」
慌てたのは重樹をはじめとするお紀やおもとたち奉公人たちだった。
「あたりま…もがっ」
おそらく当たり前だろと憎まれ口を叩こうとした裕樹の口をお紀が塞ぎ、重樹は「そんなことでは今更直樹だって…」と言おうとした重樹をお紀がひと睨みで黙らせた。その顔には余計な口は利くなと書かれていた。
「そ、そんなことより、了安堂でのお手伝いはどうなんですか」
おもとの機転により、お琴は少し涙を拭いて「そうねぇ」と首を傾げた。
その場にいた一堂はほっとする。お琴が泣くと何となく直樹が何かを呪ってきそうな気分になるのだ。もちろんあくまでそういう気分というだけで、実際に何かあるわけではないのだが。
今この場におらず遠く離れているというのに、それほど恐れられている兄さまって…と裕樹は冷や汗をかいたのだった。
そんなわけで、お琴さえにこにこ笑っていれば佐賀屋の中はいたって平穏だったのだ。
いや、むしろにこにこしていないと何となく商売すらもうまくいかない気がして、奉公人の間ではお琴大明神と陰で手を合わせられていたとは、さすがの直樹もお琴も知る由はなかった。

(2014/08/01)


To be continued.