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十二国記:颯淳の物語

颯淳の物語


終章


緑にたなびく稲の穂を眺めながら、ため息をついた。
それでも緑に見えるのはほんのわずか。
やっとこれだけ。
鍬を手に掘り返した土はまだ固い。
少しずつ、緑の野を広げようとしている土地。
大雨が降らなくなり、洪水も起きなくなった。妖魔の出る回数も減ってきている。幸いまだ大雪にも遭っていない。
耕しては無に返っていたあの頃とは大きな違い。
王がいるということは、こういうことなのだ、と。

王が即位してからようやく十年。
徐々にその政は浸透してきている。
それでもこの田畑の全てが緑になるまで、まだまだかかるだろう。
焦ることはない。慶はまだ産声をあげたところなのだ。
あれほど荒れた土地なのだから、ここまで戻ってきたことに感謝しなければ。

天に届くほどの場所で、きっと彼女は頑張っているのだろう。
今も颯淳は忘れたことはない。
彩世も、真騎も壁白も、きっと忘れることはないだろう。
これまでのことを時々振り返りながら、颯淳は子どもに話すこともある。

あの大きな山の上には、王が住んでいる。
翠の瞳に赤い髪の年若き女王。
伏礼を廃したその心を民は忘れない。
頭をあげて生きていくために民は頑張っている。
颯淳もそうやって生きてきた。その手に持つ物を弩や短剣から替えても。

もしも今度国が荒れるようなことがあったら…。
いや、颯淳が生きている間に、そんなことはないかもしれないが。
もしあったら…、颯淳は黙ってやり過ごすことはしないと決めている。
たとえ切り捨てられるようなことがあっても、王を糾弾することをやめないし、国を荒らさないようにするための努力を惜しまないと決めている。
自分のこの小さな決意がどれほどの役に立つかは知らないが。


駆け寄ってきた子どもを抱き上げて、颯淳は思う。
とりあえず今は、雲ひとつない空を見上げることができる。
頬に当たる風を心地よいと思うことができる。
これが自分たちの国なのだと胸を張ることもできる。
それを子どもに伝えることができる。
そんな国にしてくれた喜びをかの人に伝えたい。
私はここで生きている、と。


颯淳の物語(2007/08/30)−Fin−