斗南大学病院白い巨塔




柳田が外来での用事も済ませて病棟へ戻る途中、来たエレベータに乗り込もうとすると、大きな声で叫ぶ人がいた。

「待ってくださーい」

エレベータの前には柳田のほかに誰もいなかったので、エレベータのことだと悟り、開けるのボタンを押してその人物を待った。

「はあ、ありがとうございます」

駆け込んできたのは看護師だった。

「何階ですか?」
「あ、4階お願いします」

黙って4階のボタンを押す。

「すみません。本当なら階段上がったほうがいいんでしょうけど、ちょっと疲れちゃって…」

別に柳田は気にしていないが、看護師は言い訳のように次々と話し出す。

「でも、主任さんに見つからないようにしなくっちゃ。あ、先生も4階ですね」
「…ええ」

かなり元気な看護師で、今まであったタイプとは少し違う。
よくしゃべり、よく表情が変わる。どちらかと言うと賑やかしいと言うべきか。
程なく4階に着いたエレベータから元気よく看護師は降りた。
チラッと揺れた名札に見えた名前は、「入江」。何気なしに記憶に残った。
柳田は自分の受け持ち患者のカルテを見にナースステーションへ入る。

「すみません、今戻ってきましたー」
「入江さん、いつまでかかって患者さん送ってるの」
「だって、橋本さんたら売店行きたいって言うし」
「橋本さんは食事制限中でしょう?」
「だから、食べ物は買っていないですよー」
「それにしても…リハビリの前じゃなくて、後にしたらどうなの。リハビリに遅れるでしょう」
「はぁい…。気をつけます」

カルテを見ている柳田の前に琴子はやってきた。
じっと柳田を見ている。

「…何か?」
「えっと、金山さんのカルテ、少し貸してほしいんですけど」
「…ああ、はい、どうぞ。私はもう見ましたから」
「すみません、ずうずうしく。どうしても気になるところがあって」
「金山さんに何か?」
「あ、そんなにたいしたことじゃないんですけど、金山さん、時々胃が痛むって…」
「…初めて聞きました」
「そうなんですか?あ、柳田先生に主治医変わったんですよね。診ていただけますか。
本人は食べ過ぎだって言っていたんですけど、今までだって散々食べていたのに急にそんなこと言うから」
「それは何かあるかもしれませんね。胃薬は粘膜保護剤が出ていたとは思うんですが…」
「それじゃあ、お願いします」

そう言って、結局琴子はカルテを見ずに行ってしまった。
柳田はカルテの看護記録を見る。
丁寧な字で書いてあるのを見つけた。
『昼食後、胃の痛みあり。 入江』
記録はたったこれだけだった。
もう少し詳しく書いてもよさそうなものだが、とにかく情報を得たのだからその患者のところへ行くことにした。
そんな出来事と共に柳田の記憶には珍しく入江と言う名前と琴子の顔が刻み込まれた。


さて、そろそろ船津に話を戻そう。
船津は柳田に真理奈のことを興味なしと聞かされてから複雑な思いだった。

あんなにかわいらしい真里奈さんに興味がないなんて…!
いや、興味があっては困るのだ。
いや、でも、美しい真里奈さんから食事を誘われても気にならないなんて…。
いや、いや、きっと僕に気を使ってくれたに違いない。
なんて、いい人なんだ、柳田先生!

船津の思いはどこまでも自分と真理奈中心だった。

そうだ、明日は真里奈さんと食事できるようにがんばってみよう。
ああ、でも、真里奈さんは内科、僕は外科…。
この距離はなんて大きいんだあぁぁぁ…。

医局の中で一人百面相をしながら、机の上の論文を握りしめていた。

真里奈さんはきっと僕が教授になるのを待っているに違いない。
そして、晴れて教授になった僕は、今度こそ真里奈さんにプロポーズを…!

「船津先生…、それ、教授に頼まれていたやつ…」

同僚の医師に指摘されてはっと気付けば、船津の両手の中で教授に提出するはずの論文は見るも無残な姿を晒していた…。


一方直樹は、ある日家で子どもたちに囲まれながら難しい顔で不動産情報をにらんでいた。

「ねえ、お兄ちゃん、やっぱりあそこに決めちゃいなさいよ〜」
「……(おふくろの言うとおりにはしねえよ)」

…などと口には出さずに母・紀子の言葉に完全無視を決め込んでいた。
しかし、顔はそう言っている。

「琴子ちゃんには相談したの?」

相談した結果、恐ろしいことになりそうだったので、琴子には適当なことを言って決めてから話そうと考えている。
…などと紀子に言うと、これまたうるさいことになりそうだったので、やはり黙ったままだった。

「やあねえ、お兄ちゃんたら、あたしがその計画つぶすとでも思ってるの?」

実際つぶすどころか先走りすぎて、どれだけ迷惑をこうむったことか…、と今度ははっきり顔に出して紀子に訴えた。

「あらぁ、今度は大丈夫よ。いくらあたしでもこれ以上口出さないから〜」

前回嫌と言うほど怒鳴ってやったので、さすがに紀子もこれ以上は強く出られないらしい。
直樹は何か大きな決心をすると、立ち上がって電話に向かった。

「あ、入江ですが…。
はい、そうですね、そこに決めさせていただきます。ええ…」

その電話をなんとか聞き取ろうと紀子が苦心していたことにはあえて触れないでおこう…。


To be continued.