大学病院は看護職員の人数はそれこそ600人ほどいるわけですが、一堂に集まって看護研究発表会というものが年に1〜2回程ありました。
就職した当時は前期後期に分けてありましたが、今は1回で済ませているらしいです。
それはともかく、その発表会は全病棟が参加する形になるので、そのための準備を1年前から計画を立てて研究をするのです。
看護研究って、いったい何だとお思いでしょうが、…私も正直何なんだと言わざるをえません。
と言うのは、テーマは結構何でもありです。
だいたいその病棟ごとにテーマは決まってきます。
内科系の病棟で外科系の研究は無理ですからね…。
覚えている限りだと、看護用具の創意工夫に関するものだとか、使用器具の菌繁殖に関するものだとか、仕事の時間配分の工夫だとか、患者指導の方法だとか、いろいろありました。
最初にテーマの選び方を失敗すると、半年研究したにもかかわらず、結果が出ないとか恐ろしいことになります。
だいたい研究には2年目から3年目あたりの看護師が病棟から2、3人選ばれます。
それにベテランがアドバイスに付くという形で、まとまるまでの半年間苦しむわけです。
もちろん研究がうまく行くように他の看護師たちも協力します。
データを蓄積して分析したりするのは会社などでも同じことでしょう。
時には患者さんに協力をお願いしなければならないこともあります。
しかし、半年後の発表原稿提出期限まで余裕でまとめる病棟などありはしません。
ほとんどの研究者たちは、ぎりぎりにならないと原稿をまとめたり、データをまとめたりするのをサボっていることが多いのです。
提出期限まであと1ヶ月と言う頃になって、なーんにもまとめていないことに気付いた婦長あたりが、慌ててまとめを促しだします。
もちろん発表会で使う資料も作らなければなりません。
掲載原稿をそのまま読んでしまっては、発表時間内に収まらないので、発表用の原稿もまとめてリハーサルしなければなりません。
仕事が終わった後などに残ってやっていく羽目になるのです。
残ったからといって仕事ではないので、お金がもらえるわけではなく、やる気は半減です。
夜勤の後は眠い目をこすりつつ、日勤の後は夜中近くまでパソコンの前に陣取って作業です。
会社ではないので、病棟には3台程しかパソコンが置いてありません。
文章をまとめるだけなら個人のパソコンでも十分ですが、やはり患者さんに協力してもらったデータなどを院外に持ち出しするわけにはいかないので、病棟で作業するしかないのです。
そうやって最後の最後までがんばって仕上げた研究が、もし万が一看護部の御めがねにかなってしまうと、看護協会主催などの発表会に提出なんてこともあります。
それでもしも更に参加資格なんてもらえてしまうと、半泣き状態で発表会に出かけていかなければなりません。
苦労した研究が世に出るのを本来喜ぶべきですが、その研究のお粗末さを知っているのは研究者本人です。
そんなところに出すような研究じゃないんだよーと言うのを声を大にして叫びながら出かけていくのは、苦痛以外の何物でもありません。
そんなことを繰り返しながら、毎年毎年下っ端は苦しんで研究を進めていたりするのでした。
(2005/05/28)
仕事中に泣くことはほとんどありません。
それは当たり前でしょうが、泣いても仕事は進みませんし、泣いている暇はありません。
ただ、患者さんの前で泣いてしまったことが二度、あります。
普段どんなにきついことをいわれても意地でも泣きませんが(ちなみに『訴えてやる!』のときは泣きそうではありましたが、実際には泣いておりません)、その二度だけは今でも同じ場面に遭遇したら泣いてしまうかもしれません。
一度目の涙の話は、患者Eさんとの話です。
何度も入退院を繰り返していたEさんの病名は肝硬変と肝がんでした。
肝硬変は、肝臓全体がすじとなって硬くなり、正常な機能を果たせなくなる病気です。
アルコールの飲みすぎや肝炎ウイルスの進行などで起こります。肝硬変まで行くとなかなか元には戻りません。
Eさんも進行を妨げるために定期的に入院治療を行っていました。
そして、その厄介な症状の一つに食道静脈瘤(しょくどうじょうみゃくりゅう)というものがあります。
詳しい説明を読むのは面倒でしょうが、一応簡単に説明しておきましょう。
肝臓に戻るべき血液が戻りきれずに食道静脈に戻って、ところどころ薄い血管に溜まって瘤のようにできるのがその症状です。血管の風船だと思ってください。
肝臓は毎日目一杯血液を処理していますが、その肝臓自体が弱っているのが原因です。
ちなみにそれを治療するには、風船自体を破裂する前につぶしておかなければなりません。
胃カメラで食道をのぞいて、ゴムで血止めしたり、薬をかけたり注入したり、繊細な治療が必要とされます。
Eさんはその治療を何度も受けていました。
そもそもEさんとは、入退院で何度も顔を合わせるたびに野球の話などで盛り上がっていました。ちなみにEさんはGファン、私がDファンでした。
とある年には最終優勝決定戦でGにDが負けたときには、ほぼ1週間にわたって訪室のたびにひらひらと新聞の優勝記事を見せつけられたりということもありました。
おまけにチビな私にあだ名をつけてみたり、自分の父親ほどの年齢を重ねたEさんが悪友らしき軽口をもって接していたことは確かです。
もちろん患者さんでもあり、いくらなんでも私も失礼な態度のままずっと接していたわけではありませんが。
3度目の夏頃、またもや入院になるという話を主治医から聞かされました。
また野球の話になるなぁなどと思っていた矢先に緊急入院の知らせが入りました。
夜勤時に救急車で直で病棟に運ばれてきたのは、Eさんでした。
主治医以下、消化器主要医師のメンバーが揃っていて、ただ事ではない様子でした。
すぐに一番広い回復室に入れられ、内視鏡の機械が運ばれました。
口からはどんどん血が吹き出されていて、静脈瘤の破裂だとわかりました。
Eさんは私の姿を見て、「○○!また頼むわ…」とこんなときにもあだ名を呼ぶのを忘れませんでした。
そんな場合じゃないだろうに…と思いつつ、手を握って「さあ、これからがんばるよ!」と声をかけると素直にうなずいてくれました。
点滴に輸血や検査の準備、吹き出る血で周りが汚れないようにカバーしたりと、看護師3名は大忙しになりました。
胃カメラで食道をのぞいてみるものの、吹き出た血で出血点がなかなか見つかりません。
医師たちも懸命で怒声が飛び交います。
そんな中、輸血の最終確認結果が届かないなど(検査室で何度検査してもうまく結果がでないと何度も電話あり)、悪条件が重なりました。
このままでは出血多量で血圧がどんどん落ちていくのを見守るほかありません。
点滴は全開、強心剤に内視鏡での治療続行とめまぐるしく周囲は騒がしくなっていきます。
家族は病室の外で気が気ではありません。
看護師たちは、まだ意識のあったEさんの肩をたたいたりして声をかけます。このまま眠ったりするとすぐに意識レベルが低下して血圧が下がってしまうからです。
やっとのことで輸血して、出血点を見つけた!と主治医の声に安堵したのもつかの間、今度はその出血点も1箇所どころではないということが判明。
そして、そのままEさんの状態は急変したのです。
家族を呼び入れても血だらけで傍に寄るのも大変でした。
「Eさん!出血止めたぞ!」と呼びかけた主治医にEさんがかすかに手を伸ばしかけて、その手が力なく落ちたときが本当にEさんの最後でした。
「お父さん!もう少しだけがんばってよ!」と呼びかける家族でしたが、輸血を続けても、心マッサージを繰り返しても、戻ることはありませんでした。
処置の後片付けをしながら、主治医がポツリといった言葉が忘れられません。
「手を伸ばしてくれたんだよな…。握り返してあげたかったよ。カメラ持っててそんな余裕なかったんだけど」
私もさすがにボーっとしながら片付けを終え、家族と共に霊安室に向かったとき、家族から
「○○さんですよね。いつもお世話になっていました。憎まれ口ばかりですみませんでした」
と言われ、どうしても泣かずにはいられませんでした。
大泣きではなかったものの、家族を差し置いて泣くという行為が悪い気がして「泣いてしまってすみません」と謝っていました。
家族の方がその後なんと言ったのか覚えていません。
何も言わなかったかもしれませんが、これ以降、私は家族の前で泣くのはやめようと心に誓うことになりました。
泣くことは決して悪いことではないと思うのですが、職業上、プロとして、泣くのは違う気がするのです。
本来ならこのケースも、どうして助けてくれなかったんだと責められてもおかしくはないのです。
そういう事もあって、泣くということはとても難しいことだと考えさせられました。
(2005/06/09)
二度目の涙は、患者Fさんとの話です。
患者Fさんの病名も肝硬変。ただし、すでに肝がんになっていましたが、本人にはそこまで告げていませんでした。
ちょうど私が異動で病棟を変わる直前のある日、担当部屋でFさんにも異動の話を持ちかけることになりました。
お世辞にもさみしくなるねーと言われて、不意にFさんがご自身の奥さんのことを話し出しました。
数年前に奥さんは亡くなっていて、そのときもさみしかったが…などと言う話になり、なんだか話がヘビーになりそうだったので、さすがの私も引き気味になりかけでした。
ただ、あまりにもしみじみと話しておられる患者さんを残して話を切り上げていくほど、いくら私でも仕事上でなくともそこまで情のないことはいたしません。
「かみさんも、同じ病気で死んだんだよ、ホントは」
そう言われて、患者情報を一所懸命思い出そうとしましたが、そんなことは聞いたことがなかったので自身の頭に情報として残すことにしました。
「自分のことばかりでかみさんの病気には気付かなくってなぁ…」
私は何と言おうかと考えているうちに、はたと気付きました。
同じ病気で亡くなったってことは、Fさんのこの先の経過も全く同じ過程なわけで…。
「うん、俺も一緒なんだよな…」
何か言わなくてはと思ったのですが、何も言えないままでした。
大部屋で、あまり大きな声を出すわけにはいきませんでしたが、昼過ぎで他のの患者さんは部屋にいらっしゃいませんでした。
その時点で素早くカーテンを閉めてしまえばよかったんですが、Fさんと無言で向き合っていて、とても動けませんでした。
なんとなくそのまま手を取って手の甲をぽんぽんと軽くたたくようにしました。
「…かみさんみたいに死にたくないなぁ…」
私が取った手を強く握り返してとうとうFさんが泣き出してしまいました。
私に何か言葉をかけてもらいたがっているのかどうか、なんと判断してよいのかわからず、更に言えば、なんて答えたら一番良いのだろうとかける言葉がなく、ただただ黙って立っていることしかできませんでした。
いつのまにか自分も泣いていて、同僚が来て慌ててカーテンを閉めてくれるまで気付きませんでした。
カーテンを閉めてもらってようやく自分が無防備に泣いていたことが恥ずかしくなり、Fさんと二人で顔を見合わせて笑ってしまいました。
「まだ、時間はあるよ、大丈夫」
Fさんが本当に死期にいたるまで、まだ時間はあることを告げたかったのです。ようやくそれだけ言いました。
「…ありがとう。まだ、今すぐじゃないしな」
うん、うん、とうなずき返してその場は終わりました。
その約半年の後、結局Fさんは亡くなったと聞きましたが、あの時私のあの態度がFさんにとって何の慰めにならなかったとしても、たまたま訪れた私にそっと漏らされた一言が聞けたことは、良かったかなと思います。
息子さんにその言葉を託し、より良い残りの生活を選択されたことと思いたいです。
死にゆくことの意味を凄く考えさせられた出来事でした。
(2005/06/09)
病院にも時にはもちろん組系の方も来るわけです。
下っ端の場合は結構態度が悪く、いろんな注意もまともに聞いてくれません。
どちらかと言うとチンピラ系は、やたら威張って虚勢を張りたがります。
その割には注射なども処置で少しでも痛みが出ると文句を一番言うのもこのタイプ。
正直あまりうれしくないタイプの患者さんです。
挙句の果てには無断外泊や飲酒、入院費の未払いなどで、強制退院になったりします。
きちんと組に所属しているほうがかえって安心して処置ができます。
下っ端もしっかり躾けられていて、迷惑を被ることもありません。
さて、私が大学病院で働いていたときも、特室に組系の親分さんが入院することがありました。
昔、薬の回しうちで肝炎ウイルスをもらったとかで、肝臓系の治療で年に1〜2回くらい入院治療を続けておりました。
漫画のようですが、意外にこういう方は多いそうです。
もちろん表向き(ほかの患者さんの手前か?)は、金融業社長になっていました。嘘ではないです。金融業も兼業していましたから。
ひじまでの立派な彫り物と、入院当日や日替わりにやってくる下っ端の数といい、最初はかなりびびりました。
しかし、看護婦3年目を過ぎたその頃、そんなことでびびっていては処置もできません。
点滴も毎日しなければなりません。
ただ、いざ点滴をしようと腕を見れば、立派な彫り物…。
先輩方はうまく彫り物を避けて点滴してありました。
しかし、なんだかその場所も血管が弱いらしく漏れていて、私にはどうがんばっても彫り物を避けての点滴は無理でした。
すると、竜の目の位置に立派な血管が…。
恐る恐る聞いてみました。
「…大変失礼だとは思うのですが、ここに点滴したら…その、やはりダメですか…ね…?」
笑いながら答えてくれました。
「治療は任せてるから、好きなところに刺してくれ。失敗しても怒らねーよ。なんか、俺の血管刺しにくいらしいから」
「…そ、そうですか?いや、実は、ちょっとつるつるとして血管が…。あ、いや、その代わり1発で刺させていただきますので」
ほっとして思いっきり竜の目に点滴を刺した私です。
彫り物がしてあるところは非常に血管がわかりにくくて、つるつるとして刺しにくそうです。
唯一わかりやすい場所が竜の眼の位置にある太い血管だったのでした。
後に怖いもの知らずと言われはしましたが、同じように同僚も「その位置って狙い目だよねー」と点滴の目印にしていたのでした。
病室に直立不動で立っている幹部の方らしい人に朝から「おはようございます。今日もよろしくお願いいたします」と頭を下げられるのもそのうち慣れていきました。
入院している間は、結構気さくな方だと思っていましたが、ある日新聞沙汰で拘留を避けるために入院されてきたときは、やはりそういう職業の人なんだと妙に納得したのでした。
…この方の話はもう一つ続く。
(2005/07/19)
再び金融業社長さんの話です。
社長は入院のたびに検査やら説明などを家人と一緒に聞かなければなりません。
特別な検査や治療のときは危険を伴うので、同意書というのを書いていただきます。
同意書は、この検査や治療の説明を受けて納得したので、検査や治療を受けることに同意しますという念書みたいなものです。これには署名が必要で、ご本人(もしくは代理人)と家族の分です。
当然社長は結婚されているので、奥方が検査の前にはやってきます。結構普通の奥さんですが、物静かな方でした。
検査当日には奥方は来ません。
忙しいのかよくわかりませんでしたが、とにかく下っ端がいるので何かあっても連絡するには十分です。
検査が始まる頃には若い女の方が病室に見えることがありました。
初めは娘さんかと思いましたが、なんとなく違う様子。
どちらかと言うと派手系で、お水の方のようでした。
ナースステーションではその方の噂で持ちきりになりました。
いわく、あれは誰?
そのうちなんとなく、愛人1号ではないかという結論に達しましたが、あえてそれを聞く勇気のある者はいません。
検査が終わって社長が戻ってしばらくしたらすぐに帰っていかれたので、二人の会話がどんなものなのかもわかりませんでした。
そもそも奥方と社長が話しているのすら、私はまともに聞いたことなかったです。
そして更に日を置いて、またもや別の女の人を見かけることになりました。
今度は奥方とお水系の人との間辺りの年齢。
私たちは密かに愛人2号という呼び名をつけることにしました。
社長の具合が悪いときは、仲良く?交代でお見舞いに来ていました。
今日は奥方だとか、今日は愛人1号だったとか、担当看護師に伝言されていました。
結構失礼ですが、付き添っている方の名前もわからないのでは呼びようがなく、社長もあえて何も言わないので聞くに聞けず…。
社長の方針なのか、どの方もでしゃばることはなく、検査や治療のときもただ黙ってじっと待っている風でした。
実は身内だとかいう話ならばそれでおしまいなのですが、なぜか3人が一堂に会することはなく、なんとなく下っ端や奥方の様子からしてやはりあれは愛人たちに違いないという勝手な憶測をしていたのでした。
実際のところ、社長も否定することもなく時は過ぎ、社長がいよいよ引退して故郷に帰るため、転院してもう二度と入院してくることはないだろうとなったとき、どうやら愛人1号2号とも縁を切った(らしい)後の奥方を見たら、他人事ながらよかったなぁと思いました。
あの淡々とした表面の下で想像もつかないようなこともあったのかもしれませんが、少なくとも社長の愛人さばきに教えを請いたいと思う医者がいたであろうことは間違いありません。
(2005/07/19)
病院にはやはり怪談がつき物だとは思います。
それが真実か妄想か、ただの勘違いかはともかく。
寒い2月のある日、ベテランの先輩と二人、夜勤をしていたときのこと。
巡視も滞りなく終わり、何事もない平和な夜勤だったので、珍しく1時間ほど仮眠を取ろうということになったのです。
とはいってももちろん本格的に寝るわけにはいかないので、休憩室でイスを並べて横になるか机に突っ伏して寝るくらいのものです。
休憩室の電気を消して、先輩は机に突っ伏して眠っていました。
私は折りたたみイスを3つほど並べて横になっていました。
足がだるかったので、とにかく足を伸ばしておきたかったのです。
静かな病棟に静かな休憩室の中で、時計の音だけがやけに響きます。
私もそのうちウトウトとしていましたが、時計の音がなんだか気になって薄目で時々時計の針を確認していました。
それでもいつの間にか眠っていたらしく、ふと目が覚めると30分ほど経っていました。
横の先輩の起きる気配で目が覚めたはずですが、先輩は同じ姿勢で眠っています。
気のせいかと思い、再び目を閉じて眠りました。
その後もなんだか気になって、何度か時計を確認したのですが、時計の針はまるで動いていないように見えます。
そうか、眠っているようで眠っていないんだ。
ボーっとそう考えていたら、時計の下のイスに誰かが座っていました。
ああ、やっぱり先輩もう起きたのか〜と思って声をかけようと思ったところ、よく考えたら隣のイスに先輩は同じ姿勢で眠っています。
じゃあ、あれは誰だろう…。
寝ぼけているので、深くは考えません。
まあ、いいか。多分まだ夢を見ているんだなーと思い、再び目を閉じました。
しかし時計の音がうるさいなーと思ったとき、突然時間を知らせるタイマーの音が鳴り響きました。目覚まし代わりにセットしておいたものです。
凄く驚いて飛び起きました。
先輩も鳴り響いたタイマーに起き上がってタイマーを止めました。
…ところが、タイマーはまだ鳴る時間じゃなかったのです。
残り時間30分ほどありました。
…タイマー壊れた?
先輩と目を見合わせましたが、原因はわかりません。
とりあえず目が覚めてしまったので、休憩室の電気をつけて起きることにしました。
「先輩、ずっとそこで眠ってましたよね?」
何気なく聞いてみました。
「寝てたけど。あなた、起きてたでしょ?」
「薄目は開けてましたけど?」
「え?そこで起きて座っていなかった?」
「うえっ?私、イスに寝てるんで動けばすぐわかると思うんですけど」
「えー!だって、誰か座っていたかと思ったんだけど」
「…先輩、怖いこと言っていいです?」
「ええ?」
「私もそこに誰か座っていた気がしたんですけど、見たら先輩は隣で眠ってたんですよね…」
「じゃあ、タイマーはなんで鳴ったの…?」
「…さあ。そもそも鳴ってたんですかね?」
「………(しばし無言な先輩と私)」
「…気のせい、ですよね、先輩」
「あはは、気のせいだよ」
「そうですよね」
「夢だよ、夢」
「…あはははは(乾いた笑いの二人)……」
その後、とても休憩室にいる気分ではなかったので、ナースステーションでやる必要もない整理整頓なんか始めてしまった先輩と私でした。
誰に言っても信じてもらえなかったので、多分気のせいだと思います。
でも、やはり休憩室で寝るとろくなことがなかったので、私は休憩室で寝るのをやめにしました。
代わりに処置室で眠ったのですが、そこで寝たら耳元で何かが聞こえたりしたのも、やはり気のせいだと思います。
(2005/09/15)
またまた真冬のある日、準夜勤で勤務していたときのことです。
当直でもない研修医の先生が暇そうにナースステーションに現れました。
そんなに暇そうなら仕事でも手伝ってくれればいいのに、と思わず愚痴をこぼしていたら、ナースコールが鳴りました。
先輩が担当だったので、その患者さんの元へ行ってしまい、その研修医の先生とバカ話をしながら先輩を待っていました。
先輩が戻ってきたらお茶でもしようということになっていました。
ではお茶の用意を…と私は休憩室へ行きかけたとき、またナースコール。
ちょっと手が離せなかったので、先生に部屋番号確認して「行きます」とだけ言っておいて〜と頼みました。
お茶を用意してもらえるので、機嫌よく先生はナースコールを取ってくれました。
「で、どこの部屋だった?」
「えーと、ここ」
研修医の先生が指差した部屋は個室でしたが、名札が入っていませんでした。
「えー、他の部屋じゃなくて?」
「違うって、絶対ここだって」
「…だって、ここ誰もいない部屋じゃん」
「…いないの?名札取れてるだけじゃなくて?」
「取るわけないじゃん。で、本当はどこの部屋なの?」
「いや、だから、ここだって!」
「おかしいなー。ここ2日ばかり誰も入院してないんだってば」
「いや、俺は間違ってない」
「じゃあ、先輩に聞いてよ。個室のほうは先輩の担当だから」
先輩がナースステーションに戻ってくると、研修医の先生と先を争うようにして先輩に報告です。
「隣の部屋と間違えたんじゃないの?」
「じゃあ、見に行ってみる?」
「…先生責任とって見てきてよ」
「なんで俺の責任なの」
「先生が変なナースコール受けるからじゃん」
「お前なー!…わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」
「私と先輩で隣の部屋のぞいてくるからさ」
「…皆で行こうぜ」
と言うわけで、皆でその個室に見に行くことになりました。
先生はおかしいなーと首をかしげながらまだナースコールを見つめています。
行かないつもりか?などと意地悪く考えてナースステーションを出ようとしたとき、またナースコールが鳴りました。
「う、うわ〜、本当に鳴ってるぜ〜」
妙に怯えた声で先生が私たちを呼びつけます。
見ると、空室のはずの個室のナースコールでした。
「うぎゃー、やだよー、先生取ってよー」
「俺も嫌だよー」
「どうでもいいけど、うるさいから取って!」
と、先輩は半ば怒りながらナースコールを取りました。
「はい?どなたかいますか?」
…返事があったらそれも怖いよ。
ナースコールを置いて、先輩は個室へダッシュしました。
例の個室のドアを勢いよく開けました。
「別に誰もいないよ」
先輩の後から恐々のぞいた私と先生でした。
先輩は個室に入ってナースコールをつかむと、根元からはずしました。
「明日修理に出そう」
…それだけですか?他のリアクションは?
「隣の部屋見てきて」
「はい〜」
言われるがまま、両隣の部屋をそっとのぞきましたが、両隣の患者はナースコールを押した様子もありません。
「変わりないです」
「じゃあ、大丈夫だよ。ナースコールだって機械なんだから調子の悪い時だってあるよ。ほら、根元から抜いちゃったからもう鳴らないって。これで鳴ったらそれこそ怖がってもいいと思うけど。明日婦長さんに修理依頼出しておくから。他の違うナースコールつければ問題ないよ。明日この部屋も入院入るし」
…そうですよね〜。そんなもんですよね〜。
私と先生はこの瞬間、この先輩に逆らうのはやめようと思いました。
その後、その部屋のナースコールが鳴ったという話は聞かないので、やはりナースコールの故障だったんだと思います。
(2005/09/15)
日曜日の日勤、穏やかな午後の検温時に患者Gさんの部屋(個室)へ行きました。
言語障害と嚥下障害、左不完全麻痺のある脳梗塞の患者さんです。自分で身体を起こしたり移動したりはできません。
ちょうど家族が見えていて、部屋に入ると家族がゼリーを食べさせていました。
ほほえましい光景のはずが、なんだか変です。Gさんの顔がやや苦悶の表情をしています。
家族は気付いていないのか、呑気にゼリーのカップを持って私を振り返りました。
「Gさん?」
声をかけながら顔をのぞくと、明らかに顔がみるみるうちに赤黒くなっていきます。
つまってる?!
「Gさん!!」
私は持っていた検温道具を放って、ベッドの背をを上げて座っていたGさんを前かがみにさせて背中を思いっきりたたきました。
家族はまだこの重大な状況が把握できていないのか、ぽかーんとしています。
私一人があせって背中をたたいているので、まるで虐待でもしているかのようです。
「どんなゼリー食べさせたんですか?!」
きっと私の声がとても怖かったのでしょう。
家族は少し怒りながらこれです、と袋を見せてくれました。
それは、こんにゃくゼリーでした…。
嚥下障害の人に?しかも丸ごと?こんな大きいものを!!
うごうごと言っていたGさんでしたが、とうとう呼吸が止まりました。
慌ててナースコールで他の看護婦を呼び出します。
体の大きなGさんの身体をなんとか後ろから抱えつつ、胃の辺りを両手を組んでぐっと押しますが、つまったものは出てきません。
ベッドを戻して、のどの奥に手を突っ込んで掻き出すことも試みました。
かなり奥のほうらしく、当然手を突っ込んだくらいでは届きませんでした。
吸引器もつまったものが大きすぎて役に立ちません。
箸か何かでつついてみようかとベッドの周りを見渡しましたが、もともと嚥下障害の方なので、飲み込みやすいものしか出ていなかったせいか、スプーンしかありません。
スプーンを手に取ったとき、他の看護婦が心電図モニターと緊急カートを持って現れました。
偶然当直の先生が病棟に来たところだったらしく、先生もかけつけてくれました。
呼吸が止まって約3分といったところでしょうか。
挿管(気道に気管チューブを挿入すること)することになりましたが、のどにはこんにゃくゼリー。
挿管するときに使うガイドワイヤーで先生が試しにつついてみると、スポーンという音がしてこんにゃくゼリーが飛び出しました。
…まるで漫画です。
やっとのことで挿管してアンビューバッグ(人工呼吸の補助器具)を使うと、そのうち自発呼吸も出てきました。
それでもまだ意識は戻らないので、チューブだけは挿管したまま、一晩様子を見ることにしました。
はっと気付くと家族はいません。
状況説明も必要なので、院内放送で呼び出して戻ってきてもらうと、なんと昼食を食べに行っていたとのこと。
Gさん、呼吸止まってたんですけどね…。
とにかく、波乱の日勤は終わり、私はその後深夜勤務につきました。
昼に呼吸の止まったGさんは、相変わらずまだ意識は戻っていませんでしたが、状態は比較的安定していました。
そして夜中の3時、見回りにGさんの部屋に入ると、なんとベッドの上にGさんがいませんでした。
なんてこった!
慌てて私はGさんの名前を呼びながら、もう一度ベッドの上を確認しました。
ベッドの上には自分で抜いたらしい血のついた気管チューブが残っていました。
Gさんは意識があろうと自分で動ける方ではないので、いったいどこへ?と床の上を照らしていたところ、何やら不気味な息遣いが聞こえてきました。
慌てていて部屋の電気をつけるのも忘れていたため、明かりは懐中電灯だけです。
はっとしてベッドの下をのぞくと、うへへへへと笑ったGさんがベッドの下から仰向けのまま這い出てきました。
思わず懐中電灯を落としそうになるほど驚きました。
悲鳴を上げなかったのが不思議なくらいです。
「Gさん!!なんでそんなところにいるの〜〜!!」
聞いてもGさんは言語障害の上に痴呆もありますので、答えてはくれません。
ベッド柵は両側ともびっちりつけて囲ってあります。もちろんはずした様子はありません。
なのに、なんで動けないはずのGさんが柵を乗り越えて、しかも、ベッドの下にいるんだ〜〜〜〜?!
自分の果てしない疑問はともかく、ベッドの上に戻さなければなりませんし、打撲がないか確認しなければなりません。
かなり体が大きい方だったので、さすがに一人で持ち上げることはできませんでした。
夜勤の相棒を呼んで、かなり苦労してベッドに戻しました。
どうやら打撲跡もなさそうでしたし、呼吸状態も特に問題なさそうでした。
当直の先生にも診察してもらい、やっとほっとしました。
それにしても、本当にどうやってベッドの下に降りて(落ちて?)、なんでベッドの下にもぐったのか、いまだに謎です。
教訓、こんにゃくゼリーはうまいが、丸ごと吸い込むと本当にのどにつまるぞ、気をつけろっ。
(2005/09/29)
職場で避難訓練というのは、よくあることでしょう。
病院も当然年に何回かあります。
そのうち1回は大規模な病院全体のがありまして、そのときばかりは婦長や医局の気合が入ります。
避難訓練はいざというときのためには非常に大切なものです。
実際役に立つときもあります(役に立たなければいけないものですが)。
大切なものなんですが、日々のスケジュールに追われている看護師・医師にとっては、やはりわずらわしかったりするのです。
避難訓練の前に患者役と看護師役、医師役などが振り分けられます。実際の患者さんを使うようなことはいたしません。
避難訓練の日は決まっていますが、いつ起こるかまでは決まっていません。
でも、まあ、仕事に支障のない午後、と相場は決まっています。日勤の時間帯で一番仕事が落ち着いた頃です。
「避難訓練。震度6の地震が発生いたしました!○階休憩室より火事が発生いたしました!繰り返します…」
それきたとばかりにあらかじめ役割の決まっている人は動き出します。
当然患者役に振り分けられた医師たちもその辺でうろうろして待機中だったりするので、ナースステーションはやたら人がいたりします。
私は看護師役でした。
廊下になぜか無造作に転がっている患者役の医師を運ぶ羽目になりました。
なんで転がっているのか、このときは突っ込んではいけません。
しかも、誰が選んだんだ、このでかい医師を…。
私の体の2倍もある医師の中でもかなり大きい人でした。
それを起こして車椅子に乗せなければなりません。
本物の緊急事態なら、火事場のクソ力も出るかもしれません。
申し訳ないが、どうしてもこのときは本気になれませんでした。
真剣にやらないといけないのは重々承知ですが、図体のでかい医師が廊下に転がって「うー、うー」って、…笑えます。
でも、笑わずに顔だけは真剣に進めます。
一人では無理そうだったので、誘導している看護師役を一人その場で叫んで呼びます。
「移動をお願いします!」
本物の患者は病室から面白そうにのぞいています。
もう一人の看護師役が来て手助けしてくれましたが、あまりにも医師が大きすぎて車椅子に乗せるまでにいたりません。
本物の患者は「ありゃ無理だよ」などと笑っています。
無理でもやらねば本番は死んじゃうよ…。
必死の形相でやる私たちが面白いのでしょうか、患者のくすくす笑いがあせる気持ちに追い討ちをかけます。
やっとのことで車椅子に持ちあげたら、なんとお尻が大きすぎて車椅子に座れなかった…。
おいおい…ダイエットしろっ。
仕方がないので、リネン室からシーツを持ってきて即席の担架作りです。
シーツの上に患者を乗せ、片方の端を縛って、引きずっていきます。
それでもかなり重い。
でも、根性で私は階段のある場所まで引っ張りました。
医師がおしりをぶつけようがもうお構いなしです。
そこまでいくと他病棟の手助け隊が待機しているのです。
避難所になっているグラウンドまで避難させて、患者人数を確認して報告して終わりです。
もちろん私より上の先輩たちは呼吸器のつけた患者などの移送訓練で大変です。
そちらのほうはもっと真剣です。
病棟へ戻り、患者さんのナースコールで病室へ行くと、その病室にいた他の患者さんがニヤニヤして言いました。
「いやー、看護師さんて大変だね。せめて俺は自分で逃げ出せるようにしておくよ。でも、ちゃんと持ち上げて助けてたから、えらい、えらい!」
…ぜひ、そうしてください。
そして、あまりにも予定調和な避難訓練だったため、次回からは予告なし避難訓練をやるかもしれないと言う噂が…。
その真相はいかに…?
(2005/11/13)
3年目になろうかというある日、親しくしていた先輩からあるお達しが下りました。
「あ、次年度の役員、よろしく」
「はぁ〜?」
なんじゃ、そりゃー!
「代々押しの強い盛り上げ役がやると決まってるのよ」
…それは、先輩と私が押しが強くてお調子者と言うことですか?
「今、なんか言った?」
「イエ、ナニモ」
「じゃあ、よろしく」
民主主義はどこへ…。
そうして、厚生会の役員になったのでした。
厚生会とは、いろいろなイベントを通して病院内の人間関係を円滑に進め…、と、まあ、そういう企画を運営していく会であったりするわけです。
その役員に課せられた使命は、イベントに参加しやがれ〜と病棟内のメンバーに告知すること。
実際は頼むから参加してくださいよ〜と平身低頭に参加を請うのでありました。
そして、イベントのたびに貴重なお休みを使い、運営のお手伝いをしなければなりません。
何でもっと積極的に参加しないのかって?
心から参加したいと思わせる企画さえあれば…ね。
今でこそバレーボール大会なぞはなくなりましたが、その昔は球技大会もあったので、練習も大変だったことだろうと思います。
今はせいぜいクロリティーと呼ばれる輪投げやボーリング大会、夏祭りくらいで負担は少なくなりました。
それでも参加するからには、それ相応の人数を集めなければなりません。
こういう行事が好きな方ももちろんいらっしゃいます。
でも大抵は、役員に懇願されて出てくれるのです。
私も頼みましたよ。
先輩にはあまり頼めず、下っ端(とは言っても二年目と一年目の後輩)に強引にお願いして。
そんなわけで、私も役員として役員会に出席。
はじめに決まったのは、おそろいで着る役員用のポロシャツの色。
ボーっとしているうちに色は決まっていました…。
もちろん去年と同じ色を着るわけにはいきません。一昨年の色もだめです。
で、決まった色は、紫。
早速届いたポロシャツを試着してみました。
おいおい…と言うほど私に似合わない。
何でこんなに似合わない色を着なければならないんでしょう。
これから一年間、ことあるごとに紫のポロシャツで出かけなければなりませんでした。
気分はすでに憂鬱でした。
春はとりあえずボーリング大会で始まります。
肌寒い時期ですので、室内のほうが無難です。
参加者はボーリング好きな人が集まっています。
毎回のように参加するような人もいます。
当然ハンデなんかもつきますが、そんなことはどうでもよろしい。
私はボーリングが苦手なのです。
いや、まあ、ボーリングだけでなく、正直どんな競技にも期待はできません。
嫌いではないんですが、あまりにも下手。
運動神経があまりよろしくない人間です。
そんな私とは逆に、どこの会社でもいるような張り切りボーリングマシーンのような人もいます。
手にはサポーター。足にはマイシューズ。さすがにマイボールは禁止でした。
婦長さんも参加してくださいました。
何せ婦長さんはボーリングブームに青春時代を送った人です。
楽しげです。
なんとなくそれだけでもよかったなと思いました。
飛び賞も含め、賞に引っかかることもせず黙々と役員の仕事もこなしました。
役員でよかったことはただ一つ。
お弁当の支給と余ったジュースの飲み放題。
…また食べ物につられてるよ。
そんな風に数々の行事に参加してみましたが、どれもうまくいかず、役員で組むチームの足を引っ張りまくりな一年間でした。
個人的には、輪投げが結構面白かったです。
老若男女が参加できる気軽なスポーツです。
看護助手のおばちゃんや婦長さんも参加してくれました。
簡単そうに見えて全くうまくいかなかったのがとても印象に残っています。
そう、あの紫のポロシャツ姿の写真とともに。
そして、3月。
同じように次年度の役員には、有無を言わさず後輩の一人を指名させていただきました。
(2006/03/01)