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十二国記:颯淳の物語

第三章




其の一

日々をただ労働に費やしていた。
いきなり山中に捨てられ、身につけていたものは短刀一つのみ。
姉にいたっては、いったい何か持っていたのだろうかと心配になった。
幸いなことに、ふらっと入った店での荷運びを手伝った。
その伝で今度は別の店での下働き。
その間に体力をつけることを忘れなかった。
布告があるので、女とわからないように身分を偽ることもしていた。
宿の連中にはすぐに女であることがわかってしまったようだが、あえて届けることもなく見過ごしてくれたようだった。
用心棒をしていた男に短刀の扱い方を習った。
人手が足りないからと用心棒の男に連れられて、小物の妖魔を倒した。
短刀の扱い方も何とかうまくこなせるようになった頃、刀剣の扱いを習った。
これはさすがに手にあまり、よりいっそう精進しなければ扱えるものでもなかった。
今度は弓を習った。
これほどまでに次々と武器を与えられ、習わせられることに疑問を持った。
用心棒の考えは簡単だった。
これからますます荒れるこの国で必要なものは、身を守る術だと言う。
どうやら山中で妖魔を倒した颯淳を見込んでくれたらしかったが、喜んでいいのかいまひとつわからなかった。
ともかく、どうせ旅に出るのに役立つだろうと熱心に習った。
徐々に下働きよりも店の主人の護衛につき従う機会が多くなっていった。
もちろん他の護衛は大柄な男ばかりだったが、女の颯淳は誰よりも器用で身が軽いのが唯一の取り柄と言っても良かった。
店の主人は女の颯淳がつき従うことを最初は渋っていたものの、仕入れに出かけた際にたまたま颯淳のお陰でうまく商談がいったことがあり、何も言わなくなった。もちろん女だからといって差別されることもない代わりに、仕事が軽くなることはなかった。
ほぼひと月そこで働いた後、女であることが店の人間以外にも広まらないうちにそこを出た。
とりあえず慶を出ないことにはもう仕事が出来そうになかった。
もともと姉と違って女らしさというものに恵まれず、少年のようだった。それでもやはり男と偽るには無理があるようで、華奢な体はどうしようもない。
今までの賃金で何とかしばらくは旅が出来そうだった。

花永のいた村に向かうことにした。
巧国へ行く途中にあったはずだった。
街道を歩き出してすぐ、盗賊に襲われた。
同じように襲われた旅人とも出会った。意外にもその旅人も女だった。
どうやら街道には、まだ逃げていない女たちが身分や性別を偽って歩いているのも多く、そういう弱者を狩る盗賊が後を絶たないのだ。
大柄な男だったが、何とかやり過ごし、逃げ出すことが出来た。
これも剣の扱いを習ったお陰かと思うと、素直に喜べなかった。
女も短刀を身につけ、訓練されたとはいいがたい身振りで颯淳を助けた。
颯淳も女だと言うのを知り、驚いて自分の名を打ち明けた。
名を都城(みやき)と言った。
颯淳とは対照的に女であることは隠しとおせそうにない。
すぐにでも慶を出るつもりだと言う。
またいつか…。
そう言って都城とは別れた。
二度と会えない気がしたが、なんとなく都城の去った方向を見つめた。
これからそういう出会いと別れが多くなるのだろう。
さすがの颯淳も少しため息をついて歩き出した。



其の二

花永のいた村はうろ覚えだった。
大人に連れられて移動した上、村にいる人々は颯淳が成長する十年あまりの間に変わってしまっていた。
村に女はいないだろう。そんな気がしていた。
それでも、何か手がかりがないか知りたかった。
やっとのことで見覚えのある木を見つけ、思わず微笑んだ。
村の目印となる木の下で、颯淳は花永に連れられて訪れた日々を思い出していた。
自分の村に帰ってからは、日々の生活に慣れるのに精一杯だったのだ。
変わってしまった母と実の父とは違う優しげな養父。
なのに、なぜ、捨てられる羽目になったのだろう。
いや、考えても仕方がない。
いつの日か、母も同じ境遇をたどるだろう。なぜなら、女はこの慶国にいてはならないのだから。
…姉はきっと、母と一緒に逃げたかったに違いない。たとえ妖魔を倒せなくても、こんな無愛想な妹とではなく。
家族を思い出すたび、そんなことを何度も思った。

しばらく木の下で物思いにふけっていたら、若者に声をかけられた。
何をしているかと聞かれたので、花永という者を知らないかと静かに尋ねた。
なるべく顔を見せないように、布で覆った頭を下げて言った。
若者はそんな颯淳を細い目で見つめてから答えた。
所帯を持った後、隣の村へ移っていった、と。
短く御礼を言って立ち去ろうとしたとき、不意に若者が颯淳の腕をつかんだ。
思わず颯淳はその手を振り払う。

「…颯淳か?」

自分の耳を疑った。
まさかこの村で颯淳を覚えている者がいるとは思わなかった。

「花永の家の隣に住んでいた壁白(へきはく)だ。お前は覚えていないかもしれないが」
「…名前は覚えている」
「…そうか。実は弟もそこにいるのだが」

颯淳は壁白があごで示した方向をそっと見た。
少し華奢な体つきの色白な少年が立っていた。
もちろん見た目では全く覚えていない。

「実は隣の村に幼馴染がいるのだが、慶を出るらしい。護衛を頼まれた。…ついでだから、一緒に行くか?」

できれば否、と答えたかった。
しかし、花永のいる隣の村は見当が付かない。
この状況の中、そう簡単に信用はできないが、道行きくらいなら同行しても問題はないだろうととっさに計算した。しかも、男と一緒に行けば、途中の盗賊を避けるのにも都合がいい。
颯淳がゆっくりうなずくと、壁白は弟を呼んで事情を説明した。
壁白はどちらかと言うとあまり景気よくしゃべるわけではなさそうだった。
幼い頃がどうだったのかさえあまりよく覚えていないので、昔の印象を聞かれても答えようがない。

「おう、颯淳、相変わらずお前しゃべらねーな。俺、真騎(しんき)、覚えてるか?」

兄とは打って変わってよくしゃべる男だった。

「名前だけ」
「はっ、冷たいやつだなー。そうだよな、お前いっつも花永の後ろにくっついていたしな。全くしゃべらねーし…。俺たちも虐めてたしよ」

このしゃべりだけで少しうんざりする羽目になったが、仕方がないとあきらめることにした。

「早速行くぜ!」

颯淳は張り切る真騎の後ろを付いて歩くことになった。
壁白は颯淳の後ろを付いて歩き、颯淳の歩きをじっと観察した挙句、ぼそっとつぶやいた。

「…男みたいだな」

ぴくっと颯淳の肩が動いたのに気付かないのか、満足そうにうなずいた。

「太刀慣れしてるのはいいことだ」

思わず後ろを振り返ると、壁白をにらみつけた。
真騎は気合十分で気付かない。
壁白は自分の言った言動を颯淳が聞いていようが聞いてなかろうがお構いなしらしい。
颯淳はその瞬間に思い出した。
花永の隣の家の、かなり言動と行動にそれぞれ無頓着だった兄弟を。
この先を考えると、少し頭を抱えたくなった颯淳だった。



其の三

花永が移って行ったという隣村までは、さほどかからなかった。
途中盗賊も妖魔も出なかった。
しかし、やはり花永は村を出た後だった。
花永を知っていると言う者が残念そうに言った。花永は夫や子どもと共に村を出て行ったと言う。
他の女たちも一緒に出て行って、村に残っている女は自分一人だと言う。
そう、その女こそが花永を知っているものであり、壁白たち兄弟の幼馴染だった。
なぜ女一人で残っていたのか、大いに疑問のわくところだったが、その答えは、夜に妖魔が襲ってきたときに判明した。
サルに似た妖魔・ヨウワが群れで村を襲ってきた。
一頭二頭ならすぐに片付けられる妖魔だったが、群れとなると村にいた男たちだけではとても間に合わない。
颯淳たちも武器を持ち、応戦することになった。
その日はその幼馴染の女の家に泊まらせてもらっていたのだ。
長い髪、割に背の高い(もしかすると真騎よりも高いかもしれない)女だった。
名を彩世(あやせ)と言った。
妖魔の襲来におびえるどころか不敵な笑みをして武器を持ち、颯淳たちと同じように外へ飛び出す。

「彩世、お前、そんな武器…」

真騎が驚くのも無理はない。
彩世が持っているのは長剣で、決して体格がいいとは言えない壁白でさえ振り回すのには苦労する物である。
腕力のない颯淳などは、俊敏さと器用さを損なわないように弓や短刀系が多い。
ちなみに真騎も弓のほうが得意のようであった。
しかし、それ以上他にかまっている余裕はなかった。
飛び掛ってくるヨウワを倒していくのに精一杯だった。
弓を引きながら、前衛で戦う壁白や男顔負けに向かっていく彩世に当たらないようにしなければならなかった。
彩世は護衛などと言って心配する必要もないくらいに立ち回っていた。村の男たちが、彩世が残るのを黙って認めたわけである。
颯淳も近寄ってくれば短刀で倒し…を繰り返して、残るは数頭になった。
他を倒していくと、群れの中でもひときわ大きなヨウワが壁白と彩世に向かっていた。
壁白は彩世に「下がれ」と言ったが、彩世は何も言わずにその場から動かない。動くと向かってくるのは間違いないのだから、下がろうにも下がれないのだ。
真騎は少し舌打ちすると、颯淳に残りの弓を貸せと言った。
1本を放って渡すと、弓を構えて狙いを定めるが、真騎のいる場所からはうまく狙えないに違いない。
しばしヨウワと見つめ合った後、壁白が動いた。しかし、太刀は空振りして逆にヨウワが壁白を襲う。
真騎が弓を放つがそれも避けて、壁白に爪が食い込む寸前に長剣が閃いた。
彩世がヨウワの首を真一文字に切り落とした。
弓を構えた颯淳は、安堵のため息をついて構えをはずした。
真騎はやれやれと言うように壁白に近づく。
壁白は半ば放心したように座っていた。
彩世は丁寧に長剣の血をぬぐう。

「…何でお前に護衛がいるんだ」

壁白はうめくようにそう言った。

「だって、そうじゃなければ村の男連中が出してくれないんですもの」
「…なんだ、それ」

真騎が壁白を助け起こして言った。

「さあ、もてるってことかしらね〜」

不適に笑いながらそう言った彩世を見ながら、壁白と真騎はそっとため息をついた。
颯淳は、多分彩世と一緒に旅をすれば妖魔に関して心配はあまりいらなさそうだと思ったが、例のごとく口には出さなかった。
彩世は長剣を片付けると、村の男たちに混じってヨウワを片付け始めた。先ほど切り離したヨウワの頭を家の中に持っていこうとする。

「…どうするんだ、それ」

真騎の問いかけに、彩世は軽快に答えた。

「食べるに決まってるじゃない」
「や、やめろっ。おい、壁白、何とか言ってくれよ」
「…彩世、お前は昔からのその妖魔食い、俺たちにどれだけ迷惑かけたか覚えてるか?」
「失礼ね。おいしいわよ、これ。昔、私のお父さんが…」
「わ、わかった!!でも、明日にしよう」
「明日になったらまずくなるわよ、余計に」
「…おい、本当に食べるのか…?」

真騎が壁白と彩世のやり取りを聞きながら颯淳に止めるように目線をよこした。
…止めるのもばかばかしい。
そうやって無視したら、真騎は頭を抱えた。

「颯淳様は食べるわよね?」

彩世の期待のこもった視線を受けながら、颯淳は首をかしげてヨウワの頭を見た。

「おいしいなら、いいけど」
「ほうら、やっぱり男どもはだめよね〜」
「颯淳…お前…」

壁白と真騎が彩世と颯淳を見ながら頭を振った。
かくして真夜中にヨウワの頭を煮込んだ汁物が出来上がった。
颯淳と彩世は汁物をおいしそうに食べたが、壁白と真騎は隅で酒を飲んで、手をつけることはなかった。
その後、颯淳たちは出発する時間まで泥のように眠った。



其の四

颯淳たちは当てもなく、姉と同じく巧国へ行くことにした。
国外追放の身分のため、国境ではすんなりと追い出された。
巧国側では迷惑そうに早く行けと促された。
颯淳はどんよりとした空を眺めてうんざりとした。
そしてこれからのことを思いため息をついた。
国を追われるというのは、これほど心がむなしいものだったのだと。
帰るべき場所がないというのは、これほど心細いものなのだと。
それなのに、この陽気な一団はどうだろう。

「とりあえず、お金よね。先立つものでもなければ稼ぐしかないでしょう」
「そうだな」
「壁白、楽な仕事がいいな、俺」
「…そんな仕事あったら誰でもやってる」
「颯淳、お前、たまにしゃべるときついよなー」
「私、役所の募集見てきたけど、この妖魔退治っていうの、いいと思うの」
「彩世、まだ俺たちを危険さらすつもりか〜」
「真騎様。危険って、もともと私の護衛のために来てくれたんでは?」
「…怖いから、様、つけるな、様を。いいよ、呼び捨てで…」

そんな二人のやり取りはともかく、結局は役所の仕事を引き受けることになった。
妖魔が出るという村へ出かけていき、出た妖魔を退治して帰る。ただそれだけだったが、役人以外で武器を扱えるものが少ないのか、かなり良い収入にはなった。
巧国ではいつまでたっても難民扱いだったが、仕事上特に差別されることもなかったし、収入さえあれば寝るところと食事の確保は十分だった。
それぞれ武器の手入れも怠らなかった。
彩世は父親譲りの匠師で、こぼれた刃を研いでくれた。
真騎は意外にも薬草を調合するのが上手だった。
颯淳も薬草集めにつき合わされ、器用だからと調合を覚えさせられた。
しかし、この時世で正式免許を発行してもらえるわけでもなく、それを商売にはできなかった。


あっという間にひと月が経った。
壁白たちは、帰りの路銀と慶国で暮らしていくための蓄えを整えていた。
颯淳たちはいずれ雁国へ行こうと話していた。

「こんなに妖魔が出るようじゃ、この国も危ういな」

壁白の言うことももっともな気がすると、颯淳はうなずいた。

「慶国も妖魔が増えていたし、わけのわからねー布告は出るし、雁国のほうがよかったなぁ」

真騎はそうぼやいた。

「今から雁国でも行く?港まで行けば、もちろん船はあるわよ?」

彩世はにっこり笑ってそう返す。

「ま、どうせ俺らはいずれ慶国へ帰るけど」

このとき、真騎の言葉通り壁白もそう思っていたに違いない。
しかし、それから1週間もしないうちに更に慶国に新たな布告が出された。

『慶国民の国外への出国、他国よりの入国を一切禁ず』

この布告の通りだとすれば、慶国民であっても慶国への入国すら叶わないことになる。

「どうなってるんだよ、これ」

真騎はそう言って国境でそう叫んだ。
周りにたむろしていたさまざまな行商人によると、どうやら慶国の女王が替わったと言う。
いろいろな話を総合すると、少し前に慶国の予王舒覚が崩御したのは本当らしい。
颯淳が慶国にいる間にすでに予王は崩御していたことになる。
もし姉がこれを聞いていたら、どんなにか怒ったことだろう。
いなくなるのなら、布告はそれこそ意味のないものになる。
もちろん次の王が立つか、王が立つまでの間に代わって国を治めるものが布告を無効にしなければならないが。
それでも、もしもう少しだけ早ければ捨てられることはなかったかもしれない。
颯淳はひとりでに笑いがこみ上げた。
布告一つで国を追い出される民は、王にとって一体なんなのだろう。
もちろんここには国を憂い、自ら国を出てきたものも少なくはないのだが。
同じことを思ったのか、彩世と目が合った。
国境の兵士相手にいまだ怒っている真騎とそれを止める壁白をよそに、颯淳と彩世は二人で笑いあった。

「正直、ざまあみろ、よね」
「…本当に」

同じ女でありながら、予王の考えたことは颯淳にはよくわかない。
女を排除したことによって急速に国が傾いたのは間違いないだろう。
なぜ予王でなくてはならなかったのか。
それも天の理だからと言ってしまえば簡単だが、できれば次の王にはもっとましな人物を据えてもらいたいと願わずにはいられない。
颯淳と彩世はもう国に戻ることには固執していなかったが、帰ると偉そうに豪語していた壁白たちが帰れなくなったのはもちろん気の毒である。
しかし、帰れなくなった今となっては、同じ境遇に陥って落ち込む二人を見て、当分は楽しめそうだと思ったのも本当である。
まさに、予王が崩御して女たちは思ったに違いない。
ざまあみろ、と。