斗南大学病院白い巨塔




日に日に助教授選は近づいてくるが、いまだ助教授候補たちはそれぞれあまり関心がない様子だった。
一番気合の入っている船津でさえ、難しい症例の手術を前にすれば助教授選のことなど忘れてしまうらしい。
クソマジメな船津らしい。
もちろん直樹はいつもの通り全く関心がないらしい。
本当に助教授になりたいと思っているのかどうか、本人のみぞ知る、ということで、誰もその心境をのぞくことはできない。
いや、唯一彼の妻である琴子は知っているかもしれないが。
そして柳田は、派遣された意味をあまり聞いていなかった。
本人はただの派遣のつもりで、これまた助教授選など関係ないものと思っている。
したがって、周りの教授や他の医師たち、看護師たちはあれこれと噂をする。
もうすでに決まっているのだとか、誰それが買収したのだとか、なかなか物騒な話である。
ここに来て柳田の評判は上がりまくりである。

「柳田先生って、T大から来たんですって!」
「そうそう、結構格好いいのよねー」
「入江先生はどうせ琴子さんがいるし、あたし柳田先生に乗り換えようかなー」
「バカねー、乗り換えるって言ったって、元から乗ってないんだから乗り換えようがないでしょう」
「いいでしょー、言うくらいならー」
「ねえ、ねえ、それより、柳田先生ってさ、なんで女嫌いなの?」
「さあ、何でだろう?」

まったく、どういうんだろうな、ここの看護師ときたら。
休憩室から漏れ聞こえる噂話に思わず直樹は半目になる。
高カロリー持続点滴挿入の介助についてもらおうとナースステーションを見渡したが、あいにく休憩している以外の看護師は出払っていたのだ。
休憩室の前まで来て声を掛けたが聞いていない感じだ。

「あら、入江先生」

ナースステーションに戻ってきたらしい桔梗は、休憩室の前でうんざり顔の直樹を見つけた。

「桔梗か。介助についてくれ」
「はい!…ちょっと待ってくださいね」

そう言い置いて、桔梗はナースステーションの休憩室に顔をのぞかせる。

「あんたたち、いつまで休憩してんのよ。とっとと働きなさいな」
「うわ、桔梗さん!はーい」

桔梗は直樹を振り返ると、女よりもあでやかに笑った。

「さ、行きましょう。高橋さんですよね」
「ああ」

直樹はうれしそうに処置車を押して後をついてくる桔梗をもう一度振り返った。
桔梗も8年目だもんな。

「入江先生、何か?」
「…いや」

8年か…。

「どうせまた琴子のこと思い出してるんでしょうけど、
ほんと、入江さんて結局琴子しか目に入ってないのよねぇ」

桔梗は他に聞こえないように直樹の耳元で茶化して言った。
直樹はそれには答えず病室に向かう。

「でも、ねえ、さっきの話じゃないけど、柳田先生は違うわよ〜」

どういう意味だ?と問いかけるまもなく、病室に着いてしまった。
あえて続けて聞くこともせず、直樹は処置に入った。


一方船津は、研究と論文に余念がなかった。
もちろん患者を診ること自体も好きなのだが、研究だとか、論文をまとめるだとかはとても自分の性に合っていると思っている。
医者になるまでの動機は不純だが(医学部で入江直樹を負かす…)、もともとまじめな船津は医者になると決めたときから別の決意もしていた。
ノーベル賞をとるような研究をして、入江の鼻を明かす(って、不純じゃないか…?)。
いや、それよりも立派な医師になれば真里奈との結婚も近づく(…やっぱり不純か?)。
いや、いや、自分の華麗なるメスさばきで多くの患者を救うのだ、と。
そのためには勉強を続け、研究をし、切磋琢磨するのだ。

ああ、真里奈さん、僕はあなたのためにならどんな試練でも喜んで受けましょう!

病院食堂で自己陶酔に浸る船津の横を真理奈は通り過ぎる。

「柳田センセ〜イ、隣、いいですか〜?」

本日の定食ハンバーグセットを乗せた盆を持って、真理奈は柳田の隣の席を確保する。

「え?あ、ああ、どうぞ」
「私、第1内科の品川真理奈です。柳田先生って外科なんですよね」
「そうですが」
「T大からわざわざこちらへいらしたんですよね。どうですか、こちらの病院は?こちらの看護師とか〜。あら、やだ」
「はあ、すばらしい施設とスタッフだと思ってますが」
「そうですか〜。今度また食堂でご一緒しません?」

ピーピーピー。
柳田のポケットベルが鳴ったらしい。

「あ、失礼、病棟から呼び出しが…」
「明日なんてどうですか?」
「それでは」
「あ、もう!」

周りの看護師たちのぬけがけは許さないわよという視線を受けながらも、強気なアタックをする真理奈だったが、同じ食堂に船津がいるなんて全く思ってもいなかった。

「ま、真里奈さ〜ん、僕というものがありながら〜〜〜」
「ふ、船津…さ、ん」

ああ、厄介なところに…という顔をしながら真理奈はハンバーグ定食を食べ続ける。

「別にあたしは船津さんのものでもないし〜」

真理奈のその一言で船津は崩れ落ちる。

「内科に移っちゃったらいい男少なくって〜」
「そりゃそうでしょう。この僕がいないと寂しいに決まってます」
「…誰もそんなこと言ってないけど」
「そうですよね。真里奈さん、あなたにこうしてここで会えたのも運命の導きかもしれません」

復活した船津は朗々と自分の感動を真理奈に伝えようと必死だった。

「…ごちそうさま」

食べ終わった真理奈に気がつかないまま、船津は一人で感動に浸っていた。
目を開けると、真理奈の姿はすでに食堂を出ようとした後姿だった。

「真里奈さ〜ん、待ってくださ〜い」

何年経ってもあまり変わらない二人の関係だった…。


さて、いまだ謎の多い男、柳田は…。
やっぱり謎の多いままだった。
…というわけにはいかないので、そろそろご登場願うことにしよう。


To be continued.