パトロールはお静かに








 漆原が歩くと、所内ではまたささやきが増えた。
 隣を歩いていた唐沢は、居心地の悪いものを感じて下を向いた。
 前回噂されたのは、漆原と唐沢が付き合っているとか何とか、他の噂もあるにはあったが、もうすっかり収まったと思っていた。
 漆原はそんな噂にも平気で、いつもと変わらず所内を闊歩していたので、唐沢は変に感心したのだった。
 ところが今回は少々不機嫌だ。
 漆原はいつも女性に対してさほど気張った様子もなく、女性だろうと変わりなく仕事の出来を褒め、フェミニストとささやかれる男だったのだ。もちろん職場の事情からすると、女性でもサカキバラのような豪腕で頭の良い検挙率ナンバー1のような者もいる中で、男の沽券を誇っても仕方がないのは確かだった。
 パトロールを終え、所内に戻った二人にまとわりつく視線は、明らかに面白がっている風だった。
「唐沢さん、ハナキさんが先に食堂に行ってるらしいから、行ってていいよ」
「あ、はい。漆原くんは…?」
「多分ハナキさんは報告もしてないだろうから、課に戻って報告してくる」
「わかりました。ではお先に」
 課の外では事務的な会話しか極力しないのは、そういう視線のせいでもある。
 それがこの頃は妙に突き放されるような感じもする。
 少し前のアプローチに悩んでいたのはやはり気のせいだったか、と唐沢は自分の自意識過剰をたしなめたのだった。

 食堂に行くと、やや混雑の始まった入り口から、サカキバラの姿を捜した。
 足を組んで手持ちのパッド型端末をいじっている。普段はあまりそういうものすら持ち歩かないというのに珍しいとさえ思った。
「サカキバラさん」
 声をかけると、サカキバラは唐沢を見上げて笑った。
「何だか憂鬱そうね」
「そう見えますか」
「ま、後で聞くとして、日替わり頼んでもいい?もうちょっとだけ調べたいことがあるから」
 端末を少し持ち上げて唐沢に示した。
「いいですよ。漆原くんは課に戻って報告してから来るそうです」
「ああ、そう」
 サカキバラは首をかしげて言ったが、唐沢はあまり気にせず定食をもらいに行った。


 サカキバラは手持ちのパッド型端末をいじりながら、唐沢の後姿を見送った。

  『だから調査係じゃないんですってば』

 そう返信欄に書かれたメールを読んでいる最中だった。
 マツオカの調査能力はなかなか高い。何でいまだ人事課なんてところにいるのか不思議なくらいだ。
 サカキバラはマツオカからのメールを読みながら眉間にしわが寄るのを避けられなかった。
 今回サカキバラが頼んだ人物は、もちろん漆原の見合い相手である成瀬沙紀だ。
 その報告書とやらも大体のことがわかればよいかと思っていたが、思ったよりも盛りだくさんな報告で、サカキバラは少々読むのに時間がかかったのだった。
 漆原も自分で調査はするだろうが、サカキバラとしてはこの先の展開を考えると唐沢をどこか違う研修場所にさっさと移すべきだと思ったのだった。
 成瀬沙紀の調査報告は少し読めば十分だったが、要はお嬢様で気が強くて、自分で見たもの聞いたものに重きを置く割と常識的な娘である反面、お嬢様気質で手に入らないものはないと思っている面もある。加えて容姿端麗、度胸もあれば頭もいい。正直見合い相手としてならば、気の強ささえ目をつぶれば文句の付け所はない。
 漆原が頑なに実家とのコンタクトを拒むのでこういう話になっているが、もしも唐沢がいなければもっとスムーズにことは進んだのではないだろうかとすら思う。
 今更言っても仕方がない。
 何せ漆原は初恋の相手(多分)に何年かぶりに再会してしまったのだから。おまけに片想いだとばかり思って封印していた記憶が、実は両想いでした、なんていうおいしいおまけ付きなら嫌でも盛り上がるだろう。
 お互い今は相手がいないとなれば、是が非でも口説き落としたいとなるのは男のサガか。
 とはいえ、相手は振られたと思ってケリをつけていたらしく、いまいち盛り上がってるのは漆原だけかもしれないところがどうしようもない。
 それでも珍しく今までへらへらと適当に女に対して誰とも本気じゃなかった男が本気になったとすれば、唐沢がいつまで持ちこたえるか。
 豪腕ばかりが集まった群れの中にいると、華奢な唐沢は所内の男どもからすれば守ってあげたくなるタイプだろう。
 実際その黒髪に漆黒の瞳で微笑まれれば、神秘的だのかわいらしいだのと騒ぐ男どもも一人や二人ではない。客観的に見ても唐沢はかわいらしい。
 そんな唐沢に手当てでもされれば、当然本気になるやつも出てくるだろう。
 それを恐れて牽制しまくっている漆原を見るのは、サカキバラにとっておかしくて仕方がない。
 漆原が言うには、実際の唐沢は守られておとなしくしているタイプではないらしいし、意外に根性も強気もあって、事件にあっても驚きこそしても萎縮するタイプではない。それは一緒に行動してみるとよくわかる。だからこそ選考試験に受かったんだろう。
 そんな唐沢が成瀬沙紀とぶつかることになったらどうなるのか。ぶつかる前にあっさりと戦線離脱もありうる話だし、女のプライドをかけた闘いに発展するかもしれない。
 まあ、そうなったらそうなったで面白いのかもしれないが…。
「サカキバラさん、お待たせしました」
 サカキバラの分の日替わり定食を持ってテーブルに戻ってきた唐沢の後ろには、相変わらず不機嫌そうな漆原の姿があった。
「…その顔はご飯がまずくなるぞ」
 パッド型端末を置いて言うと、漆原はこれ見よがしにため息をついた。
「ああ、私がトレーを落とすんじゃないかってずっと気にしてたみたいです」
 そう言って唐沢が笑う。
 サカキバラの分のトレーは唐沢が持っていたが、唐沢の分は何故か漆原が持っていた。
「どうせなら全部運んでこればいいのに」
 サカキバラがからかい気味に言うと、「ウエイターでもないんで、ハナキさんは自分で取りに行ってくださいよ」と返ってきた。
 唐沢の分のトレーを唐沢の目の前に置き、自分の分のトレーを置いた漆原は、音を立てて座った。何か相当頭に来ることがあったのかもしれない。今までこれほど感情をあらわにするやつじゃなかったはずなのに、とちらりと思う。
「これ見よがしに課長に報告とか言って、この先どうするつもりなんだか知らないが、迷惑かけるんならさっさとあの女と結婚しちまえ」
 漆原は多分決めかねているんだろう。
 それはあの女との見合いのほうではなく、唐沢との関係をどうしたいのか。
 既に巻き込まれたも同然だが(もちろん唐沢本人は全く気がついていない)、今ならまだ傷もつかせず手放すことができるのだ。
 もしもこの先も手放すつもりがないのなら、覚悟がいるだろう。
 きっと漆原本人もわかってはいるのだろうが。
 サカキバラが言った言葉に、唐沢と漆原の忙しく動き始めた箸とスプーンがぴたりと止まった。そして一瞬の後にまた動き始める。
 その見事なシンクロは、見ているほうとしては息もぴったりと思えてくる。
 ただ、それだけでは男女の仲なんてうまくいかない。
 そして、今の言葉を聞いた唐沢が、一体何を考え、どう出るのか。
 サカキバラは自分も箸を取り上げて黙って食べ始めた。


 サカキバラから出た言葉に一瞬だが唐沢の食べる手が止まった。
 あえてそちらを見ずに漆原は自分もまた黙って昼食を食べ続けた。
 課長に報告と言って唐沢と一緒に所内を歩くのを避けた漆原だったが、一応本当に課内に入って課長の姿を捜すと、珍しく机の前に座っていた。
 まさか本当に報告する内容などないに等しいが、課長は漆原が近づくと顔を上げて「婚約者だとか言うお嬢さんから電話があったぞ」と言った。
「…いませんよ、婚約者なんて」
 もちろん誰からの電話かわかっていたが、声のトーンを変えないようにしてそう答えた。
「ナルセ…なんだったかな」
 課長はメモを見て「ああ、サキさんだな」と漆原にメモを見せた。
「名字が先に来ていたから、おまえの親戚か何かか?」とのんきそうにそう付け加えた。
「名前は知ってますが、会ったのは一度きりなのでストーカーかもしれません」
メモを丸めてゴミ箱に捨てると、課長は目を細めてメモの行方を目で追った。
「まあ、女のトラブルは早めの処理しておけよ」
 そう言ってその話題はそれで終わった。
 ただそれだけだったが、昨日の今日で婚約者呼ばわりされたことが不愉快だった。
 そんなわけで出かける前より更に不機嫌になっていた漆原だったが、食堂へ来るまでの間に顔見知りの所内のやつらに「凄い美人が訪ねてきたって?」とお決まりのように揶揄された。
 当然のことながら受付にいたちょっとした美人は皆の目を引き、その美人が漆原と話をしていたとなればちょっとだけ聞いてみたくなるのは当然だろう。
 もちろん美人の用事が相談であれ、事件の関係者であれ、まさかあの場所で見合い相手と話をしているとは誰も思わなかったらしい。それだけは救いだったが、女の噂話とは恐ろしいもので、漆原と成瀬沙紀ががただならぬ関係であると吹聴されていたのだった。
 その噂話が唐沢の耳に入っていないとどうして断言できるだろう。
 昼食も終わった後で特に事件もなく過ぎる昼下がり、漆原は唐沢に説明するべきか否か考えていた。
 幸いなことに唐沢は、午後は医療班に出向いていることが多く、課内にはその姿はない。
 いずれ研修も終わっていなくなることを考えれば、何事もなく過ぎていく時間はもったいない。
 なんとなく、このままここを去っていったら、唐沢はいい思い出のまま何事もなく漆原と同級生のまま終わらせるような気がしていた。
 そのほうが双方にとっていいのかどうか。
 いつもはあまり迷わない漆原もそれだけは決めかねていたのだった。

 昼食を食べ終わり、漆原は午後の予定をどうするのか決めかねていた。
 このまままた外へ出ることも可能だが、いっそのこと課内に引きこもっていたほうが楽かもしれない、と。
 自分の机に座ったまま足を上げて椅子ごと身体をぶらつかせていると、何か殺気を感じた。
 足で机をけって回転しながら椅子から飛び上がると、黒い塊が椅子を吹き飛ばした。
「やるわね、漆原。それでこそ所内抱かれたい男ナンバーワンね」
「…なんだよ、そりゃ」
 少々呆れながら漆原が立ち上がると、そこには巨大なオカマが立っていた。
「あら、知らないの?なんならアタシを抱いてもいいのよ〜」
「ふっざけんなっ」
 最近機嫌の悪かった漆原は、思わず所内鋼鉄の男(オカマだが当然性別は男)ナンバーワンに向かって蹴りを出した。
 そのけりはあっさり受け止められたが、受け止められたその足を撫でられ、げぇっと思わず声を上げて飛びのいた。
「あの美人は誰なの」
 仁王立ちしたオカマ、もとい所内公認ゲイのコンドウが言った。
「自称婚約者」
「あんたの?」
「他に誰がいるんだよ」
「ははーん、親がらみね。ハナキさんに聞いたことあるわ。あんたの家、相当な日本家系だって。
ということは、親が送り込んできた婚約者様なわけね。
いいじゃない、美人で気が強くて頭がいいなら。
あんたが唐沢ちゃん好みだってことは知ってるけど、それならスタイルにもさほどこだわらないんでしょ。もっとグラマラス美女が好みだと思ってたけどぉ」
「…うるさい」
「唐沢ちゃんはあんたのこと、ただの同僚だと思ってるわよ」
「………」
「あら、ショック受けちゃった?唐沢ちゃんはあんたにはもったいないわ」
「まだ勝負は決まってない」
「勝負って…そんなだから唐沢ちゃんは振り向かないのよ。賞品じゃないんだから」
 コンドウの言葉についつらつらと答えた漆原は、思わずコンドウを見上げた。
 漆原自体もそれほど背は低くないはずだが、見上げるほどコンドウはでかい。
 そのでかさで身体をくねらせたものだから、思わず漆原は目をそらした。何かとんでもなく叫びだしたくなるからだ。もちろんそんなことをしたら速攻でやられるので、口は閉じておくに限る。
「唐沢が誰かを好きにならない限り、俺を選ぶ可能性だってある」
「本当に自信満々なのはいいけど、結局はあのお嬢と結婚はしないってわけね。しかも唐沢ちゃんを巻き込んで?」
 ぐっと息が詰まる。
 つまり、どうあっても唐沢を諦めない限り、あの自称婚約者の成瀬沙紀との対決が待っている。
 果たして唐沢がそこまでして漆原を選んでくれるのかどうか。
 唐沢は、この所に途中入所できるくらいだから、恐らく頭も度胸もいい。実際漆原と同等の飛び級だったのだから、証明するまでもない。
 あの華奢な雰囲気と普段のぼんやりとした行動に騙されてはいるが、仕事中の集中力と行動力は意外なくらいてきぱきとしている。
 それは一緒に仕事をしたやつらなら当然わかっていることだろう。
 唐沢はいざとなれば戦える女だと思っている。
 少し前なら、あまりにも所内の女連中の凄さに驚かされて、女はたおやかな方がいいだとか、可愛らしくてそれでいて身体もよければいいだとか、勝手なことばかりを求めていた。
 しかし、頭がそこそこよくなければ付き合っていくには疲れる。
 たおやかだと漆原の行動自体についていけない。
 美人だとか可愛らしいだとか身体が好みだとか、顔やスタイルがいいに越したことはないが、気が強いくらい芯の通った女が実は好きなのだと気づいてしまった。
 それでいけば、成瀬沙紀は多分漆原の好みの範疇に入るだろう。
 もしも唐沢がいなかったら?
 それも少し考えたが、やはり根底に唐沢のことがあったのは間違いないだろう。成瀬沙紀は好みだが、何かが違う。
 今まで付き合ってもいいと思った女でさえ何か違うと思ったのは、実は唐沢と比べていたからじゃないかと気づいてしまった。
 当時、唐沢とそれほど親交が深かったわけではない。
 単なる同級生で、同じ飛び級なので他の誰かよりは親しく話をした。
 もう一つはやはり同じく日本人の血にまつわる問題のせいで、他の女とは違う悩みを分かち合ったせいかとも思う。
 多分漆原の両親は、唐沢のことも調査済みなはずだ。
 その上で成瀬沙紀を選んだということは、よりふさわしいと思ったからだろう。
「あの女、直接排除に来るわよ、きっと。
そのとき、唐沢ちゃんがどう出るか楽しみね」
 おほほほほ〜と高笑いを残して、コンドウは去っていった。
「くそっ」
 漆原は目の前の机を蹴りつけた。
 それはサカキバラの机だったが、そのときは一向に気にならなかった。

(2012/03/20)


To be continued.