斗南大学病院白い巨塔




医局長も交えた話し合いは困窮した。
どんなに説明しても杉田の妻は訴えるの一点張りで、患者の杉田はおろおろしっぱなし。
医局長は薄くなりだした額に垂れる汗を拭き、眉間にしわを寄せて黙り込む。
終始柔らかい物腰で話しかけた柳田だったが、さすがにため息の一つもつきたくなるほどだった。
話し合いのために設けられた部屋の会議室は、重苦しい空気が支配していた。
カルテを見せて、師長は再度説明を試みようとした。
杉田の妻は恨めしそうに師長をにらんだ。

「なぜ手術から4日も放っておいたんです?」

師長が口を開こうとしたのを制して、柳田が口を開いた。

「放っておいたわけではありません。
先ほども申し上げましたように、術後の合併症全てがすぐに症状の現れるものとは限りません。今回術後食が始まってから、術後イレウスが進んだと考えられます。
その場合、まず絶飲食にして様子を見ながら状態を探っていきます。
今回は同時にレントゲンを撮りましたので、診断は早かったと考えています」
「それなら、なぜうちの人は内視鏡で手術できなかったんですか?」
「腹腔内視鏡は、胆のう内の胆石だけを取り除く場合には有効ですが、杉田さんの場合胆石の数が多く、総胆管という所にまで胆石が入り込んでおり、
腹腔内視鏡では取り切れないと判断いたしました。
更に言えば、これは杉田さんに事前にご説明申し上げたように、胆のうがんの鑑別が必要でしたから、組織検査も提出する必要がありました。
ここまではご理解できましたでしょうか?」
「…本当に手術しかなかったんでしょうか」
「どういうことです?」
「本当は手術しなくてもできたんじゃありませんか?結局がんなんてなかったじゃありませんか!」

医局長は弱りきった笑顔を貼り付けて、杉田の妻に言った。

「それは、検出されなくて幸いと申し上げるべきところでしょう」
「そうよ、医者は言うのよね、手術のお陰だ、がんじゃなくて幸いだったって」

師長も口を挟む。

「失礼ながら、私はセカンドオピニオン(第二の意見:他病院の医師の診断を受け、意見を求めること)を求めても構わないと申し上げました。
ところが、杉田さんは、全てお任せすると言って、それ以上病院を回ることはしませんでしたよね」
「そのセカンドオピニオンなんて話、私は聞いてないのよっ。
うちの人が勝手に何もかも決めちゃって」

杉田は妻に押され気味だったが、慌てたように反論した。

「だ、だって、なんだか他のところなんて行ったら、先生に申し訳がたたねえじゃねえか。
いいんだよ、俺がこの先生にお任せするって決めたんだからよ」
「それが勝手だって言うのよ」

杉田の妻は杉田の胸倉をつかみそうな勢いである。
そういう話し合いは、手術前に済ませておくべきことで、今この場で話し合っていては遅いのだが…と、医局長は杉田とその妻を見ていた。

「とにかく、知り合いの弁護士に相談してみます」

杉田の妻はそう言い置いて、会議室を出て行った。
患者本人はそんな妻を目で追いながら、なんとなく中途半端に医師たちに頭を下げつつ同じように後を追って出て行った。

はぁ〜〜〜〜〜〜。

緊張の抜けた会議室には、残った者たちが盛大にため息をついた。

なんでこんなことに…。

全員そう思ったが、まだまだ厄介ごとは終わりそうにない。
もちろん杉田の妻が弁護士に相談したところで、本当に訴える材料があるのかどうか…といったところだが、本当に訴えられることにでもなったら笑って済ませられない。

「院長にそれとなく報告しておきましょう」

医局長は柳田の顔を見ながらそう言った。

「看護部のほうにも連絡しておきます」

師長はうなずいた。

「…ご迷惑をおかけします」

柳田はそう言うほかなかった。

「いや、まあ、たまにいるんだよ。ああいう患者も。柳田君のせいじゃないよ」

柳田は今まで医者をやってきて、恨み言を言われたのはもちろん今回が初めてなわけではない。
手術をしても甲斐なく、取り乱した家族になんで死なせたと詰め寄られたこともある。
救急で、助けてくださいという言葉もむなしく死なせてしまったときには、心を鬼にして蘇生処置をやめなければならなかったこともある。
しかし、訴えると言われたのは初めてだった。
さすがに疲労感でいっぱいになりながら会議室を出た。


「ちょっと、聞いた?柳田先生の話」
「あ〜〜、杉田さんのね」
「訴えられるようなことしてないわよねぇ」
「そうねぇ。別に薬の投薬間違えたわけでも、治療が遅かったわけでもないし…。第一、杉田さんもう治りかけじゃない」

ナースステーションでは、看護師たちがまたもや噂話を咲かせていた。
もちろん師長の一にらみで口をつぐんだが、そんな噂は病棟中に少しずつ広がっていくものである。
もちろん琴子と桔梗の耳にもその噂は届いた。

「やあねぇ。柳田先生が訴えられるくらいなら、琴子のほうが何万回も訴えられてもおかしくないのに」
「ちょっと、モトちゃん、しっつれいねー。いつあたしが訴えられたのよぉ」
「だから、そのほうが不思議だわって…。あ、入江さん」
「うそっ、どこ?」

仕事も終わり、玄関に向かう二人の前に直樹の姿が見えた。
髪の毛が乱れているところを見ると手術後らしい。

「入江く〜ん!!」

猛ダッシュで直樹に追いつくと、その白衣に包まれた身体に抱きつく。

「手術終わったところ?病棟に戻るの?今日帰れそう?」
「今終わった。これから戻るから、今日は多分無理」

そんな琴子の様子にも動じず、直樹は淡々と答える。

「そっか…。じゃあ、お弁当作って持ってくる。今日は夜勤ないし、明日お休みだから」
「…胃に優しい食えるもんにしてくれよ」
「まかせて〜」

桔梗はそんな直樹の様子に感心しながら見ていた。
どんなにまずい料理でも琴子のだけは食べるのよねぇ。
なんてこと、琴子が一番わかってるとは思うけど。

「じゃあね、入江くん!」

お弁当を作るんだと張り切って帰ろうとする琴子を見て、うらやましげにため息をつく桔梗だった。


To be continued.