斗南大学病院白い巨塔




柳田は、食堂でなんとかと言う看護師(品川真理奈だったが…)に誘われたが、あまり気にしていなかった。
社交辞令なのかどうなのか、やたら人に食事に誘われることが多かったが、その半分も誘いを受けたことがない。
医者同士ならよく行くこともあるが、さすがに看護師と行くにはそれに費やせる時間も気分もなかった。
その点、同じ外科医局の入江医師は同じ感覚を持っているようだった。
同じ外科でも分野が違うせいか、さほど頻繁に顔を合わせるわけではなかったが、その頭脳明晰ぶりはT大の教授陣がT大に進学していれば…と残念がっていたのもうなずける。
実際柳田は学会でその名前を何度聞いたことか。
それは同じ医師としてうらやましい限りだったが、今回斗南大に派遣されたのもいい機会だと思っていた。
T大は確かに名門かもしれないが、序列も厳しくて教授への道から転がり落ちたものも少なくはない。
さほど教授になりたいとも思わないが、研究に対する助成金はやはり欲しい。
助成金さえもらえれば、教授になどならなくてもいいとさえ思う。
専門の消化器の分野は、いまや移植がブームで、自分が研究している肝臓の分野でさえ生体肝移植などに押されている始末だ。
そう言えば、その肝移植について入江氏が何か言っていたような気がする。
後で詳しく話を聞いてみよう。
病棟へ向かう足は自然に速まった。

「柳田先生、お待ちしていました」
「どうかしましたか?」
「412号室の杉田さんが、腹痛を訴えていたんですが、先ほどから嘔吐が始まって…。術後食も進んでいませんし」
「…そうですね。とりあえず触診を…」

柳田はすぐに病室へ向かうと、患者の杉田を診察した。

「杉田さん、少し検査をしましょう。
すぐに腹部レントゲンの依頼、ポータブル(移動式のレントゲン撮影機)で。採血、点滴追加で」
「はい」

ナースステーションで柳田はカルテを広げながら考える。

考えられるのは術後の合併症だな。
腹部の緊張と腹鳴…、イレウス(腸閉塞)か…?
肝障害の可能性も考えておかなければ。

いろいろ考えられる可能性をあれこれ考えながら、柳田は指示をカルテに書きとめる。
ナースステーションはざわざわと落ち着かない。
そんな中でガッシャーンと何かを落としたような音がした。

「あ〜〜〜〜、琴子!!」
「ご、ごめんなさ〜い。でも、これから交換する物だったから許して〜」
「もう、本当に気をつけてよねー」

柳田は琴子と呼ばれた看護師の顔を覚えていなかった。
こちらへ来てから数多くの看護師が柳田に挨拶がてら顔見せに来たが、琴子という名前の看護師は直接挨拶したことはなかった。

「柳田先生、フィルム、できました」

シャーカステン(フィルム読影用の明かり台)にフィルムがセットされた。

「このまま絶食で、場合によってはイレウスチューブ挿入も考えます」
「はい、わかりました」

柳田は新たな点滴の指示をパソコンに入力して、採血結果を待っていた。

「術後イレウスですか…?」

上から降ってきた声に目を向けると、直樹がフィルムを見つめながら柳田に話しかけていた。

「それだけだといいんですが。血液の結果がまだなので」
「そうですか。ところで、小児の患者で胆道閉鎖の疑いのある子がいまして、少しご意見を伺いたいのですが」
「胆道閉鎖ですか。それはまた大変ですね。
ああ、私も入江先生にお聞きしたいことがあったんです」

柳田と直樹が話している様子をひそひそと看護師が噂する。

「ああ、やっぱりいい男が並んでるのって、いいわねぇ」
「でも、柳田先生って、実はゲイだったりして」
「まっさかー」
「えー、でも、あの女嫌いは尋常じゃないわよ」
「ゲイじゃ望みないじゃない」
「わからないわよ〜。入江先生みたいに特定の人にしか落とされないとか」
「…それ、琴子さんみたいな人のこと言ってる?」
「そうよぉ。だって、あの入江先生がよ?よりによって琴子さんよ?しかも、それ以外は見向きもしないと言うか、興味なさそうだし」
「ああ、一時はゲイ説あったしねぇ」
「硬派も良し悪しよね…」
「ああ、あの微笑みを独り占めした〜い」
「…仕事しよ…」

主任のにらみに口をつぐんで看護師たちは散らばる。
そんな噂など全く耳に入っていないが、直樹と活気のある意見交換をした柳田は、満足気に医局へと戻った。

「柳田先生…」

暗い顔で話しかけたのは、船津だった。

「柳田先生は真里奈さんに興味があったりしますか?」

突然そんなことを言われた柳田は、目が点になるほどだった。

「誰が、なんですって?」
「ですから、柳田先生が真里奈さんに、です。今日食堂で話しかけられたかわいらしい人ですよ」
「…内科の看護師さん?」
「そうです、そうです!」
「…その方が何か?」
「いえ、興味ないならいいんです」
「はあ」

柳田は急に足どり軽く去っていく船津を不思議な目で見ていた。
助教授候補にもなっているくらい優秀な医師だと聞いていた。
実際入江氏と一緒に学会で見かけたことがある。
専門は循環器だったか。
彼の気にする真里奈さんとか言う内科の看護師は、どうやら船津氏の恋人か何からしい。
柳田の場合、それをくだらないとか言う考えはまったくない。
ただ、柳田自身に気になる人がいないだけで。

「柳田先生」

またもや誰かが話しかけてきた。

「今夜飲みに行きませんか?女子大生とコンパなんですけどね」
「今夜ですか…。一人心配な患者がいましてね」
「そうですか、それは残念」
「申し訳ありません」
「それはそうと、柳田先生は助教授になりたいですか?」
「は?」

またもや突然話題を変えられて、本日二度目の点目だ。
この西垣助教授もいまひとつつかめない。

「誰がなるか予想するのも楽しくてね。競争相手もいずに入江くんにでもなったらそれはそれでつまらないし」
「はあ」

なんだかうきうきとした足どりで去っていく道すがら、その辺の医師を捕まえてはコンパに誘っている。
今までコンパには誘われて2度ほどしか出たことがなかった。
話をするのは楽しいが、今日はとてもそんな気分ではない。
柳田は、外来での用事を先に済まそうと考え、立ち上がった。
助教授選を控えている割には、医局はどこまでも能天気だった。


To be continued.