パトロールはご一緒に








 それから、事件の事情聴取は続いた。
 もちろん部所は違うので、漆原は唐沢とは事件処理の方法も違う。
 唐沢の処置は結果的には無駄だったが、こういう事態も考えなければならないと警備も根本から見直されることになった。
 漆原としてはこんな事態は今までにだって何度もあったわけだから、想定内として準備しておくものだと思っていた。
 むしろ、あの状況で唐沢が注射器を持っていたことの方が意外だった。
 漆原は人知れず微笑む。
 そういうところが漆原が唐沢を素直にすごいと思い、そしてやはりそういう人間だからこそ好きなのだと気付いていた。たまたま唐沢が女でよかったとしみじみ思った。
 では同じように尊敬に値するサカキバラとコンドウのことを恋愛対象に見られないのは、やはり学生時代に培ったものの違いだろうとは思うのだが、そこは好みだとかも関係するのだろう。
 いくらなんでもサカキバラを恋愛対象にだなんて恐ろしいこと考えたこともないし、いくら所内で来るもの拒まずの漆原と言えど、ちょっと手を出そうとも全く思えなかった。ましてやコンドウにいたっては、やはり自分はノーマルなのだと再認識したくらいだ。
 そして、今回はつい、本当につい手を出したことを少々後悔もしていた。
 確かに唐沢の恋愛経験は無に等しいだろう。
 キス一つであれほど固まるのなら、この先を進むのはカメの歩みよりゆっくりかもしれないとため息をついた。いや、カメは意外に早く歩くので、カメには置いてきぼりをくらうかもしれない。
 いや、別にそういうことばかりしたくて告白したわけではないと自分の中で言い訳しつつ、それでも男としての本能はあのまま抱きしめて甘えさせて、そのまま押し倒してもおかしくはなかったと思う。
 かろうじてそれをせずに唐沢に自分から離れさせたのは、漆原の中のささやかなる理性の賜物だと言えよう。

「で、唐沢ちゃんにまた近づくなって言われたのね」
「それは…」
 楽しげな顔をして、サカキバラが聞いてきた。
「何したの」
「言いませんよ」
「少なくともヤマキとかいう男は近づかなくなったようだけど、あんた、ヤマキに手を出していないでしょうね」
「出そうとして止められましたよ」
「唐沢ちゃんがあまりにも何でもないことのように言うから、びっくりしちゃったわよ。何あの子、今まであんなことばっかりあったんじゃないの」
「そうかもしれません」
「よくもまあ、今まで無事で」
「ええ、本当に」
「それなのにこんな男に手を出されるわけ?もったいない」
「失礼な」
「だって、あんたの所業知ってるんでしょ」
「…ええ、そりゃ、まあ」
 それは今更だが、経験豊富な男とまっさらな男とどちらがいいのかという問題だ。
「彼女がそういう女で、男も初心者だったら、そりゃ何も進展しませんよ、絶対にね」
「断言してるけど、それならそれなりに初々しく始まるわけ、世間では。あんたみたいに汚れきった人間ばかりじゃないわよ」
「ひどいなー」
「それで、近づくなってことは、とりあえずお断りされてるわけね」
「いつになったらいいんでしょうかね」
「永遠に指くわえて見てなさい」
「それは無理」
「はっきり言っていいざまよ」
「皆同じこと言うんですよね」
「そりゃ今までの行いがひどかったからでしょ」
「そんなひどかったですかね。結構一つ一つは誠実だったつもりですけど」
「本人だけね、そんなことほざくのは」
「おかしいな」
「おかしいのはお前の頭の中だ。そんな頭で唐沢ちゃんに近づこうなんて思うから、世間に言われるんだよ」
「振ったつもりもなかったのに振ったことになってるし」
「だからカスなんだよ」
「…ハナキさん、先ほどから相当ひどいこと言ってるんですが」
「今頃気付いたのか。あたしはね、あんたが唐沢ちゃんを好きになるのはわかるのよ。あの子はいい子だから、所内の皆が狙ってるの。安易に手を出そうとするその下心が腹が立つだけで」
「彼女は誰にもやりたくないんですよね」
「ならば最初の頃にがっちりつかんでおきなさいよ、この間抜けが」
「はいはい、間抜けですよ」
「そもそもなんで帰りはエレベータまでなんて中途半端なことしたのよ」
「そうですよね。なんでそうしたのか、うかつでした」
 今更ながらそんなことを反省している。
 なんとなく、彼女のぶれない姿勢が少し悔しかったのかもしれないし、やはり頼ってほしかったのかもしれない。
 一瞬でも目を離せない。
 目を離したその次の瞬間に人質になっていた彼女。
 男に襲われそうになっている彼女。
 それなのに。

 学生時代、気付いたときには、彼女は目の前にいなかった。
 専門課程は全くの畑違いで、彼女が医療の道に進むのをそこでようやく知った。
 医師になるのか、看護師になるのか、薬剤師になるのか、それともまた何か別の職業になるのかわからなかったが、彼女には向いていると思った。
 その優しさを兼ね備えた強靭な心が、きっと誰かを救うだろうと思った。
 弱そうに見えて彼女は強い。
 多分そこに惹かれていたのを薄々は気づいていた。
 手に入らなくなってから、彼女のような女がいないことに気が付いたというべきか。
 わざわざ追いかけたりもしなかったのは、後から気づいて追いかける自分が情けなく感じたからだ。
 自分自身も防衛軍に入ると決めて準備に余念がなかった。この時ばかりは女遊びもなりを潜めたくらいだ。
 他の誰かを遠目に見て想う男なんて、そりゃ女の方でも願い下げだと思う。
 今度は逃したりしないと誓った。
 誰にも触らせたくないし、多少強引でも絶対に自分を好きと言わせたい。
 それなのに、彼女が拒否するかと思うとあれ以上強引に迫ることもためらわれて。
「全く足りねーな」
「…理性が?」
「修業が」
「足りてると思ったの?」
「…思ってました」
「呆れるわね」
「ええ。呆れますよね」
「珍しく反省したの?」
「彼女に関してはしましたよ。でも後悔はしませんが」
「嫌なやつね」
「何とでも言ってください。ハナキさんに言われるくらいなんともないです」
「唐沢ちゃんに言われたら」
「………」
 一瞬でその場面が浮かび、思わず漆原は微笑んだ。
「うわ、さいてー」
 それだけ言ってサカキバラは行ってしまった。
 唐沢の顔を思い浮かべたので、きっとにやけていたのだろう。そのくらいはわかるようになった。

 最低と罵られても、唐沢さえ受け入れてくれるなら、そんなことたいしたことじゃないと漆原は考えていた。
 唐沢に嫌われて、二度と近づくななんて言われたら、へこむのだろう。それこそその後近づく男全てを威嚇するほど。
 漆原はある程度の自信は持っていた。何しろそれくらいの努力はしていた。
 親譲りの顔はそこそこ女受けがする。唐沢だって顔がいい方がいいに決まっているだろうと。これは天然の作りだが、それくらいのアドバンテージがあったっていいだろう。ただ、唐沢が顔のいい男が好きだとは聞いたことがない。
 仕事もそこそここなしてきた。唐沢はきっと仕事のできない男よりは仕事のできる男が好きに違いない。自分に厳しい唐沢は仕事に対しても厳しいからだ。
 彼女を守るだけの力もある。少なくとも、唐沢程度なら抱えて逃げるだけの体力と腕力はある。女はそういうのが好きなはずだ、と漆原は本能的に知っていた。
 漆原がそれだけの自信はあっても、問題は唐沢なのだ。
 どういう男が好きだとかは全く聞いたことがなかった。
 学生の頃は、漆原のどこを好きになってくれたのか、実はさっぱり知らなかった。
 いったいどこを?
「今までどんな男を唐沢は…」
 思わずそんなことまで口走ってしまう漆原だった。

 * * *

「唐沢ちゃん、本当にあんなやつでいいの?」
「え?」
 サカキバラとコンドウと一緒に部屋で飲みながら、唐沢は首を傾げた。
「漆原君とはまだ付き合っていませんよ」
「…それ、まだって言ってる?」
「あ、サカキバラさんもそこ突っ込むんですね」
「当たり前でしょ。あいつ、落とす気満々だから」
「…そうかもしれません。でも、今なんとなくでオッケー出したりなんかしたら、絶対後悔する気がするんです」
「なんで学生時代に付き合わなかったのかしらね」
「それは、だって、漆原君が」
「バカだからよね!」
 コンドウがぐいっと飲んで力強く言った。
「ホントバカよ、あいつ。あれだけ女と付き合って、本当に好きな女一人見逃すなんて」
「はあ…」
 唐沢は答えようがなかった。そう言われている女が自分のことだとはなかなか思えなかった。
「オッケーなんか出した途端にあいつ調子に乗るわよ」
 サカキバラがにやにや笑う。
 唐沢はうっと呻いてからぼそりと言った。
「なんとなく想像できるので言わないでください」
「あいつの欲望全部ぶつけられたら唐沢ちゃんなんてつぶれちゃうわ」
「いやーん、あたしなら全部受け止めてあげるのにぃ」
 コンドウが大きな身体をくねらせる。傍目にはすごい光景だ。
 唐沢は思わずははっと引きつった笑いを返した。
 何故みんな漆原と付き合う前提の話になっているのだろうと。
 少なくとも唐沢と漆原が付き合うのは時間の問題と思われているようだ。
「そういうことになるんでしょうかね」
 唐沢はなんとなく不安な気持ちでつぶやいた。
「漆原が嫌ならスパッと切ってやりなさいね」
「むしろ学生時代はどんなところが好きだったのかわからなくなってて」
「顔とか?」
「…そうですね、嫌いではないです。でも好みかどうかは全くわからないので関係ないかもしれません」
「性格?」
「…どうでしょうね。むしろ最低な部類だったかもしれません。だって意地悪されていたんですよ私。女の子はとっかえひっかえだったし」
「じゃあなんで好きだったのよ!」
「なんででしょう」
 それがよくわからなくて悩んでいるというのに。
 好きだなと思う瞬間はあった。あったはずなのに、どんどん自信がなくなっていく。
「でもあたしはなんとなくわかるわぁ」
 コンドウが言う。
「あいついつも自信満々じゃない?そうなるには相当の努力をしてきたはずよね。根拠なき自信満々はただのバカだし」
「相棒としては悪くないわ」
 サカキバラもそこは認めるようだ。
「それなら何で私を好きなんでしょう」
 唐沢はもう一度首を傾げた。
「やぁねぇ。唐沢ちゃんは、ジャスト好みのタイプなんでしょ」
 コンドウが唐沢の顔を見てうふふと笑う。
「それだけなら、薄っぺらいですね。容姿はそのうち変わっていくでしょうし、私の性格もとてもかわいいとは言えないって自分ではわかってます」
「あら、ま、何でそんなに弱気なのかしらねぇ。そんなの学生時代に知ってるはずでしょ。唐沢ちゃんのかわいらしさだって学生時代からよぉく知ってるから他の女じゃ満足できなかったって考えてもいいんじゃないかしら」
「そんな学生時代の面影を求められても困ります」
「漆原がそんなやつなら、それこそ振ってやればいいのよ」
「そう、ですよね」
 唐沢は少しだけ顔を明るくした。
 本当にこの先、漆原と付き合う日が来ても、そこはそれ。なるようになるのかもしれない。
 それよりもむしろ問題なのは。
「セクハラ、よね」
 ぼそりとつぶやいた言葉にコンドウが目をむいた。
「サイテーよね、やつは」
「セクハラって、好きな人嫌いな人で評価分かれるってところ、納得です」
「なぁに、唐沢ちゃん。セクハラかどうか迷ってんの?勤務中に手を出すんだから間違いなくセクハラでしょ。訴える?手伝うわよ」
 そこではたと気づく。
 訴えるとまで考えなかった自分に。
 ヤマキの時には何かあったら訴えてやるとまで思っていたのに。
「好意の差、なんでしょうかね」
「まあそう言うわね」
 サカキバラはきれいな筋肉の付いた足を大胆に組んで言う。
 美人でスタイルもいいのに、所内では言い寄ってくる男は少ないという。それこそ言い寄ってくるのは自分に自信があって、タメを張るだろうと思われる特殊部隊の男たちくらいのものだ。
 外の世界では見かけ上寄っては来るものの、次の瞬間にはいなくなる、と言われている。職業のせいか、何か殺伐とした雰囲気を察するのかもしれないと言われている。
 所詮外見の問題は、その後の付き合いにも少々影響するくらいで、やはり中身なのだと思う。
「例えば、漆原があたしに対してそのおきれいな足をどかしてくださいと言ったとして、セクハラだとは思わないわね。嫌味なのが丸わかりだからかしら」
「ああ、なるほど」
 言われて唐沢は納得する。
 他の人がきれいな足だねと言ったなら、なんとなくサカキバラならセクハラだと即蹴り上げるような気がする。もしくは当たり前でしょと自信満々に言い放つか。これはきっと相手を見て対応を変えるのだろう。
「ところが唐沢ちゃんにきれいな足だねと言ったなら、セクハラどころか、欲望むき出しでキモイ」
「う…、そうなのかもしれませんが、そんなことまず言われないので大丈夫だと思います」
「今まで相当嫌な目に遭ってきたでしょ」
「嫌な目かどうかはわかりませんが、少なくとも仕事中に手を握られたり、お尻をさりげなく触られたり、抱き起すときに胸に顔をうずめられたりとかは普通によくありましたよ」
「うわー」
「まあ、それを嫌な目と言わずしてどうするのよっ」
 二人が心底嫌そうな顔をしたので、唐沢は苦笑する。
「そうなんですけど、一応相手は動けない人だとか、かなりご高齢な方だとかで、急には振り払えなかったりしますから」
「同僚とか、医師とかは?」
「一定距離に近づきませんし、もしされたら誰かに相談という名の言いふらしをします」
「よくぞ無事で」
 サカキバラはまるで母のように唐沢を見てうんうんとうなずいた。
「抑え込まれないように気を付けないとね」
「…そんなことをするのは、今では漆原君だけです」
「そんなことしたの?!」
「…いや、してません。…多分、あれは多分、ええ」
 正確には抱きすくめられた、と言うのだろうか。
 もし本当に抑え込まれたら、どうにもできない。それはわかっている。
 他の人であれば全力で抵抗する。
 でも、それが漆原なら、多分抵抗はするだろうけど、最後はなんとなく抵抗できないのを諦める気がする、と。つい、このまま流されてもいいかと言う気分になるかもしれない自分が怖い。
 はっきりとよし来いと言えるなら、後悔はしないだろが、今の状態はだから違う、と言えるのかもしれない。
「難しいな」
 サカキバラとコンドウは何か言いたげだったが、何も言わずにアルコールを傾けたのだった。

(2018/11/21)


To be continued.