パトロールはご一緒に








確認を怠った。
普段の自分がかなりうっかり者だということをこの時ほど痛感したことはない。
仕事中は気が張っていて、正直言えばミスをすることは滅多にない。もちろんミスは患者の命にかかわるので、当たり前と言えば当たり前だが。
組織の一員となってみて、普段の生活でもそれなりに気をつけなければいけないというのを学んだはずだった。
今さら言っても仕方がない。
目の前に立っていたのは、迎えに来た漆原ではなく、ヤマキ、だった。

身体も強張る。
いや、同僚なのだから、何か用事があったのかもしれない。
同じ医療班の班員ではないか。
そう思うことにしたが、ヤマキは苦手だった。
仕事中はそれでもちゃんと公私の区別をつけていた。
「はい、もう出ます」
 鳴ったチャイムにそう言って漆原だと思って部屋のドアを開けたところ、目の前に立っていたのがヤマキだと気付いたときには遅かった。
「話があるんだ」
 ヤマキはそう言って唐沢にドアを閉めさせなかった。
 そのまま部屋の外に出て話をしようとしたところ、ヤマキは部屋の中に入ってきた。
 その有無を言わせない行動に、唐沢は今までの経験からまずいと感じた。
 唐沢はポケットに手を伸ばした。
「それなら、外で」
 そう言ったにもかかわらず、ヤマキは部屋のドアの前に陣取って開けさせなかった。
「急いでいるので手短にお願いします」
 こうなっては仕方がないと、身体を離すようにして距離をとるとそう言った。実際この後所に戻って事情聴取が待っている。
「君は、漆原隊員とはどういう?」
「同級生でした」
「付き合いは?」
「…していません」
「昔も今も?」
 思わず唐沢は唇をかんだ。そのまま黙ってうなずく。
 実際今は返事を保留にしているだけで、付き合ってもいない。昔にいたってはもっとはっきりしている。
「そう。それなら、漆原隊員の独りよがりってところかな」
 昔は、どちらかというと唐沢の片想いだった。今更昔も実は好きだったと言われてもピンと来ない。付き合う気など全くなかったくせに、という思いだ。
 今は、どうだろう。ヤマキと付き合う可能性よりは、漆原との方が余程可能性高いと思うけれど、と唐沢は言葉に出さなかった。
「そういうお話なら、また別の機会でもよろしいですか。こういう場所でしたくありませんし、今日はこの後事情聴取がありますので急いでいるのです」
「僕はね」
 そう言ってヤマキは唐沢に近づいた。
 唐沢は後退る。
 もう一歩後退ったところで、まとめた荷物に足を引っかけた。
 後ろに向かって倒れるところでヤマキが唐沢の腕をつかんだ。その瞬間に鳥肌が立つ。
「すみません、ありが…」
 一応お礼を言って離れようとしたが、ヤマキは腕を放さないどころかそのまま唐沢を抱き締めた。
「放していただけますか」
 唐沢が全身で抵抗を試みるものの、ヤマキはびくともしない。体格差があるので当然だ。
「放してください!」
 唐沢の言葉にヤマキの力が少し緩んだ。
「貴方はずるい人です。そうやって言葉にもしないで私に何を察しろと言うんですか。いきなり力任せに近づくのはただの暴力です」
「わかってくれていると…」
「ましてや今はまだ勤務中です!セクハラで訴えますよ」
「それなら、あいつはどうだって言うんだ」
「放してください!」
 その時だった。
 鍵の音がしたと思った時には、ドアが開け放たれてヤマキが吹っ飛んだ。
「あんたは何やってんだ」
 唐沢も一緒に倒れ込むところを横から腰を掬い取られた。
 現れたのは、やはり漆原だった。
 部屋の反対側まで吹っ飛んだヤマキは、ぶつけた身体をさすっている。
「唐沢、部屋を出ろ」
 ただ、まだ突然のことに固まって身体が上手く動かない唐沢を見て、漆原はそのまま唐沢を部屋の外に放り投げるようにした。
 唐沢は廊下にしりもちをつくようにして出されたが、やはりそのまま動けなかった。
「軍法会議にかけられたいか、このまま俺に一発殴られたいか」
 それを聞いて唐沢はやっと動いた。
「殴っちゃダメ」
「何で?!」
「漆原君が殴ったら別件になっちゃう」
 チッと舌打ちをして、漆原は拳を下した。
 ヤマキは立ち上がり、唐沢を見たので目が合った。
「もし今後同じようなことをされたら、今回のやり取りを報告させていただきます」
 唐沢が震える手でボイスレコーダーを見せると、ヤマキはゆっくりと部屋を出ていった。
「…すまなかった」
 ヤマキはそうは言ったものの、今後の対応はヤマキの態度次第で考えようと唐沢は息を吐いた。
 廊下を歩いていく背が消えるのを見送ってから、唐沢は立ち上がろうとした。
 ところが、うまく立ち上がれない。今頃になって震える足が唐沢を廊下に座らせたままだった。
 それを見た漆原は、「ごめん」と言って唐沢を抱き上げた。
 もう一度部屋に戻り、唐沢をベッドの上に下ろして座らせた。そのまま電話を取り出して所にトラブルで遅れると電話を入れているようだ。
「どうしてこうなった」
「…漆原君だと思って、確認怠りました」
 はぁと大きなため息をついて、漆原が頭をがしがしと掻いた。
 ああ、多分今怒っていると唐沢は漆原を見て思った。
 振り上げた拳をどうしていいかわからないときによくやる仕草だ。
「たとえ俺でも確認するのがルールってわかってるよね」
「…はい」
 どうして油断してしまったのだろうと唐沢はため息をついた。最低限のルールを漆原相手だったら破るのか、と。
「…言い訳するなら、一応、同僚ではあるので、門前払いは出来なくて」
「いや、しろよ」
「え、無理です」
「気付いていただろ、あいつが唐沢さんに付きまとっていたんだから」
「はっきり言わないから余計に断りにくくて」
「はあ、もう勘弁してよ」
 そう言って、唐沢の前にひざまづいた。
「ああいうときは大声で呼べよ」
「…だから、これがあったのでそれも無理」
 唐沢は手に持っていたボイスレコーダーを見せた。
「何でそういうときまで冷静なの」
 唐沢は今までの経験上、こういうこともあろうかと最近はボイスレコーダーを持ち歩いていたのだ。セクハラにしろ、何か暴行事件が起きようとも、決定的な証拠がなければいいようにされてしまうのを嫌というほど知ったからだ。
「…巻き込みたくなかったの」
「巻き込めよ。それくらい覚悟してる」
 あの瞬間に漆原が飛び込んでこなかったら、と考える。
 もう一瞬遅ければ、唐沢は口に出していただろうと思う。ああいう場合に必ず助けてくれる人の名を。
 いつもいるとは限らないのに、それでも多分呼んでいただろう。
「触ってもいい?」
「え」
「だって、まだ震えてるだろ。震えが止まるまで、だから」
 どう返事をしていいかわからずに、嫌ともいいとも言えずに唐沢はそのままだった。
 漆原は勝手にいいほうに解釈したらしく、唐沢を抱き寄せた。それは、ヤマキの時ほどの嫌悪感をもたらすことなく、そのまま黙って身をゆだねてみた。まだ身体が震えて動けないのは本当だったからだ。
 漆原の身体に包まれながら、唐沢は動かずそのままでいた。漆原もただ大事なものを扱うように、同じ男でもヤマキとは違うのだとわからせるかのようにそっと抱きしめたままだった。
 縋りつくことも泣くこともせずにいたが、少しずつ安心して、震えが止まるのを感じた途端、漆原が耳元で言った。
「あー、だめだ。もう限界」
 その声音にぎょっとして唐沢は漆原の胸を思いっきり押した。
 この声はやばい、と思ったのはどうやら本能だったかもしれない。
「あー、やばかった」
 押されたままへらへらと笑っている漆原を見た瞬間、何故だか激しく脱力した。震えは止まったのがありがたかった。
 押しただけで漆原が離れたのは、漆原が唐沢を解放する気があったせいだと唐沢にもわかっていた。漆原よりも体格の劣るヤマキの時ですら、押してもびくともしなかったのだから。
「ベッドの上で好きと言われてる男に簡単に抱きしめられちゃダメでしょ」
 漆原が笑って言った。
「漆原君が、それを言う?!」
 悔しいことに、確かにそうだと思いながら、唐沢は自分の顔が赤くなるのを感じた。
「…無防備すぎ」
「さっきのさっきで、変なことしないって思って…」
 よく考えれば、そんな保証は全くない。しかも漆原に限って言えば、そんなふうに思った自分を今すぐ叱咤したい気分だ。
「うん、よくわかった。俺、結構信頼されてる」
「だったら、その信頼にちゃんと応えて」
 思わず必死の顔で言った唐沢に、漆原は艶やかな笑みを浮かべた。学生時代はついぞ見たことのない表情だった。
「そうは思うんだが、理性は別物で」
「やり手の隊員でしょ、常に冷静じゃないとだめなんじゃないの」
「うん、無理」
「無理って何」
「とりあえず部屋出よう。押し倒しかねない」
「それこそセクハラでしょ」
「うん、だから出よう」
 唐沢が呆れている間に、漆原は唐沢の荷物を持って部屋を出た。
「ああ、でもこれくらいは」
 そう言って、漆原は部屋を出て振り返った唐沢の顔をのぞき込むと、唇に素早くキスを残した。
 え。
 その場にフリーズした唐沢だったが、笑顔で「さ、行こう」とあまりにも爽やかに言った漆原に我に返った。
「漆原君」
「はい」
「もう、信じられない!」
「うん、文句は甘んじて受けるよ」
「何でそんなに笑ってるのよ」
「うれしいから」
「私、まだ付き合うなんて言ってない」
「うん、まだ、だね」
「ひどい」
「うん、ごめんね」
 へらへらと笑う漆原は、何を言われても笑顔を崩さない。
 そして、唐沢は自分でもその笑顔を見ながら、「まだ」と言った意味を頭の片隅で考えていた。
 このままそばにいたら、どうにも流されてしまいそうだ、と。
 流されることがいいのか悪いのか、今はわからない。
 嫌いではないが、好きとも言えない。
 信頼はしているが、だからと言ってまだ全面的に身をゆだねるのもできない。
 この先の未来で、このまま流されてしまうのかもしれない。
 学生の時以上に好きになるのかもしれない。
 それは今はまだわからない。
 ある日突然好きだと思うのかもしれないが、今はまだ無理だとそれだけがわかる。
「ちゃんと考えるって、私言ったよね」
「うん、言ったね」
「その結果がもしかしたら付き合うことになったとしても、今はまだ無理なの」
「何で?」
「わからないから」
「でも、俺となら、うまく付き合えそうだなって思わない?」
「それ、男嫌いのこと言ってる?」
「ああ、そう、それ」
「…正直に言っていい?」
「…うん」
「確かに漆原君に触られるのは嫌じゃないけど、うれしくもない」
「うわ、きつい」
「ごめん。でも考えてもみてよ。今だから言うけど、あの時は確かに好きだと思ってた。あ、学生のときね。それを木っ端みじんに振られて…」
「振ってない。いや、結果的には振ったことになるのか」
「だって、言ったじゃない。はっきりと。それにあの時は本当に私のこと、考えてなかったでしょ」
「…ああ、そう、かも。ごめん」
「それで、きっぱりと気持ちを切り替えたの。結構大変だった。それなのに…」
「で、今は好きじゃないって?」
「…わからないから困ってるんじゃない」
「そう?俺はやっぱり好きだと思ったけどな」
「はあ、そういうところ、うらやましい」
「何で」
「私、情けないことにそれからも結局うまく恋愛できなかったの」
「…そうみたいだね」
「何でだかわからないけど、追いかけられたり、今日みたいにちょっと迫られたり、恋愛経験ない女だと思ってなめられてたんだと思うけど」
「まあ、半分くらいはそうかもね」
「…そりゃ漆原君にはわからないかもしれないけど、そんなふうだから、いきなりは無理」
「いや、わからないって、そりゃ、まあ、今までのこと知ってたら言い訳もむなしいけどさ」
 そう言って、後はぶつぶつと口ごもっている。
 でも少なくともこれで結構言いたいこと言えた気がする、と唐沢はヤマキの件も一つのきっかけとして無駄ではなかったと思えた。
「そういうわけだから、まだ付き合うのは無理」
「それって、返事ってこと?」
「私の恋愛経験値がもう少し上がるまでお待ちください」
「そんなの無理じゃない?」
 漆原はあっさり言う。
「え、ひどい」
「だって、鈍いし」
 漆原の言葉に、鈍い、かな、やっぱり、と唐沢は自問自答する。
 時々、そういうことを言う男はいたのだ。
 唐沢が一向に気付いてくれないので、実力行使に出たと言い訳する男が。
「でも、私が鈍いからと言って、迫ったり襲ったりするのは、違うと思わない?」
「そりゃ思うけど」
「そう思うなら、必要以上に近づかないで」
「…またそれ?」
「だって」
「ああ〜、わかった。ごめん、本当にごめん」
「ああいうの、セクハラだから」
「うん、肝に銘じます」
「本当にわかった?」
 漆原は少しだけ神妙な顔をしてから、「わかりました」と真面目に答えた。
 少々疑わしいが、ようやく二人は所に戻ることになった。

(2016/10/24)


To be continued.