大江戸恋唄



39



始まりは、外国船の船乗りからだった。
船の中で発病したとのことだったが、その時には発病していなかった者も大勢長崎から船を下りたため、ふと気づけば長崎中が虎狼痢《ころり》に感染していた。
外国人を受け入れるからだと、随分と批判もあったという。
しかし、事態はそれどころではなかった。
朝には元気だった者も、ひとたび感染すれば夜には脱水で倒れている始末で、医学が進んでいたと言われる長崎においても、水分を補給する以外の手当てはなかった。
たちまち医学館の周辺は臨時の救護所となった。

「徹底的に手を洗え。患者の衣服も汚れた布団も全部燃やせ」

口に覆いを付け、処置中はものを食べることも許されなかった。
しかし、それくらい徹底して管理しないとうつってしまうのだ。

「おかあちゃん…!」
「子どもは近づかせるな」

もともと体力のなかった老人や子どもは、感染すると一日ももたなかった。
かろうじて水分の摂れた者は徐々に回復したが、老いも若きもばたばたと倒れるさまは、阿鼻叫喚さながらだったという。

「直樹殿、少しは休みましたか」
「おまえこそひどい顔色だ。倒れる前に休憩しろ」

京者はふふふといつものように笑って「ほな後で」と答えた。
医学館でも何人かは倒れ、既に亡くなった者もいる。
志半ばでこのような病に倒れるなど、誰が想像しただろうか。
直樹は次々と運ばれた患者を診ながら、遠く江戸で待っているだろうお琴がこの場にいなくてよかったと思ったのだった。
しかし、そう思ったのもつかの間で、長崎から上陸したと言われる虎狼痢騒動は、そのまま船で江戸まで運ばれることになる。
行き来の多かった堺、京も例外ではない。
街道を伝って次々と飛び火のように虎狼痢は広がった。
何よりも下痢に始まり嘔吐を伴う脱水は、菌そのものよりも厄介で体力を奪った。
一つの村がほぼ全滅するのも珍しいことではなかった。
このまま人が全滅する方が早いのか、虎狼痢が鎮まる方が早いのかと言った具合だ。
ただ、長崎は医療の最先端でもあり、優秀なる医師が大勢いた。
日本の医師だけでなく、英国、蘭国などからの講師となる医師もいたし、船には船医もいた。
そして、人口の割合も江戸や堺とは比べ物にもならない。
地方では医師は少ないものの、人口密度は緩やかであるため、病人さえ隔離すれば鎮まることもあったのだ。

 * * *

おもとがぶるぶると震えてお琴をつかんだ。
「やめてください、お琴さん」
「でも、大変なことになってるし」
「何言ってるんですか。ここでお琴さんがうつったら、いったいどこの誰に顔向けできるって言うんです」
江戸にも虎狼痢が流行り始め、どこもかしこもうつらないかとびくびくしているのだ。
そして、日本橋界隈でもいつの間にか店を閉めているのも見かけている。
それはうつるのを恐れてなのか、家人がうつったのか定かではないが、以前よりも活気がないのは確かだった。
それをお琴は虎狼痢の真っただ中にある了安堂に行くというのだ。
「でも直樹さんからの文では、きちんと手を洗って、口を覆って、身体の中に悪いものが入らないようにして、しっかりと栄養を摂っていればうつらないって」
「それはうつらないではなく、うつる可能性が少ないってだけでございましょう」
「きっと了安先生とお弟子さんたちも休む暇なく大変だと思うの。せめて食べ物だけでも差し入れて、少しでもお疲れを取っていただかないと」
お琴の主張にどうやって説得しようとかおもとが頭を悩ませる。
確かにこの病の流行っている中、了安堂はさぞかし大変だろうと思われた。
それでもだからと言って、大切にお預かりしているお琴をその真っ只中に行かせるなど、おもとにはできなかった。たとえ人でなしと言われようともそれだけはさせたくなかったのだ。
「それなら、私が様子を見てきましょう」
そう申し出たのは、坂巻だった。
この流行病に同じく心を痛めていて、昔のつてを頼って手伝いに行くべきかも悩んでいたところだった。
しかし今は佐賀屋に奉公の身ゆえに勝手にいくことは許されない。
真実願えば佐賀屋の主は許してくれただろうが、そこまでする勇気もなかったのだ。
それをあっさりとお琴が行くという。
もちろん事の次第、重篤さを知らないのかもしれないが、それでも行けばうつるかもしれないというのはわかっているはずだ。
「お琴さんが行くのなら、私が」
「だめよ。大事な預かり人の坂巻さんにだなんて」
「いえ、それでも医学の心得をこれでも一通り身に着けているのは私ですよ」
「そう言うのなら、了安先生にご紹介するのもやはりあたしがいないと」
そう言い張って、誰が止めるのも聞かずにお琴は坂巻と一緒に了安堂に顔を出すことになった。
この騒動が収まるまでは、福吉にも顔を出すのはやめにしていた。何よりも食べ物屋である福吉にとっては、かなり戦々恐々とした騒動なのだ。
奉公人が外に出るのもためらわれるほどだ。もちろんそれに倣ってお琴も行き来をするのはやめにしたのだ。
だから、正直暇ではあったのだ。
そして、行くからにはもしかしたら帰れないかもしれない、という危惧もあった。
そう思っていたのはお琴だけではなかったのだが、それとなくお琴は部屋を整頓して何か起こっても困らないように文もしたためた。
坂巻もお琴と同じように思っていたのか、今までのお礼とともに文にしたためた。
それをこっそりと残し、お琴は坂巻とともに佐賀屋を出たのだった。


了安堂に近づくと、戸板に乗せられて運ばれる病人を見かけるようになった。
もちろん行先は了安堂で、この辺りは港に近い浜付近よりは患者が少ないようだったが、それでも運ばれる患者はいたのだ。
どちらかというと武家屋敷が近くて静かな辺りだというのに、了安堂は呻く患者でいっぱいだった。
そこらじゅうに転がされるように寝ている患者も多く、お琴は早速持参した布で口を覆い、坂巻にも同じように促した。
「手伝う気ですか」
お琴は届け物をするだけだと思っていた。
「当たり前じゃないですか。あたしは了安先生の弟子ですよ」
着物はたすき掛けにして、持参した食べ物を掲げながら、お琴は声を張り上げた。
「了安先生!差し入れですよ〜」
そう言いながらずかずかと入っていくお琴の後を坂巻は慌てて追いかけた。
お琴の出現に了安は顔をしかめた。
いかにも何しに来たんだと言いたげだ。
「さあ、少し休んでここはあたしに任せてください。水分補給と清潔にすることだけなら、あたしにだってできますとも!直樹さんからよぉくお聞きしましたから。あ、とは言っても文なんですけどね。でも、あの流行の最先端長崎からの御指南なので、きっと皆さん良くなりますとも」
そう言って、お琴は笑った。
了安を含めた弟子たちはしかめた顔をほころばせて、仕方がないといった感じでお琴に近寄った。
「あ、だめですよ。徹底的に手を洗ってからでないとこちらの食べ物はお渡しできませんよ。それから、食べ物はここではなく、了安先生の母屋に置いてきますから、みなさんお着替えしてからですよ。お着替えした着物は早速煮沸消毒です」
「煮沸消毒?」
「煮るんです。ぐつぐつと。今のところ、焼くか煮るかが一番の消毒なんです。でもいちいち焼いていたら貧乏人は着るものがなくなっちゃいますからね」
お琴の言葉に皆は「はあ」と言いながらうなずいている。
「坂巻さん、お庭に火を焚きましょう。大鍋にお湯を沸かして…、女の人以外はみんなお着物を煮ちゃいましょう。もちろん先生たちもですよ」
お琴に言われるがまま、了安も弟子たちも従うことにした。
何よりもお琴が来たことでこの診療所の空気が変わった感じすらしたのだ。
何もできないと泣きべそをかいていた女だったが、いざとなるとなんと胆の据わった女だったのかと弟子たちは思ったが、了安だけは黙って微笑んでいた。
これでこそお琴だと了安だけはわかっていたのだ。
何もできないのに、誰にもできない何かをしでかす女だとあの直樹が言ったのだ。
気難しくて、医学を志したのも何がきっかけだったのかはっきりとは聞かなかったのだが、迷いがちだった最初に比べたら、途中からがらりと態度が変わった。
それがお琴とのことに関係があるのなら、まさに何かをする女なのだろう。
疲れ切っていた面々は、お琴の言葉に従い、しばしの英気を養うことになった。
皆が休んでいる間にお琴はせっせと患者の世話をした。
おしもも何もかも嫌がることなく世話を行い、お琴が来たその日だけで随分と診療所の中がさっぱりした感じがしたのだ。
結局お琴はその日から了安堂に寝泊まりすることになった。
坂巻は長崎仕込みの知識を生かし、患者の診療にも携わった。
そして、了安堂に手伝いに来たのはお琴だけではなかった。

「こんにちは」
そう言って優雅に現れたのは松本屋のお裕だった。
「まあ、お裕さん!いいんですか、大店のお嬢さんが」
「何言ってるの。あなたこそ止められたでしょうに」
「だって、あたしは将来直樹さんのお手伝いをする身ですよ。これくらいのことこなしていかなければ、直樹さんが開業した時にうつるから嫌ですなんて言ってられないでしょ」
「…まあ、そうでしょうけど」
「それに、長崎だって同じようなんですよ。もしこれで直樹さんが…って思ったら、いてもたってもいられなくて」
「どちらにしてもあなたがいらっしゃるなら、私は差し入れだけ置いていきましょうか」
「それでもうれしいわ。差し入れはここではなく母屋にお願いしますね。それから、帰る前によく手を洗ってからお帰りになってください。そして、できるだけ着物はすぐに脱いで誰にも触らせずに煮沸するか、焼くかしてください」
「…そこまでしないといけないのね」
「そうです。それくらいしないと防げないみたいなんです。何よりも世話する人が防がなければ」
「仕方ないわね。どちらにしてもたいした着物じゃないからいいけれど」
「ええ、それで?!さすが松本屋」
お琴の驚きには応えずに、お裕は納得したように言った。
「だから庭の大鍋なのね。何を煮ているのかと思ったのだけれど。今度は着物も差し入れるわ。古着くらいならいくらでも」
「わあ。ありがとうございます。さすがに人手はあってもお金はなくって」
「はいはい、どうせ手は出さなくともお金は出せって言うんでしょ」
「そんなこと言ってませんよ。でも、この中でお金出せるって言ったら、お裕さんくらいしか…」
お裕はお琴の格好を見て口をつぐんだ。
お琴とて、直樹の実家に頼めばかわいがられている手前、いくらでもお金は引き出せそうだったが、そちらにはきちんと断りを入れているのか、何度か洗いざらしたような粗末な着物姿だった。
「ところで、あの方は…?」
「あ、坂巻さん?元はお武家の方なんだけど、長崎で直樹さんと一緒に勉強されていたの。お金足りなくなっちゃって、帰ってきたところを住み込みで佐賀屋で奉公してもらってるの。お手伝いしてくれるって言うから連れてきちゃった」
「そう。だからお武家のようで商人っぽいのね。それから、医師にも見えた」
「そうでしょ。あたし、直樹さんは医師に向いていないって言ったみたいだけど、こうして見てると、向いていないわけじゃないと思うの。でも、ちょっと気弱かなぁ。だからお武家にも向いていないっていうか」
「それじゃあ、また来るから、今日はこれで」
そう言ってお裕は母屋に向かった。差し入れを置いて帰るつもりのようだ。
「ありがとう、お裕さん!少し元気出たわ」
お琴の元気な声は了安堂に響いた。
このところ呻く患者が少ないのは、お琴のお陰だろうと了安は思った。
直樹からの文は、この了安堂に届いている。あの直樹にしては驚くほどの筆まめだ。
お琴が了安堂で手伝っているのをそれはそれは心配しているようだが、文面からはちっともそれが読み取れない。くどくどと注意を書き記してくるだけだ。
お琴はそれでも嬉しそうに何度も読み返している。
どうやら長崎はようやく終息に向かっているようだ。
季節は夏を過ぎ、少し過ごしやすくなっている。
誰もが夢中で患者に向き合ううちに、お琴が来てからすでに二週間余りも経っていた。佐賀屋からは帰宅するように矢のような催促の文が来ていたが、それに対する返事はいつも「もう少し」といったものだ。もちろん文だけではなく、十分な差し入れとともにだ。
もうそろそろ帰すべき時かもしれないと了安は思った。
患者の数はお琴のお陰か少しずつその数を減らしている。
そこらじゅうの診療所でも死者が相次いでいたが、それはこの了安堂でも同じだ。
訪れた時にすでに手遅れの患者も多いのだ。
了安堂での手当ての仕方を他の診療所の医師にも伝えたが、聞き入れるところは少なかった。
何よりもお琴のように親身に世話する女人の少なさもあるだろう。
誰もが疲れ切って、世話をする者が倒れてしまうことなどざらだったのだ。
しかし、こうして見てみると、了安堂は確実に世話をする者の感染が少ないと言えた。
そして、回復する患者も少しずつ増えているのだ。
了安堂で聞いたことを家で実践している家族も多かった。
この界隈では少しずつ終息に向かっていると見てよかった。
「お琴さんのお陰ですよ」
了安はお琴にそう言った。
「えー、そうですか?でも直樹さんのお陰ですよ〜。どうですか、これで直樹さんのお手伝いができますか」
了安は笑って答えた。
「そうですね、もう少し薬包の包みが上手くなったら、ですかね」
「ああ、やっぱり…」
そう言ってしょんぼりするお琴を見た患者から「お琴さんをいじめるな」という抗議が来たのは言うまでもない。

(2015/04/17)


To be continued.