大江戸恋唄



42

坂巻が再び医師への道に戻る。
奉公人はそれぞれ残念そうであったが、それもありかとあっさりもしていた。
武家出身にしては腰の低い、素直な人物であったが、そこかしこに見られる武士としての立ち居振る舞いは、商人らしくしていてもすぐに抜けるものではない。
それでも奉公人としての立場からか、坂巻は大げさな見送りは遠慮して、いつものように「では」と挨拶をして佐賀屋を出ていった。
それをさみしく思った佐賀屋夫妻は、坂巻を我が子も同然とばかりに時々はこちらに顔を見せるようにと念押ししたり、直樹とお琴の婚姻の際には招待するからと言って送り出した。
お琴もいまだ了安堂に顔を出すこともあるので、坂巻とまったく会わないわけではなかったが、それでも少し涙ぐんだのをぎょっとして押し留めた。
別の奉公人が、お琴さんが泣くと遠く離れていても若だんなに恨まれる気がすると言っていたのを聞いていたからだ。
もちろん直樹の性格も把握している坂巻としても否定する気はさらさらない。本当に恨まれそうな気がするからだ。
慌ててお琴に「皆貧乏なのでまた差し入れしてくださいよ」と他に気がそれるように努めてようやくお琴の涙を引っ込めることに成功したのだった。
了安堂に他の弟子と同じく住み込みで働く。
それ自体は全く心配していなかったが、親に隠れて勉学を続けた直樹を改めて尊敬した。
大店の坊ちゃんの道楽とはとても言えない。
確かに金には恵まれて何不自由なく過ごせていたのは大きいが、楽な道を捨ててまで意志を貫くのは相当な覚悟が必要だ。
今も長崎で同じく勉学に励んでいることだろう。
時折お琴がさみしそうにしているのを見ると、早く帰ってこい、と思わずにはいられなかった。

 * * *

それは突然のことだった。
秋も深まり、お琴と離れた秋が過ぎ去ろうとしていた。
長崎は江戸よりもかなり暖かい。
それでも最近は急な寒さと暖かさが災いして、いわゆる風邪が流行りだしていた。
西洋医学を学んでいる場とはいえ、従来の漢方はこういう病によく使われ、葛根湯などはかなりの万能薬として使われていた。何にでも葛根湯を出す医師を葛根湯医師などと揶揄する言葉さえあったくらいだ。
体のだるさを自覚した直樹は早めに休もうと下宿に帰ったが、下宿先の学生たちにあれこれと講義内容について聞かれて嫌々ながらも付き合っていた。
ようやく解放されたと部屋に戻った途端、体のだるさどころか急激な寒気に襲われ、早々に床を敷いて寝込んでしまった。
普段は体力があるせいでかなり無理をしても体調の悪さを感じさせない直樹が寝込んだことで、同室の京者は驚き、大坂者は「何や雪でも降るちゃいまっか」と心配しつつも空を仰いだくらいだ。
床に就いた直樹はぶるぶると震えながら掻巻(かいまき:綿入れの大きめの着物。掛け布団代わりにした)を巻きつけるようにしていた。
そのただならぬ様子に、さすがに京者と大坂者は顔を見合わせた。
まずは暖めるのが良かろうと、それぞれ自分たちの掻巻も直樹にかけてやった。
そのうち震えも止まり、今度は顔を真っ赤にしてふうふうと暑がるので、慌てて冷たい水を井戸から汲んで、額を水に浸した布で冷やすことにした。
一晩ほども様子を見れば大丈夫だろうと高をくくっていたが、翌日になっても一向に回復しなかった。
調子が戻ったかと思えば熱が上がる。
これでは直樹の体力も衰える一方だ。
もちろん翌日には医学館の講師に往診もしてもらった。
最初はただの風邪だろうと思われていた。
しかし、あちらこちらでたちの悪いはやり風邪が出ているという噂もあった。
もしやそれかと気づいたときには、直樹の頭が枕が上がらぬほどになっていた。
何故ここまで悪化したのかはわからなかったが、夏からの無理がたたったのだろうとしか言えなかった。

直樹はうつらうつらと布団の上で眠りながら、何度か起き上がろうともがいたことも憶えていたが、身体が思うように動かせずに諦めた。
これはただの風邪ではないかもしれないと思ったが、診断しようにも頭がぼんやりとして長いことものを考える気力がなかった。
おまけに食欲も落ちていて、このまま体力が持たなければ死んでしまうかもしれないとも思った。
せめて周りの者にうつらなければよいと思っていた。なので、極力そばに近寄るなとうわごとのように京者と大坂者に言ったことは憶えていた。
もしもこのまま遠い長崎の地で果ててしまったなら、お琴はどんなに悲しむだろうと思うとそれが辛かった。

 * * *

その頃の佐賀屋はいたって平穏だった。
商いもうまく乗ってきたし、お琴も佐賀屋と福吉とを行ったり来たりしながら了安堂にも顔を出すという忙しい生活を送っていた。
ところが、番頭が受け取った佐賀屋宛の早飛脚の文を読んだところから、平穏な日常がすっ飛んでいった。
文は慌てて主夫妻に届けられ、それを読んだ主もまた顔を険しくしてお琴を呼びにやったのだった。
主の声に慌てて駆けつけたお琴は、長崎からの文に愕然とした。
文を持ったまま膝の力が抜け、「お琴ちゃん、気をしっかり」と女将のお紀が肩を抱いた。
長崎からの早飛脚は、ほんの数日前の墨の匂いも残っていそうなくらいだった。
長崎で直樹が病に倒れて枕が上がらないといった具合に書かれており、佐賀屋の面々は驚きとともにおいそれと看病にも駆けつけられない距離を感じたのだった。
お琴は静かに涙を流した後、きっぱりと言った。

「あたし、長崎に参ります」

これには佐賀屋の主夫妻もすぐには返答できなかった。
女一人ではとても長旅をさせられないご時世だ。
しかし、そこは佐賀屋の女将。少しだけ考え込むと「わかったわ、お琴ちゃん。任せてちょうだい」と主よりも先に胸を叩いて請け負ったのだった。

 * * *

「少し風に当たりますか」
船頭にそう言われてお琴はうなずいた。
正直少し船酔いしていて、そろそろ甲板に上がりたいと思っていた。もちろん船頭からの許可がなければ勝手に船倉から出ることもかなわないのだから、ようやくといったところだ。
お琴はおもとと坂巻とともにゆっくりと階段を上って甲板に上がった。
甲板に上がる扉は開かれており、階段を上る途中で青空が見えた。
幸いなことに沖に出ても海の荒れも少なくて、船頭をはじめとした船乗りたちものんびりとしている。
お琴は水平線とところどころに見える陸地の向こうを見ながらぼんやりと考えていた。
「あたし、やっぱり馬鹿なのかも」
「どうしたんですか」
おもとはお琴のつぶやきに内心、まあ賢いとは言えないかもしれないけれど、と付け加えながら問い返した。
おもと自身も少し船酔い気味であったが、そこは使命として気が張っているせいか、寝込むほどではない。
「急いで船に乗せてもらったのに大坂まで五日。これでも早い方なんでしょ。歩いて行ったらあたしなんてきっと二十日もかかるわ。
それから下関まで十日はかかるっていうし。さらに下関から長崎まで歩きで七日。
やっぱりあたしって馬鹿だったんだわ」
「何を言ってるんですか。幸いこの季節に嵐にも会わずに順調に来られたことに感謝しないと」
「そうだけど。…直樹さん、何かあったら、もうとっくにどうかなってるわよね…」
「行くとなった時のお琴さんの言葉に旦那様も女将さんもさっとお決めになって。さすがですわ」
「運よく船が長崎に向かうからって、どれだけお金使わせたのかしら。
あたし、そんなこと考えもしないで」
「店を離れられない旦那様と女将さんの代理だと思えばよろしいのですよ。女将さんもそうおっしゃったじゃありませんか。
もしも本当に直樹さんに何かあったとしても、容易に江戸に連れ帰れません。
せめてお琴さんだけでもというお気持ちを汲んで行けばよろしいのですよ」
「直樹さん、あたしが行くまで無事でいてくれるかしら」
「もちろんですとも。先に文も送りましたし、きっと持ち直してくださいますとも」
もちろんおもととて内心は不安だった。
お琴は坂巻を見た。
「長崎には優秀なお医者様がたくさんいらしてるんでしょ」
「ええ」
「それなら、きっと直樹さんも診てもらえるから大丈夫よね」
「直樹殿がお琴さんに会わずにどうにかなるなど、ありえませんよ」
坂巻は何度となくかわしたこの会話を嫌がらずに繰り返した。
「…そうよね。もしも、もしもよ?間に合わなかったら…」
「そういうことは、無事に着いてから考えるものです。私たちとてどうなるか、先のことは誰にもわからないんですよ」
坂巻は思いがけずに再び長崎の地を踏むことになろうとは、と思っていた。
実は密かに他の目的もあるのだが、それは今は口にはできない。何もかも無事に長崎に着いて、直樹の姿を見てからのことだ。
長崎へ向かうこの一行は、他に店の奉公人もいるのだが、船酔いで船倉に寝転んでいる。
急ごしらえの旅支度では、満足な寝場所も確保できなかったが、あの佐賀屋の頼みということで、特別に船倉には畳を持ち込んで寝られるようにしていた。
この道行きには、佐賀屋の財力と伝手を最大限に活用した。
西国とを行き来する千石船は、秋を最後にしばらく行き来が途絶える。
急ぎの仕立て船でもなければ冬の外海は荒れがちなので船頭たちも首を縦に振らない。
近いうちに今年最後の船が西国に向かって出ていくのは、佐賀屋をはじめとする西国との取引をする商人たちの間では周知だった。
そこで佐賀屋の主はそれに乗れるように画策をしたのだ。
江戸から出るための旅に必要な何もかもをほぼ数日のうちに整えた。これは女将の手腕もあるが、いつかこんな日もあろうかと言った言葉から察するに、お琴が長崎に向かうこともあろうかと準備していた節がある。
偶然長崎帰りの坂巻すらも運のうちとばかりに、あれよあれよという間にお琴たちは西国へ向かう千石船に乗っていた、というわけだ。
坂巻ですら、ようやく佐賀屋を出て了安堂に住み着いたところでこの話だ。ただ、一つ条件があったのを了安堂の主、了安ともよくよく話し合っての長崎行きとなった。
おもとは自らお琴についていくと志願した。
お店の奉公人はちょうど大坂の佐賀屋との兄弟店に向かう話があったのを早めた。
大坂からはまた別の奉公人が佐賀に向かう。
こうしてお琴は直樹のいる長崎に向かうことになったのだった。
道中手形なるものをしみじみと見ながら、お琴は直樹のもとへ行く嬉しさと不安でいっぱいだった。
長崎に出向いたなら、直樹は喜ぶだろうか。
もしかしたら、とお琴は反対のことも想像する。
何で来たんだと怒るかもしれない。
江戸に直樹が帰り着くまで待てなかったのかと呆れるかもしれない。
そんな想像をして、不安な気持ちを紛らわすのが精一杯だった。
病の床に就いているという直樹が、長崎に向かうまでに間に合わなかったらどうしようとか、着いたらきれいな別の女が看病していたとなったらどうしようとか、実はお琴と別れるためについた盛大な嘘だったら、とお琴はありとあらゆる心配を数えた。
たとえ嘘でも別の女がいても思うことはただ一つだ。
何よりも直樹が生きていることが肝心で、それ以外のことは直樹が元気だったら考えることにしよう、と思うのだった。

(2015/06/30)


To be continued.