幼なじみ




俺はどうしても琴子を怖がらせてしまう。
そういう意図はなくても、だ。
どんなに抱きしめても安心しないし、すぐに泣かせてしまう。
俺はベッドの端に座った。
すぐに謝るつもりだった。
それなのに、先ほどの土屋の言葉が気になっていた。

「土屋の家にいたのか」

琴子は上目遣いでこちらを見てうなづいた。

「で、でもね、別に二人っきりだったわけじゃないよ」
「当たり前だ」

ぴしゃりと言ってから、それでも少し安堵する。
琴子はまたうつむいてつぶやいた。

「だって、入江くん、何も言ってくれないんだもん」
「説明しようとしたよ」

琴子は一瞬きゅっと唇をかみ締めてから言った。

「あたしは、入江くんのこと、嫌なことも好きなことも知りたい。
一人でいつも考えてること、本当はもっと知りたい。
あたしが知ったところで何もできないかもしれないけど。
でも、また同じことで嫌なことがあったら、あたしが入江くんを守ってあげられるのにって。
いつも一人で考えて、いつも一人で何でもできちゃうから、疲れてても何にも言わないし周りも何も言わないけど、本当はもっと入江くんのこと助けてあげたいって思ってる」

確かに俺はほとんど相談もしないし、人に頼ることもしない。
それでも、中島映子は俺にアドバイスをしようとしてくれたし、医局の同僚も実は俺の調子が悪いことに気がついていたみたいだった。

俺は大きく息をついて、次の言葉を思案した。
今言わなければ、このまま琴子を失うかもしれない。

「悪かったよ」

琴子は耳を疑うとばかりに俺を凝視している。

「入江くん?」

強張った身体から力が抜けていくのがわかる。
俺は少し笑っているのかもしれない。
今までこんな風に謝ったことがあっただろうか。
琴子を手招きして、ひざの間にすっぽりと包み込む。
耳元でもう一度言った。

「俺が悪かった。…ごめん」

琴子は驚いたように俺の顔を見つめる。

「俺は人に頼ることに慣れていないから、多分この先もまた同じことをするかもしれない。
でも、頼むから俺の前から消えるようなことはしないでくれ」
「…うん」
「琴子には一番に話すから」
「…あたしも、ごめんね」

にっこりと笑って、そして泣く。
結局泣くんだな。
ゆっくりキスをしてから、俺は琴子の肩に顔を伏せた。

「俺の話、聞いてくれるだろ」
「うん」

それから俺は、あの女装の顛末を話した。
琴子は黙って聞いている。
話しながら俺は気づいていた。
女装させられたことが嫌なわけではなく、ほんの30分前まで仲良くしていたやつらの豹変振りが、幼心にショックだったのだと。
人間には裏表があるのだと。
そして俺が琴子に惹かれた理由。
琴子はバカ正直で、裏表のない人間だということ。
人を裏切ることもしないし、人を陥れることもしない。
そういう人間もいるのだと信じさせられたこと。
その存在が近くにいたということが、俺にとって幸運なのだと。

それから俺はもう一つの懸念を話した。
入院した患者が実は幼少の頃の俺を知っているやつだったこと。
その話題を出されるのを恐れていたこと。
昔のことをからかわれるのが嫌で避けていたわけじゃない。
皆に知られたって本当は構わなかった。
どうせ散々卒業式の日にも結婚式でもからかわれたことだし。
自分がそう意図したわけでもなく、嘘つき呼ばわりされたこと。
言い訳もできなくて、ただ悔しくて。
そのときのことを思い出すと、どうしようもない苛立ちを感じてしまうこと。
治療に関してはそんなこと関係ない。
しかし、心はどうにもできないこともある。
それに情けないことに、その話題を自分から出す勇気もなく、いまだ昔の笑い話として済ませることができないこと。

俺はできるだけ正直に話した。
もともと嘘をつくことには慣れていない。
琴子はすぐに早とちりをするので、できるだけ俺自身の気持ちを話した。
そうして話すうち、俺はようやく心の平安を保てたような気がした。
一人笑う。
初めからこうすればよかった。
昔とは違う。
今は琴子がそばにいるから。
一人きりで悩んだり、心を苦しめるのは間違っているのかもしれない。
もし琴子が同じように苦しんでいたら、俺はきっと手を伸ばしてしまうだろう。
同じように琴子が自ら成長するのを黙って最後まで見ていられるだろうか。
…自信がない。
俺も甘くなったもんだ。
そして、俺自身の心も変わったものだと思う。
一人で強がるよりも、二人で強くなりたい。
そう思えるようになったことに、俺は密かに感謝している。

俺の話を聞き終わった後、琴子は俺に許しを与えるように額にキスをした。

「…さて、お前の話も聞こうか…」
「え?」
「確か土屋の家に泊まったんだよな」
「そう、だけど」
「どんなに楽しかったのか、聞かせてもらおうか」
「た、楽しかったって…?!」

俺の顔色を見て、琴子は引きつった笑顔で後ずさった。

「えーと、土屋君の家には、同棲中の、か、彼女がいて…、二人にお世話になってました」
「それだけか」
「そ、それだけ、だけど」
「それならそんなに怖がることないだろ」
「そうなんだけど、なんとなく」

琴子はぶつぶつと独り言で続ける。

だって、入江くん、なんだかこだわってるし

「…心配だったんだよ」

ため息をついて白状する。

「俺のよく知らない男の家に泊まったって聞いて、俺がどう思うかなんて、考えたことないだろ」
「土屋君はいい人だよ」
いい人じゃなけりゃ殴ってるよ
「え、何?」
「それがたとえ金之助の家だって知っていたとしても、心配しないわけないだろ」
「?金ちゃんの家なら泊まったことあるよ」

何でわからないんだ、バカがっ。
遠まわしに言っても伝わらないことを俺のほうが学習できてないってことか…。
俺は少し脱力しながら、琴子を見つめる。

「つまり」
「うん」
「俺が嫌なんだ」
「…入江くんが?」

驚いた顔で俺の顔をまじまじと見つめ返す。
まさか、これでもわからないなんて言うんじゃないだろうな。

「…うふふふ…」

急に不気味な笑い声を発して、俺の首に手を回して抱きしめた。
そして、目一杯の笑顔で琴子は言った。

「入江くんが一番好き、だから」

わかってるよ。
琴子の身体を受け止め、俺はわざと不機嫌さを装う。
口に出したのはいかにも不覚、とでも言うように。

しかし、あのヤロウ。
俺は土屋のすました顔を思い出した。
俺がやきもきするのを知っていてわざと言ったに違いない。

俺は琴子を離し、もう一度軽くキスしただけで立ち上がった。
琴子はやや不満そうな顔をして俺を見ている。

「何?おふくろの期待通りに押し倒してもよければ、そうするけど?」
「よ、よくないっ」
「俺は今日の仕事終わったからいいけど、おまえはこれからだろ。
お望みなら今から…」
「いいっ、し、仕事へ行く準備しなくちゃ」

俺は笑って琴子を見た。

「そうだよなぁ、今から押し倒してたら、時間までに仕事に行けないよな。…立ち上がれないかもしれないし」

琴子は押し倒されては大変と思ったのか、慌てて部屋を出て行った。
まあ、いいか。
お楽しみは後でとっておくか。

やっと琴子の笑顔を見ることができて安心したのか、急に眠気を覚えた俺は、琴子が仕事に行くことを知らせにきたときには、そのままベッドに倒れこんでぐっすりと寝入っていた。


(2006/08/16)


To be continued.