幼なじみ琴子編7



(31)



入江くんの鋭い視線に冷や汗が…。

「えーと、土屋君の家には、同棲中の、か、彼女がいて…、二人にお世話になってました」

しどろもどろで言い訳する。
何であたしがこんな目に。

「それだけか」
「そ、それだけ、だけど」

あ、もちろん合間にはモトちゃんにお金借りたりだとか、理美のところに行ったりとかもあったけど。

「それならそんなに怖がることないだろ」
「そうなんだけど、なんとなく」

なんとなく怖いんだもん…。

だって、入江くん、なんだかこだわってるし

つ、土屋くんの家に泊まったのは悪いかなっと思ったけど。
でも夏帆さんいたし。
いくらあたしでも夏帆さんいなけりゃ泊まらないし。

「…心配だったんだよ」

入江くんはため息をついた。

「俺のよく知らない男の家に泊まったって聞いて、俺がどう思うかなんて、考えたことないだろ」

ま、そりゃそうだけど。

「土屋君はいい人だよ」

夏帆さんもね。

いい人じゃなけりゃ殴ってるよ
「え、何?」

何か文句を言ったみたいだけど、よく聞き取れなかった。

「それがたとえ金之助の家だって知っていたとしても、心配しないわけないだろ」
「?金ちゃんの家なら泊まったことあるよ」

うん、確か金ちゃんの家になら泊まったことある。
あの時はクリスもいたけど。
同じだと思うんだけど。

「つまり」
「うん」
「俺が嫌なんだ」
「…入江くんが?」

なんだかそんなことを言われたのが初めてのような気がして、あたしはまじまじと入江くんの顔を見つめてしまった。

うふふふふふふふふ…。

入江くんが…。
嫌だってことは、あたしが男の家に泊まるのが嫌ってことよね。
それって、やっぱり少しばかりやきもち妬いてくれてるんだよね?

もうそれだけで今までのことなんか吹っ飛んで、入江くんの頭を抱きしめながら、あたしは喜びいっぱいでささやく。

「入江くんが一番好き、だから」

入江くんは口にした言葉が失敗だったとでもいうように、顔をしかめている。
でも、もう聞いちゃったもんねー。

入江くんはあたしに軽くキスをして立ち上がった。
なんだかもの足りない。
もっとくっついていたい。
そんなあたしの不満を察したかのように入江くんは言った。

「何?おふくろの期待通りに押し倒してもよければ、そうするけど?」
「よ、よくないっ」
「俺は今日の仕事終わったからいいけど、おまえはこれからだろ。
お望みなら今から…」
「いいっ、し、仕事へ行く準備しなくちゃ」

入江くんはこっちを見て笑う。

「そうだよなぁ、今から押し倒してたら、時間までに仕事に行けないよな。…立ち上がれないかもしれないし」

あたしは寝室を出ようとして、慌ててしまって鍵がなかなか開けられなかった。
だって、もし今抱きしめられたら、あたし絶対抵抗するなんて無理。
そんなことになったら、仕事に行きたくなくなっちゃう。

やっとのことで寝室を出たあたしは、ほてる顔を冷ますため、洗面所へ駆け込んだ。
水で顔を何度か洗ってようやく一息ついた。
そして時計を見ると、結構時間が過ぎていることに気がついた。

洗面所を出て、仕事に出かけることを言おうと寝室に戻ったとき、入江くんはぐっすりと眠り込んでいた。
入江くんも眠れなかったのかな。
…なんてこと、あたしじゃないしあるわけないか。
それでもきっと仕事が忙しかったんだろうから、あたしは入江くんを起こさないようにと、お義母さんに言ってから出かけることにした。

外に出ると、雨はすっかり上がっていた。



(32)




夜勤に行くと、モトちゃんに会った。

「モトちゃん、お金、貸してくれてありがとう」

そう言って借りたお金を返した。
モトちゃんはそのお金を受け取りながらあたしをじっと見る。

「あんた、入江さんとけんかしてたんでしょ」
「な、なんで?」
「入江さん、なんだかこの二日間ほど冴えなかったわよ」
「そ、そう?」
「心配かけるのも程々にしなさいよ。あんたと違って入江さんには考えることは山ほどあるんだから」
「あ、あたしだって考えることくらい…!」

モトちゃんはあたしの鼻をつまんでささやいた。

「バカね。あの入江さんが、早退するほどあんたのこと心配したのよ。
あんたの言い分はなんとなくわかるけど、これから先何かあるたびに家出してたら困るでしょってこと」

モトちゃんに鼻をつままれたまま、あたしはえへへと笑った。

「もう、本当にうらやましいったら」

そう言うと、つまんだ鼻を離して行ってしまった。

あたしは家を出るときに見た入江くんの寝姿を思い出しながら、この二日間を思い出した。

本当に心配してくれたんだ。
モトちゃんが見てわかるほど。

夜勤があけたら、あたしは一番に入江くんの顔を見に帰ろう。
この二日間、会いたくて、抱きしめたかった人の隣で、ゆっくりと眠ろう。

そしてそれから、迷惑をかけて、励ましてくれた人たちに会いに行こう。
何も話さなかったけど、理美もきっと心配してる。
土屋君のうちには置手紙一つだけだし。

あたしはいつも入江くんにくっついていくばかりで、離れたときにどうしていいかわからないことが多すぎる。
神戸へ行ってしまったときも何度も思った。

入江くんの支えになること。
それをずっと望んでいたはずなのに、入江くんの都合なんてお構いなしだった。

うん、あたしはきっとこれからもっとうまくやれる。
相変わらず迷惑はかけるかもしれないけど、きっと前よりもずっと入江くんのことを教えてもらったせいかな。
…多分、ね。



(33)




申し送りを受けて驚いた。
入江くんの担当の山田さんが病院を抜け出していたこと。そして抜け出した先で呼吸困難になって即手術になったこと。
あたしのことなんて本当は構っていられないほど忙しかったんだろう。
それを思うと胸が痛む。

山田さんは入江くんと幼稚園が一緒だから、小さいときの話を持ち出されるのが嫌だって言ってたっけ。
入江くんが女装していたのを知っている人はたくさんいたはずなのに、そんな噂を聞いたことがなかった。
誰も気にしていないんじゃないかな?
それとも忘れてるだけ?
もちろんからかわれたら入江くんが黙っているわけはないけど。

検温の時間になり、術後の山田さんの様子を見に行く。
もう回復室からは出ているから、それほど頻繁に様子を見る必要はなくなっている。
山田さんの周りで繋がっている管の様子や点滴の落ち具合を見ていたら、
「…あのさ」
と声をかけられた。

「はい?」

何か痛いところでもあったのかと管を触っていた手を止めた。

「入江のやつ、怒っていなかったかな」

あたしは少し考えた。

「山田さんのことを?入江くんが?
ううん、ほかのことは言っていたけど、病院を抜け出したことなら全然怒っていなかったみたいだよ」
「そ、そっか…」
「確かに入江くんは怒りっぽいけど、患者さんのことを理由もなく怒る人じゃないよ。心配はしていたと思うけど」

そう言うと、山田さんは少し笑った。

「怒りっぽいかな、あいつ」
「こーんな顔してすぐ怒るわよ」
「それは相原が怒らせるんだろ」
「そ、そうだけど」
「ところで、他のこと言ってたって、俺のこと?」
「あ、えーと、そのぉ」

これは言ってもいいのかな。

「小さいときのことを少し…」

なんとなく言葉を濁しながらそう言うと、山田さんは少し考えてから言った。

「ああ、幼稚園のときのこと?
あれは、仕方がないんじゃないかな。だって、入江のおふくろさんの趣味だろ?
確かに驚いたけど、それだけのことだし」

山田さんはあっさりそう言った。
あたしはベッド周りを整えた後、山田さんの病室を後にした。

あたしは高校からの入江くんしか知らない。
小さいときの入江くんを知っていたら、何か変わっただろうか。
仏頂面で、女の子に興味なんかなくって、頭も良くて、スポーツもできて、とびっきりかっこいい入江くん。
中学生で出会っても、小学生で出会っても、幼稚園で出会っても、やっぱり好きになっていたかもしれない。

早く、入江くんに会いたい。

いつも以上にそわそわしながら仕事の終わりを待ちわびた。



(34)




真夜中を過ぎる頃、寝静まった家に入る。
そっとただいまとつぶやいて、真っ先に寝室に行く。

「…入江くん」

入江くんは眠っていた。
…疲れていたのかな。
あれから起きた様子はない。
服のままベッドに倒れこむようにして眠っている。

こんな入江くんを見るのは久しぶりかもしれない。
いつも何だか隙がなくて、あたしが入江くんにそっと触れようとすると目を開けるのだ。もちろんはっきり起きるわけじゃないけど。

でも今日は、頬に触っても起きる気配はない。
ああ、そうだ。
泊りがけで新製品のゲームを仕上げて帰ってきたあの日、こんな無防備な寝顔をしていた。
あの時あたしは、入江くんと夫婦になったんだなって思った。
隣に寝転んで、入江くんの顔を飽きずに眺めていた。

気づかないかな?
でも、もったいないからこのままでもいいかな。
キスしても大丈夫かな?
気づかれたら恥ずかしいな。
でも、しちゃおうっと。

なんとなく恥ずかしくて、そっと頬にキスをした。

お、起きない。

よく眠っている入江くんの寝顔を見ていたら、あたしも眠くなってきた。

お風呂にいかなくちゃ。
服も着替えなきゃ。
本当はお腹も空いてる。
…でも、ちょっとだけ。

あたしは入江くんに寄り添うようにして眠りに就いた。



(35)




目が覚めると、すっかり朝になっていて、あたしの身体の上には毛布がかけられていた。
ぼうっとした頭で、隣にいたはずの入江くんを探す。
でも入江くんはちゃんと起きて仕事に行ったみたい。
言葉を交わすことがなかったけど、確かにここにいたことを感じられる。

あたしは起き上がって背伸びをする。
お風呂に入って身体をほぐそう。
それから、理美と土屋君に連絡をしよう。
そう決めると、ようやく目が冴えてきた。

 * * *

「うん、そう。心配かけてごめん」
『何かあったらまた言ってよね。…入江くんから連絡あったときは情けなくなったわよ』
「だから、ごめ…」
『じんこにも言っておくから』
「ありがとう。今度また遊びに行くね」
『うん。今度はけんかはなしでね』
「わかってる。それじゃあ、またね」
『またね』

あたしが連絡するより早く、理美から電話があった。
思ったより心配をかけたみたい。
あとは、土屋君のところだ。
夏帆さんたち、心配していないといいな。
ううん、大丈夫よね。いつでも帰りやすいようにしてくれてたもの。
でもあたしは土屋君のところの番号を知らなかった。
だから家に行ってみるしかない。

あたしは支度を整えて、出かけることにした。
もしかしたらいないかもしれないけど、手紙を置いてくることもできるはずだ。
あたしはお義母さんに出かけてそのまま仕事へ行くと言った。
お義母さんはまたあたしが家を出て行くんじゃないかと心配していたけど、お世話になった家に挨拶してくると言って、ようやく納得してくれた。


To be continued.