4月1日付けで就職し、3日程の合同オリエンテーション(薬剤師も栄養士も調理師も検査技師も医療事務の方もいます)があります。
その後看護部だけで更に研修して、配属されるのは1週間位してからになります。
それでも身分はまだ看護助手。国家試験の発表までは微妙な身分です(繰り返しますが、私の頃は就職した後に発表でしたので)。
しかし、格好だけはナース…。
始終びくびくして、電話をとってもわからない、ナースコールが鳴ってもわからない。
基礎的な手技以外は全く役に立ちません。
毎日毎日先輩の後を付いて回り、慣れるのに必死です。
それでも1週間2週間と過ぎていくうちに何とか生活にも慣れてきます。
そんな頃、ようやく国家試験の発表。
晴れて辞令を受け、お給料も上がります。そして、夜勤も始まるのです。
仕事が終わってからの先輩からの勉強会も続きます。
ま、これは先輩になったときのほうがよほど大変だということがよくわかりましたが。
ついでに歓迎会も続きます。
内科病棟に就職した私は、同じ内科でも臓器別にそれぞれの科から誘われます。
慣れない環境と勉強と歓迎会続きで誰も皆最初はいっぱいいっぱいでした。
そんな中、やっと看護師になれたとき、汚い寮で皆で騒いだことは忘れることはないでしょう。
(2004/10/18)
学校を卒業すると同時に引越しが春休みの間に始まります。
半分ほどは隣に続いている看護婦寮へ移りました。
この寮は隣の学生寮とつながっているので、当然見た目もぼろければ、中もぼろいです。
ただ違うのは、4畳半から6畳になることと、流しと水道が付いていること(コンロはないです、電熱器程度)、電話が引かれていることくらいです。
残りは歩いていける範囲の寮と多少離れた民間アパート借り上げの寮に移る人、アパートを借りる人とさまざまです。
1年生の時にはクラスの半分ほどだった寮生は、実習が続くようになる頃にはほぼ数人を除いてほとんど寮に入ります。
やはり、徹夜続きで通勤がつらくなったり、実習が終わると遅くなったりで、家に帰る時間も惜しくなるのです。
実習記録のつらさは多分学生共通のものでしょう。
ちなみにどんなものがあったかと申しますと…。
患者情報記録。その名の通り、受け持ち患者さんの情報を細かく記録します。
これを基にして実習計画を立てます。
日々の計画表。これは毎日その日の一日の流れやその日の実習目標を書き、終わったら反省や気付いたことなどを書き込みます。なので、1日1枚。
看護計画表。医師の治療方針や患者情報から考えられる問題を挙げ、長期目標、短期目標をあげ、期待される結果に到達するための看護計画を書きます。主観情報、客観情報、それから考えられる問題を解決するための看護技術と精神的ケアを書いていくのです。
つまり、問題が多ければ多いほど看護計画表はどんどん増えていきます。逆に解決すれば削っていくのです。情報収集、アセスメント、計画、評価の繰り返しです。
これは看護師になってからも共通のものです。
それとは別に疾患に対する勉強したレポート。
当然患者さんにした処置のすべては勉強しておかなくてはなりません。
それに加えて、グループ発表や勉強会があればそれのレポートも追加。
実習期間は一病棟大体2週間から3週間なので、その間にこなさなければなりません。
実習が終わればその実習場所での反省や、看護計画の引継ぎと修正、目標の達成度の評価を書いて翌週初めに提出します。
他にもあったような気もしますが、印象深いものはこれくらいです。
と言うわけで、自分でも書いていてうんざりしてきましたので
これくらいでやめにしておきます。
引越しのときにこの実習記録の山をどうしても捨てられず、教科書も捨てられず…、膨大な荷物になりました。
その後も引越しを繰り返しましたが、教科書はかなり分厚くて大きくて重くて、邪魔ではありますが、いまだ捨てられず、書棚の中に鎮座しております。 …高かったしね。
(2004/10/18)
5月になると歓迎会にあちこち呼ばれます。
医師の国家試験が終わり、各医局に配属されるからです。
新人看護師と新人研修医、及び新配属者は参加しなければなりません。よほどの体調不良でもなければ、断ることも出来ません(笑)。
まあ、怖いもの見たさでまずは参加します。
一度参加して水が合うか合わないかはっきり分かれます。
まず、どの看護師も医者もよく飲みます。これでもかと言うほど酔っ払いになります。
飲めない私などは素面でつらいくらいです。
飲めない人は軒並み運転手兼、介護係です。
そう、介護係がいるほど飲むんですっ。日頃のストレスを発散するがごとく、嫌でも盛り上がります。
普段あんなに冷静でお堅い婦長も、怖い先輩も、なにやら得体の知れなかった先生も、皆飲めや歌えの大騒ぎで、目が点になるほど驚きました。
宴会は食事中心の1次会から、カラオケありの2次会へ。
少し落ち着いたスナックの3次会、ファミレスで朝までコースの4次会までそれぞれ散って行きます。
新人は、下手をすると次の日の勤務しだいで4次会まで有無を言わさず引っ張られていきます。
やがて酔いつぶれた先生たちは、それぞれまだ動ける先生に引きずられるようにして連れて行かれ、寒い時期は医局、暖かければ病院裏手の芝生へと転がされる羽目になります。
ひどいと、急性アルコール中毒寸前になり、病棟から点滴を運ぶ羽目になります。
かなり無茶です。もう、これでもかと言うほど無茶しまくりです。
ゲロの始末なぞ当たり前。
トイレはいつも満員。
いったい何がそこまでさせるのか、いまだもって謎です。
そして、飲み会であったことはすべて無礼講。
それでも、こんな飲み会を通じて怖かった先輩や先生たちの人となりや、意外な一面を知っていくのです。
時々、知らないほうが幸せだったりもしますが。
(2004/10/21)
あれは勤務終了前に患者さんが亡くなられた日のことでした。
患者さんの解剖をすることになり、私と同級生の新人2人が見学することになりました。もう一人新人研修医も一緒にくっついて、解剖に当たられる解剖学の先生の邪魔にならないように見学しておりました。
「う〜ん、脂肪が厚いな〜。やはり死ぬ前には1週間以上絶食したほうがベストだな」
…相変わらずだ…。
授業で教えてもらった先生でしたが、いつも標本になる骨格を求めていたような先生でした。
新人研修医の体格のよさに目をつけた先生は、いきなりそんなことを言いながら解剖を始めたのでした。
「僕がきれいな骨格標本にしてあげるから、人生半ばで命を絶つときにはぜひ一報してくれたまえ。そのときには、1週間絶食することを忘れずにね」
などと一言添えるのも忘れませんでした。
そのまま順調に解剖も終えると死後処置があるのですが、お迎えに来た先輩たちがまだ私たちが残っているのを見つけると、早く歓迎会へ行くように促しました。
慌てて歓迎会の場所へ向かうことになりましたが、車でないと行けない所だということに気付いたとき、優しくも新人研修医君(一応年上ですが…)が乗せて行ってくれることになりました。
これをきっかけに妙に仲間意識が出来まして、その先、彼の失敗を悪態をつきながらもフォローしてあげる仲になりました。
それが、恋に発展するとかいうものでは全くなかったところが申し訳ないんですが(笑)。
そして、着いた歓迎会の場所は、ズバリ焼き肉屋!
ええ、もちろんおなかいっぱい食べさせていただきました。
後に来た患者の主治医の先生が大きな声で
「お、解剖見た後に肉食えるとはさすがだなー」
などと言わなければ、最後まで気持ちよく過ごせたんですが。
解剖見ようが、焼き肉は焼き肉だ…と思う私たちの感覚は、やはりおかしいんでしょうかねぇ。
(2004/10/21)
看護師の勤務に絶対必要なのが、勤務表。
自分がいつ出勤して誰と夜勤を組むか、1ヶ月の予定表です。
看護師をしている友人と遊ぶ際には、必ず1ヶ月以上前に申告するほうが親切です。
勤務表が出来上がってからでは急に休みは入れられませんし、
夜勤を変わることなど不可能です。
国の基準によって患者数やベッド数に対して看護師の配置人数というのは決まっているので、それを考慮して勤務人数が決められるわけです。
なので、病棟によって夜勤の人数も変わってきます。
たいてい夜勤は2〜3人で交代していきます。
勤務時間についても各病院で違っているのですが、私が勤務していた病院の例を挙げましょう。
日勤は8時半から17時。準夜勤は16時半から1時。深夜勤は、0時半から9時。
時間帯が重なっている部分は、患者の状態を申し送りする引継ぎ時間です。
夜勤の体制は、当然のことながらベテランと下っ端が組むことになります。
どこまでをベテランと言うのかは難しいのですが、とりあえず何かあったときに自分が頼れる先輩ならばベテランということでしょう。
3年目あたりになると同期との夜勤も可能になってきますが、
正直お互いに心細い思いで夜勤をします。
同期との夜勤は楽しいのですが、何かあったときに頼りにしようにも自分と同レベルなことを考えると、とにかく無事に終わることを祈るばかりです。
勤務は、日勤や夜勤のほかにも早出、遅出、午前半、午後半なんてのもあります。
そんな細かい勤務を確認するのが勤務表なのですが、これを作るのはたいてい婦長さんです。
最近はパソコンなどで条件(勤務希望)さえ入力すれば、勤務表を作ってくれるソフトなどもあります。
しかし、これが曲者で、後でよほど手直しをしないと、かなり無慈悲な勤務表が出来上がることがあります。
来月の仮勤務表が発表されると、まず、自分の希望はかなえられているか、それから夜勤の組み合わせを見ます。
苦手な先輩との夜勤はできるだけ少ないほうがいいし(って、相手もそう思っているのでしょうが)、下手をするとこれでもかーというような勤務が表示されていることがあります。
具体例を申しますと…。
準夜・日勤・日勤・深夜。
準夜から日勤の勤務や、日勤から深夜へ続けての勤務はよくあります。
日勤の人が一度家に帰って仮眠をとり、深夜に出てくる勤務は普通です。
時間で言うと、普通の昼の勤務をこなし、一度家に帰ってから、その日の夜中に深夜勤のために出てくるのです。
準夜勤の後も同じです。準夜勤を終えた後、一度帰って仮眠を取り、その日の朝に昼の勤務のために出勤するのです。
正直、眠いですし、勤務が何かの事情で遅くなったときには仮眠の時間もないことがあります。
でも、それは普通なのです。
日付が変わってるから、可、なんだそうです。日勤と日勤の間があいてますので…。
間に準夜・日勤・日勤・深夜なんか2回入るような10連勤の無慈悲な勤務表なんか作られた日には泣きます。
こんな具合なのですが、勤務の仕組みについてわかっていただけたでしょうか。
そう言う勤務に関するエピソードは、これから数多く出てきますので、頭の片隅に置いて頂けると、よりいっそう楽しめるかと思います。
(2004/10/26)
初めて夜勤に入ったのが5月です。
最初の夜勤は全く役に立たないので、通常の人数に入れさせてもらう感じです。
3人体制の夜勤に私が入って計4人。
余裕と思われるでしょうが、スケジュールはいっぱいいっぱいです。
よく仮眠とか出てきますが、仮眠する暇なんぞどこにある?と言う感じです。
病棟によってはもちろん暇なところもあるでしょうが、大学病院の内科にはそんな暇はないと言ってもよいでしょう。
まず、4日に1回程度回ってくる当直の恐怖。
これは、病棟に入っている内科の外来当直に当たると、入院させなければいけない患者がいると真っ先に電話がかかってきます。もちろんベッドが空いてさえいれば受け入れなければなりません。
こうして夜中の入院は、更に一手間かかるものになっていくので、救急車が嫌いになります。
そして、急変。
これは突発事態なので仕方がありません。…が、予定にはないので、やはりスケジュールは厳しくなります。
夜勤のときに何をやっているのかと言えば、見回りとカルテの整理、次の勤務のための準備です。
見回りも重症者がいれば時間もかかるので、すぐに次の見回りになったりします。
採血の指示は一人や二人ではないので、あらかじめ確認して準備しておかなければなりません。
朝の検温もただ回ってるわけではなく、その日のスケジュールに合わせてやることはいろいろあります。
私は内科に就職したので、手術出しはほとんどありませんでしたが、外科は朝一番の手術に間に合うように手術室に連れて行かなければなりません。
回診車といって、処置をするための道具を乗せたワゴンの整理もあります。
翌日の点滴の確認や朝に配る薬の確認。
緊急時に使用する薬品ワゴンの整理なんてのもあります。
そして合間には必ずナースコールも鳴ります。
もちろん個人病院単位になると入院患者の人数なども違ってきますので、他にもやることがあるかもしれません。
そんな風に夜は過ぎていきます。
さて、私は記念すべき初夜勤では、遅刻をいたしました。
なかなか緊張して眠れず、そのくせいつの間にか寝てしまっており、目覚ましにも気付かないほど眠りこけ、何と先輩の電話で目覚めたのです…。
もちろん敷地内の看護婦寮でしたので、飛び起きて着替えて走り、更衣室で着替えて病棟に駆け込むまでに5分強程でした。
でも、ま、そんな時間の問題でないのはおわかりでしょう。
夜勤をしていた頃は、夜勤じゃないと思っていても寝ている間にかかってくる電話には非常にどきどきしたのを覚えています。
そして、今でも時々新人の夜勤が始まる頃になると思い出し、遅刻の夢でうなされるのでした(笑)。
(2004/10/28)
歓迎会も落ち着いた頃、医局旅行があります。
もちろん新人は皆参加。
なんとなくどんな風になるか想像もつきましょうが、読んでいただければ幸いです。
医局旅行の場所はもっぱら近場の温泉です。いざとなったら医師がすぐに病院に戻れる場所です。
スポンサーが医局なので、泊まるホテルなどはかなり豪勢です。
土曜の仕事が終わった午後に出発です。
一応貸切でバスが用意されていますが、病院で仕事の残っている医師は宴会のときだけ駆けつけてきます。
集合時間近くになってバスに乗り込むと、すでに車内は浮かれ気味です。出発前にビールが飛び交っています。飲むのが好きな医師たちは、半分出来上がっています…。
そして、いざ出発するものの、わずか1時間で着くはずの温泉場まで何度もトイレ休憩を入れながら(…またかよ〜と突っ込みいれながら)到着です。
着いてから、看護師たちは温泉三昧。
夜の宴会の恐ろしさに備えます。
いざ、宴会が始まり、これまたお堅い教授や医局長の挨拶を過ぎると、新人はビール片手にお酌して回るわけです。
セクハラなんて言っていられませんでした。
教授がいる手前、飲み会のときのような大暴れはありません。
そのうちそれぞれの出し物が続き、宴もたけなわになったところで2次会へ。
ホテルのカラオケスナックを借りての2次会です。
そして、各部屋での3次会。
もちろんありとあらゆる部屋のビールを出してきます。
もちろんそんな飲み会に、旅行に来てまで付き合っていられませんので、途中で抜け出して部屋に鍵をかけ(かけないと乱入されます)安眠します。
翌日は一応観光名所を回りますが、飲みすぎた研修医は二日酔いの頭を抱え、青い顔をしたまま写真に納まっております。
(2004/10/31)
新人の頃の一番の思い出は、やはり救命処置でしょう。
もちろんその後、数え切れないほどの救命処置に当たりましたが、寒い2月に起きた夜の出来事は後々まで忘れられませんでした。
その日は先輩と2人での準夜勤でした。
もちろんその先輩は私が学生のときに指導してもらったくらいのベテランで、ICUでの経験もあるくらいの方でした。
そろそろ就寝前の見回りを終え、一息入れようかと思ったそのとき、確認している目の前で心電図の波形が突然フラット(心拍0の直線状態)に…。
緊急カートを持って走る先輩に指示されて、震える指で当直医師を電話で呼び出し、家族への連絡。
病室へ駆けつけると、必死に心マッサージを行っている先輩。
アンビュー(呼吸補助のための道具)を使うように指示されて
一所懸命もむのですが、なかなかうまくいきません。
心電図の波形もなかなか戻らず、医師が到着してもなおフラットのまま。
緊急薬剤を入れても全く反応なし。
かなり高齢でもあったため、家族が到着されてから処置は止められました。
その間30分間。
とりあえずその方の処置を終え、病室に戻って死後処置の準備を行っていたところ、またもや心電図計の異常を知らせるアラーム。
アラーム自体はよく鳴りますが、どんどん心拍が落ちているのを確認して、ナースステーションの奥にいた医師を呼び、先輩を呼びにいくついでに病室へ。
再びナースステーションへ走って戻り、緊急カートと心電図計を移動。
同じように家族に連絡。
その間に鳴るナースコール。先ほど亡くなった患者の家族は何やらもめていて(結局葬儀屋をどこに頼むか、だったけど)、当直の婦長が回ってきてこれまたどうでもいい事を聞いてくるし、ちっとも戻ってこないと先輩には怒られる。
そして、嘘だと思うでしょうが、もう一人、処置中に心拍が落ちたのです…。
同じような処置が再度続いたと思ってください。
いずれも高齢の方で、いつ亡くなられてもおかしくない状態ではありましたが。
その日に亡くなった患者さんは計3人。
後にも先にもこれだけ続いたことはありません。
もちろん同じように当直医師にも言われました。
そうしてすべての処置が終わり、記録を終え帰宅できたのは朝方の4時、でした。
途中で深夜勤の人が来たときには、後光が差して見えたものです。
疲れきって家に帰ったものの、その日の朝8時半までに出勤なんて、神様の意地悪〜と思ったのでした。
(2004/10/31)
研修医と言うのは、一応医師国家試験に受かって医師免許を所持している者です。
卒業して資格を取得後、2年間は指導医について学ばなければなりません。
現在はまた制度が変わっているので当時のお話です。
なぜに『一応』なのかは、その特殊な資格ゆえでしょう。
司法試験に受かっても、すぐに弁護士になれるわけではないのと一緒で、受かったからといってすぐに診断技術が確立されているわけではないのです。
治療技術というのはある程度のセンスがあれば、新人でもいいセン行くでしょう。
しかし、診断は、やはり経験が必要です。
看護師として一年目が役に立たないのと同じで、研修医も実に頼りない人もいます。
それまで坊ちゃんよろしく(私立大には坊ちゃんが多い)お勉強も何とか…と言う感じで6年を過ごしてきた研修医がいたとしても、そこそこ愛嬌くらいないと看護師に完全無視されます。
なんて冷たいとお思いでしょうが、上司である指導医の指示ですらまともにこなせなければ、邪魔、です。
今まで何勉強してきたんだー!と怒鳴りたくなります。
ドジだろうと、一所懸命勉強する姿勢さえあれば、自然に医師らしくなっていくものです。
そして、研修医は給料がかなり安いです。
その後の働きで盛り返すとしても、安すぎてかわいそうなくらいです(そうですね、家賃代にもなりません)。
それでも、看護師はとことんこき使います。
「あー、○先生(かなり軽い呼び方)、指示出しといてください」
「え?どの指示?」
「さっきA先生に言われていたでしょう?夜眠れないから、眠剤出しておいて〜って」
「えー、眠剤?って、どんなやつかなー」
「それを考えるのが医者の役目ですって」
「うーん、どんなのがあるのかな〜(ぺらぺらとめくる薬辞典)」
「(おいおい、仕方がねーなー)前は何が出ていたか見ました?」
「え?前?出てたことあるの?」
「ええ、出てましたけど」
「意地悪だなー、教えてよ、先に」
「先に教えるな、と言われていたので」
「えーと、どれが眠剤なのかな〜?(カルテを必死にめくる)」
「(…嘘だー、覚えておけ〜)普通、寝る前に飲むものですよね」
「ああ、そうか。じゃあ、これだな。えーと、ハルシオン??
これだっけ?」
「(いまどき中高生でも知ってるぞ)聞く前に自分でちゃんと確認してくださいね?」
「ああ、そうそう、ごめん、ごめん。で、どれだけ出せばいいって?」
「…ハルシオンは、導入剤ですので」
「うん?だから?」
「(ちっとは自分で考えろよ〜)前に出たときにそれでは途中で起きてしまうから、と」
「へー、そうなの」
「いや、だから…(A先生の記事を読めっ)」
そこへA先生登場。
「まだ指示出してないの?…ハルシオン…は、だめだよ。お前読んでないなぁ?!」
「いや、だって、看護婦さん教えてくれないし」
「お前の仕事だろうがー(以下説教)」
と言う具合になんとも時間のかかる出来事がありましたが、その研修医が2年か3年たって元の医局に戻ってきたときは、かなり偉そうに指示するようになっていました。
その分成長したと言うことなんでしょうが、いまだ『ハルシオンの僕』とささやかれていることを彼は知らないでしょう。
もちろん同期の医師には、わからないので教えてくださいと泣きつく医師もいれば、絶対これで間違いないと鼻息荒く処方した薬をベテラン看護師にダメ出しをされてしまった研修医などもいます。
看護師が偉そうとか、生意気とか、医師でもないくせにとか思う前に、どうか、診断技術と、患者を見る目を養ってください。
研修医だろうが、ベテランだろうが、患者を見る目を持っている医師に看護師は決して粗雑な扱いをすることはありません。
(2004/12/26)
とある年の大学祭の最終日でした。
夜勤をしていた病棟に緊急入院がありました。
お察しの通り、酔いつぶれた急性アルコール中毒の学生です。
その学生は、なぜか半裸で、しかも身体中にペイントしていたのです。
忙しそうな外来当直の看護師でさえ「じゃあ、よろしく」と結構冷たい扱いをされていました。
…祝日だったその日、外来当直には恐ろしいほどの患者さんが来ていたそうで、酔いつぶれた医大生など、いい迷惑だったのは確かでしょう。
ペイントで身体中が緑色な上、拭いても落ちやしねぇ。
シーツは汚れると困るので、ベッドの上には使い捨てシートを敷いていました。
そして、付き添いのように傍に二人の女の子が立っていたのに気づきました。
事情を聞くと同じクラブの子たちらしく、身体を拭くのを手伝ってくれました。
もちろん恋人でも何でもありません。
思いっきり衣服を脱がして下半身丸出しにもかかわらず、全く動揺も見せずに丁寧に拭いてくれました。
と言うか一応断ったんですが「ご迷惑をかけてすみません」と非常にこの状況を憂いでいるみたいでした。
外来でも恐らく粗雑な扱いを受けていた様子です。
いや、お嬢さん方、悪いのはこのくそ坊ちゃんなわけです、などと言えるわけもなく、点滴や尿の管理に追われていました。
夜中過ぎ、大分アルコールが薄まったのか、暴れだしました。
まだ、はっきり意識が戻っているわけではないので、自分の状況がわかっていないのです。
この状況で点滴はまだ抜くわけにはいきません。
しかし、暴れて押さえがきかない上に、ベッドから落ちてもらっては困るので必死で腕をつかんでナースコールです。
他の看護師ともども当直の医師(このときは下っ端研修医)が駆けつけ、一緒に何とかなだめてもう一度眠り出すまで、他の仕事はできません。
当直の医師も忙しいので、もう一度留置針(持続点滴に使用)を入れるのも面倒です。
抜けはしなかったものの、ため息をついた医師は「あ、抜けたらもうそのままでいいから。朝目が覚めたら、退院手続きよろしく」と少々疲れ気味でそういい残していかれました。
そして、何回目かの見回りに行くと、自分で抜いた点滴と尿管
(尿を出すための管:意識がないので入れられていました)を左右にそれぞれ持って起き上がっていました。
…少々呆然としつつ、朝の挨拶をして検温を始めようとすると、彼は言いました。
「なんか、痛いんだけど…。これ、何?ここ、どこ?」
そら痛いだろう、自分で(多分)無理やり引き抜いた点滴と尿管持ってるし。
もう一度状況を説明し、もうすぐ医師が診察に来ることを告げると「ああ、そう」と寝てしまいました。
その朝、彼は迎えに来たクラブの女の子に大声で怒鳴られていました。
「皆に迷惑かけたんだからね!!」とか「あんたはいつも飲みすぎなのよっ!」とか切れ切れに聞こえてきて、申し送り中の看護師たちの失笑を買っていました。
看護師や医師が怒るより効いたようで、心なしかしょんぼりした様子で退院していきました。
…飲みすぎにはくれぐれも注意しましょう。
(2004/11/10)