パトロール日和








「今日からよろしく」
朝から飄々とやってきた漆原は、何故だか怯え気味の唐沢に少々心を痛めた。
一体自分の何がそこまで怯えさせるのだろうと。
そう思ってはみたものの、わけもわからず避けられるのも何なので、半ばやけになって唐沢に言った。
「男嫌いって…何で?」
パトロールの車に乗り込んで、助手席に座り、シートベルトを締めようとした唐沢の手が滑った。
それを見て、漆原はこの話題は相当NGなのだと悟ったが、そこで言葉を引っ込める気はさらさらなかった。
「それは、その…」
言葉を濁して困った顔をする唐沢に、つい学生時代の癖が出てしまった。困った顔をする唐沢を見ていると、つい意地悪したくなる。
「男にだまされたとか」
「それは、ない」
思ったよりきっぱりと言われて、その次の言葉が出てこなくなった。こんなにはっきりしゃべる女だったろうかと思いながら。
いざ出発しようとエンジンをかけたとき、後ろのドアが大きく開いた。
「ちょっと待った!」
もちろんサカキバラだ。
「あたしも行くわよ」
「なんで」
思わず口から出た。
「ちょっとね」
サカキバラは詳しくは言わず、仕方なくそのまま漆原はアクセルを踏んで出発した。

サカキバラに聞いてはいたが、確かに唐沢は目が離せなかった。いや、そんなこと学生時代から当に知っていたはずだった。
今までどうやって無事に過ごしていたのだろうと不思議に思う。
漆原はパトロールを何とか無事に終え、帰路に着いた車内で密かにため息をついた。隣にいるサカキバラにも気づかれないように。
途中で唐沢の携帯電話が鳴った。どうやら医療班からの呼び出しのようだった。
わざわざ昼休みに呼び出す上司の気が知れないが、唐沢は駐車場に戻るなり駆け出していった。
そのすっ転びそうな後姿を見ていると、前にぶつかってけがをしそうな障害物はないだろうかと思ってしまった。
やがて姿が見えなくなるとやれやれと首を振って、漆原は車から降りた。
振り向くと、にやりと笑ったサカキバラがいた。
「何ですかその気持ちの悪い半笑い」
「あたし聞いてきたんだけど、あんたの同級生にマツ何とかってやついるじゃない、人事のほうに」
「…ああ、マツオカですか」
「そうそう。漆原、唐沢ちゃんに意地悪だったって」
「そんなことありませんよ」
ちょっとだけ思い当たる節もあるが、すっとぼけてそう答えた。
「男嫌いの原因の一端は、漆原、あんたかもね」
今日の様子を見ていると、薄々そうじゃないかと思っていたので、実際に口に出されると少し堪えた。
「一端ってことは、まだ他にも原因があるってことですよね」
「そうね」
「何ですか、それ」
自分だけの責任にされてはたまらないと漆原は勢いこんだ。
「唐沢ちゃん、前の病院でストーカーに遭っていたみたいよ」
「ストーカー…」
「入院患者だったらしいんだけど、唐沢ちゃんの行くところに偶然装って出没するらしいの。住んでるアパートの前に偶然なんてありえないでしょ」
「最悪ですね」
「相談したみたいなんだけど、別に電話されたわけでもないし、ずっと付きまとわれたわけでもないから、被害届としてはいまいちでね、仕方がないから住まいも職も変えようって思ったらしくて、誰にも内緒でこっちに来たんだって」
「そりゃ放っておけませんね」
「だから、本当はパトロールも怖がってるのよ。でも、一緒に行動するのがいわばプロの連中なわけだからいいだろうって。研修中は寮もすぐそばだしね」
「ふーん」
「だから、あたしたちがしっかり守ってあげなくちゃね」
「そんな事情がなくても医療班員を連れているときは安全確保が第一ですけどね」
「でね、マツオカから聞いて思ったんだけど」
「何ですか」
マツオカの顔を思い浮かべながら、今度会ったらくだらないことをぺらぺらしゃべるなと忠告してやろうと心に誓う。
急にのどが渇いたので、通りすがりに自動販売機でコーヒーを買う。缶を開けて飲み始めると、サカキバラが楽しそうに言った。
「漆原は基本的に女には優しいわよね、フェミニストというか」
「いけないんですか」
「いやいや、だからおかしいなって思ったわけ。だって、唐沢ちゃんには意地悪だったんでしょ」
「だから、そんなことしてませんってば」
「ライバルだからかなってマツオカは言ってたけど、そんなことで意地悪にはならないわよね」
「当たり前ですよ」
「つまり、唐沢ちゃんを気に入っていたわけだ」
「言ってる意味がよくわかりませんが」
「だからあんたは似非フェミニストだって言うのよ。一番気に入ってる女に意地悪してどうすんのよ。ちょっとは優しくしてやりなさいよ、ころっと落ちるかもよ」
「ころっとって…」
「それとも唐沢ちゃんに彼なんていたかしら」
「…知りませんよ、そんなの」
「あら、そう。そうなの…」
漆原は言うだけ言って歩いていくサカキバラを見ながら、手に持った缶の中身を飲み干した。
少なくとも唐沢は今怯えている。
それが自分のせいだけじゃなくてほっとしたが、そんな妙なことになっていたとは知らなかった。それを唐沢からではなく、サカキバラから聞かされたのは何だか腹立たしかった。
再会したばかりの唐沢が、どんな生活を送ってきたのか知るわけがない。ましてや恋人の存在なんて、と思ったところで気づく。
ストーカー同然の目にあっている恋人を普通は放っておかないだろうから、おそらく今はいないのだろう思う。もしいるのなら、そんなやつは締め上げてやるべきだ、と漆原は手に持った缶を握りつぶしたのだった。


医療班から戻ってきた唐沢は、廊下で缶を握りつぶした漆原を見かけた。
何だかよくわからないが、もしかして何か怒っているのだろうか、と。
声をかけようかどうしようか悩み、迷った挙句声をかけた。
「漆原くん、お昼食べた?」
握りつぶした缶をそばのゴミ箱に放り入れてから、漆原は振り向いた。
「いや、まだ」
「じゃ、じゃあ…一緒に食堂に行く?」
「いやそれよりもおいしい店があるから…」
そう言いかけて、はっとしたように言葉を続けた。
「いや、やっぱり食堂にしよう。そのほうが安全だ」
もしかして給料日前で節約中だったりするのだろうかと思い、唐沢は言われるままうなずいた。元々食堂に行くつもりだったから異存はない。
二人で食堂で遅い昼食をとっていると、懐かしい人物がやってきた。先ほど漆原がぜひとも忠告してやろうと誓ったマツオカだった。
「マツオカくん」
人事で手続きの際にいるとは聞いていたが、顔を合わせたのは今日が初めてだった。
「やあ、久しぶり。よお、漆原」
「…おまえ、ハナキさんに余計なこと言うなよ。あの人は一を十にして事を大きくするから」
「へぇ、そうなの。噂のサカキバラ女史に会えたもんだからつい」
「昼食?」
唐沢が聞くと、マツオカはうなずきながらそう言えばと唐沢に小声で言った。
「こいつ、多分君が告ったこと覚えてないと思うよ」
唐沢は信じられない思いで思わず漆原を見た。
だから、平気なのだと悟った。
「もう一回ちゃんと告ったほうがいいと思うけど」
そこまで言われて、唐沢は黙々と食べ続ける漆原から目をそらした。
「何で今更」
「…だよねー」
それだけ言うと、マツオカは何事もなかったように漆原に話しかけた。
「ここ、空いてる?」
「空いてる。けど、オレらはもう行くから好きに座ったら」
そう言うと、漆原はさっさと本当に席を立った。
唐沢も食べ終わったから問題はないが、相変わらずわけがわからない不機嫌さだ、と唐沢は同じようにトレーを持って立ち上がった。
「それじゃ、またね、マツオカくん」
小走りで漆原を追いかけて、昼休みなのだから別に行動を共にする必要はないのだと気づいたとき、漆原が振り返った。
「唐沢さん、今日から帰るとき寮まで送るから」
「え」
「ストーカー」
ああ、そうかと唐沢は納得した。サカキバラに事情を話したので、行動を共にする漆原にも伝わっているのだろう、と。
「でも、寮はそんなに離れてなくて、大丈夫だと思うけど」
「オレたちは、100パーセント大丈夫と言い切れるまで油断はしないんで」
「ああ、はい。ありがとうございます」
そう言って漆原を見た。
寮まで送ってくれるのはありがたい。ありがたいけれども、これほど不機嫌な様子では、送るのが不満だと思っているのかもしれないと唐沢はため息をついた。


午後は変わらずにパトロールの報告書。
唐沢はそれに加えて医療班としての報告書もあり、黙々と机に向かっていた。
サカキバラは早々に飽きて机を離れ、所内をうろつく。
やや険しい顔でタバコを吸っている漆原を喫煙所で見かけた。
このご時勢、タバコを吸っているだけでいろいろ言われるのだが、ここではあまり厳しく言われない。ゆえに所内にもいまだ喫煙所なるものが存在する。
サカキバラは喫煙所には用はないが、妙に険しい顔の漆原が気になって喫煙所の外から漆原を呼んだ。
外に出てきた漆原はサカキバラが口を開く前に言った。
「パトロール中、妙な気配がするんです」
「へぇ、あんたも気がついた」
「姿は確認できてませんが」
「例のストーカーかね」
「ハナキさんは確認してませんか」
「まだ、見てない」
「まだ、とは?」
「んー、あまりにうっとおしいのでおびき寄せようかと」
「でもそれじゃあ、唐沢が」
「だからまだ迷ってる」
「他の班のやつに確認してもらいましょうか」
「どこもそんなに暇じゃないでしょ」
あちこちで小さな犯罪が頻発しているせいか、どこもパトロールには手が抜けないのだった。
「それよりも、あんたタバコやめたんじゃなかったの」
「ちょっと悪いことしたい気分なんですよ」
「まだ唐沢ちゃんの信頼得てないわけ?」
「そういうんじゃありませんけど」
「あんたたち、学生時代何かあったの?」
「…本当に何にもないですよ、あきれるくらい」
「マツモトの話だと」
「マツオカですよ」
「どっちでもいいけど、あんたはともかく、唐沢ちゃんは確か…」
「何ですか」
唐沢の名を出すたびにいつもの余裕ぶった感じがなくなる漆原の様子がおかしくなってきて、サカキバラは笑いを堪えつつそれ以上言わずに唐沢のもとへ戻ることにした。
戻ろうとして思い出したことがあり、またどこかへ行こうとする漆原の背中に言った。
「明日、E地区に呼ばれてるから、パトロール付き合えない」
「別にいいですよ」
「パトロールは行かなくてもいいと思うけど」
いつもなら二人の後をこっそり付けて、その妙な気配とやらを探るのだが、本当に呼ばれているのだから残念でならない。
今までもその計画を実行しようかと思ったのだが、実質二人一組(医療班員はこの場合数に入れない)で行動すべきところなので、他の班員を確保しないことには無理だったのだ。
唐沢のストーカー問題が早く片付くに越したことはないが、もし知らなければもっと重大な問題に発展していたかもしれないことを考えると、慎重に事を進めるべきなんだろうとサカキバラは思うことにした。


(2010/08/03)


To be continued.