イタズラなKissで7題



6.聞こえない振り


もう、入江くんてば、本当に意地悪。
二人が来てくれなかったら、あたしずっと大学で待っていたかも。
駅で会ったって言うから、戻ってくれてもよかったじゃない。
本当に、もう!

ぶつぶつとそんな文句を言いながら家に帰り着いた。
理美とじん子が大学に戻ってきて「入江ならもう先に帰ったわよ」と怒りながら言うから、よく聞いたら入江くんが駅で会った二人に、あたしに伝えてくれ、ってことだったらしいけど。
その理由が面倒だからだって。
仮にも新婚なあたしたち。もう少しそれなら戻ってみるよとかいう気遣いがあったっていいと思わない?
そのまま真っ直ぐ帰るのも何となく悔しかったので、結局二人と一緒にショッピングに行って、そのまま夕飯まで食べてきちゃった。
久々に二人と出かけて、気分転換にはなったけど。

すっかり暗くなった道を歩いて、寒〜いとか言いながら家の中に入ったあたしだったけど、用意してくれてたに違いない夕飯も断ったのに、変わらずお義母さんは出迎えてくれた。
入江くんは?と思って家の中を探すと、書斎にこもって勉強中だった。
…そうか、入江くんは大学に復帰したばかりで、遅れた分の勉強があったんだっけ。
それでもちょっとだけと思って書斎にそっと入ると、入江くんは難しい顔をしたまま医学書を読んでる。どう見ても教科書より高度な内容みたいなんだけど、それでもやっぱり必要なんだろうか。

「…入江くん、ただいま」

そっと声をかけると、入江くんはちらりとあたしを見て、そのまままた医学書に目を向けた。
こういうところが冷たいって言われちゃうんだろうな。

「風呂」
「お風呂?」
「早く風呂入ってこいよ」
「う、うん」

あたしはまたそっと書斎を出て行こうとした。
勉強の邪魔はしちゃいけないって、それだけは肝に銘じてる。
そりゃ時々は邪魔しちゃうけどさ。
文句を言おうと思ってたのに、勉強してる姿につい言いそびれてしまった。
そのままお風呂に入って、戻り際にもう一度書斎をのぞいた。

「あれ?」

書斎の電気は消えていて、入江くんの姿はなかった。
おかしいな。
髪の毛をタオルで拭きながら急いで来たのに。
ところが寝室のドアを開けると、入江くんは既にベッドの上で本を読んでいた。
「は、早い…」
思わずそう言って部屋に入ると、入江くんは顔を上げてあたしを見て笑った。
「頭は悪いけど友情に厚いのは本当だったな」
あたしは二人に聞いていた話を思い出し、ドレッサーの前にどかっと座ると口を尖らせて言った。
「そうだよ、入江くん。せっかく一緒に帰ろうと思ってたのに」
「あいつらと帰ったほうが有意義だったろ」
「そりゃ友だちと帰ったりするのも楽しいけどさ、やっと二人で大学に行けるようになったんだから、帰りだって一緒に帰ったりしたいのに」
乾かしきれなかった髪をドライヤーを使って乾かすことにした。
ブオーッと髪が舞い、しばらくあたしは無言になる。
「あいつらは」
ドライヤーを止めてあたしは振り向く。
「理美とじん子?」
「いいやつらだな」
入江くんは本に目を落としたまま表情も変えずにそう言った。
あたしはそんな入江くんを見て微笑んだ。
「そうでしょ。だってあたしの親友だもん」
もう一度ドライヤーのスイッチを入れて上機嫌で髪を乾かす。
「それにね、入江くんとのことだってやめろって言いながら、結局応援してくれたでしょ。
結婚するって決まった時だって泣いて喜んでくれて。
でも趣味が一緒じゃなくてよかった。親友と男を取り合うって悲惨だもんね。
男を取るか友情を取るかって少女マンガでありがちだけど、あたしはどうだろう。
あ、でも入江くんはやっぱり譲れない…」
そんなことをいろいろしゃべっていたら、入江くんは変わらず本を読んでいる。
いつも聞いていない振りだよね。
でもちゃんと聞いてくれてるって、この間わかったの。
あまり聞いていないだろうと思っていろいろしゃべったことも、実はちゃんと聞いていたってこと。
今日もそうだけど、理美が言った。
「何でも入江くんに話すのやめてよねー。この間なんてあたしの頭見てふっと笑ったわよ!それもすっごくバカにした感じ。それで琴子が昨日あたしが遅刻しそうになって慌てて家を出たら頭にカーラー巻いたまま大学来ちゃったってこと、話したんでしょ」
と怒られた。
確かに話したけど、入江くん後姿だったし、何にも相づちうってくれなかったし、全然聞いてくれないって思ったんだけど。
それでようやく、ああ聞いてくれてたんだとあたしは気づいた。
「ふふ、入江くん、だーいすき」
ドライヤーに紛れてあたしは鏡に向かって言う。
鏡の中に入江くんが不意にこちらを向いた。
それだけであたしの心臓は跳ね上がる。
「琴子、せっかく一緒に過ごせるようになったんだから、早くこっちに来いよ」
本を閉じて、入江くんがこっちを見て笑っている。
あからさまにそんなふうに誘われたら、あたしはちょっと躊躇して、思わず聞こえない振りをしてしまう。
入江くんのこっち来いは、もしかしたら一緒に話そうってことかもしれないし(実際そういうこともあった)、違うかもしれない。
そ、そんな、早く来いって言われたって。
でも、最近そういうのなかったし、その、あたしだって…。
そう思ってドライヤーを止めて振り向くと、入江くんはさっさとベッドに潜っていた。
え、ちょっと、それはないんじゃない?
あたしはベッドに入って入江くんの顔をのぞく。
入江くんはつぶっていた目を開けて、あたしをいたずらっぽく見た。
「やっ、騙したのね」
「何が?勝手に解釈したのはそっちだろ」
「ひどい。だって、入江くんの言い方って…」
「俺の言い方が何だって?」
「そ、それは…」
あたしはそれ以上言えなくて、布団をかぶって誤魔化した。
「琴子」
入江くんがあたしの名前を呼ぶ。
耳元でささやかれると、どうしていいかまだわからない。
入江くんの指があたしの髪をすいて、耳をくすぐるけど。
でも、もうちょっとだけ、聞こえない振りしても、いいかな。

(2011/11/03)

To be continued.