幼なじみ




「みんなをだまちてたのねー!」


家に帰ると、琴子は帰っていなかった。
どこかへ食事に行くと電話があって、まだ帰っていないと言う。
意図的自分を避けているのか、偶然そうなったのか知る由もないが、外で一緒に食事をともにした誰かが女友だちなら、程なく帰ってくるだろう。
まさか酔って帰ってくることはないだろう、そう思っていた。
ところが、琴子はそのまさかをするヤツだった。
夜中近く、酔った琴子は、桔梗と小倉に両脇を抱えられて帰ってきた。
…前にもあったな、こんなことが。
なんでこいつはいつも一人でくだらないことを考えるんだ。

「悪かったな、桔梗、小倉」
「いえ、もう慣れました…」
「いつものことですから。それに琴子さん、今日は暴れませんでしたし」

琴子は俺を薄目に見て顔を引きつらせる。
やっと我に返った感じだ。
琴子を抱えながら玄関のドアを閉めると、おふくろが心配そうに出てきた。

「琴子ちゃん、何かあったの?」

おふくろが思いついたえいこちゃん再会パーティのせいだなんて、思いもしないんだろうな。

「…なんでもねぇよ」

琴子も何も言わない。
酔った振りをしている。

「そう。それじゃあ、おやすみなさいね」

おふくろは心配そうではあるが、戻っていった。
おふくろがいなくなった途端、琴子は俺の腕から逃れようと身動きした。

「酔ってるんだろ。今日はもう寝ろ」
「だ、だいじょう…」

言ってるそばからよろけて靴をうまく脱げないでいる。
前ほどしたたかに酔ってはいないものの、やけ酒をあおってきたに違いない。
寝室へと連れて行くと、なんとか自分で着替えようとする。
表面上はそれでも俺を避けていたとは言わない。

「おまえは余計なことを考えすぎるんだ」

俺はため息混じりにそう言った。

「何も…考えてないもん」

着替えをしかけた手を止めて、俺を盗み見ている。

「入江くんこそ、余計なこと考えてる」

琴子は小さな声でそう言った。

余計なこと?
ここのところ俺は、確かに考えすぎるほど考えているかもしれない。

琴子は困ったように笑った。
俺が見たかったのはそんな笑顔じゃなくて…。
黙ってぼんやりしている間に琴子は着替えを終えて、あくびを一つした。

「…もう、寝るね」

肝心なときに俺は言葉をかけてやれない。
黙っていては伝わらないことなんてたくさんあると、前に知ったはずなのに。
俺はまた繰り返すのか?

「琴子…」

布団に入ってしまった琴子の顔をのぞく。
…琴子は、既に寝息を立てて寝入っていた。
その寝顔が、思ったよりは穏やかであることに俺は救われる思いだった。
顔を近づけて口づけると、酒臭かった。

「ったく、二日酔いになっても知らねーからな」

既に琴子は眠りこんで聞いているはずもないのに、いつものように憎まれ口をきいた。
規則正しい寝息を聞いていると、全てがまるでなかったかのようだ。
明日、琴子が起きたら、今度こそ話をしよう。
そうすれば、きっと…。

ベッドに入り、暖かな琴子の身体を抱きしめて眠ろうと思ったが、途端にいびきをかきだしたのであきらめた。


 * * *


翌日、朝からおふくろは騒がしかった。
中島映子が来るまでに準備を済ませようと、大張り切りだ。
当然琴子も起きだしてくるとばかり思っていたようだが、琴子はいまだベッドの中だった。

「琴子ちゃん、ゆうべは酔ってたものね」

昨夜はたかいびきに歯ぎしりと、うるさくて眠れなかった。
酒癖が悪いにも程がある。
中島映子が来るまでに話をしようにも、寝ていては話もできない。
イライラして起きるのを待っている間に、刻一刻と時間は迫る。

「お兄ちゃんもちょっとは手伝ってちょうだい」
「なんで俺が」
「あら、お兄ちゃんのお友だちでしょう?」
「勝手に招待したんだろうが」
「まあ、ホント、冷たい男ね〜」

キッチンとリビングを忙しそうに往復する間にも、くだらない嫌味を投げかける。
時々、そういうところが親子なのかもと思う。
親父はそういう嫌味すら言わないからな。

おふくろから逃れるため、寝室をのぞいて琴子を起こしてみることにした。

「おい、琴子」

相変わらず健やかな寝息を立てて眠っている。
こうしているぶんにはいつもの朝と変わらないのだが。

「琴子、そろそろ起きろよ」

少しだけゆすってやると、顔をしかめて寝返りをうつ。
何度かそうやっているうちにようやく目を開けた。

「…もう、朝?」
「朝どころか、昼近いぜ」
「え?!じゃ、じゃあ、起きなきゃ…つっ」

起き上がろうとして、琴子はそのまま頭を押さえて布団の上に突っ伏した。
どうやら二日酔いのようだ。

「イタタタタタ…」

もう一度頭を持ち上げて俺の顔を見た。

「うっ」

今度は口を押さえてベッドからずり落ちる。

「ぎぼぢわるい…」

俺は呆れてため息をついた。

「飲みすぎるからだ」
「だっ…!」

俺はひとこと言っておかないと、と思って口を開きかけた。
言葉を口にする前に、琴子は洗面所へと駆けていってしまった。
開きっぱなしの寝室のドアと琴子の大きな足音に、俺はもう一度ため息をついた。

…タイミングが悪すぎる。


 * * *


かなり長い時間、琴子は戻ってこなかった。
洗面所から青い顔をして出てきたとき、おふくろは心配して二日酔いの薬を渡していた。

「琴子、この間…」
「え?」

琴子に手を伸ばして肩をつかもうとした。
その瞬間、ピンポーン、と景気よく玄関のインターフォンの音がした。
俺はそれに構わず琴子に話しかけようとしたが、琴子ははっとしたように自分のよれよれの服を見ると、顔を引きつらせて寝室へと駆け戻っていった。
インターフォンのモニターには、中島映子が映っていた。

「ほら、お兄ちゃん、お出迎えして」
「なんで俺がっ」
「だって、お兄ちゃんのお友だちでしょう」
「だから、それは…」
「は〜〜い」

おふくろは俺に構わず玄関へと急いでいった。

「少しは俺の話を聞けよっ」

誰に言うともなく、俺は毒づいた。
琴子の後を追いかけて寝室へ行こうとしたが、もちろんおふくろは逃さない。

「いらっしゃい、映子ちゃん」
「今日はお招きくださってありがとうございます」
「待ってたわよ〜。さあ、どうぞ」
「お邪魔いたします。…いり…」

多分病院での癖で名字で呼ぼうとしたらしいが、おふくろも当然入江であることを考え、途中で思いとどまったらしい。

「…直樹さん、こんにちは。お邪魔いたします」
「…いらっしゃい…」

リビングに落ち着くと、中島映子は手土産をお袋に渡し、改めて俺に向かって言った。

「せっかくの休日に押しかけてしまってすみません。おば様が是非にとおっしゃったので、お言葉に甘えて来てしまいました」
「…いえ」

俺は努めて冷静に振舞おうとした。
本当はこのまますぐに琴子の後を追って行きたいところだった。
追いかけるより早く、琴子は着替えてリビングに下りてきた。

「はじめまして、琴子です」

まだ少し青い顔に笑顔を貼り付け、中島映子に愛想を振りまいた。

「あ、はじめまして。中島です。…直樹さんの、奥様ですね?お会いできてうれしいです」
「あはは、お、奥様…」

…まぎれもなく奥様だろ。

中島映子は、青ざめた顔で引きつり笑いをする琴子に少し首をかしげる。

「琴子、話があるんだ」

俺はこの場から無理矢理引き離してでも話をするつもりでいた。

「いり…」
「さあ、琴子ちゃん、できたわ〜」

能天気なおふくろは、場の空気も読まずにそう言った。

「ちょっと来いよ、琴子」

俺の言葉に琴子は戸惑っていた。

「何やってるの、お兄ちゃん」

やっとその場の空気を感じ取って、おふくろは料理の皿を片手に立って俺たちを見ている。
中島映子は、俺と琴子の間の空気を不安げに見ながらも、おふくろの言った『お兄ちゃん』と言うセリフを口の中で反芻しているようだ。
俺がそれに気付くと、イタズラがばれたときのような顔になってにっこり笑った。

「あのね、入江くん、あたしね」

ピンポーン…とまたインターフォンが鳴って、全員モニターへと顔を向ける。

「あらあら、誰かしらね」

おふくろがインターフォンを取ると、モニターには男が映っていた。

『あ、土屋と申しますが、琴子さんはご在宅でしょうか』

その響いた言葉に琴子はすばやく反応した。

「土屋君?!」

…誰だ、それは。

モニターに映る男の顔をよく見ようと、俺は目を凝らした。
ひょろっとした男が、困った顔をして映っていた。


(2005.12.09)


To be continued.