Onesided Love Story




終章 〜再会〜





県外の大学に進んだあたしは、大学の寮に入って毎日を過ごしていた。
マリやミキとは年に一度しか会えなかった。
あたしが帰省するのを面倒がったり、それぞれに忙しいせいでもあった。
地元の成人式には出られなかった。
住民票も移していたし、帰る暇もなかった。
成人式では皆地元に帰って学校ごとにかたまるのが普通だ。
マリやミキは住んでいる場所が違うので、成人式にたとえ出たとしても会えなかった。
あいつは同じ地区なので、行けば会えたかもしれない。
あいつのことを尋ねようにも、あいつと接点のある人物をあたしは知らない。
まさか同じ地区のかつての友人たちだって、聞いたところであいつの近況を知っているはずがない。
卒業以来あいつには会ってなかったし、会うはずもなかった。
地元にいなかったので、噂話さえ聞かなかった。
唯一の望みの同窓会も開く気配はなかった。
時々何かの拍子に思い出すと懐かしさで胸がいっぱいになることはあったけど、会いに行くほど暇ではなかった。
それに、あたしはあのまま立ち止まるつもりもないから、また新たに好きな人でも見つけようという気にもなっていた。

さすがに就職活動の時期になって、あたしは地元に帰る機会が多くなった。
就職の際には親元に帰って来いというのが、県外に出してもらう条件だったからだ。
面接のために何度か地元に帰るための電車に乗った。
昼間は閑散としたその駅に、思ったよりも一斉に降りた人ごみの中で、あたしは嘘みたいにあいつを見つけた。
あたしも全くと言っていいほど変わっていなかったけど、あいつもほとんど変わっていなかった。
せいぜいお互いに違うといえるのは髪形くらいなものだ。
あたしはバカみたいに口を開けて驚いた挙句、「あ…!」と声まで上げた。
そのまま気付かずに行ってしまったらよかったのに、あいつは目ざとく気付いた。
絶対に気付かないと思ったのに、あたしの上げた声のお陰か、こちらを見たあいつもあたしに気付いたらしい。
あいつは少し目を細めたくらいで、あたしみたいに口を開けて驚いた表情もせず、声を上げることもなかった。
そのまますれ違って終わりだと思った瞬間、あいつはゆっくりとした足どりでそのままあたしの前まで来た。
あいつを見つけてしまったせいで驚いたあたしの足は動いていなかったので、人ごみの中では邪魔だったに違いない。
でも、そんなことに構っているような気持ちの余裕はなかったのだ。
あいつがあたしの目の前に来る頃には、とっくに人ごみはなくなり、閑散としたホームが戻っていた。
実際にあいつに会ってみて、懐かしさで胸がいっぱいというよりは、なんだかかつての戦友に会ったような、不思議な感じがした。

「久しぶり」

あたしとあいつは同時にそう言った。
あの雨の日から三年が経っていた。
地元の駅なので、同じ地区に住むあいつとは同じ駅を使っても不思議ではない。
やっとそれに気付いた。
高校の時からほとんど変わっていないとはいえ、それでも少し大人っぽくなったあいつを前にして、その次の言葉はなかなか出てこなかった。
もともとあいつとはほとんど言葉を交わしたことがなかったのだ。
共通の話題など見つかるはずもない。
同じようにあいつも声をかけたものの、戸惑っているように思えた。
他の同級生だったら、あたしはここまで戸惑ったりはしなかっただろう。
そもそも声をかけたかどうかすらわからない。
もしかしたら他にも誰かに会ったかもしれないけど、気付いていないかもしれない。
こんな人ごみですぐに見つけてしまうほど、あたしにとってあいつはやっぱり特別だったのだ。
もしかしたらという期待もどこかにあったかもしれない。
地元に帰るたびにあたしは似たような背格好の人が気になっていた。
こんなに沈黙していたら普通は気まずくなるのに、なんとなくあいつとはこれで普通のような気がした。
無理に会話することもないし、話題を探す必要もない。

「元気そうだね」

あたしは小さな声でそう言った。
あいつは笑って言った。

「気になるのは俺の健康だけか〜」

そう言えば、あたしは卒業式のときにも「元気でね」とだけ言ったのだった。

「いいじゃない。健康なら」

あたしも笑いながらそう答えた。

「こっちに帰ってきてるの?」
「そう。就職活動」
「そうか。いいとこ決まるといいね」
「…うん」

あいつは電車の来る方向を見た。
そういえばどうして先ほどの電車に乗らなかったんだろう。
時間は大丈夫なんだろうか。

「絵…」
「え?」
「絵はもう描かないの?」
「あ、ああ、絵、ね。暇つぶしにスケッチブックに書くくらいかな。今は本格的には描いてない。もともと向いてないから」
「ふーん。あの絵は結構気に入ってたのにな」
「あの絵って、文化祭の?」
「2年のときに描いたやつ」

あたしは急に思い出して顔が熱くなった。
なんで、よりによってあの絵なんだろう。
次の年には風景画を二点描いたけど、どちらも校内とグラウンドの風景を描いたものだったので、面白みには欠けていたと思う。
あいつが言ってるのは、まぎれもなくあのぐちゃぐちゃの「想い」だ。
あんなものは二度と描けない。
同じ想いを二度とは持てない。これから先も。

「あれは…」

あたしはその先の言葉を飲み込んだ。
まさか、あれはあなたを想って描きました、だなんて言えるわけがない。
あいつを再び目の前にして、湧き上がるのは、懐かしい恋心。
それは過去のものであって、今のものじゃない。

「あたし、時々、遠藤君と似てるかもって思ったことがある」

思い切ってそう言ってみた。
あいつの反応が怖くて、下を向きながらあいつの横顔を見た。
笑う?それとも…。

「うん。あの絵を見て、俺も少しそう思った」

…そうなんだ。
あたしはつぶやいた。
あいつには聞こえなかったかもしれないし、聞こえていたかもしれない。
電車がホームに入ってくることをスピーカーから知らせていた。
あいつの目にあたしはどう映っていたのだろう。
あたしのことを好きだと言った中川君は、煮え切らない変な女だと言った。
それはあながち間違った評価ではないけど、あたしを好きでもない男からの評価はいったいどんなものだったんだろうと今更ながら思う。
あいつの評価もやっぱり変なやつというお墨付きをマリとミキからもらっていた。
もちろんこれはあいつには内緒だし、知ることはないと思うけど。
あたしの青のバリアは、少しずつ色を変えている。
もうあの頃のように全部を張り巡らすほどの想いは持てないから。
あいつは今も青いバリアを持っているのだろうか。
今はもうあたしにもわからない。
線路のはるか向こうから電車が来るのが見えた。

「…ねえ、あの絵はね」

あたしの言葉にあいつはあたしの顔を見た。
あたしはあいつに驚いてもらえるほどいい女にはなれなかった。
それでも、声をかけてもらえてうれしかった。
あたしの三年間はただ見つめるだけの毎日だったけど、あの頃よりももっと話すことができてうれしかった。

「遠藤君を想って描いたの」

あたしの言葉に驚きもせず、あいつは照れくさそうに笑った。
いつの日にか見た笑顔だった。

「うん。わかったよ、なんとなく」
「わかってくれて、うれしかった。…多分、ずっと好きだったの」

あたし自身が自分の言葉に驚いた。
卒業してから繰り返し思い出した笑顔で、あいつは言った。

「うん。信じられないかもしれないけど、俺も好きだったときはあったよ」

電車が結構な勢いで入ってきた。
次の快速らしかった。
風圧であたしの髪は持ち上がる。
卒業してから髪を伸ばしていた。
あたしの三年間は無駄じゃなかったと、やっと思えた。
想いが通じていなくてもそう思えたかどうかはわからないけど、あんなに言えなかった言葉をあっさり言ってしまった自分に驚いていた。

「じゃあ。またいつか」

あいつはそう言って電車のほうへと歩いていく。

「うん。いつか。元気でね」

あたしは電車を見送らずにホームを歩き出した。
電車から降りた人の波に押されて立ち止まっていられなかったのもある。
あいつの心のバリアも色を変えていたようだ。
前よりも柔らかく、表情が豊かになった感じだ。
誰か、あいつの心をわかってくれる人が現れたのだと思いたい。
あいつを想って過ごした日々は、なんて早かったんだろう。
つい最近のような気もするし、随分昔のような気もする。
あいつに会って話をして、あの頃のことを思い出したから、余計に懐かしくてそう思うのだろう。
さわやかな空を見ながら、あたしは思い出す。
少し汚れた教室のカーテンを。
突っ伏して寝ていた机の冷たさを。
明るい日差しの下であいつが走っていたグラウンドを。
絵の具の匂いのする美術室を。
夕陽に染まった校舎の壁を。
埃っぽい下駄箱の前で話したことを。
校門にあった大きな欅の木を。
あいつを見てドキドキしていたあの頃のあたしを。
改札を通り抜けてあたしのいた街を歩き出す。
今のあたしを好きだと言ってくれた彼に明日返事をしよう。
あの三年間は、あたしにとって必要だったのだ。
そして、多分あいつにとっても。
それは決して重なることのない片想いだったけど、幸せだったのだと今は思う。


Onesided Love Story −Fin−

(2005/10/26)