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十二国記:颯淳の物語

第四章




其の一

巧国での日々は過ぎていった。
役所からの仕事依頼をこなしたりと、それなりに忙しいものではあった。
颯淳たち四人は、いつの間にか役所仕事に集まる者たちの中では一目置かれるようになった。時々は町を移動してみたりして、慶国にいるときよりはよほど楽しい日々だった。

「ねえ、冬器を新調してみたの。どう?」

彩世の言葉に部屋をのぞいてみれば、そこにはなんとも立派な斧があった。

「もしかして、それ、使うの?」

持ってみればずしりと重いこの冬器は、斬ると言うよりは重さで叩き切ると言うほうが正しい。
颯淳が持ってみれば、ほんのわずかで腕がしびれてくる。
彩世が役所仕事の合間に仮住まいの隣の鍛冶場に顔を出して、何か作っていたのは知っている。鍛冶場を貸してもらえると言う条件で、この家を借りたのだ。
颯淳は改めて彩世を見た。
背は高いが、それ以外はいたって普通の女人である。年の頃は颯淳とそう変わらない。腕の筋肉が盛り上がっているわけではない。黙って立っていればその辺の娘たちと変わらないのだ。
しかし、どこにそんな腕力があるのか知らないが、男の壁白にも引けを取らないほどの豪腕だった。
幼い頃から父親に付いて鍛冶場にいて手伝っていたせいなのか、腕力に欠ける颯淳としてはうらやましい限りだった。

「颯淳様にも作ったのよ」

そういって取り出したのは、見事な連弩だった。
そのしなやかさと軽さは、今まで使っていた弓よりも段違いだった。
そして、斧も連弩も真っ黒に輝いていた。

「この艶は…」
「真騎様に染めてもらった材料を使ってみたの」
「ああ、そう言えば…」

特殊な染め粉と色粒果を使えば材料を染めることができると言っていた。
しかも、そうやって染めた冬器は、一部の妖魔に有効だとか。

「…ありがとう」

そう言って微笑むと、彩世は笑って答えた。

「よかったら使ってね」
「でも、彩世さん。その後ろに隠してる冬器も使うの?」

彩世の後ろには、何やらまだ物騒な冬器が隠すように置いてあった。

「こ、これは、あはは…。
…壁白様と真騎様には、内緒にしてて?またうるさく言われそうだから」
「いや、いいけど。どうせそのうち使うんでしょう?」
「だって、この間のお給金、材料買うのに使ってしまって…」
「わかった、おごる」
「ありがとう、颯淳様」

そんな穏やかな日々だった。
しかし、そこに息せきった真騎が飛び込んできた。

「彩世、颯淳、大変だ!」

とっさに冬器をつかんで二人とも立ち上がる。

「いや、敵じゃなくて…呼ばれたんだ」

「え?」

彩世と顔を見合わせる。

「俺たちが、塙王に呼ばれたんだよ」

壁白がゆっくりと真騎の後から入ってきた。

「…ところでその物騒な冬器、下ろしてもらえるか?」

彩世の新しい斧を見て一歩下がりながら壁白が言った。
二人の話では、二人が街で買い物をしていると、頭に布を巻いた女に呼び止められたらしい。

「いや、怪しいとは思ったんだけど、壁白が、行ってみようって」
「馬鹿言え、真騎が美人だと言うから」
「いいや、壁白こそ…」

颯淳は卓を叩いて言った。

「そんなことはどうでもいいから」
「あ、…すまん」

壁白は咳払いをして、話を続けた。

「とにかく、その呼び止めた女がなんと塙麟だったんだ。塙麟が俺たちに頼みたいことがあると…」
「で、いつ行けばよろしいの?」
「…それが、今から、らしいんだが」

「…はあ?」

颯淳は思わず壁白をにらみつけた。
彩世はため息をついた。

「壁白様、塙王と言えば、この国の王ですわよね」
「そうだ」
「どんな格好してお会いすればいいと思っていらっしゃるの?」
「そ、そんなこと、俺に言われても」
「あなた方はそれでも構わないかもしれないけど、私と颯淳はこんな格好で王の前に伺うわけにいかないでしょう?」
「いや、だから、構わないと、塙麟自身が言っているのだから」
「ええ、もちろん私たちは難民ですから、どんな格好をしても王の前に出るにふさわしい衣装は用意できませんけどね」
「…俺たちにどうしろと…」
「これだから殿方は…」

彩世は壁白をにらみつけて言い放った。

「とにかく、少しでもまともな衣装に着替えるから、部屋から出て行ってくださる?」

真騎に引きずられるようにして、不満げな壁白は部屋の外に出て行った。
颯淳としては塙王が構わないなら、この格好でも十分構わないと思ったのだが、すでに颯淳の分まで衣装を選び始めた彩世を止めるようなことはしなかった。



其の二

颯淳は彩世の選んだ衣装に黙って着替え、部屋の外で待っていた壁白たちと通りへと出た。

「…なんだ、結局いつもと変わりな…」

真騎の口は壁白によって塞がれた。
ぼそぼそと真騎にささやいた声は、颯淳だけに聞こえた。

「長生きしたかったら、その口を閉じろ」

賑わしい街の通りを行くと、ほっそりとした女が立っていた。ほっそりとしすぎて、かえって病的な感じだ。
麒麟というものは皆こんな感じなのだろうか。
颯淳は麒麟を間近で見たことはなかった。
慶国の首都、尭天に行くこともなかったし、ましてや麒麟は滅多に市街地に降りることはない。王の傍にいつもいるものだと聞いている。
颯淳たちはそのまま何も言わずに塙麟の後を付いて歩いた。
どんどん人気は少なくなり、王宮に足を踏み入れることになり、颯淳たちは緊張に包まれた。
何か違う。
颯淳はそんな違和感を感じていた。
ふと足が止まり、ゆっくり歩いていく他の者たちの後姿を眺める。

「…どうしたのですか?」

塙麟はそんな颯淳に気がつき、足を止めて優しく聞いた。

「…塙王は、こんな難民の私にいったいどのような用事が…?」
「急に呼ばれて信用できないのも無理はありません」
「信用できないとかではなく…何と言うか…」

他の三人は、颯淳の行動に戸惑っている。

「気が進まないのでしたら、王に会わなくてもよろしいのですよ」

塙麟は悲しげにそう言った。

「主上…王は、あなた方の腕を見込んで、海客を捕らえてほしい、と」

慶国でも巧国でも、海の向こうの蓬莱から流されてくる海客を良しとしない。
雁国では、海客をたいそう手厚く保護しているというのに。
そうしてあの国は豊かさを手に入れたのだろうか。

「海客は、配浪から護送されてくる間に脱走したようです」
「…何か、したんですか、その海客が」
「海客は、悪しき蝕をもたらし、人々に悪しき心をもたらします」

塙麟の言葉にさすがの三人も顔を見合わせる。

「さあ、王の間はすぐそこです。王がお待ちです」

正面には、いつの間にか大きな扉があった。
女官が扉を開けて、颯淳たちを迎え入れる。
部屋の中央奥には人影。暗くて顔はよく見えない。
それではあれが塙王だろうか。
肩に大きな鳥を乗せている。

「その者たちが海客を捕らえるのに力を貸してくれる者か?」

太い初老の男の声。
颯淳たちは一斉に伏礼する。

「主上、そうです」
「見事捕らえて連れて参ったなら、官吏に召し上げてもよいぞ」

そんなものにはなりたくない、そう言いたかったが、仮にも王の御前で、さすがに何も言わず、ただ伏していた。

「もう、よい。下がれ」

その言葉一つで、対面は終わった。
颯淳たちは王宮を出るまでは誰も口を閉ざしたままだった。
正確には、一言でも口を開けば塙麟と塙王に対しての文句が山ほどあふれ出てきそうだったからだ。さすがに王宮の中で王と麒麟の悪口はまずいだろうと言うわけである。

「海客は赤い髪の女で、五曽から河西付近に逃げたと思われます。すぐに向かってください」

塙麟はそう言って、旅費を渡した。まだ、受けるとも断るとも言っていないうちに、である。
そして、何かに呼ばれるように消え去った。
仮住まいに戻り、四人は口々に文句を言い始めた。

「結局、俺たちに拒否権はないのか」
「王様の考えることはわかんねぇ。どうせ俺は庶民だしなっ」
「あまり有益な情報はないわねぇ。
皆様お腹空いたなら、ゴウデイ鍋でも食べる?」
「…海客が全部悪いのだろうか?」
「何でも海客…と言うのはもちろん違うと思うが?
彩世、変な物入っていないだろうな?」
「壁白様、そんなにご心配なら、ご自分で材料調達に行ったらいかが?」
「お、おい、壁白、黙って食べろよ」
「塙麟のあの様子…」
「ええ、少々病的な気もしましたわね。あら、野菜が足りないわ。
壁白様、…買ってきてくださる?」
「お、俺が買ってこようか?」
「真騎様、私、壁白様に頼みましたの」

にっこり彩世が笑う。
真騎は顔を引きつらせながら手を振った。

「…壁白、行ってらっしゃい」

壁白が助けを求めるように颯淳を見たが、颯淳も冷たく言い放った。

「あ、ついでにお酒も買ってきて」
「お、お前、未成年だろうがっ。…ふー、仕方がないな。お金は…?」
「颯淳様、誰でしたっけ、こんな面倒な依頼取り付けてきたのは」
「…お前らな…一緒に王宮行っただろうがっ」
「壁白、俺も出すから…」
「お、覚えてろよ。…行ってくる」
「さ、食べましょう、颯淳様」
「いただきます。真騎、お酒持ってきて」
「…くれぐれも、飲みすぎるなよ」
「壁白みたいなこと言わないでよ」
「やあねぇ、真騎様ったら。ほら、新しい冬器、仕上げたのよ。明日からの旅にちょうどいいでしょう?」
「あ、颯淳、そんなに注いでっ。ああ!それ、壁白の隠し酒…」

その日、ゴウデイを煮込んだ鍋と酒は颯淳たちの心を大いに暖めてくれた。
なかなかいい野菜が見つからずに、夜の街を野菜を求めて駆けずり回って帰ってきた壁白の分の鍋は、なぜか食事場となっていた壁白の寝所の隅にわずかに残されただけだった。
しかも、颯淳と彩世は部屋の真ん中で酔いつぶれており、隠しておいたはずの秘蔵の酒も空けられていた。
その日、寝所も酒も奪われた壁白は、その日以来酒に酔うとその話を持ち出して絡むようになったという。
しかし、颯淳と彩世は、酔いつぶれたために一切覚えておらず、壁白は更に憤る羽目になったらしい。
翌日、自分の寝所を黙って片付ける壁白の姿が涙を誘ったとか、誘わなかったとか…。



其の三

颯淳たちは塙麟の言葉通りに出発した。
それぞれ新調した武器を背負い、仮住まいを片付けて旅立った。
結構居心地はよかったので惜しい気もしたが、これからどれくらいで戻れるか見当も付かなかったし、もし捕縛に失敗すれば何が待っているか想像もつかなかった。
まずは傲霜から午寮へ。
街道は楽だったが、時折小物の妖魔が颯淳たちを襲った。
彩世の作った冬器は、命中率も威力も文句なしだった。
真騎は調合した薬を正規の商人に混じって売りさばくなど、なかなかたくましかった。
海客についての噂は、大きな街ほどよく聞いた。
いわく、妖魔を操る術を持つだとか、どんなものでも斬れる剣を持っているだとか。
颯淳たちのほかにもそんな海客を捕まえて金にしようなどと言う輩もいたが、
どうでもよかった。
他のやつに捕まってくれれば気が楽だと正直思っていた。
海客の住む、遠く蓬莱というところは、どんなところだろう。

「蓬莱には、こんな風に妖魔などいないのだろうか」
「さあ。いないとしたら、私たちのような者は働き場所がないでしょうね」
「飢えもないんだろうか?俺たちの村も、あのままじゃ、一冬越すのに苦労するだろうな」
「慶にはまだ戻れないみたいだ」

壁白は午寮に着いてから、行商人に慶のことを聞いていたようだった。

「もう一つ面白い話を聞いたぞ」
「面白い話?」

三人は声をそろえて壁白の次の言葉を待った。

「また、女王が立ったらしい」
「新しい王?」

颯淳は不快をあらわにして言った。

「まあ、そうだな。ただ、雁から来た行商人の話では、その女王は偽王だ、と延王は認めていないと」
「ふ〜ん、偽王、ねぇ」

彩世は面白そうに言った。

「なんだ、それじゃあ、俺たちいつになったら慶に戻れるんだ?」
「とりあえずは海客捕まえないと戻りたくても戻れないだろうな」

そんな話をしながら、四人は午寮から鹿北方面へと向かった。
うまく行けばあと七日ほどで河西に着くはずだった。
どんどん街から離れ、街道はなきに等しいものとなり、やがて山が続き、日が暮れた。
旅人がよく使うのだろう。踏み固められた山道をたどると、案外すぐに野木は見つかった。
野木の下で四人は背中を合わせ、暗い山での夜を過ごすことになった。

「ねえ、颯淳様」

彩世の静かな声が響く。

「いつか…。もう少し自由に旅ができるようになったら、いろんな国を回ってみたいわ」
「…うん」

壁白と真騎は寝ているのか何も言わない。
彩世の話を聞きながら、颯淳は考えていた。
颯淳にはっきりとした夢はなかった。
今生きていることだけが、今の自分の精一杯だった。
人を信じるのもまだ怖かった。
一緒に旅をし、つかの間生活を共にしたが、まだ三人に完全に気を許しているとは言えなかった。
もちろん今までの中で花永と同じくらい打ち解けた者たちであることには間違いなかったが。
暗闇で目を凝らすと何物かが動いているのが見えたが、野木の下にいる颯淳たちに襲い掛かってくることはなかった。
やがて、いつの間にか颯淳も眠りについた。



其の四

旅は一人よりも道連れがいるほうがいい。それを実感した。
慶国の山中から街へは姉と二人、街から国境近くの古周までは一人だった。
一人旅は気兼ねがない反面、暮れ行く空に不安にはなるし、運よく村に着いても宿屋がなければ野宿だった。
暖を取るには一人ではつらく厳しい。
もちろんさほど寒い時期でもなかったので、冬よりは格段に楽な旅だった。
それでも一人はやはり寂しい。
誰かと話しながらであれば、何とか過ごせるものだとよくわかった。
山道ばかりが続き、さすがの四人もうんざりし始めた頃だった。
思ったよりも道は険しく、結局午寮から十四日ほど過ぎていた。
海客がここにいるという核心もなかったが、河西へ行けと言う言葉通りに来てみた。
河西は奥地にもかかわらず、割に街らしかった。
それとも慶国が貧しすぎるのだろうか。
これといって産業もなさそうだったが、行商人もそれなりにいたし、赤い髪の海客の話も聞くことができた。

「これはまた、随分と…」

壁白はそう言ったきり言葉を濁した。
にぎやかな通りに出て買い物がてら情報を集めようと足を踏み入れたそこは、緑の柱の立ち並ぶ一角だった。緑の柱といえば女郎宿と決まっている。
さすがに壁白と真騎も居心地が悪そうだった。
かえって颯淳と彩世は、もの珍しさでそれぞれを見比べて歩いていた。

「ここは高級そうよねぇ」

彩世は笑いながら颯淳に目線で立派な建物を示す。

「うん、壁白と真騎には無理っぽいね」
「…行こうにも、誰かにたかられてね」

壁白はふん、と鼻を鳴らした。

「いや、遠慮せずに、どうぞ」

颯淳はやけにまじめな顔でそう勧めた。
彩世もうなずく。
真騎もまじめに勧めた。

「いいよ、一晩くらい待ってるぞ」
「真騎、お前が言うと冗談にならんぞ」
「は?いやー、てっきり泊まりたいのかと」
「そんな金がどこにある?」
「金があったら行くんだ」
「颯淳、冗談なのがわからんのか」
「壁白様、冗談だろうと、本気だろうとどうでもいいんだけど、向こうのほうが騒がしいと…」
「お前ら、俺をいったいなんだと…」

壁白の言葉はかき消された。
向こうから女の声で怒鳴り声がした。

「足抜けだ!捕まえとくれ!!」

その声ですぐに人垣ができた。

「誰か!礼は弾むよ、捕まえとくれ!」
「お、礼弾むってさ」

真騎は、うれしそうに女を見ようと人垣を分ける。
颯淳と彩世は、同時に黙って真騎の足を引っ掛けた。

「うわっ」

真騎は前に倒れるところを人垣にもたれて救われた…と思いきや、急に人垣が割れた。
真騎は見事に前に転んだ。
人の波がゆれる。
騒ぎが悲鳴に変わる。

「バフク!!」

誰かが叫んだ。
颯淳は転んだ真騎を助け起こしながら、人波に紛れて脇によけようと引っ張った。
彩世と壁白はすでにそれぞれ冬器を構えている。
ただ、まだバフクの出現に驚いた人々が右往左往していて、とてもこのままでは戦えない。
やっと戦う場を確保できた四人が見たのは、短髪と長髪の少女だった。
まっすぐに前を見つめる長髪の少女と目が合った。
目があったのはほんの一瞬で、長髪の女はバフクに向かって剣を構える。
一緒に戦うとも言わなかったが、四人と少女は巨体なバフクと向き合うことになった。
しかし、バフクは明らかに少女に向かっていった。
少女はバフクをすばらしい速度でなぎ倒すと、通りを駆けて行こうとする。
バフクも一刀では倒れない。そのまま少女を追いかける。
颯淳と真騎は弩でバフクを仕留めた。
あたりに砂埃を巻き上げながら、バフクは倒れた。
壁白は少女を追いかけて走っていった。
いつの間にか短髪の少女もいなくなっていた。
やがて少女にまかれたらしい壁白は、息も切れ切れで戻ってきた。

「間違い、ない、あれは、海客だ」

壁白はそう言った。

「じゃ、追いかけようぜ」

真騎はあっさりそう言って壁白ににらまれた。
いつの間にか人垣は颯淳たちを囲むようにできていた。

「バフクはまずいのよねぇ…。残念」

彩世は倒れた巨体なバフクを前にそう言って、自慢の斧を背中に背負い直した。
均等の取れた体にどちらかと言うと悠然と微笑をした彩世の言葉に、声をかけようと思っていた男たちは引きつった笑いをして引いた。
颯淳は、海客だと壁白が言った少女の髪の色を思い出していた。
短髪のほうは、墨色。長髪のほうは茶毛だった気もする。いや、何かで染めればそんな色にもなるのかもしれない。
それよりも、鮮やかな翠の瞳。
颯淳は、何故か忘れることができなかった。