Onesided Love Story




第一章 十五歳〜嘘〜



十月

あいつの活躍する体育祭が近づいていた。
なんてったって陸上部。
しがないあたしはクラスのお役に立てそうにはない。
ひっそりと息を潜め、あいつも着けるであろうハチマキ作りに精を出した。
ひたすらミシンとアイロンに格闘する日々。
緋色のハチマキは、きっとあいつにもよく似合う。

「ミュウ、きれいにできたね〜」

同じクラスの子たちにハチマキを配りながら、賞賛の声をもらう。
風になびくハチマキは、我ながら良い出来だった。
もしもあいつがこれをほめてくれたなら、あたしはたとえ障害物リレーで膝を擦りむこうがかまわないとさえ思った。

「おお、凄い、きれい、完璧じゃん」
「それはどうもありがとう」

残念ながらあいつじゃない。

「あたしも縫ったんだけど〜」

高校に入ってから友人になったマリも言い募る。

「うん、うん、二人とも手先が器用でいいねぇ」
「はっはっはっ、もっと言ってちょうだい、中川君」

少々ふざけてマリが言う。
それをニコニコしながらミキが見ている。
ミキは、中川君が好きなのだと教えてくれた。
今でこそ軽口をたたける仲になったけど、そこに至るまではもちろん時間がかかった。
なんだかんだと片想い同士が集まって、恋の悩みを話し合ううちに自然とグループのようになった。
それはやがてテスト勉強のために図書館に集まってみたり、恋の橋渡しをするようになった。
そして…。

「ミュウ、チャンスだよ」

別の誰かから声がかかる。

「今だ、行け!」

あたしの手には、まだ配られていないハチマキの束。
まだ渡していない男の子たちの群れは向こうに立っている。
情けないことに、あたしは今だあいつと片手で足りるくらいしか話したことはない。
否、正確には話せないでいた。
後押しする友人たちは一人増え、二人増え、いつの間にかそこら中に知れ渡ってしまったというのに。
どうしてこんなことになったのだろう。
最初はマリとミキにしか話していなかった。
あの八月、あれだけの会話の中で鋭く気付いたクラスメートが一人だけいた。
それがユリだった。
マリとミキが黙って見守るタイプならば、ユリは後押しするタイプだった。
それもあたしのこの消極的な態度で全く無意味になってるけど。
今だって、どれだけ平気な顔であいつ(とその周辺の男の子たち)にハチマキを渡すか苦悩しているというのに。
ユリに言わせれば、平気な顔じゃなくて、ここぞとばかりにアピールするのが正しいとのこと。
…あたしとしてはできることなら、本人には知られたくないって言うか…。
そんなことじゃ付き合うこともできないし、ふられることもできないと言う。
それはそうなのかもしれないけど、正直付き合うことなんて全く考えていなかった。
あたしが付き合う?あいつと?
一体何を話せばいいのかもわからない。
そもそもあたしは本当にあいつが好きなんだろうか?
そんなことを考えてしまうので。
そんなわけで、あたしは恐る恐る、それでいて見た目は普通であるように努めてハチマキを渡して回った。
ハチマキは、あいつの手にも渡った。
ちょっとうつむき加減になってしまって、いったいあいつがどんな顔をしていたのか、結局わからなかった。
ただ一言「…りがとう」と言った聞き取りにくい一言をもらった。
ユリたちは、陰であたしを見ながら何やってんのよ〜と叫びだしたいのを押さえるのに必死だったという。
あたしはと言うと、ただそれだけで満足だった。
きっと体育祭当日、よく晴れ渡った空にあいつの緋のハチマキは風になびくだろう。
あたしはきっとそれを幸せな気持ちで眺めているに違いない。
周りはそんなあたしをもどかしいって怒るかもしれないけど。


あたしは擦りむいた膝を抱えながら座っていた。
予想通り障害物競走では、必死になったあたしの膝は見事に擦りむけていて、先ほど救護所で手当てしてもらったばかりだった。
思ったよりも順位は悪くなかったので、これでよしとする。
あいつはクラスの期待を一身に背負っていた。
陸上部の中でもサボりがちなあいつは、陸上部の中ではそこそこの実力。
決して遅いわけじゃないのに、練習不足で結果は伸び悩んでいた。
それでも点数は確実に稼ぐので、最後の花形である男女混合リレーでは期待のアンカーだった。
混合リレーにはミキも出ることになっていたので、あたしとマリは、クラスの応援席の中でも特等席をいち早く確保していた。
もちろんアンカーであるあいつが目の前を走り抜けることは調査済み。

「さあ、中川君も我らがミキを応援しなさい」

マリはメガホンを片手に中川君をその特等席に誘っていた。
もちろんミキも目の前のコースを走る予定だ。

「それにしても足が速い人ってうらやましいよね〜」
「うん、俺もそう思う」

マリと中川君はお互いうなずきあっている。
中川君はそれほど陸上競技は得意ではないらしい。
あたしは自分が走るわけでもないのになんだかドキドキしてきて、緊張したせいで喉が乾いてきた。
水筒を取り出してのどを潤していると、おもむろに中川君があたしに言った。

「太田さんて、遠藤君のことが好きなんだよね」

その瞬間、あたしは思いっきり口からお茶を吹き出した…。
しかも気管にお茶が入り込んで、かなりの間むせることになった。

「な…、今、そ…言うわ…け?」
「太田さん、何しゃべったかわからないよ。…いやー、そんなに驚いた?ゴメンゴメン。まあ、落ち着いて」

中川君は悪気のなさげな笑顔であたしの背中をたたいてくれた。

「思いっきり吹いたねぇ」

そう言って中川君が砂をその上に振りまいてくれた。
グラウンドのコース上に飛び散ったお茶の成れの果て。
うわー…これの上をあいつが走るのか…?
できることなら今すぐに穴を掘って、地球の裏側まで行きたい気分だよ。

「で、中川君。今それを確認して何か得することがあるのかな〜?」

あたしの笑みをどういう風に受け取ったのか、中川君は少しだけ慌てて言った。

「う〜ん、しいて言えば何もないな」
「…口は災いの元って知ってるわよね」
「はい、知ってます…。貝のように口を閉ざしてます」
「…うん、そうして」

あたしはため息をついてお茶で濡れたグラウンドを見つめた。
もしかしてあたしの態度のどこかにそういう風にばれるようなものが出てるとか?
そんなに気になる光線を送っていたんだろうか。
それにしては…気付かないあいつってどうなんだろう。

「でもさぁ、貝って火にかけるとぱかって口が開いちゃうわよね〜。そんな話どこかでなかったっけ」

あははは…と楽しそうにマリが笑った。

「…マ、マリ…、あんたねぇ」

マリに向かって一言言うべきか迷っていたら、アナウンスが混合リレーの始まりを告げた。

「あ、ほら、応援しなきゃね」

マリはあたしの注意をそらすように、メガホンを今走り始めた走者のほうに向けた。
そうだった。
これを見なければこの特等席だって意味がない。
走者は次々に変わっていく。
ミキは安定した走りで駆け抜けていく。
もちろん大きな声で応援した。
わがクラスは今のところ3位だ。
でも1位との差は結構離れてしまって、ちょっとやそっとじゃ抜かせそうにない。
いつの間にかアンカーのあいつにバトンが渡った。
各クラスの応援は熱が入り、どんどん皆前に出て行く。
あたしの足は動かない。
声も出せない。
そのくせ手は祈るようにしっかりと組んでいた。
あたしが吹き出したお茶の跡も誰も気にしていない。
あいつが駆け抜けるのはほんの一瞬だ。
なんて短いのだろう。
でも、どうしてこんなにも息が苦しいのだろう。
あいつはなんとか前の走者に追いつこうとしてがんばっていたに違いない。
あたしは知っている。
あいつは結構負けず嫌いなことを。
自分の前を走るやつが多いのが悔しくて、クラブで茶化してしか走らないことを。
悔しいのなら、もっと真剣に練習すればいいのに、それを見せるのが嫌なんだってことを。
そして、あたしはもう一つのことにこのごろ気付いていた。
あいつが格好良く見せたい理由があるということを。

…あいつは、結局3位のままゴールした。
それでもクラスの応援はかなりヒートアップしていた。
あと1メートルでもコースが長かったら、あいつはきっと2位でゴールしていたに違いない。
なぜなら、あいつが2位の走者に追いついたのは、ゴール手前だったから。
遠くて見えないあいつの顔は、きっと悔しいのを隠して歯をくしばっているに違いない。
そして、なんでもなかったような顔をして戻ってくるのだろう。
皆の惜しかったと言う声を聞きながら、心の中では自分のことを責めているに違いない。
あいつがゴールするまでどうやら息をつめていたらしいあたしは、そっと息を吐いた。
組んでいた手は、強く握っていたせいか、その指を真っ赤に見せていた。
さりげなく皆の輪からはずれたあいつは、お茶を飲みながら一息ついていた。
そして、顔を上げたあいつと何気に目があった。
もしかしたら、あたしの視線に気付いたのかもしれない。
それなのに、いつもと同じで何も言えない。
そしていつもなら、それだけでうれしくなるのに、今日はなぜだか少しつらかった。
あいつは自分で自分を責めていたから。
あたしはただ見つめていた。
あいつも特に笑ったり、目をそらしたりすることはなかった。
多分そんなに長くはなかったはずだ。もしかしたらほんの一瞬だったかもしれない。
目があった後、お互いを呼ぶ友人の声に目を向けた。
ただ、それだけだった。


(2005/10/11)


To be continued.