パトロールはお静かに








 漆原は、意を決して実家に電話をかけた。
 次の公休日には見合い話も含めて大事な話がある、と。
 それまでほとんど電話もしていなかった。
 姉が一人いるのだが、一見おとなしい姉だけが唯一漆原の味方でもあった。
 そう言えば、姉は唐沢のことも知っていたはずだ、と思い出した。
 学生時代、飛び級で過ごす内に姉と同学年にもなった。
 姉は優秀ではあるが、のんびり屋なので、さほど飛び級にもこだわることなく、弟が同じ学年になろうとも鷹揚に構えていた。
 もちろん同じくして飛び級で進級した唐沢のことも噂になっているし、実際に顔を合わせて会話したこともあるはずだった。
 姉が唐沢に対してどういう評価をしたのか覚えていなかった。
 多分悪い印象ではなかったと思うが、というくらいだ。
 次の公休日は既に明日に迫っていた。
 唐沢にはサカキバラ以外とはマンションを出るなと通告してある。少し強引だが、安全面が確認されるまでは仕方がない。
 唐沢にしたら、なんて面倒なやつに好かれたんだろうとため息を吐かれても仕方がない。
もちろん唐沢とて面倒な事情はあるのだが、今回は全面的に漆原の問題だ。

「漆原、ちょいと」

 そう言ってマツオカに呼ばれた。
 サカキバラはおらず、唐沢は医療班に顔を出しているはずだった。
 こうして唐沢は医療班に戻っていくのだと思うと、少し寂しい。

「何か、あったのか」

 マツオカがわざわざ呼び出す時には、何かそれなりに理由があるはずだった。
 廊下に出ると、マツオカは無言で会議室を指した。
 誰も使っていない会議室にするりと二人して入ると、マツオカは声を潜めて言った。
「唐沢さんの配属先なんだけど」
「もう決まったのか」
 驚いて思わず声を大にした。
「大声出すなよ」
 呆れたようにマツオカが言ったので、さすがに漆原は「ああ、悪い」と口を押さえた。
「決まってないと言えば決まってない。だけど、残りの研修具合で多分決まる」
「…そこまで優秀か」
 唸るようにして出した言葉に、マツオカは眉を上げた。
「ふうん、さすがに唐沢さんの評価に関しては正確だね」
「あいつが優秀じゃなかったら、上の目が節穴なんだろう」
「うん、まあ、唐沢さんの評価はすこぶるいいよ。ストーカー事件をものともしないくらい。病院時代だって海外派遣されるかもってくらいの評価だったそうだし。転職先がここだから泣く泣く引き止めるのをやめたって言うADMの関係者証言もあるくらいだし」
 ADMとは唐沢の前職場病院のことだ。多分この地域どころか全国でも片手に入るくらいの大病院でもあり、当然支部も世話になることが多いご用達でもある。
「で、どこだよ。中央とか」
「中央が引っ張って育ててもいいみたいな打診もあったけど」
 所詮ここは東海支部の一部署に過ぎない。
 唐沢にしたらそれは出世街道間違いなしだ。
「打診はあったが決定ではないというところか」
「それを言うなら、サカキバラさんだって、おまえだって、打診くらいならいくらでもあったよ」
「ああ、あったな」
「何で断ったのか、今更だけど聞いてもいいのか」
 漆原はいたって普通に答えた。
「上に行ってもいい。でも、今はそのときじゃないかなとか」
「ほう、臆したか」
「上を目指してもまれるのも悪くはないが、自分の相方すらも越えられない、御せない状態で、中央なんて行ったら、笑いものだ」
「…サカキバラさんは女とか関係なしに凄いよね〜」
「いくら先輩とはいえ、俺が情けなくなってくるから、この話はヤメだ」
 そう言うと、マツオカは納得したようにうなずいた。
「強いて言えば、今回大きな事件もなかったし、唐沢さんの実力を発揮できるときはほとんどなかったからね」
「大きな事件なんてないほうがいいだろ」
「まあ、そうなんだけどさ」
「所詮ここは地域安全課だしな」
「そう言うなって。おまえが選んだんだろ」
 地域安全課はどちらかというと警察機能に近い。
 地域の安全のためにパトロールもするし、事件が起これば即出動する。
 しかし、いわゆる殺人事件のようなものの捜査権は別、なのだ。
 いわゆる便利屋みたいな感じだ。
 あと数年もすれば、望もうが望まなかろうが今度はより訓練を必要とする部隊出向か要人警護なんかに回されるかもしれない。
 それは人事のマツオカも感じていて、お互いにこうやって顔を突き合わせていられるのもそう長くはないと思っている。
 少々逸脱はあるもののエリート街道を確実に進んでいるのは漆原もわかっている。
「ハナキさんを負かしてから、みたいな意地があったんだよ、当初は」
「…なんて無謀な」
「今はわかってるさ。だから、それくらい未熟だったんだって。もうやめようぜ、俺の話は」
「ああ。だから、唐沢さんがどこまで行きたがってるかは別として、おまえが足引っ張るなよ」
「どういう意味だよ」
「そのまんまだよ。おまえが本気出せば中央なんてすぐなんだからさ、引きとめるなよってこと」
「そこまで女々しくない、はずだ」
 断言しようとして少しだけ躊躇した。
 あっさりと唐沢が中央に行ってしまうとなれば、思わず何か一言言ってしまうくらいのことはやりかねないと思ってしまったのだ。
 それはあまりにも女々しい。サカキバラにも盛大に笑われそうだ。
 唐沢にいたっては…。いや、今は考えまい、と漆原は頭を振った。
「俺はとりあえず明後日の実家対策に専念するよ」
「ふーん、大変なんだな、純日本家系ってのも」
「馬鹿みたいだけどな。ちょっと遡ればそんなのゴロゴロいたってのに」
「でも、そのちょっとの間にいなくなっちゃったんだから、貴重なんだろ」
 それ以上は反論せず、漆原とマツオカは会議室を出た。
 唐沢の研修が終わったら。
 その先をどうやってもイメージできなかった。
 漆原はマツオカに聞こえないようにそっとため息を漏らした。

 * * *

 実家の父母をうまく丸め込む。
 できれば姉は味方につける。
 それだけでかなり風向きが変わるはずだ。
 唐沢の名前は出したくない。
 自称婚約者云々以上の迷惑がかかるからだ。
 漆原は実家の前でなかなか「ただいま」を言えなかった。
 というより、ただいま帰りましたなどと言いたくもなかった。
 必要があるから来ただけで、できれば近寄りたくもなかった。
 いつか唐沢が言った家族が大事という気持ちは間違いなくあるが、それだけではうまい関係を築くことは難しい。
 姉は飄々としているが、かなり家系に振り回されたと思う。
 普段はおとなしいが、親に対して反抗しないわけではない。
 気に入らないことははっきり言う。
 口に出さないときはどうでもいいときか、同意しているときだ。
 漆原が実家の門をくぐる前にちょうど姉に会った。
 姉は自分の夫の車から降り、「あら」と言った。
 姉の夫、いわゆる義兄は会釈だけしてそのまま去っていった。恐らく仕事なのだろう。
 そして、これは漆原家の問題であるから、口を出さないようにきっと姉に言いくるめられたのだろうと察する。
「本当に、久しぶりね」
 本当に、の部分がやけに強調されているようで、その静かな物言いにもかかわらず、漆原はちょっとだけ怯んだ。
「なかなか帰らなくてごめん」
「いいのよ。私は漆原の家を出たんだから」
 淡々とそう言った。
 姉は相手を自由に選べなかったが、それだけに数ある見合い相手の中から最良の相手を選んだらしい。
 そこそこ美人の姉は、それほど見合い相手に苦労しなかったはずだ。
 相手先ともうまくやっているようで、トラブルの気配もない。
「入りましょう」
 姉は戸惑う漆原の気持ちを知りながら、有無を言わさずさっさと門をくぐらせ、思い切りよく玄関の扉を開けた。

 たわいのない、当たり障りのない話から始まった。
 いつまでも引き伸ばせないので、近況を話した後でいきなり本題に入った。
 見合いも婚約もしていないのに、成瀬家は乗り気だと父は言った。
 いい話じゃない、と母はまんざらでもなさそうだった。
 いや、それは当事者である漆原の意向を完全に無視しており、どれだけ迷惑であるかを言うと、姉は言った。

「つまり、嫁は自分で見つけるから放っておけということね」

 言った姉はそれだけ言ってお茶を飲んだ。
「当てはあるの?!」
 母は勢い込んだ。
「そう言って適当な女を見繕ってくるなよ」
 父は少し苦々しげに言った。
「俺がそんな適当な女と結婚するように見えるとでも?」
 心外だ、という気持ちをこめてため息をついた。
「適当な女なら、山程周りにいるから言われるんでしょう」
 今日の姉はどこまでも辛辣だ。
「適当な女とは適当にしか付き合ってないし、もう付き合わない」
 姉と同じようにお茶に手を伸ばして口をつけると、思ったより熱くてちびちびと飲む。
「あら、じゃあ」
 姉はちらりとこちらを見た。
 知っていて言っているのは丸わかりだ。
 そもそもそういう用事がなければ、今まで寄り付きも連絡もしなかった実家に顔を出すはずがないと知っているからだ。
「…何」
 姉の視線の意味を知りながら、それでも自分から口にするのを躊躇われた。
「私が言ってもいいの」
「言う段階にないから」
「それはそうでしょうね」
「どこまで知ってる」
「…全部」
「…なっ」
 大声を出しそうになり、何とか堪える。
 どういう情報網だよと小さくつぶやくと、姉は顔色も変えずに言った。
「一馬、純日本家系の情報網を甘く見ないように」
「ああ、どうせ俺はそんなもの使ってないよ」
「いったいどういうことなの」
 しびれを切らしたように漆原の母が問いただした。
 父は悟ったようだが、母はあくまでも直球だ。
「好きな女がいるので、もうしばらく放っておいてくれ」
 それだけ言って横を向いた。
 まだ告白の返事ももらえていないと言うのに、親に向かって言わなければならないのは、あのお嬢様のせいだと漆原は改めて家系そのものを恨んだ。
「それは結婚したいという子なの」
 母は察しが悪いので突っ込む。
 この家族にして唯一母だけが鈍い。
「…まだそこまでは…」
 そりゃそうだ、と姉がうなずくのが見えた。本当に何もかもわかっている風だった。
「どこまで待ったらいいわけ」
 母はため息をついた。
「それは」
 そんなこと唐沢次第だと言えたら随分と言い訳も楽だろうが、もちろんそんなこと言えるわけがない。
「振られたら、はい次、といけるわけないわよね」
 姉の言葉に漆原はうっと言葉を詰まらせて落ち込む。
 振られた後のことを実は考えていなかった。
 今更振られることを考えたら、表面上はともかく、非常に精神的にきそうだ。
「成瀬家のほうが拒否しない限り放っておけばいいのよ。
あちらも引く手数多の中、うちの意向を聞くって言ってるのだから」
「まあ、それはそうね」
 母の態度が少し軟化した。
 少しそれで満足をしたのか、お昼の用意をしなくちゃと母が席を立ち、漆原はほっとした。
 父はそこでようやく漆原に言う。
「適当では済まされない相手だから困ってるのか」
「…そうとも言う」
「それなら黙って待っていてやる」
 そう言った父に驚いて、漆原は父の横顔を見た。
 今までのいざこざはともかく、このことに関してだけは父に感謝した。
 そして、母がいないうちにこのままさっさと帰ることにした。
 姉は何か話があるのか玄関先まで付いてきて、漆原に言った。
「彼女は、元気そうね」
「…ああ」
 その彼女とは、唐沢のことを指すのだろうと、漆原は答えながら姉を見た。
「同じ妹なら、彼女のような子がいいわ」
「…努力します」
 そうは言ったが、思わず顔をしかめた。
「結局、彼女なのね」
 この言葉にはさすがに首をひねった。
「学生のとき、一馬の本音を引き出した子は、彼女だけだわ。
この先、あなたが彼女のような子を見つけられなかったら不幸だと思ってたの」

「一馬!」

 奥から母の声がした。
 慌てて姉に会釈だけすると、門を抜けて走り出した。
 駅に向かいながら、漆原は姉の言葉を思い出していた。
 学生時代の恋を引きずっているだけなのか、と思うこともあった。
 唐沢に再会して、唐沢の当時の想いを知って浮かれているだけなのか、とも。
 しかし、この3週間あまり、唐沢の傍にいてもう一度好きになったのだと漆原は思っている。
 唐沢にそんな気があろうとなかろうと、もう黙って見過ごすことはできなかっただろうと。
 卒業してから、お互いに違う道を進んできて、偶然再会しただけのことだったが、今までの働き振りが見てとれる。
 あくまでも真摯に向き合う唐沢は、あの学生時代と変わらずで、漆原は少しだけうらやましかった。
 慌てて出てきてしまったが、姉がどんな風に唐沢を見ていたのか、もっと聞けばよかったと漆原は後悔した。
 そのうちまた電話してみようと漆原は思った。
あとはあのお嬢様か、と漆原はつぶやくと、少しだけ騒がしい駅の構内に足を踏み入れたのだった。

(2013/07/13)


To be continued.