斗南大学病院白い巨塔




船津は久々の日曜休みに真理奈といられないことを残念に思いながら、専門書を扱う店に立ち寄ろうと街中を歩いていた。

「休みの日に人が繰り出す様は、まるでコレラ菌のようだ」

信号待ちをしていた人の背中に向かってそうつぶやくと、何やらわけのわからない待ち人は振り向いた。
きっと暖かくなってきて、頭が春になる人に違いないとそう決めて前に向き直った。
船津はそんな他人の目など気にしない。
青信号になるとその待ち人を颯爽と追い抜いて歩いていった。

「僕にはミトコンドリアのごとくエネルギーが沸いてくるのです。
そして、僕の海馬は確実に真里奈さんを記憶にとどめ、僕たちの子どものミトコンドリアDNAに僕と真里奈さんが組み込まれるのでしょう。
それは未来永劫残ってゆくのです」

船津は他人を気にしないが、他人は気にする。
独り言を言い出した船津の周りからは、人が退く。
一般的には理解不能な独り言をデート中につぶやくので、真理奈に置いて行かれることもしばしばある。
横断歩道を渡った先に仲良さそうに歩くカップルがいた。
背の高い男はまっすぐ前を向き、横の女は楽しげに男に向かって話しかけている。
背の高い男と目が合った。

「入江さん」

声をかけたにもかかわらず、会いたくなかったというような顔をした。

「あ、船津くん、こんにちは」

代わりに隣の女が返事をする。
店から出てきたが、似つかわしくない、不動産の文字。

「琴子さん、…家をお探しなんですか?」

ずっと親と同居している入江夫妻である。
とうとう家を出る気になったのかと聞いてみる。

「え?これは、えーと」

琴子は助けを求めるように隣の直樹を見る。
そんなことはどうでもいいかのように、返事を待たずに船津は語る。

「僕も真里奈さんと早く同居がしてみたいものです」

琴子は、同居じゃなくて結婚じゃないの、と言う突っ込みはとりあえずやめた。

「ま、真理奈ね…。今日はデートじゃないの?」
「…誘ったんですが、断られました」
「あ…、そうなんだ」
「じゃあな」

直樹は一言だけそう言うと、琴子の腕をつかんで歩き始める。

「そ、それじゃあ、船津くん、またね」

直樹に連れられるようにして、琴子は去っていった。
船津はそんな二人を見送って、自分の隣にいない存在を実感する。

ま、真里奈さーん!!
デートしたかったです!

そうして、またところ構わず叫んだ船津の周りから、人は引いていく。
全く自覚のない船津はかなり幸せ者かもしれない。


それから数日、何事もなく日々は過ぎていく。
船津は助教授になるための精進を欠かさない。
一方船津が勝手にライバル視している直樹のほうは、いつもと変わらずポーカーフェイスのまま仕事をこなしている。
船津にとって直樹は抜きたくて抜けないライバルだったが、もしもあっさり抜いてしまったらどうなっていただろうと時々思う。
自分はここまで努力しただろうか。
いまや真里奈さんと結婚するという目標があるので、余計に気合が入る。
他人から言わせれば、結婚する云々は船津が勝手に言っているので、おそらく真理奈に聞いても「はぁ?!」と聞き返されるだろうことは注意申し上げたい。
とにかく、助教授選もいよいよ間近。
本命直樹か、船津か、それともダークホースか。
おっとここでダークホースのご紹介。
T大から派遣された医師が一人。
柳田(やなぎだ)である。
フルネームは遠慮してほしいとの言葉なので、以後彼は柳田と称される。
彼は直樹ほどではないが、頭脳明晰、ストイックで、顔も悪くはない。
ついこの間入局したばかりで、実力の程は知れ渡っていないが、何と言っても天下のT大から来たとあって前評判は高い。
直樹と同等くらいに女嫌いで通してきたせいか、いまだ恋人いない歴30数年。
…と、そんなことは助教授選には関係ないのでこれ以上は省かせていただきたい。
そんなわけで助教授選もにわかに活気づいてきたのだった。
一見穏やかに流れていく中、裏ではいろいろと画策されているのも助教授選である。
もちろん教授選ほど華やかでもなく、腹黒いわけでもないのだが、それぞれの思惑が渦巻いていた。
外科としてはこのまま直樹を助教授にして外科から出したくない。
反教授派は、船津を押す。…船津以外なら誰でもいいのだが、一番扱いやすいのが船津というだけだ。
そして、小児科はここで別の人物を押して、直樹を一気に小児科へ引っ張り込みたいのが本音だった。
しかし、外科と小児科では全く旗違いな上に、ここであからさまに他の人物を応援したとあっては直樹獲得作戦がばれてしまう。
そこで登場したのがダークホース柳田であった。
小児科の教授が密かに伝を頼って送り込んだ人物だった。
もちろんその内実は小児科の教授陣たちにしか知らされていない。
ちなみに、教授は各医局に一人しかいないが、助教授は複数いる。
しかし、おいそれと量産するわけにもいかないので、熾烈な争いになったりもする。
いったいどうなる助教授選?!


To be continued.